第9話(決戦前)-〜1942.05.28-
開戦後、以前にも書いたとおり、事態は史実どおり粛々と進んでいった。
宣戦布告はがなされたにもかかわらず、こちらが心配したような真珠湾攻撃は奇襲が失敗し、強襲になるのではないか?史実とは比べ物にならないほど甚大な被害を受けるのではないか?そういった心配は、全くの杞憂だった。
史実通り、真珠湾への第一撃は奇襲で始まり、アメリカ太平洋艦隊の戦艦は、アリゾナの爆沈をフィナーレにことごとく撃ち沈められた。だが、一方で進言していたにもかかわらず第3次攻撃による戦果の拡大は行われなかった。
台湾からのフィリピン・クラーク基地の爆撃は成功したし、イギリス東洋艦隊は陸上攻撃機部隊の猛攻の前に潰えた。しかし、それ以上でも以下でもなかった。ハワイで第3次攻撃がなされなかったのと同様に戦果が積み増されることはなかった。ウェーキ攻略では戦史通りの被害が出たし、フィリピンのコレヒドール要塞攻略戦では多くの戦死者が出た。
史実は改変できないのではないか?
またしても、こちら側の人間の頭を悩ますこととなった。
だが、開戦と同時に自衛隊と向こう側の軍隊とで設立された作戦検討室、参謀本部の付属とされ主に情報を分析すると位置づけられた、の活動は少しづつではあるが実を結びつつあった。
これは、バターン半島とそれに続くコレヒドール攻略戦において、想像を絶する被害を受けたことへの検証の成果だった。インドネシアやシンガポール、マレーシア方面の戦闘が予想以上の進捗を示したのと正反対にフィリピン戦線はお世辞にも良好とはいかなかった。後に、作戦指揮を執り行った司令官の更迭が決定されたほどである。
高岳の言うところの幹、天皇陛下とのコンタクトはいまだ叶う目処が立っていなかったが、山本五十六や山下奉文のような有力な軍人は、開戦からの一連の戦闘がやや落ち着くと作戦検討室首脳との面談に時間を割いてくれるようになった。特に、5月に入って面談を実施した山本には自身の運命も含めて開示することにした。駐米大使館付武官も経験していた山本は、開示される情報の全てを1つ1つ食い入るように見、読み込み、いくつかの質問をした。
「真珠湾軍港で撃破した戦艦について、ほとんどが戦線復帰したのは事実か?」
「米軍の空母戦力の投入数は事実か?」
「暗号に関する情報は事実か?」
「我軍の主に航空機を用いた体当たり戦法は事実か?」
そして、最後に「志半ばで終わるのか?」
対応した歴史学者の技官は、微に入り細に入り答えようとしたが、山本は「是か否で答えてほしい」とだけ言ったという。
来庁時には、笑みを見せる余裕のあった山本だが、他の軍人や政府の人間と同じように退出時には一言も発さず口元を固く引き結んだままだった。
しかし、こうした陸海軍の高官が事実を知るようになっても経過が大きく変わることはなかった。なぜなら情報を知らせることで現場が慢心したり、あるいは萎縮することを恐れたためであった。
また、せっかく編成された海上護衛隊ではあったがその部隊が実際に海上護衛を担当するまでは1943年を待たねばならなかったし、離昇出力2300馬力を達成し量産準備が整った航空機用発動機『騰11』でさえ、軍が認可し実用に供される準備が整うのもやはり同じく1943年だった。
そうして、戦争は何も変わらないままかのように進展していった。
2月15日シンガポール英軍降伏
蘭印では、3月10日にオランダ軍が降伏をした。
一方、フィリピン戦は上述のとおり、これもまた史実通りだったのだが成功と評されたが大きな損害をこうむることとなったが、6月にミンダナオの米軍の降伏を持って終了を迎えた。
そのさなか、1942年4月18日、ドーリットル空襲もまた寸分違わぬ経過で実施された。日本軍は、これを事前に阻止することも、帝都上空への侵入を阻止することも、迎撃することも失敗した。正確には、情報を知っているものがいたにもかかわらずなんの対策もされなかったという方が正しい。これほどまでに情報を公開しているにも関わらず日本軍の、ひいては日本人の硬直性は是正される気配がなかった。
「これほどまでに、日本軍の事なかれ主義がひどいとは思わなかった」
高岳は、ドーリットル隊の爆撃結果の集計を眺めながら言ったものだ。
「ですが、万が一、ことが起こらなかったらと考えたとき…」
派遣されてきている陸軍将校が憮然としていった。
「責任を取る者がいない、というわけですね」
もう少し強い口調で詰りたかったが、抜刀されても困るので高岳は口調を抑え気味に言った。
「…」
それに対し、陸軍将校は肯定も否定もしなかった。海軍将校も同様に憮然としているだけだった。
「まあ、山本大将にこのタイミングで来てもらったことは良かった。最悪の事態は、避けられるでしょうから」
海軍将校の顔が僅かにひきつった。言おうか言おうまいか、海軍将校はしばらく葛藤した後に口を開いた。
「本日、我が機動部隊は柱島泊地を出港しました。目標は、ミッドウェイです」
「なんだって…」
高岳は、思わず絶句した。
今日は、5月28日だった。
史実と同じ日、日本軍機動部隊は、同じ目標に向けて出撃したのだ。
なぜ、こうも史実とは変えられないのか?昨日今日来てこれから起こるであろう事実を伝えたのではない。もう10年近くになるのだ。多岐に渡りいろいろな面から忠告を与えてきた。
もしも、多くの忠告が受け入れられていたなら被らないで済んだ被害もけして少なくない。
「山本閣下は?」
「旗艦に座乗されて出撃しております」
「大和に?」
「それは…」
海軍将校は、機密だと思ったのか露骨に肯定はしなかった。この時期、大和は就役したもののいまだ機密的存在だった。
「なんてことだ…」
高岳は、宙を仰ぎ見た。
唯一の救いがあるとすれば最高司令官の山本五十六がことの推移をすべて知っているということだ。ミッドウェイの一連の経過については近日中に起きうる海戦として特につぶさに知らせてあった。山本五十六が無為に4隻の母艦戦力を失うような真似をするとは思えない。彼は、一介の兵士や艦長ではないのだ。作戦の全てを統帥できる立場なのだ。
「ありえんとは思うが…」
高岳は、誰に言うともなく言った。
陸軍将校も、海軍将校も無表情のままだった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
夏季休暇を取得していましたが明日からは仕事に復帰です。
更新スピードは遅くなります。
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