冬の本屋と、知ったしまった現実
あの夜、胸をかすめた“違和感”——
それは、アリンの現実を変える最初の合図だった。
気づかぬうちに触れてしまった“秘密”。
忘れられない声。
そして、彼の歌に隠された謎。
ただの偶然なんて、きっともう通用しない。
静かに積もる雪の下で、
アリンの物語は思いがけない方向へと動き始める。
ここから、すべてが繋がり出す——。
あの夜から、
胸の奥のざわめきが止まらない。
仕事中でも、気づけば
セシュンが歌っていた“あの詞”を思い出してしまう。
(……本当に、どうして?
あれは……わたしが、弟のために書いた詞なのに)
その瞬間、
背後から店長の声が飛んだ。
「アリン! ぼーっとしてる暇はないよ!」
「っ……す、すみません!」
今日は本屋のスタッフが一人休んでいて、
店長は朝からずっとピリピリしている。
(やばい……また怒られる……)
そんな気持ちで慌てて棚に向かうと、
店長が重い段ボールを指差した。
「これ、芸能コーナーに並べて。
本来なら別の子が担当だけど……仕方ない」
「げ、芸能……? わたしが……?」
文字と本だけがすきで、
芸能にはまったく興味のないアリンは
思わず固まった。
店長は容赦なく言い放つ。
「ぼーっとするくらいなら動く。はい、行って!」
「は、はいっ……!」
仕方なく段ボールを開ける。
中から現れたのは──
トップアイドルグループ“ZELOS”の最新写真集。
表紙の人物が目に入った瞬間。
わたしの手が止まった。
「…………え」
視界がゆっくりと白くなる。
“銀色の髪”。
“静かな目”。
あの夜、月明かりの下で振り返った顔。
「……うそ……でしょ」
胸の奥が跳ね、痛む。
歌──
歌う人なんだ。
そして、世界的大スターだったなんて──
わたしは知らなかった。
「……本当に……セシュン……?」
呟いた声は、誰にも聞こえないほど小さかった。
写真集の表紙に写っている彼は、
昨夜と同じ銀髪。
同じ瞳。
同じ微笑み。
だけど──
“ステージ用の顔”だった。
強いライトを浴びて、
誰よりも輝く“アイドルの顔”。
わたしが知っているセシュンとは、
まるで別人みたいに見えた。
(……こんな人だったの?)
胸がぎゅっと“内側から”掴まれたみたいで、息が止まった。
「きゃー!! ZELOSの写真集だ!!」
「やばっ、このセシュン最高……!」
「今日買えてよかった〜!」
若い女性たちが群がり、
写真集を次々に手に取っていく。
わたしの手は、震えたまま動かない。
(……だよね)
(だから……あんな軽やかに優しい言葉を言えるんだ)
(“いつもやってること”なんだ)
少しだけ、胸が痛い。
息が浅くなる。
(……わたしなんかに、あんなこと言うはずない)
(特別なわけ……ない)
胸のざわめきは、昨日よりずっと強かった。
写真集を棚に並べながら、
わたしは心の中で繰り返していた。
(傷つくのは……イヤ)
(だから……もう興味を持たない)
(あの人の言葉に、惑わされちゃダメ)
でも──
どうしても消えなかったのは、
あの夜の歌。
雪と一緒に落ちてきたあの詞。
わたしが昔、弟のために書いたものと同じ詞。
(……どうして?)
疑問だけが、胸の中で雪の結晶みたいに残っていた。
仕事の帰り道。
わたしの足は自然と“あの場所”へ向かっていた。
月明かりに照らされた桜の木。
雪に濡れたベンチ。
昨夜と同じ、静かな公園。
息が白く滲む。
その下に──
ひとりの影が立っていた。
銀色の髪が、冬の風にゆらり。
(……また……いる)
歩みが止まる。
セシュンは気づいたように、
静かに振り返った。
「……アリン」
その名前を呼ぶ声は、
昨日よりずっと柔らかかった。
胸が痛い。
「昨日……来なかったね」
言うつもりじゃなかった言葉が、
こぼれてしまった。
セシュンは少しだけ視線を伏せ、
微笑んだ。
「ごめん。少しね……忙しくて」
(そりゃそうだよね……)
(世界の人気者なんだもん……)
わたしの胸に、
小さな棘みたいな感情が刺さる。
でも──
どうしても知りたいことがあった。
「……あの歌」
わたしの声は震えていた。
「この前……桜の木の下でうたってた詞……
あれって……誰の曲なの?」
セシュンは、ふっと穏やかに笑った。
「ん? あれ?」
一瞬の間。
「……いい詞だったでしょ」
その声音だけで、胸がざわつく。
「大切なんだ。
本当に……とても、ね」
わたしの心臓が跳ねた。
胸の奥で、触れてはいけない記憶がそっと動いた気がした。
(なんで……)
(なんで……わたしの詞と同じなの?)
(“大切”って……どういう意味?)
そしてわたしは、
本屋で見たあの写真集を思い出した。
思わず質問が口からこぼれる。
「ねぇ……あなたって……」
「アイドルだったり……するの?」
セシュンは、
いたずらみたいな笑みを浮かべた。
「一応……ね。
そんな感じかな」
「……そっか」
胸がちくりと痛む。
(……わたしみたいな地味女と
こんなふうに話してていいの?)
複雑に揺れるアリンをよそに、
セシュンはふと真面目な表情になった。
「アリンは……学生なの?」
「学生じゃないです」
「え?……じゃあ何歳?」
「……19歳です」
その瞬間、
セシュンの瞳が一瞬だけ揺れた。
「……そっか。
19歳……なんだね」
なぜかその声が、
少しだけ切なそうに聞こえた。
わたしは勘違いした。
(ほら……やっぱり。
色気もない地味女だと思ってる)
するとセシュンは、
急にやわらかい声で聞いてきた。
「アリン……今年のクリスマスは
何して過ごすの?」
「本屋の人と……ケーキ食べて終わりかな」
思わずため息混じりに言うと、
セシュンは声を出して笑った。
「かわいいな……アリンって」
(……かわ……っ)
心臓が跳ねて痛い。
「その夜さ……
またここに来れない?」
わたしは固まった。
(こいつ……なに言ってんだ?)
「む、無理です……っ!」
反射的に断った。
けれど──
クリスマスの夜。
気づけばわたしは、
約束の時間に桜の木の前に立っていた。
冷たい風。
雪の匂い。
胸のざわめき。
時計を見るたびに、胸の温度がひとつずつ冷えていく。
時間は過ぎても、
セシュンは来なかった。
(……そっか)
(やっぱり……わたしなんて……)
視界がにじむ。
唇をかみしめた、その時──
背後から、やさしい声がした。
「……こんばんは」
風が止まったように感じた。
その声を聞いた瞬間、
胸がふるえる。
ゆっくり振り返ろうとする——
でも、一歩が出なかった。
(…………)
“名前”を呼ばれた気がしたのに、
その声はわたしの名前を言わなかった。
雪の降る音だけが、
世界の静けさを埋めていく。
そこに立っている“誰か”の姿は、
まだ——見えない。
けれどその声色は、
泣きそうな心にそっと寄り添うようで。
わたしの胸の奥の、
一番弱いところに触れた。
——そして物語は、
わたしが想像すらしていなかった方向へと、
静かに動き出す。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
6話では、アリンが知らなかった
“もうひとつの現実”に
静かに触れてしまいました。
そして——
雪の夜に聞こえた「こんばんは」。
あの声は……一体誰なのか。
どうして“あの詞”を彼は知っていたのか。
アリンの世界は、確実に動きはじめています。
けれどこの先、
アリンは、自分では想像すらできなかった真実へと
ゆっくり近づいていくことになります。
次回、アリンの前に現れる“その人物”は、
物語の流れを大きく変えていきます。
どうか、続きを楽しみにしていてください。
——あなたは、
この二人の運命が“どんな未来”へ向かうと思いますか?




