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世界的アイドルが、地味な私だけに惚れた理由 ──世界でいちばん遠いはずの君と、結ばれる物語。  作者: Avelin


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8/8

文字があふれる夜

言葉になる前の感情が、

胸の奥でそっと震えはじめる夜です。


十年前——弟を失ったアリンの手を、

あたたかく包んでくれた“あの少年”。


忘れていた記憶が息を吹き返し、

アリンの心が、そして言葉が——

静かに、そっと動きはじめます。


つながりそうで、まだつながらない“過去”と“今”。


その境界が揺れる瞬間を、どうぞ見届けてください。



“もう一度、会いたい。”



その願いは、

ずっと封じてきた痛みをそっと揺らしながら、

胸の奥で静かに目を覚ました。


9歳のあの日。


弟を失って世界が真っ暗になった私の手を、

あたたかく包んでくれた“小さな掌”。


泣き止むまで隣にいてくれた、

あの少年の声。

あの少年の温度。


——もし、あの優しさがなかったら。


私は今、もう一度“書いてみよう”なんて思わなかった。



会いたい。

あの時の続きに、触れてみたい。


そう思った瞬間、

ノートを開いた手がわずかに震えた。


久しく感じていなかった。


言葉になる前の、

あの“前ぶれ”が——

胸の奥で、そっと震えた。


次の瞬間、

ノートの上の文字がゆらりと形を変え、

まるで息を吹き返したみたいに動き出す。


(……来る……書ける……?)



ペン先を紙に落とすと、

ためらいより先に“言葉の影”が流れはじめた。


まるで、封じていたものが一斉に目を覚ますように。


一行、また一行。


わたし自身が驚くスピードで、

文字が“化ける”ように紙の上を埋めていく。


止めようとしても止まらない。

ただ、あふれてくる。


(……これ、わたし……?)



わたしの手が、勝手に誰かを追いかけていた。




十年前——

病院の中庭で出会った、あの少年。


弟を失って、

息ができないほど苦しかった日。


自販機の前で泣きじゃくるわたしの隣に、

そっと腰を下ろした少年がいた。


あの時と同じ、やさしい匂い。



そして——

もうひとつ、忘れていた記憶が突然よみがえる。


寒い風に肩をすくめていたわたしに、

彼は、ためらいもなく歌ってくれたのだ。


震えていた心に触れるような、

優しくて、あたたかい声で。



「大丈夫。

 君は……みんなを元気にしてるんだ」



あの声。

あの言葉。

あの歌。


忘れたはずの記憶が、

胸の奥でいっせいに光を取り戻した。


(……そうだ。

 “あの少年”も——歌っていたんだ)



その事実に気づいた瞬間、

世界の輪郭が、すこしだけ柔らかくほどけた。


ずっと、忘れたふりをしていたのに。

思い出すのが怖かったはずなのに。


なのに今、胸の奥が

どうしようもなく熱を帯びていく。



——もう一度、会いたい。



その気持ちが、

痛いほどはっきりと形を持ち始めていた。


(……どうして、今……)


わからない。


けれど“その少年がくれた温もり”を、

わたしは確かに詞に綴っていた。




書き終えた紙をそっと持ち上げる。


そこに並ぶ文字を見て、息が止まった。



……これ……


セシュンが歌ってきた“あの曲”の原型と、

ほとんど同じじゃない?


わたしは知らない。

知らないはずなのに。


(どうして……)


考えるほど、胸がざわつく。




紙を握ったまま、

しばらくその場から動けなかった。


胸の奥がざわざわして、

落ち着くどころか、むしろ息が苦しくなる。


(……なんで……こんなに似てるの)


自分が書いた詞なのに、

その一行一行が、

十年間胸の底に沈めてきた何かを掘り起こしてくる。


胸の奥が、じんと熱くなる。


(……確かめたい)


次の瞬間には、もう足が動いていた。


頭より先に、

心が勝手に走り出していた。



向かう先はただ一つ。


——さっきまでいた、公園。


「いるわけ……ないのに……」


そう思っていても、

足は止まらなかった。


暗い道を歩くたび、

胸の奥で、さっきの記憶がふくらんでいく。


(もし……もし本当に——)


喉の奥が、かすかに震える。


(あなたは……“あのときの少年”なの?)


叫びたいほど確かめたいのに、

確かめるのが怖くて、息が苦しい。


(あり得ない……そんなはずない……)


そう繰り返しても、

心だけは別の答えを叫んでいた。


(でも……会いたい)


体が、勝手に前へ進む。


雪の降りしきる夜道を抜けて、

公園の入り口が見えてくる。


街灯に照らされたベンチ。

見慣れた冬の景色。



そして——


(……いない……よね)


胸がきゅっと縮む。



わかっていた。

わかっていたはずなのに。


風が頬を通り抜けた瞬間、

指先がじんと冷える。


紙を握りしめた手が震えていた。


(……どうしてこんなに……)


胸の奥で、誰かの影が揺れる。



“十年前の少年”

“さっき目の前にいたセシュン”


ふたつの影が、重なりそうで、重ならない。


(……じれったい)


そんな気持ちを抱く自分にも、

少し驚いている。


雪がひとひら落ちてきた。


わたしはベンチの前で立ち止まり、

かすかに唇を噛む。


(ねえ……もし……もしも——)



声にならない願いが、

夜空へゆっくり溶けていく。



わたしは、

さっき出来上がった詞を小さく口ずさんだ。



十年前の中庭で聴いた、あのメロディに乗せて。




その瞬間。


背後から、

ふっと雪を踏む音がした。


ゆっくり振り返る。


白い息。

街灯の下、銀の影。



そして——


「……その曲……なんで……きみが……」




言葉にならない声が落ちた瞬間、

わたしの心臓が大きく跳ねた。



街灯に照らされた銀の髪は、

雪の粒をやわらかくまとっていた。


胸の鼓動が、

ひとつ、またひとつと強くなる。


声は震えて出なかった。


(……どうして……ここに……)


問いかけたいことが

山ほどあるのに、

その全部が喉にひっかかったまま出てこない。


セシュンは、

わたしの握る紙へ、そっと視線を落とした。


白い息が、静かに揺れる。



その目に宿った“驚き”は、

わたしの想像よりずっと深かった。


「……それ……」


小さく息をのむ気配。



「……きみ、どうして……

 その言葉を……」



続きが言えないように、

セシュンの唇がかすかに震えた。


夜風が静まり、

雪の降る音だけが響く。


胸の奥で、何かがゆっくりと形を変える。


(……聞きたい……)


聞かなきゃいけないことがある。


——この人は、本当に。


“わたしの記憶の中の、あの少年なの?”



でも、

喉が熱くなって、言葉にならない。



ただ、

セシュンの視線だけが

痛いほどまっすぐにわたしを見つめていた。



雪が、二人の間に静かに落ちる。




世界が、

一瞬だけ止まった気がした。



そして——

セシュンは、その紙に触れもしないまま、

低く息を吐いた。



「……アリン。

 話したいことがあるんだ」



その声は、

これまで聞いたどの声より、

ずっと弱くて、

ずっと切なかった。


胸の奥が震える。



(……なに……?

 その声……)




夜空に、

答えの形だけがゆっくりと浮かび上がりはじめる。




——わたしの記憶と、

——彼の秘密と、

——ずっと言えずにいた“真実”。




その全部が、

もうすぐひとつに触れようとしていた。




読んでくださり、ありがとうございます。


8話では、

アリンの中で封じていた想いと、

十年前の“優しさの記憶”が静かに溶け合う回でした。


心が揺れたとき、

言葉はあふれるように戻ってくる——

そんな瞬間を描きました。


そして最後、

セシュンの“凍った声”と驚きの表情。


ふたりの記憶が重なるまで、

あとほんの少しです。



次回 9話

『君が書いた“あの詞”の意味』

——十年前の真実が、ついに語られます。


また読みに来ていただけたら嬉しいです。


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