番外編 えっ、まだ結婚してなかったの!?(中編)
リンは、なんとも言えない不安を抱えていた。
食べても食べなくても吐く。匂いに敏感になり、味が変に感じる。体も重い。
そして――月のものも来ていない。
そっとお腹に手を当てる。
「……もしかして、妊娠……?」
胸がいっぱいになる。
魔王さまの子。嬉しくてたまらない。
でも――
(……わたし、本当に“魔王の妻”なのかな)
一緒に暮らしてるし、ずっとそばにいるけれど、正式な儀式はしていない。
プロポーズはもらっているけど、結婚とは言われてない
たしかに魔王会議では「リンを妻にする」と言ってくれたけど、狸谷宰相には「うちの息子の嫁に」と言われ、誰も否定しなかった。
(もし、認められない子だったら……?)
人間が魔王の妻になった例なんて、ない。
もし生まれても、魔界の隅っこでひっそり育てることになるのかも。
そもそも人間の体で、魔王の子は無事産まれてくれるのか。
(エアリアさんがいたら、相談できたのに)
ぽろり。涙がこぼれる。
そのとき――
「リン、いる?」
控えめなノック。扉の向こうにはスネク先生が立っていた。
「……お医者さんにみてもらうわよ」
「えっ?」
「オーガが言ってたわ。食欲がない、レッスンも休みがち、顔色も悪い。――妊娠してる可能性、あるでしょ?」
「……っ!」
どうして、スネク先生にはわかるんだろう。
「スネク、先生……っ!」
胸に詰まっていた想いがあふれ、リンは泣き出した。
「わたし、どうしたら……っ! 未婚なのに……、魔王さまにも、ちゃんと聞けなくて……!」
「未婚、ですって?」
スネクの目が細くなる。
「大丈夫よ。なにがあっても、私があなたとその子を守るわ」
その声は、意外なほどやさしかった。
「エアリアの代わりに、母親としての教育は私が引き継いでいるもの」
その言葉に、リンの胸の奥があたたかくなった。
――だが、次の瞬間。
「……その前に一つ、教育し直さなきゃいけない子がいるみたいね」
きらりと光る眼。すっ……と背中に手が伸びる。
そこにあるのは、真紅のヘビ鞭。
「あなたが診察してる間に――魔王さまを教育してくるわ」
背筋がゾクッとした。
※※※
ドンッッ!!
魔王の執務室のドアが、爆発でもしたかのような勢いで開いた。
「魔王さま、三つ、質問します」
「えっ!? スネク!? 待っ、ぎゃああっ!!」
ビシィィィ!!
新品のヘビ鞭が魔王の背中を容赦なく打つ。
ウンディーネとネレウスは、ただ、魔王の相談にのっていただけだったのに、完全に巻き込まれ事故。
直立不動で見守っている。
「その一、あなたはリンさんと結婚を意味する契約魔法をしましたか?」
「け、契約……? いや、してない……けど、彼女を縛るようなことは……っ」
ビシィ!ビシッ!
「リンさんじゃないの。あなたが縛られる契約しないでどうするの!!」
「その二、公的な場でリンを妻として紹介しましたか?」
「それは! 魔王会議で言った!!」
「で、リンさんはそれに納得していましたか?」
「……えっと……浄化のあと倒れて、それで……俺、怒鳴ったかも……」
「自分のために無理をした彼女を、あなたは怒鳴りました」
「…………」
ビシィ!ビシッ!バシィッ!
「その三、なぜ今、彼女が不安を感じているのか、理解していますか?」
「……いや……わからない……最近ちょっと元気ないと思ったけど、浄化の疲れかと思って休むように...」
「0点です! 情けない! 歯を食いしばりなさい!」
ビシバシバシィッ!
あまりの容赦なさに、ウンディーネが小声で
「スネク、もうそのへんで……」
と止めに入ったほどだった。
「リンさんは今、病院にいっているわ。体調のこと、あなたに伝えられずに泣いていたのよ。その意味を考えなさい。
ちゃんと顔を見て話しなさい。言葉でも、契約でも、ちゃんと交わして――!
情けないったらない!」
「り……リンが、病院……!?」
魔王の顔が真っ青になる。
次の瞬間――
「リン!!」
魔王は、全力で走り出した。




