剛速球ドストレートの伯爵令嬢は、婚約者選抜会で勝者となる
誤字脱字は気にしません。
うららかな春の午後、その日は外でお茶会をするにはもってこいの晴天だった。
薔薇の咲き誇る王宮の庭園には、5.6卓ほどのテーブルが出され、美しく装った年若い貴族の令嬢達が着席している。その前には、王宮の職人が腕を振るったであろう目にも鮮やかなお茶菓子が並べられていた。
…チョコレート類はもうちょっと後にした方がいいだろうか。折角丹念に磨いてきた歯が茶色くなってしまう。
ウォリック伯爵令嬢エマ、15歳。
現在、王太子殿下の婚約者選びと目される、王室主催のお茶会に参加しております――。
「お茶会?」
伯爵家当主であるお父様の執務室に呼ばれ、私に差し出されたのは、王宮の蝋封印が押された封筒。
既に開封されてあるその中身をあらためると、それは王室主催のお茶会を催すため、是非参加するようにとの招待状だった。
宛名は伯爵本人でも、伯爵夫人でもなく、その娘の私、エマとなっている。
「お父様、これは――」
「ああ、王太子殿下の婚約者選考会だろうな」
「えっ」
我が家は伯爵家、割と古くからある可もなく不可もない、貴族の中ではそこそこといった家柄だ。
私自身も婚約者候補として選抜されるほどの飛びぬけた容姿や、才覚があるわけではない。栗色の髪と榛色の瞳。自分では結構気に入ってるので、貴族令嬢としては、コンディションがよければまあまあ可愛いと思われる程度の外見だと思う。寝不足だったりすると一気にレートは下がるが。
現在、隣接しているどの国とも良好な仲を築き、私の知る限り政権争いの噂もなく、暢気で穏やかな我が国だ。王太子殿下も正妃様の第一子、第二王子は歳も離れまだ幼く、後継者争いなどとは縁遠い。
そのため、王太子殿下が誕生した年から数年は高位貴族の家がこぞって同じ年頃の子供を作ろうと、ベビーラッシュが起きたものだ。
「釣り合う年齢の御令嬢が足りない…というわけではないですよね。私の代はデビュタントがかぶる御令嬢が多くなるだろうと話題になりましたもの」
招待状を何度も裏返したりぐるぐる回してみたりと手でいじくりながら、お父様に尋ねてみる。
「まあ、我が国は今かなり安定しているし、王太子殿下の後ろ盾などはあまり気にせず王太子妃を選んでもいいだろうってことで、特に素行に問題のない伯爵以上の令嬢なら一度はいい夢みさせてやれという意向じゃないかな。うちは別に一か八かの大勝負、大穴のお前に賭けなければいけないほど困窮してもいないし、無理にとは言わん。特に興味がないなら辞退…」
「行きます!!!!這ってでも参加します!!!!行かんでか!!!!!!!」
「娘、声デッカい」
ちょっと前のめりすぎた。私の声に驚いたメイドが運んでいたお茶のカップをひっくり返してしまったので、慌てて布巾を手にしようとするのを無言で止められる。ごめん。
「お前そんなに天下とりたいタイプだったか?父は初耳」
「そんな大それたこと考えてません、王太子…セドリック殿下の婚約者選びっていうことは、殿下ご自身もいらっしゃるんですよね?!お会いできるんですよね?!」
「そりゃそうだ、殿下がお茶会の様子をのぞき穴から覗くわけにもいかんだろ」
「発想がゲスい。ということは間近にセドリック殿下を拝顔できるチャンスじゃないですか!!こんな機会でもなければ、うちの家格じゃ将来夜会でもご挨拶が適うか怪しいところです!!是非に!是非に!!!」
今までになく鼻息荒い娘の様子に、天下とりじゃなくてファン活動か…と呟かれた。
仕方ないじゃない、なんてったってセドリック殿下である。
金髪碧眼、眉目秀麗、文武両道、内面は誠実、息はさわやか――という噂の、絵に描いたような王子様である。ていうか王太子様である。噂は噂、王都で売られている絵姿もだいぶ盛られているんだろうなと、斜めにみていた私だが、一昨年の建国祭でチラッと見えた、バルコニーから手を振るそのお姿に心を打ち抜かれてしまった。
言うて数百メートル離れていたので豆粒だったのだが、自然の中で育った私は目はいいのだ。口の悪い兄には蛮族と呼ばれている。
「わかった。じゃあ参加の返事を出しておくよ。開催は来月だから準備を――」
「はい!!!!今すぐ新しいドレスを仕立てます!!!靴も新調したいです!!髪の手入れもしないと!!!心を整えるために瞑想と滝業と写経と、視力の検査も!!!!!」
「…成果は期待してないから、程ほどにしときなさいね…」
「殿下がいつでも最高の姿を見せてくれるのですから、私も最高のパフォーマンスでお迎えするのが礼儀でしょう?!あとまかり間違ってなにか確変が起きるかもしれないじゃないですか!!トリプルセブン!!!!諦めないで!!!!」
「娘がこんなに感嘆符多用してるの初めて…腹から声が出ている」
「ネバーギブアップ!!!!!!!」
というわけで、私人生史上最高の姿で今日に挑んだわけです。
しかし、いざ本番、周りの御令嬢を眺めると――流石に冷静になってくる。
公爵家、侯爵家、辺境伯、宮中伯の御令嬢がそろい踏み、男爵家の養女として引き取られ聖女になったという元平民の美少女から、男装の麗人として名高い、王妃殿下の近衛隊の女性騎士まで。巷で流行っているロマンス小説もかくやというオールスター感謝祭である。
今回のお茶会は、一応建前としては王妃殿下主催のお茶会という体で、途中からセドリック殿下が同世代の令嬢との交流のために参加、という形になっているらしい。まどろっこしい。セドリック殿下のお嫁さんになりたい人この指とまれー!!で、わーっと集合でもいいと思うんだけどな。
とにもかくにも、一つの円卓に3人ほどの令嬢が座り、テーブルごとに一定時間セドリック殿下がご同席なさるという形をとるようだ。殿下がいらっしゃるまでは基本的に令嬢はフリータイムである。その間に好きに飲み食いするもよし、他の令嬢と会話するもよしといった具合だ。
お茶会が始まり、セドリック殿下がそのお姿を現した瞬間、私はテーブルの下で拳を握った。
濃紺のジュストコールに、御髪に合わせたであろう金糸の刺繍。公式の催しではないので、建国祭の時に比べて控えめな衣装であるものの、上品さが際立つ。私より1つ年上の16歳、あの時よりも身長もぐっと伸びて、すっかり大人びた様に見える。
王妃殿下が何やら御令嬢たちに向かってセドリック殿下を紹介してくださっているようだけれども、全く頭に入ってこない。お顔:美術品 スタイル:神の造形 笑顔:眩い くらいしかわからない。だって建国祭で見かけたお姿の100倍位の大きさなのだ。しかも立体である。凄い。実在している。「私が想像した最強の王太子殿下」ではなかった。まだ数メートル離れた場所にいらっしゃるので匂いはわからないけど、多分いい匂いもする。ような気がする。息を止めているからわからない。鼓動が物凄い勢いで刻まれていて、自分の生命の音を感じる。熱い血潮、生きてるってこういうこと。耳鳴りがしてきた。駄目だ、自分の口の端からかすかに「はぅ…はぅ…」という音が漏れ出ている気がする。
とはいえ、私の座っているテーブルはおそらく配置的に最後になるだろう。思った以上に待ち時間が長い。
そうなると、流石の私も少し冷静になってきた。
当初は婚約者選抜に参加できるという僥倖を得た身、あわよくばというか、なんとかインチキできんのか的な思いがないわけではなかった私である。セドリック殿下を射止める伝説的偉業は無理だとしても、爪痕を残すというか、何かしら印象付けたりすることはできるのではないだろうか、という期待があったりもしたのだ。認知を得るというやつである。
しかしそういった行動は、ひとつ間違えればただの痛い女になりかねない。一か八かの大勝負に出る位なら、他の令嬢に紛れて可もなく不可もなく、ありのままに、殿下に群がる一令嬢になるのが正解な気がする。引かれない程度に、草葉の陰からお慕いしていることをお伝えして、今日の日を宝物にして帰ろう。できたらこっそり匂いも嗅ぎたい。
そう結論付けた私は、同じ卓に座っている他の御令嬢に意識を向ける。
侯爵家の御令嬢と、美しい赤毛に水色の瞳をした女性騎士の方だ。
お二人共大変美しく、それこそセドリック殿下と並んでも遜色ない容貌をしていらっしゃる。
それとなく、会話をそういった方向へ水をむけたところ、女性騎士の方の好みはもう少し低年齢の、なんというか、いとけない感じの、無邪気な男性が好みであって、今回のお茶会はお家の都合上断ることができず、参加されているということがわかった。
なるほど…声変り…薄い皮膚の下の血管…膝の形が違う…ですか。真性…ではない、その分野の有識者でいらっしゃるんですね。セドリック殿下の膝小僧を見たことがあるという点については羨ましいことこの上ないけれど、人の好みはそれぞれだから、360度死角なしの殿下でも対象外になることもあるんだなあ。勉強になるなあ。膝か…。
でもセドリック殿下の絵姿コレクションの話をしたらニコニコ聞いてくださったので、お友達になれそう。
もう一方の侯爵家の御令嬢は、将来の王妃の座を狙う者として、わかりやすく敵対感が伝わってくる。
ツヤツヤとした黒髪に翠色の瞳をした彼女は、侯爵家の御令嬢にしてはシンプルで飾り気のない装いではあったけれど、セドリック殿下のファンとして今日は記念受験をしに来たと意気込みを打ち明ける私に「無策無為でいらっしゃったの?」と扇で隠しきれてないけど隠しながら、ちょっと嘲るような顔をなさった。
ということは、この方は本日殿下を落とすため、108式の策を持ってして挑まれるのだ。闘志なき者は去れと言わんばかりの様子である。
私は私なりに、最高の調整を重ねて「仕上げて」きたのだけれど、庭園の土を記念に持って帰ろうと思っているような者など、彼女たちにすれば無策にも等しいに違いない。では、この方はセドリック殿下にどんなアプローチをなさるつもりなのだろう…。同じテーブルなのだし、目の前でそれを拝めるだろうか。
そうしている間に時間は経ち、満を持してセドリック王太子殿下が我らのテーブルへいらっしゃった。
「お待たせして申し訳ない、皆さん楽しまれていますか?」
そう穏やかな声で謝罪した後、セドリック殿下は私と侯爵家御令嬢の間の椅子に着席なさった。
滑舌の良い、よく響く声が間近から聞こえてくる。この声なら私、200ヤード離れた場所からでも聴きわけてしまうだろう。ファー!!
「ええ、お茶もお菓子も大変美味で、すっかり食べすぎてしまいました。殿下も私達が最後のテーブルですから、かなりお茶を飲みすぎて水っ腹なのではありませんか?」
王妃殿下の近衛を勤めている関係で、普段セドリック殿下とも交流があるという女性騎士はそう言って軽口をたたいた。
「はは、その辺りは事前に経験者である陛下に忠告をいただいていたからね、多少調整をしているのでご心配なく」
軽やかな笑い声が真横から聞こえる。
あっ駄目だヤバい…自分でわかるこれはヤバい…
事前にシミュレーションしていた会話の内容が全部吹っ飛んだ。あまりにも殿下、シンプルに殿下。素材を楽しめる殿下。同じテーブルってこんなに近いの?風が吹けばそのキラキラした前髪が微かに揺れる。その声が空気を振動させて伝わるのがわかる。骨まで響く。等身大殿下、大きい…凄い……シュっとしてる…駄目…これ駄目なやつ…語彙が細胞レベルで死んでいく…
「…どうかなさいましたか?」
殿下の方向に首を向けたまま、地蔵のように動かぬ私に問いかけてくださった。
自分でもわかる、赤面を通り越して顔が赤黒くなっているのが。手汗も凄い。お茶を飲んでいるというのに喉はカラッカラだ。
「緊張なさっているんですよ。王族の方とお話しされるのは初めてなのだそうです」
女性騎士の方がすかさずフォローしてくださった。好き。
「……っあの…っぉもぉしわけぇございませへぇん…お恥ずかしい姿をお見せして…」
カッスカスの声をどうにか吐き出す。
昨日まで発声と早口言葉の練習を重ねてきたというのに、全く意味をなさなかった。酸素が足りない人になっている。
「王族とはいえ年齢は近いのだし、肩の力を抜いてくださって大丈夫ですよ。こちらも緊張してしまう」
そんなガチガチの私にもお優しい言葉をかけてくださるとは…
どこまで私を魅了する気なのでしょうかこの方は。天使のような悪魔の笑顔ってこういうことを言うのね。
「いえ、その、恐れながらわたくし、以前よりずっと殿下をお慕いしておりまして…間近に拝見して大変舞い上がってしまいました!」
普段からこんな不審人物なわけではないのだということを伝えたかったのだけれど、本当にありのままの内容がトビウオの様に口をついてでてしまった。
初対面かつ他に沢山の御令嬢がいらっしゃる場所で茹で蛸の顔をし、大汗をかきながら超早口で王太子殿下に告げる内容ではない。侯爵令嬢に無為無策と笑われるはずである。
セドリック殿下は目を見開き、驚いた顔で剛速球ドストレートを投げ込んだ私を凝視していた。アッ、可愛い…とか思ってる場合じゃない。
そりゃそうだ、今まで散々色んな御令嬢から秋波を浴びてこられた殿下とはいえ、こんなに酷いアプローチはない。
他のテーブルからは「あらまあ…」といった様子の視線を感じる。
しかしそこは流石のセドリック殿下だ、私に恥をかかせまいと、柔らかく笑顔で受け止めてくださった。
「有難う。面と言われると少し照れてしまうな」
好き!!!!!
もうこの人生に食いはない!!!!!です!!!!!!
心の中で拳を天に突き上げながら滂沱の涙を流し、決意した。
もういいや、ここまできたら取り繕うのは無理だ、お父様ごめんなさい、娘は欲望のままに生きます!!
そこからの私は凄かった。
真っ赤な顔で舞い上がる感情のまま、15年間の人生で出したこともない超音波のような高い声を頭のてっぺんから出し、体を蛇のようにくねらせ、隙あらば殿下の横顔を凝視する。上手く会話を繋げられれば顔が緩み、口の両端が上がりっぱなしなせいで唇が渇き歯にくっつく。絶対口紅も歯についている気がする。チョコレートの色がとか以前の問題だった。手汗で掌がびっちょびちょだった。脇汗のシミはバレてないだろうか。
会話の途中に視界に入った、殿下を挟んで反対側にいる侯爵家令嬢の顔に浮かんでいる嘲笑というか同情というか、呆れた表情に気づいてはいたけれど、もうどうでもよくなった。我が人生に悔いなし。そういえば彼女の108式の策はどうなったんだろう。もう如何に二度とないであろう殿下との交流を味わい尽くし、堪能するかに全振りした私は、その疑問を意識の隅に追いやっていた――…。
結果から言うと、その後私は、セドリック殿下の婚約者として内定した。どういうことなの。
お茶会から1週間後、私は個人的にセドリック殿下から王宮に招かれた。
その事を聞いたのは、私が王宮でお土産にと渡された焼き菓子を侍女やメイドの皆と食べながら、リアルセドリック殿下の素晴らしさを語っていた時だ。帰り道に王都で買い足した殿下の絵姿を見ながら、実際の御髪はもっと採れたての卵で作った目玉焼きのような色で輝きが違った、歯も白身のように真っ白だったとか、首を傾げられながらも一生懸命殿下の美しさを伝聞しようと躍起になっていたところだったのである。
「エマ、天下…とっちゃうか」
などと、不躾に部屋の中に入って来てドアを後ろ手に呟いた父に、楽しい時間を邪魔された私はちょっとイラついていた。
「そんな度胸も甲斐性も髪の毛もないくせに何をおっしゃってるんです」
「髪の毛は!!関係ないよ!!!!!」
「声デッカ」
「親子だからね!私のことはいいんだよ、お前だよ!」
「髪の毛?」
「天下!」
などという感動もときめきもないタイミングで伝えられた、セドリック殿下とふ、ふ、ふ、二人きりのお茶会への招待。
正直、タコが超音波を発し海蛇が水中を泳ぐかのようにうねっていた状態で何故そういうことになったのか、招かれた令嬢という令嬢がまとめて誰かに襲撃された後なのか、全くわからないけれど私はとにかくセドリック殿下とマンツーマン、俗に言うタイマン、というやつをすることになったのである。
あまりにも予想外すぎて、話題の引き出しの準備ができなかった。隠し芸の練習をする暇も。
当日、王宮のサロンで二人きり、セドリック殿下と一つのテーブルを挟み向かいあった状態で茹で蛸再来である。軟体動物門頭足綱八腕形目ー!!
「急に呼び立ててすまないね、レディ・エマ。来てくれて有難う」
「この度は…おおおお招きいただきまして!有難うございす!!」
いかん駄目だ早速どもったし飛んだ。
普段どんな相手との煽り合いでも噛まないと地元で有名な私なのに、セドリック殿下の前だとすべてが無効化されてしまう。もう駄目だ。
「どうしても君とゆっくり話してみたいと思ったんだ。…迷惑、だっただろうか」
「いいえ!!!!!」
また父譲りの腹の底から出るデッカい声で主張してしまった。
「…その、先日のお茶会を家の者たちに語り継いでいたくらいに、殿下にお会いできて嬉しかったので…、再びお会いできるなんて、望外の喜びにございま、ひゅ…」
酸素がもたなくて最後は音が消えてしまった…。
赤面してちょっと俯いてしまった私に、殿下はまた虚をつかれた様に目を瞬いた(可愛い)直後、弾けるような笑顔に変わった。
「私も嬉しい!」
わ―――――っっっっ!!!!
王族の方がこんなあけすけで清純で陽の光を集めたような笑顔を一個人に向けてよろしいのですか!!!!
影だけを残して焼け消えてしまうかと思った。
なんで…なんでこんな私なぞにこんな!!
「あの…何故殿下は私を…?他に沢山美しくて素敵な御令嬢がいらっしゃいましたよね?殿下でしたらどの方でもー…」
「ん?ああ…そうだね、皆とても美しくて賢くて、素敵な人達だった」
そう、そうなのだ。なのになぜ、ピンポイントで私が呼ばれたのだろう。
「けれど、私も結局、ただの16歳の男で――」
そこで殿下は、迷ったように一度言葉を切ると、微妙に私から目を反らして頬を赤く染め、続けた。
「…ちょっと可愛いな、と思った女の子が、一人真正面からアピールしてきてくれたら…気になってしまうもの、なんだよ」
「はっ????」
そんな市井の学校の男子生徒のようなことを。
光の御子、我が国の一番星、セドリック王太子殿下が。
えっ????
「お、お待ちください、あくまで私はちょっと可愛い、程度でございますよね?他のとってもめちゃくちゃ、寝不足でも美しいであろう皆さまからもアピールされてたのに、何故そこで私が」
「いや?全然…そう、全然そんなことなかった。君だけだった。あんな風に全身で私のことが好きだって伝えてくれたのは」
「えええええ????」
あんなに息巻いてた御令嬢達が?アピールを?していない???
108式はどこいったの?
「驚いてるね…いや、ちょっとその気持ちはわかる。私も恥ずかしながら…物凄く恥ずかしながら、多少は同年代の御令嬢に慕われていると思っ…勘違いしていたんだ。あっ、いや、これ相当恥ずかしいな。恥ずかしいけどほら、一応独身で王太子だし…肩書に頼ってるみたいで恥ずかしいけど。あー駄目だ恥ずかしいな!!自惚れててすまない!」
さっきとは違った恥じらいでちょっと混乱し、両手で顔を覆ってしまったセドリック殿下、可愛いらしい。
いいんですよ、あなたがモテないならこの世界中、異世界転生先でだってモテる男なんていません!よ!!
殿下は目を閉じて5秒ほど沈黙すると、気を取り直したように話を続けた。
「けれどじゃあ実際、沢山の令嬢達と交流してみれば…政策や流通、福祉や食べ物の話ばかりで。皆よく勉強しているし、中には具体的になれば世界が変わるのでは?といった奇抜な提案もあって、とても興味深かったよ。…でも皆、物凄くつれなかった。これでもか、という程私に興味がない感じだった。なんなら顔がいい男は苦手なんです、とか言い聞かすように…いや私が顔がいいと言いたいわけではなくて!…そう、会話はしてくれるんだけれど、礼儀というか義務っぽいというか…。一応招待された令嬢側には茶会の趣旨はなんとなく伝わっていたはずだし、それであの応対ということは…つまり、そういうことなんだと思う」
そう言うとちょっと殿下はしょんぼり肩を落とした様子で自嘲した。
そんなことって…あるの…?108式の侯爵令嬢は私みたいに緊張して空回りしてしまったの?
それとも殿下がものすごーーく鈍…女性の心の機微に疎かったとか?
「それは…他の皆さんの趣味が些か偏っていた可能性がありますわ。例えばあの近衛の騎士の方は」
「ああ、彼女はとてもいい女性騎士なんだが、僕の弟を見る目はちょっと問題視している」
「あっ…、ご存じでらっしゃいましたか。でも、でも…私は殿下の膝小僧が一番だと思います!」
「膝小僧」
「その、拝見したことはないですけれど…」
「だよね」
「す、すみません…」
言うことが適当過ぎただろうか。でも本当にそう思っているのに。
「…君の、そういうところに救われたんだ」
「え」
膝小僧に?と顔をあげると、殿下が穏やかな笑みを浮かべて、私をまっすぐに見つめていた。
その抜けるように碧い瞳に、現実と妄想の境界がわからなくなってくる。
あれ、私…まだ寝て…え…2度寝…
「あの日、そんなちょっと自惚れていた私が、想像よりもずっと人望がない自分に少なからずショックを受けている時――、最後についた席で君が、誰がどう見てもわかるくらいあからさまに向けてくれた好意が、バキバキに折られていた自尊心を支えてくれたんだ。…しかもそれが、正直外見もちょっと好みの女の子で――、婚約者候補の一人として集まってくれていたというんだから」
口をポカンと開け、バカ丸出しに呆けている私の耳に最後に吹きこまれた言葉は、妄想だったかもしれない。
「好きにならないわけがないだろう?」
男なんて単純な生き物なんだから。と、セドリック殿下は締めくくった。
―――4年後。
私はめでたく…めでたく…めで…めでたく!!!!!
王太子妃となった。
なりました。
なりました!!!!!
私が16になり次第正式に婚約し、3年間の王太子妃教育を受け、セドリック殿下が20歳になられるのを待って正式に結婚とあいなったのである。
幸い当家は割とニュートラルな立ち位置だったし、ななななんといっても殿下ご本人の強い希望ということで、大きな混乱もなくその日を迎えられた。
お茶会に参加なさっていた他の御令嬢方からは多少、「なぜあの茹で蛸が…」という反応がなかったわけではないけれど、その気持ちは私もわかるので甘んじて受けよう。
あの日同席した膝小僧に一家言のある女性騎士は、今現在、王太子妃である私の護衛として傍に侍ってくれている。
そのため、たまにあのお茶会の話をすることもあるのだけれど――。
「そういえば妃殿下、ご存じですか?あのお茶会でご一緒した侯爵令嬢の輿入れが決まったそうですよ」
「あの?――ああ、108式の!」
「108式?」
「いえこちらの話です。…そう、それはおめでたいわ。あの方が本領発揮できなかったおかげで、私の今があるのだし、ちょっと気になっていたの」
「本領発揮――、は、していらっしゃったと思いますけれど…」
「そうなの?あんなにやる気満々だったのに、殿下にはこれっぽっちも好意が伝わっていなかったようなのよ?目立ったアピールは私も気づかなかったし…」
「ああ、あー、ハイ、策士策におぼれたヤツですね」
笑いをかみ殺しながら頷いた彼女は丁寧に解説してくれた。
なんでもお茶会が催された時期、私は滝行をしていたので知らなかったが、貴族令嬢の間でロマンス小説が流行っていたのだそうだ。
主人公は破天荒だったり、健気だったり、悪役令嬢にならないように頑張ったり、モブと呼ばれる一般人だったり。
総じて共通していたのは、光り輝く王子様や麗しい騎士とのロマンスの始まりは、「おもしれー女」なんだそうだ。
他の女性からキャーキャー言われ、香水の匂いやしつこい秋波に辟易していた彼らは、王子様たちの外見や地位や名誉などにこれぽっちも興味がなく、それよりも目の前の美味しそうなお菓子だったり、農業だったり、時に政治や学問、福祉に夢中のヒロインに新鮮さを感じ、他の女性とは違った彼女たちを「おもしれー女」と追いかけ始める。
それを読んだ実際の令嬢たちはこれだ!と考えたそうな。
あれだけ人気のあるセドリック殿下だ、普段から浴びるほど女性から好意を受けている方は、自分から靡いてくる媚びた女になど、興味を抱いたりしないだろう。
ならば押さずに引いてみようではないか――と、揃いも揃って同じ発想をした令嬢が集まった結果、殿下の可愛くも愛おしい自尊心がバキバキに折られることとなり、馬鹿正直にストレートを投げ込んでいた私に万馬券が落ちてきた結果になったようなのである。
嘘でしょう…?
108式の上策ってそれだったの…?
婚約後、舞踏会で顔を合わせたあの侯爵令嬢の、嫉妬と羨ましさの中に見え隠れした、不可解な視線の理由がわかった気がする。
そうね…私でもちょっと、100%純粋な妬みを相手にぶつけるのは無理だわ。
どう考えても「何故私はあんなムダな時間を…」と首にタオルをかけてベンチで涙流すもの。
「皆、殿下を誤解なさってたのね…。『女性に好意を抱かれまくって自信と余裕に溢れ、ちょっと食傷気味になってる方』の裏をかこうとしたのがそもそもの間違いというか」
「そこは王妃殿下がギチギチに手綱握ってましたからね、陛下を反面教師にして。結構な純粋培養だったんですよ。多分なんか隠された出生とかトラウマもないんじゃないでしょうか」
「実際は好きって言われたら好きになっちゃう、天使を具現化したらこうなりました、みたいな方だったんですけどね。感謝しかないわ…」
「あの立派な膝小僧でそんなこと言われるとちょっと引きますけどね」
「セドリック殿下は膝小僧も最高に素敵です!!!!!!!!」
第二王子(10歳)「あの、最近兄上が妙に自信満々で僕の膝小僧に張り合ってくるんですけど、義姉上は何か心当たりありませんか?」
END
ちなみにその後の王太子妃殿下は、狩猟イベントの時の遥か遠くの獲物を見つける鋭い目つきが話題となり、敵に回せば殺られると噂されるようになる。