四話 もう一人の淑女②
女しか身籠れず、離縁となった方だったわ。でも外聞が悪いからと、お父様の支持者に嫁いで、お姉様はそちらの娘として育てられた。それが、今はカエソニウス家に嫁いだ、もうひとりのセクスティリア。
一時はセクスティリウスを離れていたから違う名で呼んでいたけれど、嫁ぐにあたり、セクスティリウス家の者だと名乗るよう、お父様に言われたの。その日からセクスティリアは二人になったわ。
本当は二人姉がいるのだけれど、もう一人の方はセクスティリウスとしてではなく、私がもの心つく前にずっと遠方へと嫁がれていったから、私は覚えていなかった。
そして本当なら、私もお母様と共に離縁されていてもおかしくなかったって……お姉様と同じ立場になっていたかもしれないってことも、理解していた。
……だけど今、そのことはこの話とは関係ないわね。
「お姉様が嫁ぐ時、私……猫をいただいたの。
真っ白い毛でふわふわの美しい子。
だけどその子……」
お姉様の手紙の返事を待たずに、もう来世へと旅立ってしまった。
「お姉様がとても大切にしていた子だったから。
その子のことをどうお伝えしたものか悩んでいたの……」
本当は、お姉様自身のことが心配だったわ。
あの子のことを知らせて、ふた月返事が来なかった。だけど手紙には、まだ夏の盛りであるかのような言葉が選ばれ、書いてあったわ。
そのちくはぐさが、何かすごく気になっていた。
お父様がセクスティリウスを名乗らせるほどの相手に見染められての婚姻。良縁に恵まれて、幸せにされていると、思っていたの。
だけどお姉様……本当は何か、大変なのではないかしら?
嫁ぎ先で今、どうされているの?
よくよく読み返してみれば、手紙はカエソニウス家のことにはほとんど触れておらず、お姉様がどうされているのかが見えてこない。私には手紙しか、お姉様のことを知るすべがなかった。それがもどかしくてならなかったの。
「へぇ……姉。どんな人?」
「とても、素晴らしい方だわ! 淑女の中の淑女。理想の女性そのものよ」
私のお手本。私の遠く及ばない人。
母の手を知らない私にとってお姉様は、姉であったけれど、母の代わりでもあった。
いつも慎ましくて、優しくて、心を乱すところを見せたことすらない、本当の淑女。
「ふぅん……」
私の言葉にアラタは、興味なさげな相槌を打った。
そして少し視線を逸らして黙したけれど。
「んじゃ、会いに行くか」
次にあっさりとそう言ったから、驚いてしまったわ。
「手紙にしようと思うから伝えにくいんじゃね?
会って直接話せば?」
「む、無理よ!」
「なんでだよ? 嫁ぎ先って、この都の中だろ?」
「カエソニウスが僕の知る家なら、さほど遠くもないよね?」
そう言われて困ってしまったわ。
「知ってんのかよ? 昼から出かけりゃ行って帰ってこれる距離?」
「うん」
「どこらへん?」
「あー……ほら、僕の……」
「なるほど。なんだよ、全然いけンじゃん」
二人は庭先の話をしてるみたいに軽い口調。
だけど私にとってそれは、とても難しいことだった。
だって午後は学習の時間。それを疎かにして出かけるだなんて、できるわけがなかったの。
勝手な外出を、お父様が許してくださるはずがない。
何よりお姉様に会いたいだなんて、そんなわがままを言えばどうなるか……。
でもそんなこと、二人には分からないわよね。
だから無難な理由を探し、断りを入れようとしたのだけど。
「任せろ」
そう言ったアラタが、クルトの肩に腕を回して引き寄せた。
「お前さ……親父さんに…………で…………って言え。
んで…………ったら、………………だろ」
「えっ⁉︎ いや、それはちょっと……っ」
「なンでだよ。こいつなら平気だって」
「そんなの分からないじゃないか⁉︎」
急に慌て出したクルトが、頬を朱に染めて私を見るから、ドキリとしてしまったわ。
な、何? 私がどうかしたの?
「駄目だよ。彼女には……」
縮こまってそう言うクルトの様子に、アラタが大層な難題を押し付けているのだということだけは分かった。
きっと家のことが関わるのね。私とクルトは立場上色々難しいもの。それなら、無理強いなんてしちゃいけないわ。
「アラタ、良いの。私のことは気にしないで。
お気持ちだけ受け取っておきます。ありがとう」
また手紙を出してみる。そして、状況が分からなければ、仕方がない……、それだけのことよ。
本心では胸が張り裂けそうだったけれど、だからって二人に迷惑はかけられない。
「クルトも、ごめんなさいね」
そう言い無理やり口角を引き上げて、笑みを浮かべてみせたわ。
大したことじゃないのだと、そう伝えたつもりだった。
しかし私の表情を見たクルトは、また困ったみたいに眉を寄せてしまったわ。
「お前なぁ……そんなん、やってみなきゃ分かんねぇままなんだぞ?」
またもやアラタが、咎めるみたいな口を挟むものだから。
「アラタ、クルトを責めないで」
そう窘めたら、クルトはちらりと私を見た。
「……サクラにとって姉君は、とても、大切な人なんだね」
「そうだけど、もう嫁いだ方よ。あちらの家にだってきっとご迷惑ですもの。
だから良いの。聞かなかったことにしてちょうだい」
軽く言ったつもりだったけれど、クルトはそれでさらに困った顔になって、少しだけ視線を彷徨わせてから、意を決したように顔を上げた。
「サクラ。一日だけ……待ってもらえる?」
「気にしなくて良いのよ」
「いや、大丈夫。どうか、任せてほしい」
それがクルトにとって、全然大丈夫なことじゃないのは、その表情で分かっていた。
すごく不安そうな、私の様子を伺うような視線……。でも、同じくらいの決意も見えて、私だって本当は、お姉様のことが泣きたいくらい心配だったから……。
「……分かったわ。でもクルト、無理はしないでね。
私、二人のその気持ちだけで、充分だから」
そう言うとクルトは、少し無理やりに、大丈夫と微笑んだ。