36 聖女ですが、選んだのはこの恋です
リンは部屋の中でうなっていた。
「話が重すぎて、自分の頭ではもう処理不能だ!」
以前、魔王さまは言っていた
「ちょっとオイタが過ぎたから」ってマクライアさんとウンディーネさんのことを言ってたけど...
「いやいや、そんなレベルじゃないよね!」
魔王さまは、トミーさんやウンディーネさん、いろんな人の過去を背負って生きているんだ。
魔王さま、かわいそうだよ。
頼れる人が誰もいない。
みんな、魔王さまを頼っていく。
魔王さまは誰を頼ればいいの?
私は、どうしたらいい?
どんな選択をしたら、正解?
いや、いかんいかん!!
ぶんぶんぶん、頭を振って悪い考えは
振り払う。
なぎなおす!
やっつける!
こんな時は……鏡の前で――
スネク式 姿勢保持訓練!!できる女になる!!
そうだ!魔王さまに頼られる世界最高最大の女になる!
「背筋は、人生の軸!!!」
微動だにせず、美しく立ち続ける。
そして、そこからの……ターン。
「背中でその恋を奪うっ!」
ぶんっ!!なんなら指を突きつけちゃう!!
って、あれ?
「……誰の恋を奪うの?」
不意に背後から声がして、リンはびくりとその突きつけた指のままそーっと振り返る。
魔王さまが、いつの間にかそこに立っていた。
ぎゃーーーーっ!!
は、恥ずかしい!
「えっ、魔王さま!? い、いまのは違うんです、スネク先生の訓練であって、別に恋を奪おうとかそういうやましい意図ではなく――」
「……ふふっ、面白い顔してたよ」
魔王さまが私の顔の真似をして、頬を膨らませる。
「ひどい! “全部わかってます顔”は、魅了アップの顔なんですよ!? これができたらもう、世の男性は釘付けだってスネク先生が!」
「えーっ!この膨れっ面が?」
さらに魔王さまは頬を膨らませるので、リンも対抗して膨らませる。
むむむむ!負けないぞ!
もはや、それは魅了アップではなく、「笑うと負け」である。
「あははっ、降参だよ。心配して来たんだけど……リンがリンのままで、よかった」
そう言って、魔王さまはそっとリンの頭に手を置いた。
そういわれると、なんか、涙腺がゆるんでしまう。
「魔王さまだって、泣きたい時あったよね……。私だけが泣いたら、なんかずるいっていうか、ううっ……」
「……泣いてもいいんじゃない?」
魔王さまは、その頭に置いた手をポンポンする。
少し俯いていたが、横からそっとリンの表情を覗き見する。
その顔は優しい。
「だめです。スネク先生が言ってました。“うなだれた女に世界は振り向きません”って……わたしが、世界基準で……っ」
ぽろぽろと、涙がこぼれた。
「トミーさんも、ウンディーネさんも、どうしてあげればよかったんだろう。」
「うん、ほんとにね」
魔王さまはうんうんと頷いた。
そして、リンをそっと抱きしめる。
「どうすればよかったのかな……ほんとにね」
魔王さまのその声は優しくて、どこか切なかった。
リンの優しい悲しみは、魔王の体から、静かに瘴気を抜いていく。
「リン、俺の体はね、瘴気や怨念を吸い込むんだ。今、君が浄化してくれてる。気づいてた?」
魔王はそれを感じていた。
だが、どうにもならなくても、結果は変わらなくても、抱きしめるこの行為で、俺の心も体もリンは軽くしていってくれる。
ただ、リンはそれに気づいてないようだ。
伝えておかなければならない。
「えっ……いえ?瘴気も見えないし、浄化してる感じはゼロで、まったくわかりません。むしろ、魔王さまこそ、瘴気を吸い込んで……苦しくないんですか?」
「苦しいよ。……でも、これが俺にできることだ。
みんな、その時できることを一生懸命やっただけなんだ。だけど、歯車が狂えば、全部うまくいかなくなる」
リンはこくんと頷いた。
本当にそうだ。
マクライアさんも、魔王さまも、トミーさんも、ウンディーネさんも――みんな一生懸命だっただけなのに。
「……リンは、聖女であることを隠して、僕が君を妻にするって勝手に宣言したこと、酷いとは思わなかったの?」
魔王は抱きしめながら、リンの髪を撫でた。
ずっとリンに対して罪悪感があった。
体の負担になるかもしれないのに無意識に浄化をしてもらっていた。
魔界で、聖女は瘴気を浄化できることで利用価値もある。
勝手に妻に宣言されるということは、同意なく勝手に結婚を成立させられたということだ。
それを、利用されたと怒らなかったのだろうか?
「思いませんでした。むしろ……魔王さまと過ごすことで体が楽になるなら、よかったって思いました。
それに、その……無自覚のときは私の負担にはならないみたいなので」
リンは顔を真っ赤にして、俯いた。
「……だって、魔王さまに抱きしめられるの、嬉しいですし……妻にするっていってもらってこうやって一緒にいられるのはうれしいし」
魔王さまの目が、ふっと和らぐ。
リンは再び顔を上げてまっすぐな目で魔王を見た。
「あの!魔王さまは申し訳ないと思ったかもしれませんけど、魔王さまの妻になるって選んだのは私なんです。魔王さまは、ただ望んだだけで、結婚していいっていうのも、抱きしめていいって、許したのも私ですから!」
それは、スネク式の教えだった。
“選ばれる”のではなく、“選ぶ”側であること。
「だから、魔王さまは私は私に選ばれたのよ!...です」
それを聞いた魔王はぷっと吹き出す。
「スネク式です!」
リンはドヤ顔で笑って、そう言った。
魔王さまも、笑いを堪えるように、口元に手を当てて
「……ありがとう」
と微笑む。そして、静かに、リンの肩を抱く手に力を込めた。




