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世界的アイドルが、地味な私だけに惚れた理由 ──世界でいちばん遠いはずの君と、結ばれる物語。  作者: Avelin


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4/8

君の言葉と、僕のはじまり

いつも読んでいただき、ありがとうございます。


前回、アリンは押し入れの奥で

“十年前のノート”を見つけました。


そこに書かれていたのは——

昨日、セシュンが口にしたあの一文。


「……なんで?」


胸の奥にざわめきだけが残ったまま、

アリンはふとした衝動で公園へ向かいます。


そこで待っていたのは、

懐かしい“優しさ”と、

春へとつながる、かすかな新しい気配——。


“桜”の季節に触れたとき、

アリンの心はゆっくりと揺れはじめます。


——その始まりとなる第四話です。




「……なんで?」


思わず声が漏れた。

見つけたばかりのノートのページが、

手の中でかすかに震えている。


十年前の自分が書いたはずのその一文。

でも——昨日、あの夜。

セシュンが口にしたのも、まったく同じ言葉だった。


ありえない。

あいつは私のことなんて、何も知らないはずなのに。


胸の奥が、ゆっくりと、しかし確実にざわめいていく。

嫌な意味でも、良い意味でもない。

ただ“理由のわからない何か”が心を叩いていた。


気づけば、足が勝手に動いていた。


ノートを机に置きっぱなしのまま、

私は玄関のドアを引き、外へ出ていた。


寒くも暑くもない、ただ静かな空気。

それでも胸は落ち着かない。


(……なんで。あの人の声がこんなに引っかかるの?)


答えを探すように、私は公園へ向かって走っていた。




公園までは、家からたった数分。

でも今日は、その距離がやけに遠く感じた。


胸の奥でざわめく正体のない不安が、

息をするたびに少しずつ大きくなっていく。


(落ち着けって……思ってるのに)


考えないようにすればするほど、

昨日のセシュンの声が耳の奥でよみがえる。


“悲しみの匂いがする”


たった一言なのに、

どうしてこんなにも心を乱されているんだろう。


ゆっくりと歩くうちに、

視界の向こうに見慣れた花壇が見えてきた。


しゃがみ込んで花の葉を整えている人影がある。


あの柔らかな姿勢。

静かな手つき。

そして——白い布。


(……先生?)


足が自然にそちらへ向かっていく。


ここから先に、

今日の私が知ることになる“優しさ”と“痛み”が待っているなんて、

まだ何ひとつ知らないまま。



近づくと、先生は花壇の土を優しくならしながら、

気づいたように顔を上げた。


「あら。こんにちは」


やわらかく、包み込むような声。

私は少しだけ戸惑いながら、頭を下げた。


「……こ、こんにちは」


そう返した瞬間だった。


先生の手提げかばんの口が、

ふと揺れて——

その隙間から、白い布の端がちらりと覗いた。


ほんの一瞬。

たったそれだけなのに。



その布を見た瞬間、

胸の奥がきゅっと締めつけられた。


(……あ……白い布……

 あのときの……)



弟が亡くなった日——


泣いていた私に、先生が差し出してくれた布。


切りっぱなしの端。

少しだけする消毒の匂い。


冷たくなった弟の手を握りしめながら、

何よりも優しい温度を持っていた……その布。



ぼんやりとベンチに座っていると、

先生は小さな手提げ袋を持って、私の隣に腰を下ろした。


「少し、休憩しようかしら…」


手提げの中から、

りんごの紙パックジュースを取り出して差し出してくれた。



「どうぞ。一緒に飲みましょう」



そのパックの絵柄。

その色。


全部、覚えている。


(……弟が好きだった……あのジュース)


手が震えた。

でも、受け取ると、先生はふんわり笑った。


「ここね、最近また土を入れ替えたの。

 ほら、花も元気でしょう?」


私はこくりとうなずく。


先生は、花を愛おしそうに眺めながら続けた。



「花ってね……悲しい匂いがするものもあるのよ」


息が止まりそうになった。



あのとき、セシュンが言ったのと

まったく同じ言葉。


(……どうして)


先生は私の動揺に気づかないまま、

大きな桜の木へ視線を向ける。



「桜もそうね。満開のときは美しくて……

 でも、散り始めると、少しだけ寂しさがあるの」


風がそよぎ、枝が揺れた。



「うちの息子はね、散り始めの桜が一番好きなの。

 変わってるでしょう?」



私は思わず先生の横顔を見る。


(——息子さん?)


先生は優しく微笑んだ。



「夜にね、ここへ来るの。

 月明かりに照らされた花びらが、

 風に揺れるのを見るのが好きなんですって」



そしてこちらを見て言った。



「あなたも……桜の散るころに、来てみたらどう?」


胸の奥で、何かが小さく震えた。


(春は……嫌いなのに)



でもその震えは、

ほんの少しだけ、痛みではなかった。




先生の言葉が胸に残ったまま、

私はゆっくりと桜の木の下へ歩いていった。


満開でもない、散り始めでもない。

ただ静かに、枝が風にふれている。


(……散り始めの桜が好きな子)


先生の息子さん。

どんな子なんだろう。


優しいんだろうな。

花が散る瞬間の儚さを“きれい”だと言える子なんて、

きっと、優しくて、寂しがりで、

誰かの痛みに寄り添える人なんだろう。


(……わたしも、昔はそうだった)


弟が生きていたころ——

私は「春が来るのが楽しみ」だと、

あの子に言ったことがある。


桜が咲くと、嬉しそうに笑う弟。

散るころに読み聞かせをせがむ弟。

そのたびに、私は詞を書いてあげていた。


ひらひら落ちる花びらが、

文字みたいに見えるんだ、と言って。


(……なのに)


弟がいなくなってから、

私は春が嫌いになった。

桜の季節を見るのがつらくなった。


花が散るたびに、

ひとつずつ思い出が落ちていくみたいで。

心のどこかが、ずっと冷たいまま止まっていた。


私はそっと桜の幹に手を触れた。


(なんで……今日は、こんなに胸がざわつくの)


夕焼けに染まる公園で、

セシュンが言った“悲しみの匂い”という一言。



そして、ノートに残っていた十年前のあの詞。



全部がバラバラなはずなのに、

どこかで同じ“線”に触れているような気がした。


ざあ……と、風が吹く。


枝に残った花びらがひとひら落ち、

私のノートに触れた。


その瞬間——

紙の上に書かれた文字が、

ふわりと桜に化けて舞い上がる幻を見た。


(……あれ? この感覚……)


懐かしい。

痛いほど、懐かしい。


弟に詞を読んであげていたあの頃。

私の書く文字は、いつも桜といっしょに踊っていた。


その記憶が胸を強く揺らした。


私はノートを両手で抱きしめる。


「……春は嫌いだ」

小さくつぶやいた。




——桜が散るころ。

わたしは、その季節を好きになれるのだろうか。



夜になれば、月明かりで花びらが輝くのだろうか。


風が吹けば、光の粒みたいに揺れるのだろうか。



そう想像しながら、

私はまだ気づいていなかった——。



あの夜。


月明かりの下で揺れる桜の花びらの中で、

運命みたいに混ざり合う“あの歌声”に出会うことを。


その声を聴くまでは、

この桜を好きになれるなんて、

本気で思いもしなかった。


優しい声で紡がれるその詞は、

どこか懐かしくて、

胸の奥の閉じた扉をそっと叩いてくる。



そして——


ひらり、と。


紙の上の文字が桜になる“あの感覚”を、

私はもう一度、確かに感じることになる。



まるで十年前の記憶が、

静かに呼び戻されるみたいに。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


アリンにとって“桜”は、

ずっと痛みと結びついた季節でした。


けれど今日、

先生との会話や過去の記憶に触れたことで、

心の奥にずっと閉じ込めていた想いが

少しだけ揺れはじめます。


そして——

桜、夜、歌声。

小さな“予感”が、そっと物語に入りはじめます。



第5話では、

アリンの胸に響く“あの歌声”の秘密に

一歩だけ近づきます。


どうか続きも読んでいただけたら嬉しいです。


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