第10話 セオドア様がやってきた
本日は良い天気だ。
雲ひとつなく、空は澄んだ青色で、吸い込まれそうだ。
今日、待ちに待った週末だ。
セオドア様が我が家にやってくる日だ。
私は、ワクワクしていた。
いや、違う。
セオドア様に会いたかったわけじゃない、はず。
約束していた凄いスピードの飛行魔法をして欲しかっただけ、それだけな、はず。
私はワクワクする自分の気持ちにどうにか理由をつけた。
セオドア様を我が家に呼びたいと言うと、両親はとても喜んだ。
我が家の気のおけない、そして決して多くない侍女たちに混じって、母も私も準備を手伝う。
「ねぇ、お母様はどうしてセオドア様を気に入ってらっしゃるの?」
私は隣で料理を作っている母に聞く。
母は玉の輿信者ではないはずだ。
若い頃に凄い身分の方に求婚されていたが断ったと聞く。
それに私たちは子爵家の暮らしが、裕福とはいえないながらも、楽しく暮らせていることを身をもって知っている。
万が一の話だが、侯爵家のセオドア様と結婚となったら一体私はどんなことをしなければならないのかと思うと、怖いという気持ちが先に立つ。
上に立つものは、相応の対価を与えられる代わりに、それ相応の責務を果たさなければならない。
お金も、爵位も、何もせず与えられるものではない、というのが、私が両親にずっと言われてきた言葉だ。
子爵令嬢の立場も、もちろん責任は決して軽くない。
いい学園に入れてもらって、今私がこのように楽しく暮らせているのもすべて責任が発生している。
その立場に甘んじず、努力を重ねなさい、そう両親は私にいつも言っている。
「そうねぇ。セオドア様が、デイジーのことが凄く好きで、大切にしてくれそうだな、って思ったからかな」
「それだけ?」
「それだけ? それがどれほど難しいことか……デイジーはまだまだ子どもなのね」
お母様はそう言って笑われた。
「お母様ひどい! 私もう結構大人だと思うけどな」
「そうかな? セオドア様のことが本当は好きなのに、彼から逃げてるのも、デイジー本当は色んなことが怖いだけなんでしょ? きっとデイジーが大人だったら覚悟も決まると思うな」
私はなんだか何も言いかえせなくて、料理の手伝いに没頭することにした。
どうにかセオドア様をおもてなしできる準備が整った。
料理も、お菓子も、決して高級ではないが、我が家ではご馳走ばかりが並び、私も早く食べたくて仕方ない。
本日はランチのご招待だ。
セオドア様がこられたと連絡があって、母と門まで迎えに行くと、数名の従者を伴っていらっしゃった。
そういえば最近気安くさせていただいているので忘れていたが、学園にこられる際も結構伴っていらっしゃる。
1人の従者も付けずに毎日通っている私とは大違いだが、今日は特に身分の差をまざまざと見せられたような気がした。
「本日はお招きありがとうございます」
セオドア様がまず両親に挨拶した。
「こちらこそ来てくださってありがとうございます」
母はわかっていたのか、すぐさま侍女に従者の方の待つ場所を案内させる。
案内したら料理も持っていくように申し付けていた。
セオドア様だけにしては量が多いなと思っていた料理も、彼らに提供するためだったのね、母は、頼りない少女のような人かと思っていたけど、こういう気配りができる人なんだな。
セオドア様が席につかれ、すごく和やかに時間は過ぎる。
「デイジーさんと今実技のペアをしているんですが、本当に可愛いくて、一緒にいるだけで普段よりも張り切っている自分がいるんですよ」
なんておっしゃって、両親を喜ばせてくれたりしている。
宴もたけなわになった頃、
「本日はお話したいことがあり来ました。お時間頂戴してよろしいでしょうか?」
セオドア様が真面目な顔をして、お話になる。
両親と私は身をただした。
「私は幼少の頃から、学園で実技のペアになったものと婚約するのだと言われてきました。私の両親も代々そのようにして婚約者を選んでおります。どうか、婚約を許してもらえないかと思い、こちらに来ました」
そうおっしゃった。
「ええ、まだ心の準備が何も……」
と私がいいかけたのを母は遮って、
「ぜひ! 勿論、とてもありがたい話ですわ。本当に何もできない娘ですが、可愛いだけが取り柄なのでよろしくお願いします」
とディスっているのか褒めているのかわからない了承の仕方をした。
父も、涙を流して、
「ふつつかな娘ですが、本当に可愛いのでよろしくお願いします」
と言っている。
両親私のこと好きすぎだわ。
自分で言うのもなんなんだけど、私、普通だと思う。
でもセオドア様もうんうん、と深く頷いている。
……待って待って! 私の気持ちは置いてけぼりなんだけど。
でも変な空気に、さすがに口を挟めないでいると、両親が気を遣って私たちを2人にしてくれた。
私たちは、庭にあるベンチに2人座る。
私のお気に入りの場所だが、そんなお洒落な場所ではなくて、セオドア様がおすわりになってよい場所ではないが、そんなことを言う気力もなく座り込んでしまう。
「デイジー、びっくりした?」
呆然としていると、セオドア様が、風に靡いて少し乱れた私の髪を撫でながら、そうおっしゃる。
「はい……。何だかわけがわからなくて……。それに、身分が違いすぎませんか?」
「我が家はちょっと特殊でね、代々魔力を大事にしている家系で、この学園で決めるペア制度をすごく信頼しているんだ。だから身分が違うからと遠慮はしないで欲しいし、本当に君がいいんだ」
「はあ、でも前にクジを私と一緒になるようにしたって言ってませんでした? それでペアになってて大丈夫なんですか?」
素朴な疑問をぶつけてみる。
「クジには細工したが、そのあと魔法で作った花は間違いなく一位だったんだから何の問題もないだろ」
しれっとセオドア様がそうおっしゃる。
「あ、あの花は細工されてないんですか?」
「さすがにするわけないだろ? それに、あの花を見る限り何もしなくてもクジも一緒になった気がするな。まさかあそこまでいい花が咲くなんて思わなかった。本当に美しかった。知ってる? あの花相性占いにも使われてて、俺たち、かなり相性よかったらしいぜ」
「は、はぁ……」
なんか色々衝撃的なことを言われて頭が回らない。
「あの……全然頭がついていかなくて、もう少し待って」
そう言った私を、セオドア様が遮る。
「もう待たないよ。本来はペアが決まった時点で婚約を申し込むつもりだったのを、とりあえず君がお宅に呼んでくれるまでは待っていたんだ。自分でも君が嫌だと言っても婚約してもらうつもりなのに、呼んでもらうまでは待つなんて、ヘタレだなと思ったが。君は本当に仲良くならないと、お家に呼ばなくて、デイジーとも呼ばせてないんだろ? ミシェル嬢に聞いたんだ。それを目安にさせてもらった」
真剣な顔でセオドア様が言う。
ミシェルいつのまに? 何を適当なことを言ってるのだ。エイモスは我が家に呼んでないけど、前は私のことデイジーって呼んでたし。
私もう、全然頭がついていってない。
どうしよう、逃げたい。
私はセオドア様が好きなのかもわからないし、婚約といわれても嬉しいのかどうかもわからない。
私は、楽しみにしていたはずの凄いスピードの飛行魔法のことなどすっかり忘れて、『逃げたい』の四文字がずっと頭の中に浮かんでいた。




