6機目 出会い
ホムンクルスの朝は早い。
朝六時に起床した俺は、朝食をとる前の軽い運動として中庭でジョギングを始める。
三十分ほど走った後、自室に戻り、筋トレ。
腕立て、上体起こし、スクワットを三セットずつ。
朝食の用意が出来るまで筋トレをし、その後は優雅にブレックファースト。
クラスタール邸の目玉焼きに舌鼓を打った後に、ティータイムを過ごす。
しかし、デキるホムンクルスの朝は忙しい。
早々に食器は片付け、すぐさま次の日課に移行する。
普段世話になっている中庭の水やりと手入れを丁寧に行う。
それが終わると、廊下の掃き掃除と窓ふき。
おっと、今頃シディナお嬢様がお目覚めになったようだ。
眠そうな目を擦りながら廊下を歩いている。
当然、彼女の騎士として、俺はすぐに挨拶をしに行く。
「おはようございます、シディナお嬢様。 今日も美しい銀髪が光輝いていますね。 では、早速朝食と致しましょう」
デキるホムンクルスとして、当たり前の礼儀を持って主人と接する。
しかも、ホムンクルスだけでなく、俺はお兄ちゃんでもある。
そのための過酷なモーニングルーティーン。
でも仕方がないのです。
何故ならお兄ちゃんだから。
「何がお兄ちゃんですか、急に気持ち悪いことしないでください」
…………あれ、我が妹が何やらおかしな事を言い始めた。
「どうしたのですかお嬢様?? 私はいつも通りですよ?? いつも通りランニングやプッシュアップ等のエクササイズを行った後、こうして邸内の掃除をーー」
「どこがいつも通りですか。 いつもは私より遅く起きて、食事と魔法の練習が終わったら適当にブラブラしてるじゃないですか」
「……………………」
「あと今更敬語なのも気持ち悪いのでやめてください」
「……昔は、ちょっとよそよそしかったシディナも、今はこんなに遠慮の無い会話を交わせる仲になって、お兄ちゃん嬉しいよ」
「私はあまり嬉しくないです。 あと自分はお兄ちゃんと呼ぶのやめてください。 気持ち悪いです」
「…………なんかいつもより冷たくない??」
「リトラさんが変な事しだすからです」
くっ…………
昨日のシディナの言葉を踏まえて生まれ変わろうとしたのだが、逆効果だったかっ……!!
「あと、つま先で立って、若干踵浮かせて背伸びするの、やめてもいいですよ」
「……いや、俺は元からこれぐらいの身長ーー」
「やめてもいいですよ」
「…………はい」
踵を地面につける。
………なんか虚しくなってきた。
「……そんなに、頑張らなくてもいいです。 昨日は私が言い過ぎました。
し、心配しなくても、私はリトラさんを不良品だなんて思ってません」
「………ほんと?? 俺、捨てられない??」
「捨てるだなんて事しませんよ」
「……ああああ良かったぁ~~。 ふぅ、慣れない事するもんじゃねえな、やっぱ。 はあ、緊張して損したぜ。 まあ、俺は俺らしく生きればいいって事だよなあーーゴフッ!!!」
俺が安心して座り込んでいると小石が弧を描きながら頬に激突する。
「痛っ!! え、公転魔法!?」
「切り替えが早すぎます。 少しは遠慮というものを知ってください」
「ご、ごめんなさい……」
こうして俺のモーニングルーティーンは一日で終わった。
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シディナが朝食を摂っている間、俺は思案に耽ていた。
実は、今日ランニングや筋トレをするまで、この世界でまともな運動をしていなかった。
故に今日まで気がつかなかった事があった。
それは、自分の身体能力について。
生前の俺と比べると、桁違いに運動神経が良かった。
ジョギングをそれなりのペースで行ってもあまり疲れなかったので、試しに全速力で走った時は、思わず目を見開いた。
自転車を乗っているかのようなスピード感で空気が身体を通り過ぎた。
筋トレをした時もそうだった。
腕立てを何回しても殆ど疲れることはなかった。
身体を洗う時、結構筋肉が出来上がった身体だとは感じていたが、まさかこれほどとは。
ちなみに、この世界にもシャワーはあったが、シディナ曰く、水道が通っているのは、貴族の家だけらしい。
その点、裕福の家庭のホムンクルスとして生まれた事は、かなり幸運に思える。
話を戻すと、俺の身体はかなり運動に向いていた。
シディナが、ホムンクルスは魔力量が乏しい分、身体能力に優れていると言っていた。
たしかに、強力な魔法の使用回数が制限される代償と思えば、この運動神経の良さは納得できる。
魔法の訓練だけでなく、剣の訓練も楽しみになってきた。
そして時は進み、三週間後。
「--『マダイナ』」
そう唱えた瞬間、小石を中心に爆発が起きる。
「『マダイナ』!!、『マダイナ』!!」
続けて、二つ目、三つ目の小石に魔法を当てる。
「ーー文句なしの合格です。 爆発魔法は完璧に物にできたと思います」
「---よっしゃああああ!!」
思わずガッツポーズを決める。
最初に行っていた訓練から発展し、今の俺は目に留まらないスピードで不規則に動く小石を連続で撃墜する特訓を行っていた。
そして、遂にその目標でさえも達成してしまった。
「もう呪文を唱えなくても魔法を使えるんじゃないですか??」
「!! 本当か!? やってみる」
訓練の中で分かった事だが、どうやら呪文には段階があるらしい。
第一段階が命令部分で、第二段階が名称部分。
俺が使う爆発魔法系統の初級魔法であれば、「膨張せよ」が命令部分、『マダイナ』が名称部分だ。
練習していく内に命令部分は省略できるようになった。
名称部分も省略できたら無詠唱で魔法を唱えられるようになれる。
「ーー」
魔法を使おうと思うと癖で呪文を唱えそうになるが、ぐっと抑える。
魔力が手に集中していく。
そして集中した魔力が一気に解き放たれーーない。
蓋がかかったかのように魔力が詰まる。
しかし、魔力の流れは止まらない。
溢れるほどの魔力が手に溜まる。
「!! --シディナ、離れろ!!」
ヤバイ。
直観的に危険を感じた俺は、シディナに向けて叫ぶ。
しかし、シディナは急に大声を出す俺に呆気を取られた様子だった。
すぐに俺の意図に気が付いたのか、走り出したが、もう遅い。
溜まっていく魔力を吐き出そうとしていた俺は、逆に限界まで溜まり切った魔力が溢れないように必死にせき止めていた。
だが、それももう限界だった。
空気を入れすぎた風船のように、自らの手から魔力が炸裂するーー
地面が割れる音が怒号となって庭に鳴り響く。
砂埃が風を切る勢いで視界を埋め尽くす。
視力と聴力が世界から奪われる感覚。
--何が起きた。
唯一頼りになる触覚が、今自分は仰向けに倒れていることを知らせる。
すぐさま立ち上がる。
徐々に視界が晴れていく中で、俺はシディナの姿を必死に探す。
すると、シディナが立っていた位置に大きな影が見つかった。
安否を確認するために、俺は咄嗟に声を上げる。
「シディーー」
「動くな」
「!!……」
頭が乱暴に掴まれる。
背後から若い男のような声が聞こえる。
思わず振り向いて確認する所だったが、その声の強制力に、俺は身動きをとれずにいた。
どうする事もできず、俺はその場で静止しながらも、目だけはシディナの方へと向けた。
すると、砂埃に隠されていた影がその正体を現していた。
「お怪我はありませんか、シディナお嬢様」
「--アウレス!!」
砂埃の霧が立ち去ると、そこには傷ひとつないシディナと、それを守るように抱く女性の姿がいた。
一体誰なんだこいつら。
どうやら、シディナと面識があるみたいだ。
「戻ってくるのは明日だと聞いてましたよ?!」
「はい、その予定でした。 しかし、グラン様がシディナを待たせてはならないと言って、予定を縮めたのです」
シディナがさん付けを使わずに話している。
うっ……誰だか知らないけど負けた気分。
「!! グランはどこにいるのですか?!」
「ここだ、シディナ」
「!!ーーグラン、久しぶりです」
目を輝かせながら、シディナが小走りでこちらに向かう。
やがて目の前まで迫ると、グランと呼ばれている男を見上げて意外そうに呟く。
「うわあ、とても背が伸びましたね」
「まあ、前に会ってから大分経ったからな」
再会を喜んでいるのか、嬉しそうな声を上げるシディナにグランはにっこりと返事をする。
…………俺の頭を鷲掴みにした状態で。
「たしか、三年前の交流会以来でしたっけ」
「そうだな、シディナも、少し背が伸びたか」
「まあ、育ち盛りですから」
「その割には、子供っぽい雰囲気は抜けていないんな」
「そんな事ありませんよ。 この前、眼鏡が似合う女性だと言われました」
「はは、そうか」
はは、じゃねえよ。
え、何??
何でこの状況を完全にスルーできるの??
今俺この男に顔鷲掴みにされてるんだよ??
気が付かないなんて事無いだろ!!
「全く、本当にグランは相変わーーーリトラさん!?」
「いや遅せぇよ」
気が付かないなんて事あったみたいだ。
この惨状に気が付かないとは、よほど感動の再開に気を取られていたようだ。
「グラン、何をしてるんですか!?」
「いや、帰宅した途端、庭で大きな魔力を感じたらから駆けつけてきたんだ。すると、怪しげな男が爆発を起こしていたから、取り押さえた」
「あ、そうなんですか……一応その男は安全だから放してあげて下さい」
一応とはなんだ、とツッコミたい所だったが、よく考えると先ほどは暴走した俺が全面的に悪かったので、ぐっとこらえる。
こうして、俺の頭蓋骨はようやく解放されたのだった。
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「グラン・クラスタールだ。 クラスタール家の長男で、シディナとは小さい頃から家族ぐるみの付き合いがあって仲が良い」
「アウレス・クラスタール。 グラン様専属のホムンクルスです」
「グランとアウレスは私の従兄妹みたいなものです」
ようやくまともな挨拶を受け、俺は二人の突然の来客について知ることができた。
いや、向こうからしたらこちらが来客か。
グランは身長も高く、イケメンといった感じだった。
大体年齢は俺より少し上の十七歳ぐらいの印象を受ける。
青色の瞳とセットとなるように、髪は黒に近い青の色をしていて、クールで格好いい雰囲気を漂わせている。
今の表情は笑っているが、魔力の暴走らしきものを起こした俺を掴んだ時の冷淡な声を思い出すと、素直に笑顔を受け止められない。
アウレスの方も主人に似て、高身長な美人だった。
グランと近い藍色の髪に、俺と同じと薄橙色の眼をしている。
ホムンクルスは皆同じ瞳の色をしているのかもしれない。
ちなみに、ホムンクルスは立場をはっきりさせるという目的で、基本的に主人と同じ苗字を持つらしい。
「……私の名前はリトラ・ガラキシアです。 シディナ様専属のホムンクルスです。 よろしくお願いします」
二人共年上だったので、敬語で挨拶を返す。
年上には敬語を使うのは日本人としての基本だが、果たしてこの世界だとどうなのだろう。
貴族といった階級が存在する以上、単純に年齢が多ければ良いというわけでは無さそうだ。
ふと右に目をやると、シディナがお前は誰だ言わんばかりの表情でこちらを見てきていた。
「あの……リトラさんどうしたんですか。 急に敬語なんか使い始めて」
「え、いやだって相手は年上だから」
「??……つかぬ事をお聞きしますが、リトラさんは普段シディナ様にはどのような口調で話されているのですか??」
「どのような口調……まあ、普通に話しています」
上手く説明できなくて困るあまり、「普通」という分かりにくい答えを返してしまった。
普通は普通と表現する他思いつかなかった。
「……リトラさん、私達には普段シディナ様と話す時の口調で話して頂いて構いません」
アウレスが無表情に語りかけてくる。
何を考えているのかが分からなくて、少し怖い。
しかし、反対する理由も無いので、大人しく従う。
「そうですか、分かりました。 --じゃあ、改めてよろしく、アウレス」
「--なるほど、理解した」
俺が敬語をやめると、それと同時にアウレスも敬語をやめた、
おっ、意外とフレンドリーな人なのかもしれない。
是非、ホムンクルス同士仲良くして欲しいところだ。
よく考えると今の俺が友達気分で話しかけられるのはシディナだけだ。
少しずつ仲の良い人を増やしていきたいものだ。
しかし、俺の明るい思考はすぐに取り消されることになった。
「どうやら、貴様にはホムンクルスとしての自覚が足りていないみたいだな」
アウレスから発せられた言葉は、友好的とは程遠いものだった。