涙のワイアタップ
盗聴器は何も触られた形跡もなくポーチの中に収まっていた。
父の油断と慢心につけ込んでよかったものかと秀人の良心は痛んだ。
「これでよかったのだろうか、、、?」
八坂秀人は統合失調症の診断を受けている。
彼は幻聴を確認するために常に外出中に盗聴器を携帯している。そうしないと悪口で気が狂いそうになるからだ。
現在、彼は実家暮らしをしている。基本、市街地に買い物に行く際は母に同伴してもらっている。
母と父は不仲であり、決して貧しい家庭では無かったが、心が貧しい家庭、それが彼の心に闇を落としていた。
現在、母と父は別居しており、父は老後の生活に集中し、母は秀人のサポートをするが父の生活と生活費のことを気にして、彼に辛く当たる傾向がある。
秀人はそのことに心を痛め、父と母の不仲を改善しようと彼なりに努力を続けていた。
もともと秀人が統合失調症なのは父も知っていた。付き添いを始め、母に頼まれて父が行ってくれていた。しかし、もともと父は他人に対して小馬鹿にするような癖があり、秀人はそれを母に相談したところ、母が父を追い出す形で現在のような生活になった。
父と母の連絡は続いていた。秀人は「もう辞めろよ」と思っていたのだが、それで夫婦の仲は語れないらしい。大概は母が感情的に怒り、父が表面上謝る、それの繰り返しだ。内心、非常にうんざりしていたが、これを言うと母が怒るので、秀人は療養中とは言え、世間的にはニートのようなものなので、我慢するようにしていた。
しかし、最近どうにも秀人にも目に余る出来事があり、彼はある作戦を決行しようとしていた。
父の老後のサークル仲間の話である。
父は母としばしば電話するのだが、困ったことに母の怒りが薄れるとわかると急に馴れ馴れしい態度に戻り、再び人を馬鹿にするようになるのだ。
母と父の電話の次の日、たまたま秀人が父と電話する機会があり、どうやら父は老後の趣味仲間と会っている途中で電話に出てくれたようだった。
「おう、秀人か」
父との会話は概ねスムーズに進んだ。結局秀人にとっては母と父、どちらも楽しく生きてくれればそれでいいのだ。
話が進んできたところで、秀人はふと気になったことがあり、父に尋ねた。
「父さん、ところで今日はどこに行ってるの?」
父が少し言葉を濁した気がした。
どうやら少し気まずいようなところに行っているらしい。
母がたまたまそれを聞き、父を問い詰めていた際、電話にいる父の背後からこう声がした。
「関係無いだろ、そんなこと。」
秀人は何か強い違和感があり、母を遮って父にこう聞いた。
「父さん、背後で何か聞こえるけど。これって父さんの趣味仲間なの?父さんから聞いた人の名前もそう言えば聞こえたたけど、何かやってるのかな?」
「いや、、、。ちょっとな。」
背後から笑い声が聞こえた。人を小馬鹿にするような声だ。
秀人は続けて試すようにこう聞いてみた。
「父さん、身内のことをあまり話さない方がいいよ。それに、まともな人なら父さんのような家庭事情の場合、本来なら人が少ないからって父さんを誘わないものだよ。父さんの趣味仲間は悪友で縁を切った方がいいと思う。」
また笑い声が聞こえた。さすがに秀人も少し腹が立ったので言い返すことにした。
「人の家庭事情を聞いて笑うような60年を送ってきて恥ずかしく無いのでしょうか?それが父の仲間であるあなた方の60年生きてきた人生の答えですか?そんな風に生きてきて楽しかったのでしょうか?あなた方の活動を父から聞いておりますが、教科書通りのきれいなものですね、、、。そこには自分らしさも何も無い。さぞ綺麗な人生を送ってきたのでしょうね。私たちの家庭事情についてアドバイスがあるならぜひお聞きしたいものですが、ご意見伺えますでしょうか?」
背後の声は止んだ。
その後は父と母がいつも通り口喧嘩し、その後、父の生活態度について相談するため、再び1時間後に電話することになった。
「もしもし」
「ああ、今飯なんだよ。」
父が言った。
背後でまだ父の苗字や中年男性の声が聞こえる。おそらく飲み会の予定を早めて近場の店でランチがわりの飲み会に変更したのだろう。
「それなら10分後に電話にしよう。食べ終わったら連絡してね。」
秀人と母と父の3人で電話した。さすがにもう趣味仲間の声は聞こえなかった。
「父さん。あの趣味仲間がいなくても父さんはあの活動できるよね?」
「そうだな。」
「それならもうやめてくれるかな。父さんにとっても悪友と呼べる人達だから、いい人じゃないよ。」
「わかった。」
もちろん信用はしていない。なのでこう追記で言っておいた。
「引き継ぎ後の3ヶ月にグループラインの退会と連絡先の消去。メールで家庭の事情で抜けますという内容を送信したことをスクショで共有、してね。」
もちろんこれでも信用していない。事前に話せばわかることだからだ。つまりいくらでも偽装はできる。
そこである策を弄することにした。
父の別居先の箇所に忘れ物をした体で盗聴器を置いていき、父の真意を確かめるのだ。父も私の病気のことは把握しているので、後からいくらでも理由づけで説明できる。
母に相談し、父の家に遊びに行った。父がトイレへ行った際に、モバイルバッテリーの充電器兼盗聴器をベッドの下に紛れ込ませた。
「父さん、ありがとう。楽しかったよ。」
「よかった。じゃあね。」
次の日、忘れ物をした体で盗聴器を回収しに行った。父に秀人の近況を聞かれたが楽しくやってるよ。と無難な話に留めつつ、忘れ物としてしっかりと回収した。
「いや、油断し過ぎだろ。俺もそこは父さんの良心を利用したのかもな、、、。」
父は秀人のある種の異質性を最近では評価していた。ブラック企業で働いても成果を上げていくし、趣味でやっていても他人からはすごい、と言われるような結果を少しずつ出していた。最も秀人にとってはあくまでも趣味で、運と実力の世界の中、彼はたいして努力もせず、気ままにやっていただけなので、評価されても正直素直に喜べなかった。本気でやっている人を侮辱しているように感じるからだ。
「ただ、この結果のおかげでこういうことができたのだから、ある意味良かったのかもしれないな、、、。」
もういい加減にこの関係に結果を出して、終わらせたかったのだ。かれこれこうなってからもう4年目近くなる。療養どころの話ではない。
盗聴器を聞いてみた。
聞いてみるとやはりというか、父は隠し事をしていたようだ。秀人の想像通り、趣味仲間に彼と母の愚痴や悪口をバンバン言っていた。
「秀人は障害者だ。妻は鬼嫁でほんの少し魔が刺してやった俺のことをまだ追求して怒っている。酷い奴らだよな。」
「そうですよ。八坂さん。そんな家族のことは忘れて一杯やりましょうよ。」
「そうだよな。いやあ、昨日息子が来たんだけど、障害者の相手をするのは大変だったよ。よくやってるよな、俺はさ、、、。」
秀人は怒りに震える手を深呼吸して落ち着かせ、確認のために何度も再生した。何度目かの再生で秀人の父に対する気持ちがスッと溶けていくような感覚があった。
「救いようのないクズだったか、、、。」
内容を確かめていた彼の涙は握っていた盗聴器へとこぼれ落ちた。
父は苦手だったが、これでも彼の実績や本当に困った時に助けてくれる父親らしさに敬意を払い、これまで病気で辛くても両親の仲を取り持ってきたつもりであった。
例えば、病気で入院中に父は秀人に「本当に大変だよな」と励ましてくれ、その後も黙って手続きをやってくれたり、ブラック企業で成果を出せたのも父が毎日電話で秀人を彼なりに励ましてくれたからであった。
母を傷つけないように盗聴器で聞いた内容を簡潔に伝えた。
数ヶ月後、秀人の父と母は離婚した。
秀人は無事、再就職できたが、心にぽっかり穴が空いたような感覚がなぜか抜けなかった。




