嘘の感謝ほど、気持ちの悪いものはない
日常に慣れることは、仕方がないことだと思います。
よく、こんな言葉を聞くことがあるのです。
私たちがこのような暮らしを出来ていることは当たり前じゃない。
だから、日々感謝して生きよう。と。
こんな言葉に類似した歌詞だったりも、よく聞きますね。
ええ。確かにその通りだと思います。
そうであることに感謝すべきだと言うことは、よくわかります。
これは、何事にも通じるのでしょう。
日常が素晴らしいということは、よくわかります。
しかしながら。
慣れることからは避けられません。
一度上がってしまった生活水準が下げられないように。
いつの間にか初心を忘れてしまうように。
足し算が出来ない感覚がわからないように。
箸が使えない感覚がわからないように。
純粋の鮮度を保ったまま生きることは、不可能だと思うのです。
わかります。よくわかります。
不可能だとしても、それを心に留めておくことが大事だと。
ええ。それも一つの答えだと思います。
それでも、どうしても。
この言葉を他の人に伝えることは、憚られるのです。
当たり前じゃないということを他に言うことは、私には到底できない気がする。
だって、私ができていないんだから。
どんどん薄れていく。
なにもかも。
今より若い頃、回転寿司に行くと言われたら、本当に、心の底からの嬉しみのような、高揚感が沸いて出てきた。
今より若い頃、宿題をやれと言われたら、本当に、心の底からやりたくないと、ここから逃げてしまいたいという気持ちが湧き出ていた。
今は、どうだろう。
嬉しさも悲しさも、プラスもマイナスも、上限のようなものが出来てしまったような、そんな感覚がずっと離れない。
だから、無理なんです。
同様に有り難がることなんて。
初心を忘れないようにするなんて。
私には出来ません。
出来ているふりをすることはできますが。
それはもう、純粋に泥を塗りたくるような、不潔なことであると思うんです。
やはり、いつか慣れてしまうものです。
自らでコントロールできないところをどうにかしてやろうと思うことは、無駄であると思うのです。
そんな、私と同じような人。
そんな人は、慣れてしまうことを、認めてあげるべきなんだと思います。
自分を棚に上げて、他の人にそれを求めるなんてこと出来ませんから。
だから、それは仕方がないと、すっぱりあきらめてしまえばいいと思うんです。
でも、でも、大事なことがあります。
慣れたふりをするのは、絶対にしちゃいけないことです。
自分の良心や違和感を、しっかり見つめることです。
でなければ、社会に迎合するだけの、自己のないナニカになってしまう。
自由意思を失った、量産型のナニカに。
それは、あなたのその、大切な大切な最初、純粋を穢すことです。
それは、最悪です。
本末転倒と言ってもいいでしょう。
何が目的だったのかさえ忘れてしまうこともあるかもしれない。
結局。
私が言いたいことは。
慣れたふりをすることは、しちゃいけないということだけでした。
心が動いていないのに、感謝をしているふりをすることほど、最悪なことはないです。
他人の発言を笠に着た偽りの感謝など、なんの価値もない。
以上です。
否定してもいいんです。
肯定してもいいんです。
お願いですから、咀嚼をしてください。
ここまで読めたあなたなら、絶対にできます。
結論がどれだけ捻じ曲がったものでも構いません。
私の意図と違った解釈をしたっていいんです。
お願いです。




