第七話 初心者公爵令嬢
救出作戦からさらに数日後、馬車は街に到着してしまった。
ライアの馬車には相変わらず森のお友だちが寄ってきていた。
馬車から公爵が外にいるビクトルに声をかけた。
「ビクトル卿、動物が寄ってくるのは昔からかね?」
「ええ、赤ん坊の頃からですよ。
それどころか森の生き物が食べ物を運んでくれるんです。木の実とか」
ライアは菜食ではない。
意思疎通ができる動物の肉を食べないだけだ。
それでも問題はなかった。
ライアも一般人も闇の軍勢に属するモンスターの肉は食べるのだ。
一般的に獣でも魚でモンスターの肉は美味である。
それに比べて動物の肉はクズ肉とされている。
単に【肉】と言うときはモンスターの肉を指すほどだ。
暁の団は「いいものを」食べているだけである。
「暁の団が活躍できたのは……」
「兵糧の心配がないから無茶できたというわけです。
普通はいつも現地調達できるってわけじゃないですからね。
おかげで動物や家畜の肉は団では御法度ですがね」
旅のおかげで慣れたのかビクトルはつい親しげな口調になってしまっていた。
だがそれをマクシミリアンはとがめない。
ビクトルは兄として娘を育ててくれた恩人である。
公爵の中ではすでに身内のようなものなのだ。
「……ビクトル卿。君はライアの味方でいてくれるかね」
マクシミリアンは青い顔をしていた。
「ええ、まあ、可愛い妹分ですし、うちの副団長ですから」
「ありがとう。これからもよろしく頼む。この通りだ」
マクシミリアン公爵は頭を下げた。
「や、やめくださいって」
二人の生ぬるいやりとりを外で聞いていたライアは小首を傾げた。
あまり可愛くない。
むしろなにか策謀を巡らせているように感じる。
だがライアはなにも考えてなかった。
(お腹すいたなあ……夕飯なんだろ?)
くうっとお腹が鳴った。
馬車が門を抜ける。
門の中の世界、そこは人々が賑わう大都市。ライアが今まで見たこともない大都会だった。
◇
翌日。
カンカンと鍋を叩く音がする。
「さー、みんな起きて起きて!」
暁の団の子どもたちは目をこすりながら起き上がった。
鍋を叩いてるのはエプロン姿のライアである。
「はい、顔を洗ったらご飯係と動物係、それに整備係に分かれて作業ね」
「お姉ちゃんねむいー」
一番小さいメイが目をこするのでライアは抱っこする。
すると年少の子どもたちが一斉に騒ぎはじめる。
「おねえちゃんちっこー」
「おなかすいたー」
「きがえどこー?」
年少の子どもたちは好き勝手なことを言いだした。
収拾がつかなくなると思われたそのとき、年長の子どもたちが手伝いに入った。
「はい、行こうね」
「だっこー」
「はいよ」
小さな子どもの手を引いて厠へ連れて行くもの。
食堂に一緒に行くもの。
着替えを探してやるもの。
団の子どもたちは子どもの世話に慣れていた。
ライアは年長の子どもたちと一緒にメイを運んでいく。
すると血相を変えたメイドが走ってくる。
「ひ、姫様! なにをされておられるのですか!」
つい昨日、メイドに任命されたアンだ。
貴族社会では走るのは美しくない。だがそれを忘れるほど慌てている。
ライアはアンを見てニコニコする。
「アンさん、おはようございます。なにって子どもの世話ですよ。小さい子が増えたんでがんばらなきゃ!」
父親がいる。理解した。
父親と暮らす。理解した。
父親が偉い。実感はないが理解した。
父親がお金持ち。ビクトルより上の金持ちは想像の範囲を超えている。
父親が土地持ち。よし農園で働こう。(働き者脳)
自分も偉い。全く理解していない。
公爵。実在する生き物だとは思わなかった。
公爵令嬢。想像上の生き物。
令嬢の仕事はない。価値観の違いから理解できない。
仕事をしてはならない。言葉は通じているが頭に入ってこない。
今日も一日元気に働こう!
ライアは未だに公爵令嬢というものを理解していないのである。
父との旅の途中も働いていた。
ビクトルも父のジョンもライアが働くのを止めようとしたが、あきらめた。
二人とも価値観の矯正は教育係に丸投げすることにしたのである。
「そうじゃなくてえ……もう、厠には私が連れて行きますので!」
「ありがとうございます。
それじゃ、私は食堂に行きますね。朝ご飯なに作ろうかな?」
すでに料理当番は免除されているのにライアはご飯を作る気満々である。
これでは公爵家の娘ではなく奉公人であるが、ライアには両者の違いはわからない。
「お嬢さまぁー!」
アンは涙目である。
それでもライアはよくわかっていない。
「じゃあアンさん、子どもたちをよろしくお願いします」
そう言うとライアは食堂に行ってしまう。
公爵家のメイドにもなると身分卑しからぬお嬢さまだ。
ライアよりよほどお嬢さまなのである。
当然、庶民の子どもの世話なんてしたことがない。
アンは途方に暮れながら子どもたちを厠に連れて行くのだ。
涙目で。
一方、子どもたちも用意をする。
男の子はその場で、女の子は別室へ移動。
料理係はエプロンを着け、整備係と動物係はそれぞれの作業着に着替える。
係は男女関係なく割り当てられる。
武具の整備や動物の世話ができれば将来食うに困らない。
武具の整備ができれば兵士や鍛冶屋。
動物の世話なら農家や貴族の屋敷での下働きも可能だ。
料理はどこで生きて行くにも必要。
団がなくなっても生きていけるように手に職をつけさせるのが暁の団の方針なのである。
子どもたちは、それぞれの持ち場で作業を始める。
厨房でライアは料理をはじめる。
公爵が言うにはパンは団員に支給されるらしい。ありがたいことだ。
なのでスープを作る。
大きな鍋で公爵領に来る前に狩ったワイルドボアの骨を煮込んで出汁を取る。
すると血相を変えた料理人がやって来た。
「ひ、姫様! その様なことは私どもに任せてください!」
「え、でも、子どもたちのご飯を作らないと。毎日やってることですし」
「ま、毎日! 旦那様に怒られる! と、とにかく、私に任せてください!」
血相を変えた料理人に子どもたちともども厨房を追い出される。
「追い出されちゃった……しかたないから整備行こうっか」
「はーい!」
ライアは子どもたちの手を引いて中庭に行く。
中庭では年少の子どもたちが金属の防具を整備していた。
まずは変形がないか確認。防具は重量を軽くするため厚くできない。
だから使った後は変形してたり、金属の角が出て危なかったりする。
角が出ていたら切り取ってからヤスリで削り金槌で叩く。
変形してたら金槌で叩いて歪みを矯正する。
それを兜や鎧に行う。
鎖かたびらはプライヤで修理する。外れそうなものや変形したものを取って、新しいリングを装着する。
革鎧などは鋲が外れてないか確認し、外れていたり、取れそうなものは針金で固定してから裏から布を縫い付ける。
破れていたら糸や針金を使って補修。
これは見習い騎士も必ずやる基本的な仕事だ。
年長の子たちは武器のメンテナンス。
落としきれなかった油を拭き取って刃を研ぐ。
柄の紐をほどいて油を全体に塗布し、最後に別に用意した洗浄した紐と交換する。
最後に使い終わった研石を平らに削って終わり。
ここまでできると鍛冶屋の丁稚としては上出来。中央の正規軍の入隊だって夢ではない。
ライアも自分の戦斧を手入れしようと、まずは雑巾を手に取る。
「姫様! それは私どもでやります!」
ライアが子どもたちと作業をしようとすると、公爵軍の騎士が血相を変えてやって来て斧をとられてしまう。
「じゃあ、鎧を」
金属磨き用のブラシを手にするとそれも引ったくられる。
「我らでやっておきます!」
「でもみんないつも自分でやってますよ」
「いつも! なんという凄まじき教育。ではなくて!
……私が閣下に叱られてしまいます。
姫様はお休みください。さあ、ここは私どもに任せて」
ライアは年少の子どもたちとともに追い出されてしまう。
仕事がなくなってしまった。
「追い出されてしまった……」
しかたないので子どもたちと厩舎へ行く。
厩舎では年長の子どもたちが馬を世話していた。
厩舎を清掃し、水と餌を取り替え、馬をブラッシングしている。
ライアは子どもたちを年長の子に託して、ひときわ大きな厩舎へ向かう。
「きゅうううううううううううん! (お姉ちゃあああああああん!)」
中にいるのは黒龍王……ではなくジュリエット。
山のように大きな体なのにジュリエットは甘えん坊なのだ。
ライアを見つけると、鼻を鳴らしながら顔を擦り付ける。
「はいはい、ジュリエット。お掃除するからね」
「ひひーん(はーい)」
と、ライアが立てかけてあったピッチフォークを手にした瞬間。
「ひ、姫様ああああああああああッ! 申し訳ございません!」
泣きながら厩舎番が走ってきた。
今度はピッチフォークを強奪される。
「申し訳ございません! これらは馬番の我らの仕事。姫様の手を煩わせたら旦那様に申し訳が立ちません」
ライアとジュリエットは顔を見合わせる。
「……だって」
「ひひん(しかたないわね)」
二人?はあっさり引き下がる。
凶悪なのは見た目だけなのだ。
ライアは思い出したように言った。
「ジュリエットはペガサスなので翼のお手入れもお願いします」
バサーッとジュリエットはなかったはずの翼を出現させ、一気に広げてみせる。 黒い体に黒い翼。禍々しく凶悪なその姿に馬番は恐怖を抱いた。
だがジュリエットは「あたちすごいでしょ!」と得意満面だった。
ペガサスは優れた知性と長い寿命を誇る神獣であるが、ジュリエットはまだ四歳だった。
自分の姿など考えもしないお子様なのだ。
得意満面である。
「は、はい!」
馬番は声を震わせて答えた。
「姫様はどうぞ休憩なされてください!」
ライアはてくてくと歩く。
また仕事がなくなってしまった。
「追い出されちゃった……」
ライアは行くところがなくなってしまった。
公爵領で令嬢になって一日目。
ライアは途方に暮れていた。