SNSと。
久しぶりの投稿がエッセイです。
エッセイって言いのか悪いのか自分でも分かって無いですけどエッセイです。
よろしくお願いします。
朝飯前…というか、本当に朝飯の前というのにも関わらず朝から目覚めの悪い物を見る。
「○○を許すな!
#拡散希望
#フォローしてくれたらフォロバする
#いいねしてくれたらフォロバする」
私がTwitterを辞めてから約1か月が経つ。
良くも悪くもSNSという物は人々の"ご意見番"としての立場を与えてくれた。
連絡や情報集め、情報拡散に懸賞モノまで。
実際に喋らなくても人に物事を伝えたり、伝わったりするツールとしてSNSは素晴らしい物になった。
私もそう思っている。
いわゆるネタツイートと呼ばれる物もあったりして1日の活力剤みたいな役割でもあった。
しかしどんな物であろうと続ける程、見る程、欠点を見つけてしまう。
私の場合、Twitterを始めた当初フォロバをしていた。
(フォロバとは相互フォローとも言う。フォローされたら相手にもフォロー返しという物をする。フォロバはフォローバックの略称なのでそう言えば分かりやすいと思う。)
そのフォロバをしているとタイムラインにフォローしている人の、また更にフォローしている人のツイートなんかが流れてくる。その中に
「数々の荒らし行為をしている奴特定しました。こいつです↓
拡散お願いします^_^
#拡散希望」
うろ覚えではあるがこういう感じのツイートが流れてきた。
正直その荒らし行為をしていようがしていまいが関係無くあんまり見ていて気分の良い物では無かった。
私は別に聖人君子とかでも何でもなく、普通に愚痴の1つや2つ、焼き鳥片手にネチネチ言ったりもする。
が、これをTwitterというSNSでするのは何か違う気がする。
別にこれに対して、正義感で押し曲げたいなんかは思わないし、その正義が本当の正義なのかも分からない。
けれども、こうやって、他人をどうこう言うのは何か違う気がする。
確かに見て見ぬフリも出来る。
しかし、"見る"ことによってそれはストレスになる。
人の意見をどう受け取るか?これは目に見えない、相手の意見だからこそ注意深く見る必要があるはずだ。
まあ別に私は説教する為に文章を書く気ではないし、意見を押し付ける訳でも無い。ただ、文章をよく見て欲しい。誰が、なぜ、どのようにして、この文章を書くのか。
自分の意見を言う前にもう一度だけ見ても良いかもしれない。
まあ、私はTwitterを辞めたから関係無いけどね。っていうオチ。