十話 クロード・マルガは苦労性
翌日。
ライアは登校した。
屋敷はすぐ近くなので歩くと言ったのに馬車をである。
それをビクトルに聞いたら、
「公爵家のメンツがかかってるんだっつーの!
どうしてわからないかね、このポケポケ娘!」
と、拳骨でぐりぐりされた。
子どもたちはライアの馬車の護衛として暁の団の軍服で登校する。
馬車の中には護衛責任者としてビクトルが控える。
名実ともにビクトルがマクシミリアン公爵家の傘下に入った形だ。
ビクトル個人からすれば、貴族になったのに待ち受けていたのはガキの世話であった。
ライアは馬車から身を乗り出す。
「みんなおやつあるよ! 食べる?」
ビクトルが襟をつかんで引き戻す。
「お前な。自分が公爵令嬢だってわかってねえだろ?
そういうのはダメだって言ってるよな」
ライアは小首をかしげる。
「お前がやってもかわいくねえっつってんだろが!」
「にゃー!」
拳骨ぐりぐり。
なおライアは「かわいい」ではなく「美しい」なのである。
だが本人は自分を田舎の地味子だと思っている。
彼女が自分の容姿を自覚した時、恐ろしい事態が起こることをビクトルは理解している。
できればそれは避けたいのだ。
本人が田舎の地味子だと勘違いしているままにしている方が世界は平和なのだ。
ビクトルはこめかみを押さえ、ため息をついた。
そんな朝の光景から話は始まる。
ライアは教室に行く。
女子たちの受ける刺繍の教室……と見せかけて更衣室へ。
学院指定の運動着に着替え、首に革の首輪をつける。
さらに革の鎧を着用。
着替え終わると剣を持って運動場へ。
革の首輪は防具である。
運動場には男子たちが集まっていた。
彼らはライアを見るとかくんとアゴを落とした。
「ユーシス卿! 女子がいるなんて聞いてない!」
「卿! なんで女子が!」
「けしからん体の女子が!」
最後の子だけ本音をぶちまけていたが男子の心は一つであった。
表に出ている部分だけは……。
(男子の本能的に)気になって仕方がないです!
(自分のイメージが崩れるので)女子と一緒は勘弁してください!
(えっちな女の子大好きです!)でもみんなが言うから反対します!
騎士コースは貴族階級の子弟、それに騎士の家臣である従騎士志望の平民である。
つまり商売上メンツが大事な人たちである。
イメージが崩れることを一番恐れているのだ。
なおライアと助けてくれた副団長が同一人物だとはわかっていない。
だが教官はそんな彼らを一喝した。
「ライア嬢は暁の団団員。現役の騎士である!
本来なら諸君ら上司に当たる。失礼は懲罰の対象になると心得よ!
諸君らもライア嬢からよく学ぶように!」
「ユーシス卿!
なぜ目をそらしているのですか!」
「そらしてないヨ」
「嘘だ!」
「うるさい!
闇の軍勢との戦争を勝利目前まで導いた立役者の一人と共に学べるのだ!
なんの不満がある!」
「あのけしからん体! ……いえけしからんごにょごにょ」
思わず怒鳴った生徒もライアを見て口ごもった。
周りの男子も「お前は頑張った」と肩を叩く。
暇を持て余したライアは寄ってくる鳥に餌を上げている。
字面は聖女っぽいのだが、魔女が眷属を従えているようにしか見えない。
しかもおやつは無断持ち込みである。
当然、誰もがあまりにも堂々とした不審者ぶりに様子をうかがう。
ここで一人が立ち上がる。
「ええい!
権力を振りかざすのは性に合わぬから黙っていたがもう限界だ!
マクシミリアン家のライア嬢!
私は第一王子クロード・マルガ!
私は君に抗議する!
なぜ我ら騎士の世界を崩そうとするのだ!」
立ち上がったのは王子クロードであった。
クロードはライアの前に立ちはだかる。
なおライアの方が背が高い。
クロードはごくりとつばを飲んだ。
クロードだって女子に高圧的に振る舞うのは嫌なのだ。
嫌われたらと思うと死にたくなるのだ。
だが……思いっきり風紀が乱れている。
ライアが原因なのは明白である。
たとえライアに非がなくともだ。
学院の決定なので無駄な抗議であるのもわかっている。
だが抗議せねばならなかった。
それには理由があった。
王位継承争いに破れても同級生のかなりの数がクロードの配下になる。
ユーシス教官も学院卒業後、参謀としてクロードの下に配属になるはずだ。
つまりここでの指揮官はクロード。
クロードには学生でありながらも指揮官としての行動が期待されているのだ。
指揮官というものは嫌なことでもしなくてはならない。
学院の決定なので覆すことができないとわかっていても、男子の側に立って抗議しておかねばならないのだ。
男子生徒がライアにけしからん目を向けてたとしても。
本当は女子と同じ授業うわーいと喜んでいたとしても。
抗議したという事実があれば騎士のプライドを守ってやることができる。
もちろんあとでライアに謝罪するつもりだし、公爵家に謝罪の手紙を出すつもりだ。
幸いマクシミリアン家も
そう、クロードはアホ王子ではなく気が回る苦労の人だったのである。
なお……同級生たちは数人を除いてはクロードの苦労など理解してくれない。
王族とは悲しい生き物なのである。
しかもクロードは助けてくれた憧れの騎士がライアだとは全く気づいていない。
ライアはそんなクロードの頭を手を置いた。
そのままなでなで。
「えらいねー」
なでなでなでなでなで。
クロードの顔が真っ赤になる。
「な、なにをする!」
「えっとね、えらいなーって。
だってキミ、指揮官でしょ。
嫌われもの役ができる指揮官は貴重なんだよ!」
そう言うとライアはクロードを引き寄せる。
「はい、ぎゅっ!」
そこでクロードの意識は白くなった。
いったいなにが起きたのか?
それは血。
クロードの鼻から一滴の血が流れ出た。
そう鼻血である。
だがクロードはただ鼻血を出して気絶したわけではない。
たしかに英才教育や母親に育てられてないなどの要因で女子苦手っ子な一面はある。
だが……そのときクロードは確かに感じていた。
母性を。
そう、王族として実母からも子育てされていないクロードが確かに感じた母性。
母性を感じていた。
そのほとばしる感情の渦にクロードの精神は耐えられなかったのである。
ああ、なんということだろう。
すました優等生でいたクロードは、みんなの指揮官クロードは、誰にでも頼られるクロードは……。
少しマザコン属性持ちだったのだ。
ライアの勝ち。
「く、クロード!」
男子生徒が叫んだ。
クロードは王族。
臣下と分けて考える文化もあるだろう。
だがこの学園では同性の同級生は名前で呼ぶことになっていた。
百年以上も続く闇の勢力との戦い。
軍属は子どものときからお互いを友情という結束で固める。
そのために名前で呼ぶことにしているのだ。
ライアは男子生徒にクロードを渡す。
クロードは実に幸せそうな顔で落ちていた。
それを見てユーシスはため息をついた。
「お前ら。今日はこれで終わり。はい、かいさーん」
授業はなにもせずに終わったのである。
その夜目覚めたクロードは父、つまり国王に言った。
父上、結婚したい女性ができました。と……。
この発言はあらぬ憶測を呼ぶのであった。
なお、ライアは今日のできごと全てに対して無自覚であった。
その夜。厩舎。
「ねえねえ、ジュリエット。今日ね、王子様に会ったよ」
何度も会っている。
気づかなかっただけだ。
「ひひん!(王子様! すごい!)」
「あのね、あのね、かっこよかったよ」
「ひひーん!(すごーい!)」
「それでね、ジュリエットおやつ食べる?」
ライアが差し出したのは花。
ジュリエットの好物は花なのだ。
「ひんひん(ありがとう)」
むしゃむしゃとジュリエットは花を食べる。
ジュリエットの顔を見ていたら、ライアはすっかり王子のことを忘れてしまった。
ライアにはまだ色気は早いのである。