第二話 ぱぱりん
戦いが終わってから半日後。
鎧を着たままのライアは男爵閣下のテントの前にかかっている板をコンコンと叩いた。
「おう入れ」
中から大人の男性の声がした。
ライアは中に入る。
中には長い髪を後ろに束ね、無精ヒゲを生やした男がいた。
彼こそ暁の団の団長ビクトル・エイダ男爵である。
戦の天才、軍神、英雄などと言われているが、その実態は田舎の兄ちゃん。
それもとびきり面倒見のいい兄ちゃんであった。
ライアとも長い付き合いで兄のような存在である。
「団長、ご用でしょうか?」
「あのな、ライア。兜くらい取れや! 怖いんだよその兜!」
半分泣きが入っていた。
髑髏の兜は怖いのだ。
「あ、取るの忘れてた」
ライアは大きな図体に似合わぬかわいい声を出して兜を取る。
兜を脱ぐと現れたのは、坊主頭と言えるくらいに短くした少女。
見惚れるほど美しい漆黒の髪を台無しにした少女。
だというのにその顔は人形のように美しい。
だがその表情の幼さにもかかわらず、美しい少女にはあるはずの可憐さが存在しない。
妖艶で神秘的な顔立ちである。
【可愛い】ではなく【美しい】顔と言えるだろう。
ただその美しさは毒の方向。
国を傾けるほどの美貌だった。
その完成された美貌は男なら誰もが手に入れたいと思うほど。
同時に闇の迫力がある顔だった。
なるべくわかりやすく言うと少女でありながら人妻感、未亡人系の色っぽさが溢れ出す顔。同時に悪の女帝感もある顔である。
しかも身長がやたら大きい。それが威圧的な印象を受ける。
雑に言えば圧倒的なラスボス感。
歴戦の兵士でも死を覚悟するほどである。
それにもかかわらず少女と認識できるのが他者に不思議な印象を与えている。
一度見たら忘れられない少女だった。
そんなライアが坊主頭で現れてしまったのだ。
「ちょ、おま! その髪どうしやがった! 昨日はもっと長かっただろ!」
ビクトルは焦った。
つい昨日まで首まではあったライアの髪が丸刈りになっていたのだ。
ライアは上目遣いになる。
傾国の魅了ビーム。
だがビクトルにはライアの美貌は通じない。
なぜならビクトルとライアは同じ村の同じ孤児院出身。
ライアのオシメも換えたことがある仲なのだ。
ほぼ兄妹、もしかすると娘なのである。
ライアがいくら傾国の美女でも通じない。
だからビクトルは美貌のことより丸刈りの方が気になった。
だがライアはなんでもないことのように言った。
「金具に引っかかるんで切りました。引っかかると痛いんです。兜で蒸れちゃうし」
坊主頭なのにとてつもない色気を出すライア。
しかし中身は兜に引っかかるからと坊主頭にしてしまうお子様である。
ビクトルはそこら辺をよく知っているのだ。
だからライアの色気など通じない。
心が波立つこともない。
あー、そー、ふーん、である。
ライアは得意げにふんすと鼻息を荒くした。
実用性重視である。
「妹」といってもライアは孤児である。
ビクトルや団の古参は皆、かつて存在していた村の出身である。
ビクトルやライアは村が滅亡するよりも前から孤児であった。
ビクトルとライアは兄妹みたいなものである。
というか、ライアたちを育てたのはビクトルのようなものだ。
だからビクトルは知っているのだ。ライアの性格を。
ライアは気立ても良く面倒見もいい。
しかも子どもの世話も、家畜の世話も、力仕事だって率先してやる働き者だ。
性格も天然ボケの気質で、ほわほわっとしている。
見た目とあまりにも乖離しているのだ。
ライアは色気より食い気。
男の子と女の子の違いという概念がまだよくわかってない。
脳筋……力こそパワーな性格なのだ。
国が傾きそうな顔をしているのに。
異常なほど美しいのに……中身は誠に残念なのである。
団でも見た目と中身のギャップから、副団長という職にありながら、団の中では男女問わず妹扱いされている。
そんな残念な子の髪の毛など本当は問題にならない。
だがビクトルは普段から男の子っぽい妹がやらかしたかのように額を押さえた。
色気は効果ない。うざいわボケである。
だが髪の毛のことは別に理由があったのだ。
「このあほ! 最悪のタイミングで最悪のことをしやがって!」
ビクトルは怒鳴った。けっして彼女を軽んじているわけでない。
ビクトルはライアにとって兄のような存在である。
だが様子がおかしかった。
その目は血走しり、顔面は蒼白。
小刻みに震えている。
闇の軍勢3万に包囲されたときよりも必死の形相であった。
ビクトルを擁護すれば、彼の言うことも一理ある。
この地域、ライアの住むマルガ王国では女性は髪を長くするのが常識である。
女性の髪には神の力が宿ると信じられているのだ。
けっして金具が原因で切るものではない。
そんなに軽いものではない。
貴族社会で言えば、バッサリ切るとしたら刑罰や夫や恋人のためにお守りとして渡すときくらいである。
丸刈りは論外である。
かといって、そこまで必死の形相で怒鳴られるほどの話ではない。
ライアは貴族ではない。傭兵なのだ。
髪を掴まれたら命に関わる。
さすがに坊主頭はいないが、ショートカットくらいまでは存在する。
服装の乱れ程度の問題だ。
他の傭兵団や騎士団との喧嘩よりは優先度ははるかに低い。
普段なら口頭で注意される程度の話なのだ。
「最悪? なにがです?」
ライアは小首を傾げた。
これが金髪碧眼の明るい見た目の少女ならば、可憐と言えただろう。
だけどライアがやると凄味がある。
殺されるんじゃないかとすら感じるのだ。
ビクトルは慣れっこなので虚仮威しは効かない。
兄ちゃんは強いのである。
「ああ、クッソ、まあいい……今からお前と話がしたいという貴族に会ってもらうぞ」
「団長、それは私を叩き売るということですか?」
ライアは孤児である。
この世界では孤児を金銭で売買するのは珍しいことではない。
だがこの場合は信頼関係からの軽口である。
「アホか! お前はうちの稼ぎ頭だっつーの!
そもそもそういうのは俺の美学に反するっつーの!
それに、お前を売ったりしたら俺の首が飛ぶわ!」
「え? 首?」
「い、いや、気にするな。
とりあえず先にカツラを……いや間に合わねえか。
ああ、もういい! 行くぞ!」
「えっと、着替えは」
ライアは焦った。
今は完全武装の鎧姿だったのだ。
ライアは平民であるが士官扱いである。
一応、式典用の白い軍服を支給されている。
人に会うのなら軍服だろう。
ただライアは背が高く出ているところが出て引っ込むところが引っ込んでいる体型。
そのせいかライアのサイズの制服がない。
女性用を無理矢理着るとかなり苦しい姿になってしまうのだ。
具体的にはボタンが上まで留められず、いささか刺激的な姿になってしまう。
「ぱっつんぱっつんの姿見せたら殺されるわ!
いいからそのままで来い。
斧は置いてけよ! 持ってきたら拳骨な!」
「ホネホネちゃんは?」
ライアは兜を両手でつかんでビクトルに見せる。
女の子らしいのに。
美しいのに。
……可愛くない。
兜を持っているその姿は敵の首級を持った魔女。
夜道で会ったら心臓発作を起こすレベルである。
ビクトルの口の端がひくついた。
「兜に変な名前をつけるな!
あー! いいから持ってこい!
とにかく行くぞ!」
ライアはちょっと変な子である。
大きいが中身は可愛げがあるのだ。
団長のビクトルが大股で歩いて行く後ろをのっしのっしとついていく。
その姿は脳が拒否してしまうほどの不思議な姿だった。
ビクトルは貴賓が駐留する立ち入り禁止地帯に踏み込んでいく。
ライアは「大丈夫かなあ」と心配していると、ビクトルがくるりと振り返る。
「お前、絶対に嘘だけはつくなよ。わかったな!」
「わからないけど、わかりました」
話の最初からもうわかない。それがライアの正直な感想である。
「あークソ、俺死んじゃうかも……」
ビクトルは頭を抱えた。案外ネガティブ男なのである。
ビクトルはテントの一つの前に行くと、直立不動で大声を出す。
「ビクトル・エイダ男爵。公爵閣下の命により参上いたしました!」
いつになく緊張した声のビクトル。
いつものチャラ男はどこへ行ったのか?
ライアは首をかしげる。
すると戦場の野営地だというのに清潔な服を着た執事が現れる。
「ビクトル様、どうぞお入りください。閣下がお待ちにございます」
「ありがとうございます!」
ビクトルがテントに入るのでついていく。
どうやら護衛任務らしい。
任務の内容をそう理解したライアは、すぽっとホネホネちゃんを被る。
「マクシミリアン公爵閣下、ビクトル・エイダ参上つかまつりました!」
声質がやけくそ気味になってきた。
緊張が一定水準を越えると人間はやけくそになるしかない……らしい。
「ビクトル卿。すまなかったね。
本当は僕が伺いたかったんだが」
男は金髪で背が高く、胸板の厚い男だった。
顔は整っている。
だがその方向性は闇。
世界の戦争を束ねる影の支配者。
……という顔だった。
なんだか既視感のある顔だとライアは思った。
「めっそうもございません! 公爵閣下。
さ、ライア、ご挨拶を! って兜ぉッ!」
きゅっとライアは首をかしげた。相変わらず可憐さが足りない。
慌てすぎて言葉を失ったビクトルが手を振り回している。
「団長。意味がわかりません」
「いいから兜を脱げ!」
ライアはかぽっと兜を脱いだ。
すると公爵の目が見開き……同時に口がカコーンと開いた。
なんとなくライアは公爵に親近感を抱いた。
「その髪……」
指をさす公爵のその指が震えている。
「あ、はい。兜の金具に引っかかって邪魔なので切りました」
公爵は今度は全身をぷるぷると震わせた。
「わ……」
「わ?」
「私の天使の髪がああああああああああッ!
マイスイートエンジェルの髪がああああああああああッ!
顔は妻に生き写しなのに髪がああああああああああッ!」
次の瞬間、公爵はライアに抱きつく。
普段ならおっさんに抱きつかれたら、顔面パンチが飛ぶところだ。
だけど不思議なことになぜかライアは嫌ではなかった。
「私の可愛いライアちゃん。
もう安心だからね!
僕がパパだよ!」
「ほえ?」
ライアは間抜けな声を出した。
これが狂戦士から後に聖女と呼ばれた少女の物語の発端である。