68 そして、すべてが愛になる
それからまもなく――
エアリアは、噴水の前で静かに精霊契約を解かれることになった
「……いいのかい?俺としては、これからもリンのそばにいてほしいんだけどな」
魔王さまが、優しく問いかける。
ウンディーネとネレウスが、すでに涙目。
「なんで行くの?不満があるなら直すし!」
「せっかく精霊の先輩として、色々教えてほしかったのに……」
必死に引き留めるけれど、エアリアは首を横に振って、ふわりと笑った。
「違うのよ。もうね、自分の中で色んなことが、ちゃんと納得できたの。だから、あの世に行こうって、ようやく思えたの」
少し離れた木陰に、スネク先生とオーガさんの姿が見えた。
きっと、最後の見送りに来たんだ...
私は大きく手を振って呼びかけた。
「スネク先生ー!エアリアの精霊契約、これから解除します!一緒に見送りませんかー?」
スネク先生は呆れ顔。
「……淑女が大声で叫ぶものではありません」
それでも、オーガさんがスネク先生に「いこう」と促すと、しっかり歩いてきてくれた。
「エアリアさんご苦労様でした。あちらでもお変わりなく」
スネク先生は最後まで他人を演じ切るつもりのようだ。
本当は泣きたいのかもしれない。
だってこれが本当の最後だもの。
「エアリアちゃん、向こうに飽きたらまた遊びにおいでよ~」
オーガさんの言葉はよくわからないけど、通常運転。
あったかかった。
「……二人とも、本当にありがとう。元気でね」
エアリアは微笑む
エアリアさんと二人の間には絆がある。
口にしなくてもわかることがたくさんあるのだろう。
でも、少しだけエアリアさんは震えて見えた。
そして...最後に魔王さまを見つめるその目も。
エアリアさんは、最後まで夫の魔王様との約束を守り切りたいんだね
だから、母だと伝えない。
でも、魔王さまは知らないままでいいのかな。
私はどうしたらいいのかわからなかった。
魔王さまが、エアリアの魔石をそっと持ち上げる。
すると...
手の中に小さな魔法陣が浮かび、その魔石がくるくると回転し始めた。
エアリアさんの精霊の姿がふっと薄れて....
あっ...いなくなっちゃう。
思わず涙が溢れる
代わりに淡い光球が浮かび上がる。
もう聖霊ではない
魂になったエアリアさんに魔王さまは声をかけた。
「聞こえる?今までありがとう。リンと、ちゃんと幸せになるよ。父がこの間夢に出てきてね、『遅いよ』って伝えてくれって。強化の前に魂をうつして、あっちに一緒に行くのを絵の中で待ってたってさ。……向こうで、幸せにね。母さん」
最後の「母さん」の一言が、風に溶けた。
一瞬、強い光が瞬きた。
聞こえたんだ!!
エアリアさん!ちゃんとお母さんだと言ってもらえた!
そして――静かに消えていく
って....ん?
「えっ!?知ってたんですか!?」
私は驚いた。えっ?そんなそぶりなかったですよね。
流石にスネク先生とオーガさんの表情も変わる。
「母さんって、何!?」
「えええええっっっっっっ!?」
ウンディーネさんとネレウスさんは二人で大絶叫!!
全員が声をそろえて叫ぶ中、してやったりと魔王さまは静かに笑っていた。
みんなで泣いて、笑って、そしてまた泣いて。
幸せな時間が、噴水の青い空のまわりに広がっていた。
ふわっと暖かい風が通り過ぎていった。
※ ※ ※
後日。
皇后の間にあった隠し扉の絵を取り出す。
「魔王様、お父様に似てますね」
「よく言われてたんだけど、俺は少しヒュドラオンの冷たい雰囲気も入ってるんだ。ほらスネクにも似てるだろ」
魔王さまがニコッと笑うと、たしかに。
少しその雰囲気がある。
「エアリアさんにも似てますよ。というか、少女のようだと思ってたんですけど、お若くして亡くなったんですね」
私より少し上ぐらいの歳だろうか。美人薄命というけど。
スネク先生が知的美人だとしたら、エアリアさんは儚い系の美人で本当に消えてしまいそうな白い肌だ。
姿絵で、健康的に描いてコレなんだから、相当体が弱かったのだろう。
その絵はスネク先生とオーガさんに贈られた。
「魂はもう旅立ったけど、これからもよろしく」
と魔王さまは伝えた。
前の魔王様から頼まれて、ずっとエアリアと魔王さまを見守ってきた二人。
エアリア、魔王さまのお父さんとたくさんお話ししてるかな?
風のない空を見上げる。
スネク先生は私の前で初めて、大粒の涙をこぼした。
そして、絵をそっと抱きしめた。
「せ、先生!!」
どうしようとオロオロする私に、魔王さまは小さく笑う。
「泣かせたあとは、オーガの担当だよ」
って、私にだけウインクしてきた。
私たちは部屋に戻った。
と同時に魔王さまはリンを抱きしめる。
しばらく何も言わなかった。
どのくらい経っただろう?
魔王さまは、私を抱きしめたまま、小さく息をついた。
「エアリアと父が、よく噴水で話しててね。子ども心に“もしかして”って思ったんだ」
その声が、少しだけ震えていた気がして、私はぎゅっと抱きしめ返す。
魔王さま、何度も「お母さん」って言いたいのを我慢していたんじゃないか?
そして、お母さんの前で、前の魔王様を殺さなければならなかった気持ちはどんな気持ちだっただろう。
それでも、魔王さまとお父さんとお母さんの幸せな記憶は、3人で過ごした小さい時の親子団欒。
あの冷たい噴水のそばで、エアリアが微笑んでいたという言葉が蘇る。
「ある日、父が皇后の間の隠し扉に入っていくのを見て、こっそり後をつけた。そこで、父と絵を見た。……そして分かったんだ。エアリアは母さんだったって」
前の魔王さまは、よく家族の絵姿を眺めていたらしい。
エアリアさんが生きていた時の唯一の、生きていた時代の家族団欒だったようだ。
「いずれ狂化して俺と母さんを残してしまうことを心配していたんだろうね。」
魔王さまの声が、とても遠く感じた。
父と母と子の決して触れ合えない、けれど確かに繋がっていた時間。
想像するだけで、胸がきゅっと締めつけられる。
「でも、世の中のことわりを捻じ曲げてしまっているから、母だとは思うなって言われた。母ではなく、精霊として見守るだけでいいって。せっかく母さんがいるのに、それを言わないことに理由はあるのだと考えた。俺の宿命を思ってのことだったんだろうな……
あの頃はわからなかったけど、今なら……分かるよ。俺にはリンがいるけど、本来魔王は孤独だからね」
私はただ、魔王さまの胸に耳を寄せていた。
彼の鼓動が、少しずつ落ち着いてくるのがわかる。
「最近、夢に父が出てきてさ。“絵で待ってるって伝えてくれって。もう、お前には支えてくれる人ができたんだから、エアリアを解放してやってくれ”って。……狂化する前に、絵に魂を移してたんだってさ」
ふうっとため息をつく。そのため息はとても深い。
「まったく……あんなに殺してくれって言ってたのに、俺に殺された記憶すらないって、笑ってた。でも、そう言われて、少し救われたかな……ほんと、最後まで優しい父さんだったよ」
魔王さまは、少しだけ寂しそうに、でも柔らかく笑った。
「……私、この間エアリアさんと一緒に、あの家族の絵を見たんです。その時、お父さん居られたんですね」
エアリアさんが涙を流しながら名前を呼んでいたのは、胸に突き刺さるようだったもの。
前の魔王さまも、久しぶりにあったエアリアに衝撃をうけたのだろう。
「うん。皇后の間は俺が結婚する相手ができない限り使われない。だから、支える人がいないとあの隠し扉も開くことがない。俺も開けてなかったから、50年ぶりかな。
そして、その時きっとエアリアも旅立とうと決めたんだと思う。リンが支えてくれる。もう、そばにいなくてもいいって。……俺は、精霊でいる時には“母”とは呼ばなかった。でもね、最後だけ、魂になった時に一回ぐらい母さんって呼んであげたかったんだ。生きてた時は、小さすぎて言えなかったからね」
彼は言葉を切って、深く息をついた。
「……リン。正直、これからのことを考えると、どれだけ愛してても不安だったんだ。俺は、また誰かを失い、同じ思いを子供にさせるのが怖くて」
私は、ぎゅっと彼の服を握った。
「でも、絵で魂を残せるって知って気が抜けたよ。父も、狂化する直前に“ダメ元で”絵に魂をうつしたらしいけど……うまくいった」
少しずつ、魔王さまの腕に力がこもる。
「俺を殺さなければならないとしても、魂はちゃんとあるし、苦しくないって伝えたら少しは子供も救われるだろ?」
私はそっと顔を上げて、笑って言った。
「私も人間だから、寿命のことを気にしてたんです。でも……精霊にしてもらえば、一緒にいられますよね?」
魔王さまが、いたずらっぽく笑った。
「リンが精霊になったら、絶対に魔石は胸ポケットに入れて、どこに行くときも連れてくからね」
「え、それはちょっと恥ずかしいかも……」
「ダメ。毎晩話しかけるよ、“今日もかわいいね”って」
「うぅ……」
私は思わず顔を覆ったけど、
でも――嬉しかった。
私たちはそっと唇を重ねた。
長い別れのあとに残ったのは、深い愛と、やっとつかんだ未来。
やがて、影が一つに重なる。
これからは、私たちだけの物語が始まるのだから。
本編完結しました。
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