7機目 上下関係
アウレスとグランと出会ってから数十分後。
俺達は今、屋敷の中に造られた、武器の修練場らしき広い一室に集まっていた。
壁には模擬の剣や槍がつけられている。
アウレスから何やら不穏な台詞が発せられた後、俺達はアウレスに言われがままにこの部屋まで移動した。
特に積極的に屋敷の中を探索したわけでも無かったので、この部屋の存在は知らなかった。
このような訓練場が個人の住宅に備え付けられているとは。
つくづくこの家系の財力には度肝を抜かされる。
「好きな武器をとれ。 今からお前と軽い勝負をする」
俺が部屋の中をまじまじと観察していると、アウレスからそんな言葉が聞こえてくる。
「え? 武器って……」
「……アウレス、何をするつもりだ」
アウレスの言う事の意味が分からずに困惑していると、俺の気持ちを代弁するようにグランがアウレスへと問いかけた。
「この先、私はこの男に武器の扱い方だけでなく、ホムンクルスとしての心構えを叩きこむ必要が生じました。 それにあたって、まずは上下関係をはっきりさせようと思った次第です」
!!……
何となく感じていた不穏な空気が確実なものとなった。
この女は明らかに俺を敵視している。
会話の流れから考えて、原因は俺がシディナへタメ口で話していたこと。
それに加え、俺は魔法の暴発によってシディナを危険な目に合わせかけた。
その二つの事から、アウレスは、俺に対する教育が必要だと思ったみたいだ。
「アウレス、上下関係って、一体何をするつもりですか?」
「この男と模擬戦を行います。 先に一撃を入れた方の勝利です……シディナ様、貴方のホムンクルスに多少の危害を加えさせて頂くことをお許しください」
「あ、別にそれは構わないです」
「構わないのかよ」
「リトラさん、精々しごかれてください」
…………どうやら俺はアウェーのようだ。
まあよく考えたら、俺以外の三人は幼馴染みたいだし、若干仲間外れを感じるのも仕方がない。
アウレスから放たれる威圧感に内心怯えつつ、俺は壁に付けられていた模擬剣をとる。
剣道の経験は全くないが、槍や斧よりは使いやすそうだ。
「よし、武器をとったな。 では、始めるぞ」
俺が剣を握りしめたのを見て、アウレスは構えを取る。
--素手の状態で。
「まさか、武器を使わずに戦うのか?」
「貴様相手に武器など必要ない」
……随分と甘く見られているみたいだ。
アウレスは不適な笑みを浮かべながらこちらを睨んでいる。
この勝負の勝利条件は先に一撃を入れること。
リーチの長さは勝率に直結するように思える。
流石に、剣を持っていながら素手の女性相手に負ける気はしない。
だが、アウレスだって武器の有無によるハンデの大きさは把握している筈。
だというのに、あの自信。
油断していたら、あっさりと負けてしまうような、そんな負のイメージがこみ上がってくる。
「貴様から好きなタイミングでかかってこい。 それぐらいのハンデはくれてやる」
「!!」
……さらに、ハンデをつけるとは。
いくら何でもそれは舐めすぎでは無いだろうか。
不意をとる形で全速力で剣を振れば、いくら相手が格上でも勝利は揺るがない。
この女の鼻をへし折ってやろう。
--と思わせる作戦だろうか。
今の発言は恐らく挑発。
相手は素手。
この圧倒的なリーチの差を埋めるためにとれる唯一の手段は、カウンター。
そう、カウンターでもしない限り、素手で剣には勝てない。
いくら速くパンチを繰り出そうとしても、拳が届く前に長い刃が先に当たるのは必然。
チャンスがあるとすれば、刃を振り切った後の隙。
その隙を誘うための挑発だったのだろう。
だが、その事に気が付いてしまえば、わざわざ相手の誘いに乗る必要は無い。
「いや、流石に武器の事を考えると、そちらから先に仕掛けてきた方が良いよ」
色んな意味を込めてそう言う。
シディナが少し笑顔を浮かべたのが視界にチラついた。
どうやら彼女もアウレスの意図に気が付いていたようだ。
「……そうか。 では遠慮なく」
俺の言葉を聞くと、アウレスは軽くしゃがむように、片足を少し後ろへ下げる。
どれぐらい、速く迫ってくるかは分からない。
だが、近づいた時に剣を振れば返り討ちにできる。
一方で恐れるべきはフェイント。
もし、相手の動きに惑わされて剣を空ぶってしまったら、その隙を突かれてしまう。
そう、相手の意図にも気が付く事ができたし、武器の有利も依然変わらない。
しかし、やはり油断はできない。
アウレスには明らかに戦闘経験がある。
どれほどの物かは分からない。
実戦経験ではなく、訓練による経験かもしれない。
でも、あの不適な笑みを形成する程度には豊富な経験を、彼女は持っているはず。
始めの一撃がフェイントか否か。
それを見極められるかどうかにこの勝負がかかっている。
動体視力の勝負でもあり、心理戦でもある。
俺は相手の一挙一動を凝視し、相手を観察する。
アウレスが踏み込む。
--くる。
フェイントか。
それとも普通に勢いのままにパンチを繰り出してくるか。
見極めてやるーー
そう思った次の瞬間。
アウレスの姿がブレた。
そして次に自分の視界がブレる。
痛覚がやってきたのは自分が壁に叩きつけられたと気が付いた後だった。
--え?
気づけば自分は先ほど自分の背後にあった壁の近くで倒れ伏していた。
状況を理解しようと顔を上げてみると、拳を突き出した姿勢で立つアウレスの姿があった。
グランは特に表情を変えずに、当然のことであるかのようにこの状態を静観していた。
……いや、若干ドヤ顔になってるな、アレ…………
一方、となりで立っているシディナは、笑いをこらえるのに必死な様子だ。
あの野郎、俺が先手を譲った時点で、こうなると分かっていたな……
あの時の笑みは俺がアウレスの意図を見抜けたからとかじゃなく、俺の敗北が決定したからだったのか。
「貴様の負けだ」
アウレスははっきりとそう口にすると共にこちらに歩み寄ってくる。
笑みを浮かべているが、目がまったく笑っていない。
ただならない気迫を放ちながら、あくまでも歩みはゆっくりで、少しずつ近づいてくる。
怖い。
かなり怖い。
なんだこの化け物。
目にも留まらないスピードで距離を詰め、拳を放ち、相手を吹き飛ばす。
そんな漫画みたいな動きをこの女はやってのけた。
普通、あれを喰らったら血反吐を吐いてもおかしくないだろう。
そうならないということは、ホムンクルスの身体は人間より丈夫なのだろう。
それでも尚、強烈な痛みがこみ上がってくる。
肺の空気が全て身体の外へと逃げていなかったら、あまりの痛みに情けない悲鳴を上げていたところだ。
それにしても、あの動きは規格外だ。
フェイントの読みあいとか、そんな低次元な話じゃない。
全く相手にならなかった。
アウレスが俺に最初に攻撃をする権利を与えたのは、本当にただのハンデだったのかもしれない。
例え、俺の武器が模擬剣でなく、散弾銃だったとしても、彼女に勝ち目は無かっただろう。
「まあ、安心しろ」
俺が畏敬と恐怖の混じった視線でアウレスを見上げると、彼女は優しい声色で語りかけてくる。
「訓練次第で、貴様もあの動きを真似できるようになる。 いや、あの程度、出来なければ話にならない」
……何を言ってるんだ、この女。
あんな動き、
「できる訳がなーー」
「すまん聞こえなかった、もう一度行ってみろ」
「はい、アウレスさんにご教授頂けるなんて光栄の至りです。 頑張ります」
俺の言葉は、彼女の右フックによってあえなく訂正された。