第一話
眼前には、黄色の光を放つ綺麗な満月と星空が広がっていた。
黒い地の荒野には、赤い血が俺を囲むように広がっている。
傍らには、赤い蛇のエンブレム入りのナイフが一本、落ちていた。
視線を傾けると、漆黒の外套を纏った傷だらけの男が倒れている。
俺の腹を刺したその男は、痙攣しながら、
「ウィリアム……ウィリアム」
と、誰かの名前を半狂乱的に唸っていた。
その弱々しい姿に、『今が好機』――そう思った。
復讐を、こいつが今までに人々にしたことの贖罪をさせようと、その男を刺し殺してやろうと思った。
ーーだが、やめた。
復讐心が薄れたわけではない。ただ、疲れた。少し血を流しすぎてしまった。
ああ、瞼が重い。
少しだけ……少しだけ……眠ろう……。
◇ ◇ ◇
朦朧とした意識の中、恐る恐る目を開けた。
「腹は⁉ あの男は⁉」
急いで服を捲ったり、辺りを見回して確認する。
だが、黒い地の荒野は消え、そこには植物の上に雪が積もり、針葉樹と切り株が並ぶ、ごく普通の森になっていた。
ナイフと例の男が倒れていたはずの場所には、薪割り用の斧と、俺が割った薪が散乱している。
明らかに、先ほどの光景とは異なっていた。
――はっ、まだ周りに敵がいるかも。
「リオ! リオ! あっ、いた!
もう、そんなところで寝てたら風邪引いちゃうよ」
声のする方へ顔を向けると、木の影からリーナが姿を現した。
紫色の髪を肩の高さまで下ろした姉。
だが、その姿は俺の知る姉ではなかった。
幼いのだ。
雰囲気や背丈が違う?――そんな些細な変化ではない。
なぜなら、俺の知る姉は、すでに物言わぬ植物状態になっているからだ。
赤く輝く月を背にした彼女は、心配と困惑が半々といった表情で、いつの間にか俺の体を揺すっていた。
――あれ?
誰を思い浮かべていたんだ、俺は。
というか、どんな夢を見ていたんだっけ?
夢とは、現実に戻ると儚く散ってしまうものだった。
「もう、仕事に行ったきり、日が落ちても戻って来ないから探しに来たのよ」
その言葉を聞いて、やっと思い出す。
「そうだ……俺は山へ芝刈りに来ていたんだった」
心の中のわだかまりが、ほどけてどこかへ行ってしまったようだった。
「どうしたの? なにか怖い夢でも見た?」
覗き込む姉の赫眼が、ギラリと光を反射する。
だが、その光景はすでに日常の一部として、俺に溶け込んでいた。
「いや、なんでもない。早く帰ろう!」
起き上がり、服についた雪を払う。
斧を肩に担ぎ、二人並んで帰路についた。
林を抜けた先にある田舎の村へと二人でズンドコズンドコ鼻歌を歌いながら向かっていく。
山を駆け降り、小川を飛び越え、林を抜ける。
最後に黄金に輝く麦畑に囲まれた道を走り抜けると、
「やっと見えた~」
木製二階建てのコテージ状の家が見えた。
「途中迷っちゃったから、時間かかったね~」
二人は顔を見合わせて再度駆け出した。
俺が家の扉を開けて、続いてリーナが家に入る。
「『たっだいま~‼』っと」
斧を壁に立て掛け、魔石に魔力を流し、玄関の明かりをつける。
「あれ?『大好きなお姉ちゃんお帰り!』の声が聞こえないぞ~マリーよ」
「いつもは真っ先に飛び付くのに、もしかしたらもう寝ているのかも」
リビングの扉を開けると、
「『えっ?』」
伽藍堂のように家具が何も無い空間が目に映った。
家族で囲った円卓も、飾っておいた妹特製の花冠も、何もかもが跡形もなく消えていた。
「母ーさーん、ただいまー!......いないのかな?」
リビング、台所、物置と順に確認していくが壁と睨めっこするだけ。
「灯りも消えていたし皆、二階でマリーと寝てるのかも!」
リーナは汗をかき、二階を目指し走っていく。
「俺も行く」
なんだなんだと思いつつ俺も続いて真っ直ぐな階段へと脚を掛けた。
上から何かが落ちてきた。
父のバラバラになった死体が落ちてきた。
「きゃあああああああああ‼」
リーナの甲高い悲鳴。
尻餅をついてしまい、口が開いたまま塞がらない。
平常だった心の圧力計は、危険信号をならす程、右へと振り切っていた。
.........父......さん?え、え?
次の瞬間、背後からパチパチと燃える火の音が聞こえた。
「サプライズは大成功、幻覚魔法の調子は上々。認識改変は...及第点といったところ」
不快感を増幅させる聞いたことの無い声。
振り返ると失くなっていた筈の円卓の席を、漆黒の外套を纏ったガタイの良い男が二人で囲っていた。
一人は茶器から紅茶をカップに注いでいて、もう一人はそのカップを持ち一口、口に含む。
その二人には明らかに上下関係があった。
雲一つ無い快晴の空から降り注ぐ日の光、それを花咲く邸宅の庭にあるガゼボで遮りアフタヌーンティーを嗜むような余裕のある姿。
強い嫌悪感を孕んだ優雅さが感じられた。
「だっ誰なんだお前らは‼もしかしてお前らが父さんを...」
男はカップを口から外して椅子から立ち上がり、俺ら二人に歩み寄って来た。
「可愛いお二人さん。初々しいリアクションをありがとう」
カップを持っていない手でフードを外す。
漆黒の外套の下から覗かせるのは、赤蛇のエンブレム入りのナイフが携えられたベルト。
長い黒紅色の髪を後ろで束ねている。
そしてリーナのような色鮮やかな赫眼を持っていた。
「私はバーニン・ロヴァンス。愚竜を唯一神とする竜忌教団の教祖さ」
と言ってウインクを一回。
「二人をどこにやったんだ⁉」
「自己紹介後の質問コーナーはまだ始まってないのだがね、まあ君たちの母と妹は僕たちの仲間が保管しているよ。男は要らないから殺したのだけどね」
「やっぱりお前が‼」
「あっそこで君たちにお願いがあるんだ。」
バーニンと名乗るその男は卑しく不敵に笑う。
「僕たち竜忌教団と共に来てくれ――」
右手にはいつの間にか、血塗れたガマズミがあった。
俺たちは何もしていないのに既に息が切れて、鼓動が加速していた。
「それにさ、もし来てくれるならまた家族で一緒に居られるよ?」
「知らないし入りたくもないそんな馬鹿みたいな宗教、それに愚竜って千年前に死んだんだろっ」
俺は吐き捨てるように言葉をつく。
「そうさ愚竜は死んだ、赤髪の勇者の手によってね。
だがそれには一つ間違いがある。
愚竜はね、僕の事なんだ」
自分の中の時間が止まった気がした。
その引き伸ばされた時間で走馬灯のように過去の記憶が溢れてきた。
『昔むかし、ジュランダルという悪ーい竜が空から降ってきました。
竜はこの星にいる皆を食べてしまおうと考えていました。
ですが人々はそれを良しとしません。生きとし生ける全ての存在は抵抗の意思を掲げました。
ですが竜の力は強大です。種族も思想もバラバラな人々では太刀打ち出来ませんでした。
皆が頭を抱えていると一人の女性が台頭しました。赤髪の勇者様です。
勇者様は手八丁口八丁に皆を纏め上げました。
勇者様は人間、獣人、ドワーフ、エルフの各種族の強き戦士からなる少数精鋭の集団を組織し竜を倒しに向かいました。
そして見事勇者様たちは見事愚竜を倒して、世界を平和にしましたとさ。
お仕舞い。』
母さんが昔、寝る前に読んでくれた童話の一つ。
だがこの話は原典を子供でも分かるように、マイルドに纏められている物だ。
原典では愚竜のことはこう記されている。
『大罪司る宇宙からの侵略者。
森羅万象を喰らい、宇宙に穴を開ける者。
正に深淵、真に未知、故に、闇である』と。
俺は震え上がった。
「あの愚竜が蘇った⁉じゃあお前は......⁉」
「そう、災厄の再臨さ」
男は両手に持っていた物を適当に放り投げ、その手を伸ばす。
「僕と共に行こう」
それが自身に届くまでの時間が永遠に感じられた。
逃げないと、勝てるわけがない。こいつは―生物としての格が違う。
ガシャアアアン‼
突如、窓を割って何かが入ってきた。
赤の獅子のエンブレム入りの純白のローブに、手に持っている大きな武器。
俺はその人たちのことを知っていた。
「滅竜師団......?!」
滅竜師団――それは赤髪の勇者が組織した愚竜とその眷属、及び対立する竜忌教団を討ち滅ぼすための組織。
その力強い頼れる背中は正に、俺が憧れる正義のヒーローその者だった。
三つの白い影が体勢を直して人のシルエットを映す。
三人のドワーフにはそれぞれ、戦斧、大剣と盾、フレイル型のモーニングスターが手に握られていた。
「『ワシらが来たらもう安心じゃあ‼』」
猛々しい咆哮のような雄叫び。
戦地にいる戦士の笑い。
怯える人を鼓舞する魔法のようなそれは、部屋の隅で縮こまるしかない俺らを少し、勇気づけた。
「お主ー指名手配犯のバーニン・ロヴァンスじゃな。
幾つもの国や村を襲い民草を殺し、女子供は拐い、実験動物のように弄ぶ。
挙げ句の果てには禁忌の力、愚竜から生る闇の魔力まで取り込みおって。
ならば粛清しか残された道はなかろうて。
のう、小僧」
言葉を投げ掛けられたバーニンという男は顔を歪ませ、歯ぎしり。
「つくづく不愉快極まりない不遜な奴らめ。
星の癌の問題を先送りにして現状維持を決め込む老害が!
お前らがあの最強の魔法使いのエル・アーキレットを大事に仕舞っておかなければ、世界樹は蝕まれることはなかっただろうに‼
だから僕がっ‼救ってやると言っているんだ‼」
先の飄々とした態度とは一変して荒れ狂って頭を掻毟り、感情を、ために貯めた鬱憤を言葉として露にした。
「なんじゃ~貴様、竜忌教団の教祖だからと警戒したが......
とんだ阿呆ではないか!いや駄々をこねる子供の人形か?はっはっは!
エルを出す?ワシらが現状維持?まるで周りが見えておらん、」
先頭に立つ戦斧を持つドワーフは雄弁に語る。
その間にもう一人の盾を持つ男が俺たち二人の大きな壁となる。そして耳打ちをする。
「アレスが時間を稼いでいる今の内に南へ逃げなさい。出来るだけ早く、遠くに」
俺は言われるがまま逃げるため姉の手を取った。
「待ってよ、マリーは⁉お母さんとお父さんはどうするの」
「今は自分の事だけを考えるんだ。こっちは任せてくれ」
「行こう姉さん。」
心配をしている姉を半ば無理やり引っ張り、もしものための斧を取り、外に出た。
だが外の景色は赤く照らされる自然ではなく、
「えっ」
火が辺り一面に広がる地獄の光景が広がっていた。
やつらの仲間と思われる漆黒のローブを身に纏った奴らがそこらかしこに跋扈していた。
家や木は燃やされ、大人は血祭りにされ、
子供は楽しそうに引きずり回されている。
その中には一緒に遊んだ友達や、いつも温もりを注いでくれた大人たち、そして先程の命の恩人と同じローブを纏う人たちもいた。
その光景に涙が溢れる。
危うく手にある斧を落としそうになった。
背後から聞こえる叫び声に、振り向けなかった。
そのまま俺らは背を向けて、赤色の畑を越え、無我夢中で走り出した。
気付けば光輝く満月は赤く染まっていた。
◇ ◇ ◇
リオ達が家を出てすぐ、中では残された者たちによる熾烈な戦いが今にも起ころうとしていた。
「して小僧、3体2でワシらに勝てるとでも思っておるのか」
「造作もなく」
火の粉が舞う部屋の中、両者一歩も引かず己が勝利の為、敵を絶対に殺すという必殺の意思の下、向かい合っていた。
(確かに奴らは強い。それは立ち姿や奴から発せられる禍々しい魔力からもわかる。だが決して勝てぬ程ではない)
「ふむ、成る程。お前らは時間稼ぎだったか。
それも二人を逃がすためだけではない。
すぐに滅竜師団の本隊が来ると、そうでしょう?」
「お前程度に本隊が来ると思っておるのか?
これこそ自意識過剰というやつじゃのう」
図星だ。実際三人はエルが率いる本隊が来るための時間稼ぎの駒でしかない。
だが流石と言うべきか、誰一人としてその事には反応しなかった―が、
「......お前、お前は逃げた二人の子供達を追え」
お前らなんて一人で相手取るのは十分だ、と過小評価されたことによる怒りは込み上げてきていた。
彼らは煮えくり返った腸を噛み切るがごとく荒々しく、雄叫びをあげ全身全霊をかけて、勇敢に突撃していった。
「調子に乗るなよ若僧があああぁぁぁぁ‼」
◇ ◇ ◇
肺の中が直接凍らされる感覚を今感じた。
焚き火と化した村の光なんて一切入る隙の無い、
くらい暗い森の中に脚を踏み入れる。
「ねえリオ、やっぱり戻るべきじゃないかな......」
「いや大丈夫だって姉さん、師団の人達が言っていたように、任せておけばなんとかなるって」
「でも......」と姉は言うが、俺はさらに速度を少し上げる。
俺らは無言で駆けていった。
置いてきた、逃げたくて逃げた。それ以上でも以下でもない。
ストレス耐性がなかった故、なんて言い訳したくなるほど俺は焦っていた。
仕方がないんだ、だって死ぬかもしれないんだ。地獄に飛び込む方がどうかしているんだ
ここまで感情が乱れたのは初めての事だった。
俺は今どのような顔をしているだろうか、どのような醜態を晒しているのだろうか。
ーー多分、笑っているのだろう。
自分が助かったんだ。嬉しさが込み上げて......くるんだろうな。
憧れの英雄達は涙を飲んで、皆を助けるために復讐を誓うのだろうな。
―憧れるな、いつか俺もそんな風になれたらいいな。




