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-MATCHING FEEL-

 辰実涼介たつみ りょうすけの愛車は今を時めくハイブリットカーだ。排気量の割に多少値が張るのだが燃費の良さは何よりも魅力であり、両親に多少借金をすることで手に入れた。ただ用途はこれでバイトに行くくらいのため、助手席には携帯や財布なんかが入った鞄が着席し、後部座席は何もないのが常だった。しかし今日は違った。目的地も気の滅入る仕事現場ではない。助手席には遊馬紗夜あすま さや、後部座席には如月綾音きさらぎ あやね荒牧薫あらまき かおる。ついで言えばラゲージルームも4人の荷物でいっぱいだった。彼ら4人は今、リゾートホテルへの道を走っている。

「車で旅行なんていつ以来かしら」

 紗夜の後ろの薫が車窓の景色を眺めながら言った。

「彼氏いない歴より長いんじゃないですか?」

「やだ、綾音ちゃん。それ結構リアルだからシーッ」

 フリスクを噛んだ綾音の毒舌はこの日も健在だった。

「だから、言ったでしょ? 車も有効に使ってあげるって」

 涼介の隣では紗夜が地図も見ずにくつろいでおり、「(意味なく)あの車を追って!」だとか「加速がいまいちね」だとか好き放題に振舞っていた。

「いや、当てたの俺だろ?」

「コマかい男はモテないよ~」

 彼らが何の理由もなくリゾートへ向かうことはない。なんせバイト暮らしに路上アーティスト、楽器店の独身店主だ。これにはよくあるいきさつというものが須らくあるのである。

 ・

 ・

 日曜日の紗夜と綾音のライブ活動は、たいてい昼過ぎのおやつ時から始まる。場所はいろいろだったが、その日は商店街の路上スペースだった。涼介もいつものようにハンディカメラを手に、彼女たちのライブの風景や、集まってくる客の様子を映像に収めていた。

 曲はバラード調の別れ歌『あかし』。紗夜はいつも通り持ち前の声一本。綾音の方はクラシックギターでの演奏だった。ちゃんとした機材のない路上ライブでは、持ち運びもシンプルなため、綾音の商売道具はたいていそれであった。


『離れていても 繋がっている

     言葉は理解していても どこか結局あきらめて

 何にもなくても電話してた あの頃ってどんなだったっけ

      最初はちょくちょく連絡しても そのうちお互いそっちとこっち


 だから言わない 「さよなら」も「連絡するから」も

      区切りができてしまいそうで

 ホントは「またね」も言いたくないけど

      そしたら言葉がなくなっちゃうから


 いままでは 会えないのなんて この世にいないのとおんなじだって思ってた

      でも今回からは そんなことにはしたくはないの

           だから教えて 離れていても 変わらない証明あかし


 ポップス、バラード共に繊細に歌い分ける紗夜もだが、鍵盤楽器も弦楽器も一様に使いこなす綾音もまた魅力ある才能人であった。お客さんの入りもそこそこで、結構な人だかりとなっている。そんな中、観衆の真ん中辺りからパフォーマンスの合間に紗夜たちに寄って行く老人が一人いた。

「よかったよ。君たち。今の曲なんかは思い出しちゃったね。親友が遠く離れた町に行ってしまった時のことをさ」

 二人のそばに寄るなり嬉々として話し始める老人。おそらくは若いころから歌や音楽は好きなのだろう。彼女らを見つめる瞳が子どものように輝いている。

「そうですか。それはどうも」

「今日の動画アップするんでまた見てください。"意味が分かったら"ですけど」

 紗夜の気のない返事と、綾音の失敬な言葉に遠目から少々ハラハラさせられる涼介。折角パフォーマンスはいいのだから、このあたりにもう少し気を遣ってほしいものだ、と彼女たちに同行するたびに思う。その上またこういう場面なので、こんな心配もある。

(めちゃくちゃ凄いプロデューサーとかだったらどうするんだ?)

 後から聞いた紗夜の話では、この老人はいつもこの辺をウロウロしているただの爺さんで、商店街の有名人だが金はそんなにないとのこと。ちょくちょく紗夜達の路上ライブを見つけると2,3曲聞いていくそうだ。分かりやすすぎる紗夜の態度も理由を知るまで(知ったところで失礼なのには変わらないのだが)は冷や冷やものである。

「知っているさ。ゆーちゅーぶだろ? いいのさ、生で聴くのが好きなんだから。ほれ、今日は手みやげもある」

 誇らしげにそういうと彼は紗夜に紙切れのようなものを数枚手渡した。

「あれ、これって」

「抽選券だよ。あっちでやってる。帰りに引いていくといい。私はどの賞品も魅力を感じなくてね」

「一応聞きますけと、いいんですか?」

 綾音がまさしく一応尋ねた。老人はうんうんと笑顔で頷いて、満足したのかのっそりと歩いて帰って行った。

 商店街の抽選券を3枚手に入れた紗夜達。3人はライブが終わると忘れることなく抽選場所へと向かった。

「確かに1等以外はつまらないわね」

 着いた早々、賞品のリストを見て綾音。紗夜も「そうね」と、相槌を打った。下位賞品のティッシュやタワシは勿論だが、上位にある土鍋セットやマウンテンバイクなど、一介の老人には無用の長物である。この手の商品においては、当選し貰ったからそのセットを使ったり、サイクリングを始めたりという人も多いだろう。しかし残念ながら紗夜と綾音にとっても売る以外に使い道を考え付かなかった。

「まぁ、折角だから一人一回引きますか?」

 涼介の提案により順番にガラガラを回すことになる3人。ここからが“いきさつ”の佳境である。一人目の紗夜、そして続く二人目の綾音においても、当たりを念じてグリンと回すのだが、結果ゲットしたのは二人ともポケットティッシュの3個セットであった。しかし、最後の涼介が奇跡を呼んだのである。

「いくぞ」

 やはり気合十分で抽選器を回し、そして出てきた玉はそれまでに見た玉とは違い金色。なんと1等であったのだ。1等。それは綾音達が唯一幾分か魅力と感じていたリゾートホテル2泊3日ペア宿泊券だった。当てた瞬間、スタッフが皆手にしたハンドベルをガランガランと振り、盛り上がり見せる抽選ブース。だがしかし、すぐにその券の内容が別の火種を生むこととなる。

「ペアって…。どうやって使うってのよ」

 紗夜が早速にブーたれる。当てたのは涼介なのだ。おそらく紗夜か綾音が当てていれば、問答無用で涼介は爪弾きにされ、めでたくペア2泊3日となっていたことだろう。

「か、薫さん誘ってみようかな」

 涼介はいっぱいに緩んだ顔で言ってみた。リゾートホテルの見晴らしのいいオシャレなバーで、二人グラスを傾ける姿まで妄想が進む。

「あーそれ、ボツ。却下。不可」

「なんだよ、オレが当選したんだからいいだろ?」

 折角の妄想シミュレーションを途中で掻き消され不機嫌が染み出る涼介。

「当たったのはあんたでも、その券はあたしたちの才能への報酬よ。それを蔑ろにするなんて…ねぇ綾音」

「正論ね。タダの撮影担当には過ぎた代物でしょ」

「くっ…言わせておけば」

 抽選場所のブースの前で、大人気なくあーだこーだと喚く紗夜たち。するとその様子を見かねたスタッフが多少呆れながら助け船を出した。

「あの…、2泊を1泊にしたら、ペアじゃなくて4人泊まれるようにできますけど……」

 3人はその瞬間顔を見合わせる。そしてさらなる厳正な話し合いの結果、薫を呼んで4人で行こうということを選んだのである。


 高速を3時間ほど走り、涼介たちは宿泊券に記載されているアレグリアリゾートホテルに、昼過ぎに到着した。エントランス前で車を停め、女性陣3人と荷物が降りる。涼介は券を紗夜に渡しチェックインを任せると、車と共に駐車場に向かった。

「ようこそお越しくださいました。お荷物をお持ち致します」

 すぐさま二人のポーターが来て紗夜達の荷物を運び、3人も彼らに続いてロビーへと誘われる。そこは、優雅という言葉がその場所の為にあるかのような空間だった。煌びやかな調度類に巨大な絵画やオブジェをいっぺんに視界に収め、心の中で(ほぉ~!)と感嘆の声を漏らす。ポーター二人は荷物をフロント前の棚へ置くと、お辞儀をして一旦その場を離れた。

「フロントはそっちね」

 宿泊券を持つ紗夜を先頭にフロントに向かい、受付らしき女性に声をかける。

「いらっしゃいませ。ご優待券のご利用ですね? 辰実涼介様で4名様」

「はい、そうです」

「ご利用ありがとうございます。お部屋は1206号室と1207号室になります。こちらがお部屋の鍵となっております」

 慣れた様子で笑顔を向け、紗夜達に鍵を手渡すフロント女性。紗夜は鍵を受取りながら瞬間、カタまった。

「えっと…、2部屋ですか?」

「はい。こちらの優待券はペアのものでして、ご利用できるお部屋は二人部屋となっております」

 紗夜は考えを巡らせた。2泊の宿泊を1泊にすれば、もともと2人のペア宿泊券を4人分にできる。抽選所のスタッフはそう言った。あの場にいたのは涼介、紗夜、綾音の3人で、「どうせなら」と、もう一人増やす話は紗夜達が独自に決めたことであった。ホテル側は宿泊日数を調整するので、部屋数を確保するようにと指示を受けたはずである。薫を誘った後、涼介が宿泊日の予約を入れたのだが、人数は4人と言っていた。しかし部屋の数までは…確認していない。

「盲点ね」

 綾音が鍵2つと紗夜を見て言った。

「あの、今から言って部屋をもう一つ増やしてもらったりは…」

 紗夜が、もはや聞く意味はないと知りつつも受付女性に言った。

「申し訳ありません、ご優待券ですので別途お一人様分の宿泊料金がかかってしまいます。また、実を申しますと明日に結婚式のご予定が入っておりまして、普段ご利用いただいておりますお客様に加えて、来賓の方々で客室はほぼ満室となっており…」

「いくらですか?」

「はい?」

「今空いている部屋の宿泊費」

「かしこまりました。確認いたします。少々お待ちください」

 女性はそう言うとパソコンの方に体を向けて部屋の空き状況を確認した。

「お客様、現在ご案内できますのが、スイートクラスのお部屋のみとなっておりまして」

「す、スイート…」

「お一人様、105,000円となります」

「じゅ…10万5千」

「どうなさいますか?」

 紗夜は一応綾音と薫の方を見る。2人は当然のように首を横に振った。

「ふ、2部屋のままでお願いします」

「かしこまりました。ではお部屋までご案内いたします。お連れの方はお揃いですか?」

 女性が予約人数に満たない彼女らを見て言った。紗夜の後ろから薫が「もう来ると思います」と言って3人はフロントを離れた。

「どうする? 車に泊めるって手もあるけど」

 綾音が言った。

「それは、あまりにも酷いわ、綾音ちゃん」

 いつもはおっとりと優しい薫が真剣な眼差しで綾音に向く。別段涼介をという言葉は出ていないのだが、悲しいかな綾音は勿論、薫の方も対象が涼介であることを前提に話している。券を当てたのは涼介。その上彼の車で、彼の運転でここまで来たのだ。これで泊りが車中とあれば、もう虐待でしかない。そこへ車を置いた涼介が3人のもとに現れた。

「悪い、待たせた? チェックインもう済んだのか?」

 事情を知らぬ涼介は3人を見て尋ねる。

「えぇ。…これ、部屋の鍵」

 紗夜が二つの鍵を見せて答える。

「え?」

「優待券の性質上、部屋は二人部屋が2つだった」

「ってこれ、大丈夫なのか? なんならもう一部屋空けてもらって」

「10万よ。今空いてる部屋の最低料金」

「じゅうまん…」

「3人で1部屋に入れるか、とりあえず行ってみて考えるしかないね」

 紗夜はしかたないという様子を露骨に見せながらそう言うと、さっさとベルボーイのいるエレベーターの方へ歩いて行った。顔を見合わせそれに続く3人。そして案内された12階の客室は、2部屋とも窓からの絶景とベッドの豪華さなど申し分なかった。しかしもう一人が寝るスペースは十分にあるものの、布団などの用意がないため、敢え無くも部屋割りは2―2にせざるを得なかったのだった。


「ホントにあの部屋割りでよかったんですか、薫さん?」

 四人は荷物も置いて一段落し、ホテル一階の喫茶店でくつろいでいた。綾音が珍しく心配そうな表情を見せて薫に聞いた。

「えぇ。私は連れて来てもらってる身だし、辰実くんがいいんなら」

「オレ、いや僕は…全くもって光栄です」

 結局部屋は涼介と薫、紗夜と綾音で分かれることになった。折角の楽しい旅行に悶着を起こすことを良しと思っていない薫の気遣いであった。すると紗夜がアイスティーをストローでかき回しながら言った。

「薫さん優しいから、『ダメよ、辰実くん』、『薫さん。オレどうしても我慢できない』、『じゃあ…、今晩だけ』なんて感じでイロイロ許しちゃわないか、あたしは心配だよ」

「おいっ!」

「あらあら、辰実くんたら」

 ケケケッとバカにするように笑う紗夜に、どこまで素なのか頬に手を当てて恥ずかしがる素振りの薫。実のところは紗夜も薫もさほど大した問題とは思っていない様子である。

「鍵を私たちが預かって、抜き打ちで盗撮に入るのはどう?」

 冗談か本気か、綾音がフリスクを口に入れながら、夜中の薫を涼介から守るプランを話す。

「そ、そこまでする?」

「って言っとくだけで辰実には十分でしょ?」

 紗夜も同意した。これは確実に両方とも没収はされると涼介は悟る。

「そういやビデオカメラ持ってきたんだっけね?」

 薫がやり取りを聞き思い出したように言った。

「あ、ハイ。いつものやつを。車中ではあんまり回してないからそろそろ、どっか探検しながら撮りましょうか?」

 涼介がハンディカメラを取り出し、ホテルのパンフレットを広げながら提案した。

「そうね。ご飯の前に大浴場にも行きたいし、先にちょっと見て回りましょうか」

 よくよく案内を見るとプールやゲームコーナーなどの遊戯施設もさることながら、フロントで知ったようにここは結婚式場も有している。関連して隣の敷地に教会があるらしい。その中の礼拝堂も立派なようなのでそこへ行ってみようということになった。

 4人は会計を済ませると喫茶店を後にした。ホテル内の廊下を少し行くと、<教会・礼拝堂>という標識が現れ、それにしたがって外に出る。あたりは緑も多く今日は天気も良いため気持ちがよかった。歩いて談笑する3人の様子を涼介が数歩前から後ろ向きに撮っている。ライブ以外でカメラを向けられるのはあまり慣れていないようで、最初は皆若干表情も硬かったが、10分ほど歩いて目的の場所に着く頃には、レポーターの真似事をしてみたり、撮影者の涼介に要望を出したりと楽しんでいた。

「なかなか立派」

「入っていいのかな?」

 礼拝堂への扉を押してみる涼介。鍵は掛かっておらず自由に入れるようであった。そう広くはないものの作りは素晴らしく、正面のステンドグラスがまず視界に飛び込んできた。

「へぇ~。ちゃんとしてるんだ」

 ビデオのモニターを通して見上げていた視線を下におろしていく涼介。するとこちらを振り返ったような恰好で一人の女性が4人を見ているのに気が付いた。

「あ、っとすいません。思わず声を出しちゃいまして」

 そこにいたのはおそらくは20代半ばの女性で、お祈りでもしていたのかと思った涼介はすぐに、気を散らせてしまったとビデオを止め謝罪した。

「いえ。お気になさらず。ホテルに泊まられてる方ですか?」

「はい」

「そうですか」

「ここで何かしてらっしゃるの?」

 薫がこの女性以外誰もいない周りを見回して尋ねる。

「私、明日式を挙げるんです」

 女性は笑顔だがどこか不安げな様子でそう告げた。

「あー、明日の…」

 紗夜がフロントでの一件を思い出し頷いた。しかし同時に疑問も抱く。式の打ち合わせに来ているのならまだしも、明日結婚式を挙げる女が教会で一人というのはそうそうないシチュエーションである。彼女と共に親族なども大勢このホテルに宿泊しているはずだ。なんせ、それで彼女たちが泊まる部屋を追加できなかったのだ。

「なんで花嫁が一人でこんなところに、って思ってるでしょ?」

 4人一様にその疑問を肯定した。しかし紗夜は直感する。これは何か巻き込まれる。

「私、実は迷っているの」

 女性はステンドグラスの方へ向き直り、見上げながら言った。

「迷っているって…まさか式を?」

 恐る恐る紗夜。これが当たっていると、自分たちは式の準備から逃げ出して隠れていた新婦と関わり合いになったことになる。

「なんで分かったんです?」

 さすがに4人ともが悟った。…やってしまったと。

「あ、大変ですね。それじゃあたしたちはこれで」

 わずかに先んじて予想していた紗夜が一番に我に返り、踵を返そうとする。

「あ、あの、少しお話を…、聞いてほしいんです」

「あ、はは…」

 紗夜は他の3人を(どうする?)といった様子で見渡す。引き止められてこのまま放っておくわけにはいかないと、4人は順に自己紹介をし、教会内の長椅子に座って、彼女の話を聞くだけ聞くことにした。


 教会で出会った女性の名前は縄波美咲(なわなみみさき)といい、ホテルで明日催される結婚式の新婦である。式が目前となりここに来て気持ちが揺らいだという。いわゆるマリッジブルーの類かと思われたが、紗夜たちは親身になって話を聞いた。付き合っていた時の彼の様子から、結婚を決めて、挙式の準備、そして今日にいたるまでの様子。それはもう旧来の連れなのかと思うほど美咲から見た夫・(はじめ)のことを伝えられ続けた。しかし今日このホテルに二人で着いて、最後の段取りや親戚との挨拶をしているうちに、本当に自分は彼のことを愛しているのだろうか? と思うようになったという。

「私、彼や彼のご家族が思っているような立派な女じゃないって思って。ここに来て、一人で懺悔を…」

 そう言うと美咲は下を向いた。聞いている4人も黙るしかない。(はぁ、そうなんですか)と。

「皆さん、あのご結婚は?」

 しばしの沈黙の後美咲が聞いた。4人は揃って首を振る。美咲は「そうですか」とまた黙る。すると薫が口を開いた。

「旦那さん…、肇さんが心配してらっしゃるんじゃないですか?」

「あ、もうこんな時間なんですね。すみません、長々とつまらない話を」

「いえいえ。花嫁さんの純粋な心持をお聞きできて光栄ですわ」

 年長者として美咲の気持ちをポジティブな方へ変えていこうとする薫。薫は経験上、こういった状態は誰かに話を聞いてもらうだけで大分に落ち着くのだと理解していた。残念ながら自分の経験はないが、親しい友達の式への出席は何度かある。だいたいがそうだった。

「あの、ありがとうございました」

 立ち上がって深々と礼をする美咲。彼女は教会を出て行く。振り返ってみれば、2時間以上彼女の話に付き合っていたようで、教会の外に出るともう薄暗くなっていた。

 4人はもと来た道をホテルへと戻った。本当はパッとホテル周辺を散策して、早めに戻り大浴場で一風呂浴びる予定だったが、食事の時間が決められていたので、先にそちらに行くことにした。

「やっぱり、リゾートホテルと言えばバイキングだね」

 ホテル内のレストランに到着し様々に並ぶ料理の数々を見ながら紗夜の上機嫌な一言。涼介はというと、「晩ご飯の様子もちゃんと撮ってよ」と言われ、しばし彼女たちが品定めするのをほかの客の迷惑とならないようついて回ることになった。「どうですかぁ~、メニューの品ぞろえは?」などとモニター越しに聞いたりしながら、女性陣の様子を映す。料理はさすがにどれも申し分なく、量は少しずつでもいいからすべての種類を口にしようと皆普段よりも胃袋に喝を入れて食事に挑んだ。

 涼介も含め皆が夕食を堪能すると、一旦部屋に戻り、すぐさま大浴場へと向かうことになった。露天風呂もあるようで、今日は星空が見えて綺麗だろうと、4人は意気揚揚とした。その大浴場へ行く途中、反対方向から歩いてくるカップルが一組。その内の一人は教会で出会った美咲であった。

「あ、皆さん」

 美咲が気付いて4人に声を掛ける。美咲の隣にいるのは夫の肇だとすぐに分かった。二人そろって浴衣を着ており、紗夜達とは入れ違いに大浴場に行っていたようである。

「美咲さん、どうも。こちらが旦那さんの?」

 先頭を歩いていた紗夜が訪ねた。

「あ、縄波肇です。美咲がお世話になったそうで」

「いえ、この度はご結婚おめでとうございます」

 肇の挨拶に、紗夜が祝福を述べる。実際全くの他人だが、旅は道ずれという。こんなことは行楽地に出ればよくあることだろう。

「これからお風呂ですか?」

 教会で会った時とは打って変わって、笑顔いっぱいの美咲が4人に向いて言った。

「はい、どうでしたか? 露天風呂もあるんでしょう?」

 薫が安心した様子で返す。

「えぇ、とってもよかったですよ」

「それは楽しみ」

「それじゃ、僕たちはあっちなので。ごゆっくり」

 肇がそう言ってお辞儀すると美咲も続き、二人寄り添って歩いて行った。そしてその後ろ姿を見て言葉を発したのは薫だった。

「いいなぁ~。結婚」

 言葉以上のしみじみとしたものが醸し出されている。

「薫さん、いくら影響されても今晩このへんで手を打とうなんて考えないでよ」

「できちゃった婚も一つの戦法だけどね」

 涼介を指差して言う紗夜に、誰に対する助言なのか綾音が続く。もはや心配しているのかバカにしているのか分からない。そして、一同は大浴場へと向かうのだった。


 ホテルの大浴場は期待以上だった。ジャグジー風呂やヒノキ湯、そして満天の星空付き露天風呂。中は多少人で賑やかであったものの、今日一日の疲れを癒すに十二分に贅沢なひと時であった。浴室から出て浴衣に着替えた涼介は、男湯ののれんを抜け少しホテルの中を歩き回ってみることにした。

(どうせ、3人はもう少しゆっくりだろう)

 夕方に見て回れなかった、結婚式場や披露宴会場などを見てみようとそれらがあるフロアにエレベータで降りる。どこもさすがに中までは入れないが、ある一部屋の入り口のボードには〈縄波家桐戸(きりと)家(美咲の旧姓)ご両家結婚披露宴会場〉と達筆な字で記されていた。案内表示を見るとどうやらホテル内には式場が一つ、披露宴を行える会場が2つあるようで、夕方に見た教会の礼拝堂を利用すれば2組の式を同時に行えるようであった。

(…にしても相当金持ちだよな。スイートじゃなくても宿泊費そんなに安くはないだろうに)

 紗夜の話では、式に出席する親族や来賓が多く泊まっているため、普通の客室は空いていないということだった。その規模からいくと、式を挙げるのはあの教会の方ではなく、より大人数を収容できるホテル内の式場を利用するのだろうと涼介は推測した。

(なんかコネでも作れたら、…なんてな)

 たかだか新婦の婚前鬱の相談に乗ったくらいではだめだろう。と、そう思って涼介はちょっと自分がおかしく思った。

(アイツのがうつったかな)

 いつもカネカネとうるさい紗夜を思い出し、自分がいつの間にか同じような思考に入っていたことを心の中で苦笑した。自動販売機のあるコーナーが目に留まり、何か飲むか、と立ち寄る涼介。

「あれ? 美咲さん?」

 そこにはなんと件の新婦縄波美咲が一人で座っていた。先ほど大浴場へ向かう途中に出会った時と同じく浴衣姿なのだが、胸元や足のあたりがややはだけており、微妙に艶めかしい格好であった。

「あ、紗夜さんたちの…。えっと辰実さん?」

 ポワンとした表情で涼介に向く美咲。その表情がほんのり紅潮しており、なんとも言えない人妻の魅力を倍増させていた。

「あ、あのこんなところで、お一人でどうしました?」

 目のやり場に困りながら涼介。見ると美咲が手にしているのは缶チューハイだった。

(式前日の夜に一人でチューハイ? 大丈夫か?)

 そう思ったのが伝わったのか、美咲はすぐによっこらしょと立ち上がって涼介に向いた。

「すみません、お見苦しいところをお見せして…。私、部屋に戻りますので」

 そう言うと、ガランと飲み終えた缶をゴミ箱に入れトロトロと歩き出した。一応エレベータの方へは向かっているので、とりあえず安心する涼介。しかし念のため少し離れて様子を見ていこうと思った。その後も特に問題なく彼女はエレベータまで進み、ちゃんとボタンを押して目的の階には行ったようである。

(さすがにあの状態で隣について歩いてたら、絶対あらぬ疑いを掛けられる…よな)

 一瞬一緒に行くべきだったかと心配したが、涼介は自分の判断を信じ、自分の為のエレベータを呼んだ。

 部屋に着くと涼介は荷物を置いてそのまま隣の紗夜たちの部屋へ向かった。鍵がない薫が、部屋に戻っても入れなかっただろうと思ったからだ。ノックをすると「は~い」という紗夜の声がしてドアが開く。出てきたのは薫だった。やはり紗夜たちの方も風呂は終わっていたようで、3人揃って紗夜と綾音の部屋にいたのである。

「おー遅かったね。先に始めてるよ~」

 薫に連れられ涼介が部屋に入るなり紗夜が言った。浴衣姿の彼女たちの前には缶ビールや缶チューハイがよりどり並んでおり、すでに2缶ほどが床に転がっていた。

「おつまみもあるから、辰実くんもどうぞ」

 薫がレモンチューハイを片手に涼介に勧める。涼介が紗夜たちと会って分かったことが一つある。それは音楽家という者たちの酒好きさである。その上底なしに強い。先だっての薫の音楽教室での発表会の後も打ち上げをしたのだが、紗夜や綾音のみならず薫の酒豪っぷりをその目で体験した。涼介も決して弱い方ではないのだが、ビッグ3を前にすると戦いを挑む気さえ起こらない。

 彼女たちの酒宴での話題は最初、やはり音楽についてだった。人類に歌が生み出されたのは普通の会話では表現できない音域で意思伝達を図るためなのだと紗夜が語り、音楽がこの先どういう進化を遂げるべきなのか自分たちは試されているのだと綾音が説く。そうかと思えば、あの歌手は歌詞の意味がさっぱり分からんだとか、あのテレビの主題歌はよかったなどワイドショー的なものまで飛び出した。そしてそのうち、話題はこのホテルで出会った美咲たちの結婚式の話となりそのまま男女の恋愛観論議へと移っていた。

「結論はさ、男は体が欲しいだけで女は心が欲しいだけなんだよ」

 紗夜が飲みかけの缶を摘まむようにして振りながら言った。

「あ、それ名言かも」

 頬を赤らめた薫が合いの手を入れる。

「でしょ? それを法律上で約束するのが結婚と」

「ほぅほぅ」

「ちょっと綾音、いいかげん飲んでる時くらいフリスクやめときなよ」

「…いいでしょ、別に」

 紗夜に指摘され返答する綾音。酒も大分に進んでから綾音がそうしていることに気が付いたのだが、彼女はずいぶん前からアルコールとメンソールの合わせ技を楽しんでいたらしい。涼介はその刺激の強さを想像するだけで鳥肌が立った。その後、用意していた飲み物もつまみもなくなると、もうそろそろ寝ようかと涼介と薫が部屋に戻ることになった。そしてその際、紗夜がきっちり2人の部屋までついて来て、先刻の約束通り鍵とビデオカメラはちゃっかり回収されたのであった。


 翌日、涼介の意識が目覚めた時には室内は既にほんのり明るく、外は完全に朝を迎えていた。隣のベッドからは薫の寝息が聞こえる。酒を飲んでいたせいか、涼介も薫も部屋に戻るとすぐに自分のベッドに入りそのまま眠ってしまった。昨日の日中あれほど騒いでいたが、悲しいほどに何もないものである。紗夜か綾音のどちらかが、抜き打ちでカメラ片手にやってくるかもしれないことを覚えてはいたが、彼がその場面に出くわすことはなかった。のそのそと体を動かし涼介は時計を見た。

(確か朝飯は7時から9時半だったな…!)

 二つのベッドの間にあるデジタル時計は、9時10分を示していた。ガバッと起き上がる涼介。そしてすぐさま隣で寝ている薫を呼ぶ。

「薫さん、起きてください。朝メシの時間が!」

 言いながら浴衣の乱れを整える。「う~ん、おはよう~」と薫が布団をもぞもぞさせながら言ったので涼介は先に洗面所に向かった。

(目覚まし…忘れてた。向こうは起きてるか?)

 顔を洗いながら紗夜たちの部屋の方を心配する。涼介は顔を拭いて洗面所を出た。

「わっ!」

 ベッドの方に戻るなり思わず声を上げてしまった。そこには浴衣がずり落ち、胸が露わになった薫がトロンとした目つきで座っていたのである。

「ちょ、薫さん!」

 涼介はすぐさま後ろを向きながら叫んだ。

「しっかり浴衣着てください!」

「えぇ? あぁ。ごめん」

 ポリポリと頭をかきベッドから抜け出しつつ、浴衣に手をかける薫。そこへ、今度はバタッと入口のドアが開いた。

「おはよーす。起きてる~?」

 紗夜に続いて、綾音が揚々と入ってきた。

「お、おは…」

 そう言いかける涼介の後ろに、片乳の露わな薫が姿を見せる。

「おはよー。紗夜ちゃん、綾音ちゃん」

「……」

 固まる涼介。紗夜と綾音はすぐさま状況を判断すると、無言でスーッと涼介を通り過ぎ薫に寄る。手際よく浴衣を直すと涼介に向いた。

「本人寝ぼけてるからセーフ」

 綾音が言った。

「いや、ごめん、アウト」

「せっかく夜中は張ってたのに、まさかこう来るとは」

 正直に打ち明ける涼介に、頭を振る紗夜。やはり宣言通り偵察には入っていたということか。ポンポンと涼介の肩を叩くと、「これは薫さんも悪いから。とりあえず朝からラッキーってことにしとけば?」と、意外とあっさり釈放となる。3人はふらふらと歩く薫を引っ張りつつ昨日の夕方と同じレストランへと向かった。


 朝食もバイキング形式のようで、着く頃には薫もしゃっきりしてきていた。涼介にはまたしてもハンディカメラが手渡され、昨日の夕食と同じ段取りで、撮影しながらの食事となった。

「チェックアウトは何時だっけ?」

「意外と遅めだったんだよな…え~と11時だ」

「それじゃ早めにチェックアウトしといてからお土産にしましょう」

 薫が言った。涼介は薫の方を見て「そうですね」と返したものの、起き時の彼女を思い出し、若干申し訳ない気持ちになる。そうして4人は食後のコーヒーや紅茶を楽しんだ後、部屋へと戻り、帰りの支度をした。

「一応、美咲さんの方にも挨拶しとく?」

 いち早く支度を終えて廊下に出ていた涼介。紗夜がバックを抱えて出てきたので、提案してみた。

「そうね。まぁいいんじゃない?」

 紗夜も概ね同意。結果、4人はフロントでチェックアウトを済ませた後、結婚式会場の方へ足を運んでみることにした。

 エレベータで1階へ降り、フロントに着くと鍵を返してチェックアウト。応対した女性から「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」と丁寧にあいさつを受けると、いざ、美咲の結婚式場へと向かう。

「そういや、昨日の夜、オレ美咲さんが一人で自販機の前にいるのに会ったんだ」

 会場のあるフロアまでのエレベータの中で、涼介が思い出したように昨晩の入浴後に会った美咲の様子を話した。

「え? 一人で?」

「大丈夫ですから、とか言ってちゃんとまた部屋まで帰って行ったけどな」

「そう…」

 少し考え込むように紗夜。そして目的のフロアに着く。その場の様子を見て紗夜が続けた。

「どうも、もう一波乱あるようね」

 シルバーのタキシードを着た男の人が、せかせかと早足でうろついていた。昨晩入浴の帰りに出くわした美咲の夫、肇であった。向こうも紗夜たちに気が付くと、「あっ」という顔をして寄ってきた。

「君たち昨日の」

「はい、どうかされたんですか?」

 訪ねてきた肇に涼介が辺りの様子を確認しながら尋ねる。新郎だけでなく、おそらくはその家族と思われる人たちも慌ただしい感じなのである。

「美咲が、いなくなってしまったんだ」

 涼介、綾音、薫はそれを聞いて「えぇっ?」という顔をした。しかし紗夜だけは、どこか予感していたのか腑に落ちたようにこう返した。

「いつから?」

「今朝の食事の後、準備にかかり始めてからなんだ。衣装を着替え終わってちょっと忘れ物を取りに行くと言って出て行ったっきりまだ戻らない。11時から式が始まるのに…」

 慌てた様子で口早に状況を告げる新郎。つまり花嫁はウエディングドレスを着たままいなくなっているわけである。すると薫が手荷物を涼介に突き出した。

「ちょっと持ってて。私、探してくるわ」

「え? ちょっと薫さん? それなら僕らも」

「薫さん、あたしも一緒に。辰実と綾音はここにいて花婿さんと待機で」

「えっ?」

「分かった。気を付けて」

 紗夜と薫があっという間に行ってしまうと、涼介は不安な気持ちを抱いたまま受け取った荷物を手にその場にしばし立ち尽くした。

「大丈夫かな?」

 紗夜の素早い段取りにより、共に留守番チームとなった隣の綾音に聞いてみる。

「見つかるとは思うけど、ここまで来るかどうかは」

 涼介とは違いちゃんと自分の役割を理解しているらしい綾音。2人はひとまずは新郎を落ち着かせるべく、彼を連れ一旦会場の中に入ることにした。


 紗夜と薫は階段で1階へと降りると、外への出入り口がある方へ廊下を走った。

「薫さん、場所見当ついてる?」

 薫の斜め後方を行きながら紗夜。もし薫が闇雲に探そうとしていたら紗夜は自分のアテを伝えようと思っていた。

「昨日の教会しか…。でもあんなところ誰かが探している気もするし」

「いや、おそらく正解だよ。だって昨日も誰もいなかったんだから」

「式も披露宴も全部ホテルの中だしね」

「はい」

「花婿さんも来てもらった方がよかったかしら?」

「その辺は流れで何とかできるでしょ。問題は説得なんだけど」

 二人は多少息を切らして昨日美咲と出会った教会の扉の前に来た。

「私がやってみる」

「分かりました。あたし外にいます」

 薫が扉を開けて中に入った。午前の明るい日がステンドグラスを抜け、昨日とはまた違った神聖な雰囲気を醸し出している。それは、そこに極めてふさわしい衣装の人物が佇んでいたからでもあっただろう。

「美咲さんっ!」

 薫の呼びかけに花嫁が振り向いた。とても優しい顔をした縄波美咲であった。

「薫さん。私、どうしても、ここに来て…。昨日いっぱい聞いてもらって、それなのに」

 顔は優しかったがその声がとても震えていて、不安と混乱を含んでいた。

「花婿さん…肇さんが心配してました。戻りませんか?」

「どんな顔をして隣にいればいいんでしょう? どうして私は彼を選んで、彼が私なんかを選んだの?」

 結構に重症だと薫は悟った。涼介から聞いた昨晩の彼女の様子も気にかかる。おそらくは部屋に戻った後一人で抜け出したのだろう。気付かない新郎も呑気だが、逆に新婦のことを心から信用しきっているとも言える。状況的に自分だけではどうにもならないかもしれないとは感じたが、そうは言ってもまずは全力で伝えてみるほかなかった。

「美咲さん…。男と女がお互い惹かれ合う根本って何か考えたことあります?」

「?」

「男は相手の体を求めてて、女の方は心を求めているということだそうですよ」

「えっ?」

「まぁ知人の、ほら紗夜ちゃん、彼女の受け売りなんですけどね」

「……」

「だから好きとか嫌いとかっていう気持ちはすぐ移ろうんです。でもね一緒にいて楽しい時間が感じられたり、素の自分でいられる人っていうのは同性異性によらずなかなか現れないんじゃないかなって思うの」

「それは…」

「現にこうして今日結婚まで考えた二人なんだから、きっとお互いが何かしら特別なはずなんです。だから一人で考え込まずに」

「……」

 薫は悟った。言えるのはここまで。本当はこのあたりで新郎が登場して二人でじっくりという風にできればと願ったが、そこまで都合よくは…。

「あら?」

 扉の開く音はしなかったはずだが、そこにはタキシード姿の新郎がやや肩を上下させ呼吸を整えるようにして立っていた。

「肇さん…」

 美咲が肇を見た。

「美咲。…よかった。ここにいたんだ」

 美咲の声を聴いた肇は心底ホッとした様子で囁くように言った。そして近づいていく。

「いい、教会だ。それに、綺麗だよ美咲」

「あ、私…」

 肇が薫の横を通り過ぎたところで、薫はゆっくりと後ずさりするように扉に向かった。ここから先は二人で何とかなる。というか二人の問題なのだ。教会の外に出ると、紗夜と涼介、綾音も来ていた。

「呼んでくれたの」

「紗夜から連絡来たので、連れてきた」

「大丈夫そうですか?」

「たぶんね」

 しばらくすると新郎と新婦が二人そろって教会から出てきた。

「皆さん、本当にありがとうございました」

「いえいえ。それで、落ち着かれましたか?」

「すみませんでした、薫さん。昨日に続いて励ましていただいて…」

「よかったです。それじゃ、私たちはこれで。ちょうどさっきチェックアウトして、最後にご挨拶しようと思っていたんですよ」

 薫は笑顔でそう返すと美咲と握手をした。感動の事件解決に涼介はビデオを持ってきておけばよかったと思った。後から美咲夫婦に送ってあげればきっといい思い出だろう。涼介がそんな風に考えた時だった。

「あの、よろしければ、出席していっていただけないですか?」

 薫と美咲の様子を見ながら肇が言った。美咲もそれを聞いて名案だと頷いた。4人が眼を丸くする中、肇が続ける。

「美咲から聞きました。皆さん、音楽活動されてるアーティストの方々とか。ぜひ、私どもの披露宴で演奏をお聴きしたい」

「えっと…でも」

「もちろんお礼はいたしますし、お食事も」

 迷っている紗夜たちにさらに肇が言った。横で美咲がまた頷く。

「お礼? …食事も?」

 4人は顔を見合わせた。悲しいかな彼らにしても今後の予定は帰路に着くのみ。乗りかかった船だということもあって、また謝礼まで出るとあれば、結論は一つだ。紗夜たちは引き受けることにした。

「それじゃ、一曲くらいなら」

「よかったっ! 楽器の方もそれなりに揃っていました。お願いします!」

 今度は美咲がいっぱいの笑顔で言った。


 披露宴は式の終わった12時半からとなる予定であった。各種来賓のあいさつやパフォーマンスの後、紗夜たちの出番はかなりの終盤であった。

「なんかエラいところでやることになったね」

 機材の準備をしながら紗夜が呟いた。

「あそこで断るのも薄情な気もするし、よかったんじゃない?」

「ねぇ、曲はどうするの? 知ってるのなら私も入りたいわ」

 歌うはもちろん紗夜、演奏はいつもなら綾音だけだが、今回使う楽器によっては音楽教室の先生も戦力となる。やりようによっては幅の広いかつ奥行きのある演奏が可能なのだ。

「薫さんが知ってる曲で、状況に合うやつか…」

「『MATCHING FEEL』でいいんじゃない?」

「あぁ、んじゃそれ」

「薫さん、イケます?」

「えぇ、エレクトーンがあるからそれで合わせるわ」

 着々と段取りを組んでいく3人。スーツも礼服もないが、それでいいということで多少場違いながらも恋愛の歌を選曲する。この曲は先だっての音楽教室発表会の際、紗夜たちがゲスト曲として披露する候補の一つとして一度薫にも聞いてもらっていたものだった。一度聞いていただけで合わせると断言した薫は、やはり只者ではないと言える。一応音合わせをするものの、普段から一緒に暮らす綾音と薫だからか息はピッタリで、違和感なく薫は調和した。

「辰実ぃ、撮影オッケー見たいだからいつも通りよろしく」

「了~解!」

 ボーカル=紗夜、ギター=綾音、エレクトーン=薫、そして撮影=涼介ということであとは本番を待つのみとなる。さすがに披露宴会場に着席するわけにはいかなかったが、美咲の計らいで4人も出席者と同じ豪華なメニューを頂くことができた。控室のモニターで披露宴会場の様子を見ると、お色直しをした新郎新婦の入場が映っていた。

「やっぱりいいわね。結婚って」

 その画を見てまた薫が呟いた。今回、悩める花嫁の心を導いたのだ。もはや心境は仲のいい姉妹であるかのようであった。

「また出会いサイト登録したらどうですか?」

「ちょっと、なんで知ってるの、綾音ちゃん!」

「なんだ、薫さん。しっかり婚活してるんだ」

 しばし和やかなムードに包まれる控室。そして出番がやってきた。会場のステージへと現れる3人。涼介は別の場所から会場に入り、場内の後方へとスタンバイする。

「美咲さん、肇さん、今日はおめでとうございます。僭越ながらあたしたちからのお祝いです」

 マイク越しにそう言った紗夜に続いて、綾音と薫の演奏が始まった。


『気のないふりは得意だけれど それでいっつも損してた

       素直じゃないのは 昔からだし それを嘆いたりはもうしてない』


 紗夜の繊細な歌声が会場に響き始めた。出席者たちの持つプログラムにはないゲストの登場に、最初は少しざわついたものの、彼らも皆紗夜たちのパフォーマンスに聞き入った。


『ただ一緒にいたいだけでも 何か理屈が欲しくって

      何か理由を言わないと ただのわがままにしかならないし

                 いつ頃からか そう思うようになっていた』


 ゆったりとしたテンポで流れる曲。皆がどこか少し共感するような感傷に浸っている。涼介はそんな様子もビデオに収めていく。4人にとって突発的なステージだったが、それでもいいものを目指す。いい映像が残せると涼介は確信した。


『メールの返事を待ってる間 よせばいいのに気にしてて

      送ったメール変だった? 何か返しづらいこと聞いちゃった?

            そして気づけば受信があって 助走なしで胸が高鳴る

               内容なんて見てなくて 宛先だけでうれしくなった』


 美咲は真剣に紗夜たちの演奏を見つめた。昨日や式が始まるまでの不安な気持ちは嘘のように、今こうして愛する人の隣にいられることが幸せだった。紗夜たちの歌の歌詞にあるように、相手からくるメールを待つ不安な夜もあった。しかし、これからは二人一緒。薫の言葉もあり、何よりお互いが自分らしくいられる存在だとはっきり気が付いた。


『We don't match. このカラダも カンジョウも

  But,wait a moment. ちょっとだけなら こうしていたいかもしれない?』


 このステージは気持ちがいい。曲調の盛り上がりとともに歌がサビへと移った頃、紗夜は心からそう思っている自分に気が付いた。隣でギターを響かせる綾音もきっとそうだろう。普段あまり感情を表に出さないが、長い付き合いから若干の指使いや音の強弱にそれは出る。綾音も楽しんでいる。これが自分たちの音楽なのだと改めて実感した。


『あたしが心を許すのは あんたなんかじゃないはずなのに

     なぜだかあんたと繋がっていると “自分らしく”でいられるんだ』


 リゾートホテルからの帰りの車中。運転は「帰りは私に任せて」と、披露宴での演奏ですっかり上機嫌となっていた薫。「それじゃ私、助手席」と、綾音が有無を言わさず助手席で、車の所有者である涼介は紗夜と共に後部座席に納まっていた。

「それじゃカメラでも回します」

 何やらいたたまれなくなり涼介はハンディカメラを取り出す。

「いろいろあったけど楽しかったわね」

 薫がふと言った。紗夜たちの演奏の後、披露宴は新郎新婦そして親族や皆が涙しながらの感動のフィナーレを迎えた。帰りの際、4人は美咲と肇から引き出物を受け取った。その上「少ないですけど…」と、出演料としてのし付きの商品券を渡されたのだが、薫がそこまでは受け取れないと丁重に断った。影で紗夜が「何も突き返さなくたって…」と、不満そうだったが、まぁそこは丸く収まった。

「一泊二日とは思えないですね」

 涼介が運転する薫の方にカメラを向けて聞く。

「ホントそうね~」

「ところで、薫さん。披露宴でのエレクトーンの演奏もさることながら、車の運転もなかなかお上手ですねー」

 涼介は女優をインタビューする記者のように薫を褒めた。

「ペーパーの割には、ね」

 横から綾音が外の景色を見つめつつ付け加える。左手がしっかりと車内天井の取っ手を握っている様子を見ると、彼女が助手席を選んだのは薫の運転による危険をいち早く察知するためだったりするのかもしれない。

「綾音ちゃんたら。ね、辰実くん、私のおっぱい見たことはチャラにするから、またこの車運転させて?」

「えっ! あ、…はい(寝ぼけてなかったわけね)」

 ちょっと運転を褒めてポイントを稼ぐつもりが意外な返しを受ける涼介。背徳感によって反論不可の状況だが、涼介はまあいいかという気になった。と、涼介が薫を映そうと前のめりだった体を戻しシートに背中をあずけた時、右肩のあたりに何かが密着しそこに若干の重みが掛かるのを感じた。

「ん?」

 すぐに気付いたのはたまたま後部座席の方を振り返った綾音だった。

「夜中ちょくちょく出て行ってたからね。その上全力で歌ってたし」

 納得したように紗夜の方を見る綾音。涼介は、頭をもたれ掛けて眠る紗夜をそうっと顔だけで覗き込んだ。スゥスゥと寝息を立てる穏やかな表情は、普段の態度とのギャップがありすぎて別人かと思うほどである。

「辰実くん、カメラ貸して?」

 綾音がそう言って涼介からハンディカメラを奪う。

「後から知ったら、怒るんじゃ…」

「大丈夫。撮ったのは君だから」

「いや、それちょっとマズイ」

 慌ててカメラを取り戻そうとする涼介。

「あーダメ、起こしちゃ可哀そうよ」

 薫がルームミラーを見ながら左手を伸ばし静かに制した。涼介はそのまま身動き一つとれず、そして考えるほかなかった。起きた紗夜が自分に向けるであろう不機嫌を、如何にしてのりきるかを…。


終わり

前話-バーニングブレイズ-の後の話です。

今回の話で当時作ったストーリーは全部になります。こちらの話もブログの方でこまぎれにアップしていたものを、多少の修正の上まとめさせていただきました。


のんびりしてるけど困った人をほっとけない薫、勘の働く紗夜、興味がないようでしっかり状況は見ている彩音が描けたかなと思っています。


次のストーリーはまだ思いつけていないのですが、書きたい思いばかりつのるいっぽうで。


この3つのストーリーを書いたきっかけは、賞への応募でした。どんなコンペだったかはもう忘れてしましましたが、あまりライトノベル的なものではなかったかも。今思うと・・・。

それ以前に自費出版で本を出してみていたものの、しばらくして当時読んでいた漫画に近いテイストのものを書いてみたいと思っていた気がします。


今回も読んでいただきありがとうございました。

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