第九話 血の宴
ライアの髪が肩くらいまでになった頃、新学年が始まった。
ライアも高等部の入学式に参加するため学院にいた。
しかもクロードまでも同級生としているのだが、ライアは全く気づかなかった。
嫌味ではなく「王族なにそれおいしいの?」である。
ライアにとって王子様は、昼食のメニューよりどうでもよかったのだ。
学院は幼年部、中等部、高等部、それに大学部に分かれている。
高等部は魔術師含む騎士コース、それに一般コースに分かれている。
基本的に女性は一般コースに在籍することになる。
入学式での学長の挨拶が終わると教室に案内される。
そこでは新入生を騎士団所属の教官と女性が待ち構えていた。
「諸君、私が担任のユーシスだ。
こちらは副担任で一般コース担当のルゼ夫人だ。
まずは自己紹介といこうか」
そう言うとユーシスは名簿をめくる。
「では最初は……おっと、このクラスはマクシミリアン公爵家のものがいるのか。
ではライア、自己紹介したまえ」
ライアは大喜びで立ち上がろうとした。
だがビクトルとジョンに固く言いつけられてきたことを思い出した。
【淑女は飛び上がらないの!
落ち着きのないお前はひと呼吸置け!】
ライアは言われたとおりひと呼吸おき、指先にまで注意を払って立ち上がった。
陶磁器のように色が白く、まるで人形のような顔立ち。漆黒の髪と長いまつげ。
それでありながらどこか艶めかしい。闇の美女。
身体の方も背が高く、スタイルもいい。
男子の目が釘付けになる姿。
大人である教官までも目が離せない、その姿はまさに傾国の美女。
ライアはとりあえず微笑む。
いや……本人はただヘラヘラしただけなのだが微笑んだように見えた。
艶めかしい笑顔。
笑顔が男子たちの心臓を鷲掴みにする。
それがトドメだった。
事件は起こってしまったのだ。
ブッ!
「きょ、教官殿! 鼻血が! 鼻血が!」
クロードを含めた男子生徒たちが一斉に鼻血を放出したのだ。
悲しいことに、男子たちはライアの色気にやられてしまった。
男子たちも健康な10代。
そこにライアのような妖艶な美女が目の前に現れたら……。
いや動きさえしなければ我慢できた。
だが微笑んでしまったのだ。
悲しいオスの性である。
「せ、先生! 男子が鼻血を出しながら白目剥いてます!」
男子たちは救護所に運ばれ、女子たちは男子たちにまるでゴミを見るような視線を送っていた。
これが学院の記録に残る「男子集団鼻血ブー事件」である。
だが主犯のライアは、なぜ男子たちが鼻血ブーしたかわからなかった。
ライアは人生の多くを戦場で過ごした女。
悪所の存在は知っている。
だが……悲しいかな。
鋼鉄の死神。
大斧の処刑人。
殺戮機械。
そう言われた女子は知らなかったのだ。
ライアは自分が男子にそういう対象と見られているとは……夢にも思わなかったのである。
過去におっさんに抱きつかれたことは何回かあった。
壁を突き破る鉄拳制裁をすると二度と挑むものはいなくなる。
ライアはそれらを傭兵にありがちな冗談だと思っていたのだ。
そう、抱きつかれたこと自体が自身の美貌にあるとは思わなかったのだ。
だからこのときも「みんな具合悪いのかな? 心配だな」と他人事のように心配していたのである。
女子は氷の視線を男子に送り続ける。
彼女たちには、まだ男子のしょうもなさを受け入れられる度量はなかった。
男子が運ばれると、とある問題が持ち上がる。
ユーシスは絶望に染まった顔でつぶやいた。
「どうするんだ……このあとに父兄の前で内部生の騎士行進があるんだぞ……。
俺の代で伝統が途切れたら卒業生になにされるかわからんぞ」
中等部からの男子の内部進学者は騎士コースに進むことが決まっている。
魔術師もいるがそれは兵科の違い。
歩兵と戦車の違いのようなものだ。
内部進学者の男子は例外なく騎士見習いなのである。
見習い騎士の新入生が入学式で演じる行進は学院の伝統行事なのだ。
それを途切れさせたら、たとえユーシスに非がなくとも闇討ち確定。
殺されはしないもののタコ殴りは逃れられないのである。
もう、自己紹介どころではない。
それは生徒たちもわかっていた。
極度の緊張による沈黙が場を支配した。
するとライアが手を挙げる。
「せんせー! いい案があります!」
ライアはニコニコした。
◇
男子生徒の集団鼻血ブー事件の報が父兄にもたらされた。
女子を見て興奮しての鼻血という報告に父兄は一様に頭を抱える。
騎士団所属の父親は……
「バカモノが……恥をかかせおって!」
と憤慨した。
これが少し冷酷な親になると、
「廃嫡も考えねばな……」
というセリフが口から漏れた。
さらにちょっとダメな父親だと、
「こんなことなら適当に遊ばせておけば!」
なんてひどいセリフを吐く。
戦時下で百年を過ごした貴族はシビアなのである。
そんな憤慨する父兄に知らせが届く。
【特別演目 暁の団団員による行進】
これには誰もが度肝を抜かれる。
そう鼻血ブー事件の犯人こそマクシミリアン家の娘だったのだ。
「毒婦め!」と誰もが憤慨した。
激怒した彼らの反応は様々だった。
「マクシミリアンめえええええッ!」
と青筋立てて激怒するもの。
「やはりマクシミリアンか。あの悪魔め……」
とうなだれるもの。
「ここは公爵に取り入る好機」
と策謀を巡らすもの。
それぞれがそれぞれ勝手なことを言った。
当のライアからすれば完全に善意である。
行進のメンバーは中等部以下。
ここでがんばれば貴族の従騎士になって左うちわと思ってる子どもたちである。
ライアは軍服を着る。
サイズを直した式典用の軍服である。
その上から式典用の鎧を着用する。
ヘルメットなしである。
子どもたちも軍服に儀礼用の鎧を着込む。
舐められるな。
暁の団の鉄の掟である。
貴族に舐められないために。
いつ式典があってもいいように人数分の軍服を揃えた。
子ども用の鎧も買い与えた。
行進も、軍の礼儀も、文化も必死で憶えたのだ。
行進が始まる。
保護者たちも広場に集まっていた。
まずは子どもが暁の団の軍旗を振りながら歩く。
その後ろで軍服を着た子どもたちが一糸乱れぬ歩みを見せる。
上級生の見習い騎士たちの多くはそれをボケっと見ていた。
だが騎士団所属の職業軍人。
特に階級の高い貴族たちは息を呑んだ。
「年若い子どもたちが……ここまでできるものなのか!」
「ぐ、マクシミリアン家よ……やりおったな!」
「ええい、今すぐあの子どもたちを調べるのだ!
手段は問わん!
雇うのでも婿でもなんでも検討するのだ。
とにかく我が家に取り込むのだ」
と、好き勝手なことを言う貴族たち。
そんな彼らの前にとうとうライアが出現する。
いつものとは違う儀礼用の鎧に見を包み、片手には儀礼用の剣、しかもジュリエットに乗ったライア。
黒竜王に乗った恐怖の大王が出現してしまったのだ。
だが今回はあのヘルメット「ほねほねちゃん」はなかった。
残念ながら死神と呼ばれた副長だと誰も気づかなかった。
しかも傾国の美女が丸出しだったのだ。
ただひたすら美しい少女に見えたのだ
ブーッ!
「卿、しっかりしろ!(友人を抱え自らも鼻血ブー)」
「衛生兵! 衛生へーい!(鼻血が止まらない)」
「こ、ここは地獄なのかー!(妻に踏みつけられながら)」
ライアの色気は百戦錬磨の貴族たちもノックダウンした。
なんとか鼻血を出さず踏みとどまった騎士たちも微妙にそわそわしている。
男にとってはまさに地獄だったのだ。
そして女子たちは……最初はライアをしめてやろうと思っていた。
泣かしてやろう。
集団で問い詰めてやろう。
物を隠してやろう。
陰湿ないじめが始まる。……はずだった。
だが鎧に身を包んだ凛々しいライアを見た瞬間、彼女たちは考えを改めた。
「ライアお姉さま……」
絶世の美女。それも厨二病的闇系統。しかも現役の騎士。
それだけでも妄想てんこ盛りである。
遠くで見ているだけで幸せになれる存在なのである。
しかも見たところ自分の価値を理解してない。
あれは天然だ。天然物なのだ。
これは妄想が捗る。
こんなレアな存在と比べれば、一山いくらの同級生男子など無価値。
彼女たちは本気で「お姉様」と言ってるわけではない。
本音では「面白いおもちゃができた」と喜んでいるのである。
女子たちはアイコンタクトした。
皆心は一つ。
守護らねば。
ドエロ……じゃなくて美しい花を。
と、それぞれがライアに惑わさたところで行進は終わった。
そして今、騎士、それもライアの姿を見てなお正気を保った騎士は別の意味で驚愕していた。
行進が終わり、広場から出てくる子どもたち。
貴族の子どもたちなら剣や鎧などの備品を従騎士に渡して終わりである。
だが暁の団の子どもたちは布を敷き、武器や防具を並べる。
すぐに雑巾を出し、油をつけて磨く。
それが終わると子どもたちが次々と手を挙げる。
「武器鎧ともに欠損なし。油塗布終わりました!」
それを見て騎士の手が震えた。
子どもであっても彼らはプロである。
ビクトルがそう育てた。
それを見て貴族は心の底から驚いていたのだ。
行進だけでも素晴らしかった。
それなのに……年若い彼らがメンテナンスと確認ができるのだ。
もはや見習い騎士としては文句を言うところはない。
少なくとも三年目の騎士と同格。
騎士団に入っても重宝がられるだろう。
今の時点でこれができる。
つまり学院では戦術や武芸を専念できるのだ。
領地を持たない下級貴族はじきに彼らに取って代わられるだろう。
暁の団の団長はあの平民。ビクトル。
いや評価を見直そう。
やつは只者ではない。
それを自分の派閥に取り込んだマクシミリアン。
それだけ恐ろしい存在なのだ!
そして貴族は気づいた。
寄宿制の事実上の廃止との関連性に。
……なるほど。
教育をし直せという意味だ。
子どもを最低でもこの水準にまで引き上げろという意味なのだ。
親戚や友に教えてやらねば。
言葉にせずともわかる。これは王命なのだ。
水準に達せぬものは切り捨てられる。
壮大な臣下の振り落としが始まったのだ!
騎士は走った。
親戚を、友を探して。
こうして暁の団の伝説と貴族の振り落としの噂は一瞬で広まった。
だが彼らは知らない。
マクシミリアンは純粋に娘可愛さで行動しただけなのだ。
ただライアを見せびらかしたかっただけなのだ。
鎧の点検が終わり、子どもたちが倉庫に武器や鎧を運ぶ。
その中にライアもいた。
またなにかをやらかすかと見物の行列ができていた。
ライアは小さい子と手をつなぎながらゆっくり歩く。
ぶちり。
すると突如として音がした。
ライアは下を向く。
軍服のボタンが飛んでいた。
「また小さくなっちゃった……」
ライアはしょぼーんとした。
まだ成長期である。
普通の男なら鼻血ブーだろう。
だが暁の団の子どもたちは慣れっこである。
「姉ちゃん。これで隠しな」
中等部の子どもがライアにマントを渡す。
また集団鼻血テロが起きる前に隠すことにしたのだ。
「ありがと」
ライアはマントを羽織って胸を隠す。
だが遅かった。
男子がそれを目撃し鼻血ブー。
学院にライアの危険物として悪評が広まるのであった。
なお女子たちは、
「まったく、姉ちゃんは俺がいないとダメだな!」
と顔を真っ赤にして言う中等部の新入生を見て妄想が捗ったという。
【ライアさんを守護る会】ができた瞬間である。
なお男子生徒たちは悶々として数日間眠れぬ夜を過ごしたという。