第5話 -2016;1940-
「時空トンネル開放用意!3、2、1、開放!」
技官が叫ぶと同時にシステムに通電されまばゆいばかりの閃光が発せられると同時に黒々としたそれは現れた。誰とは言わず時空トンネルと呼ばれるようになったものが。
時空トンネルの手前にはレールが引かれいた。そして、時空トンネルのつながった向こう側にもそれは引かれていた。しかし、時空トンネルその部分にはレールはなく分断された状態だった。
「接続急げ!」
レールの外側からスルスルと伸びたレールが内側へとスライドし途切れていたレールが接続された。
「全て順調!行け!行け!!」
大声で叫びながら技官の一人が白旗を大きく振ると控えていたディーゼル機関車がグォーンと唸りを上げて動き始めた。ディーゼル車は一両ではない。連結された三両が後ろに連なる貨車を始めはゆっくりと次第に速度を上げながらガシャンガシャンと大音響を立てて牽引を始めた。
「3分経過!」
その頃にはディーゼル車は向こう側へと消えており、貨車が続々と飲み込まれていこうとしていた。
その貨車の横を向こう側から人が何人も連なってやってくる。彼らは帝国日本の軍人たちだった。ただ、階級の低いものはいない。彼らはほとんどが、壮年将校だった。にこやかに笑っているものはいない。全員が、口を引き結び、表情が硬い。周囲に絶え間ない視線を配りながら歩いてくる。
「5分!急がせろ!」
「5分経過、速度を上げてください!」
技官に急かされてハンディトーキーに貨車がたてる轟音に負けないように怒鳴るように叫ぶ。
「やっている!」
トーキーを通して返事がなされる。しかし、貨車の列は思ったほど速度を上げていかない。
「8分経過!」
「殿が見えてきました!大丈夫です」
「了解!」
ホッと一息つく。
「全車両通過完了、向こう側からの客人も全員通過完了しています」
「了解!接続レール格納急げ!」
「了解です!」
向こう側とこちら側を繋いでいたレールが接続したときとは反対の手順で外されこちら側へと格納されていく。
もちろん、計算された上で貨車の上限は余裕を持って編成され運行されている。しかし、物事に絶対はないのだ。
「時空トンネル閉鎖されます!」
注意喚起がなされるてしばらくすると時空トンネルは急速にそれでも現れたときよりはゆっくりその入口を閉ざしていった。現在、時空トンネルはその大きさを増すことに成功していたが、技術的な問題で開口時間が10分少々しか伸ばせないのだ。どんなに供給電力量を増やそうとも機械の出力を上げようとも開口時間の延長は叶わなかった。このことは10年近くが経過した今も解決の糸口が全く見つかっていない。
だが、その10分であればどんなものも行き来させることが可能だった。
「随分重そうでしたが、今回は何を?」
作業の一部始終を見守っていた技官の一人が誰に聞くともなくいった。
「さあ?いずれ武器弾薬の類だろ」
それに答えたの現場を任されている技官の最高責任者の高岳修造だった。高岳が答えたことにその技官はぎょっとしはしたが自分の興味を満たすほうが勝った。
「ざっとですが、40輌近く送り込みましたよ?1000トンはありますよ!こんなにたくさん送り込んで一体…」
「ふっ」高岳は軽く笑った。「もしも爆弾だとしてだが、米軍なら1回で使い尽くす量さ、どうってことない。B-29な、知ってるか?」
「まあ、一応は…」
「あれなら1回に10t積める。つまり早い話が100機分さ。東京大空襲のときにはそれが300機以上もやって来たんだぜ?1000tじゃあ足りんってわけさ」
「…」
高岳の説明に技官は黙り込んだ。平和ボケした頭には、戦争というものが如何に大量の資源を消費するのか思い至らなかったのだ。だが、馬鹿な男ではない。高岳の説明を1回で受け入れ自分の知識と融合させるだけの頭はある。
高岳の説明を納得し、理解し終える頃には時空トンネルはキレイに閉じてしまっていた。残されたのは、100メートルほど先で途切れたレールだけだった。
もっとも、この段階ではまだ武器の類は送り込まれてはいなかった。向こう側の人間にもほとんどそういったものは公開していない。主なものは、工作機械だったり土木機械だったりした。
そういったものには全く理解を示さないものも多かったが、先見性のあるものはそれらを見ただけで目を輝かせた。それらの機械類が一体何をもたらすのか正確に理解できる者もいたのだ。
初めて時空トンネルと呼ばれるようになった穴が空いて、技官の1人が殉職してから早くも10年が経過していた。向こうでは1940年だった。
最初のうちは穴としか表現できない程度のものだったが、やがてそれは人が通れるほどになり、やがて更に大きくなった。物事が進んだのは、人が通れるようになってからだった。
多くの場合は、向こう側からやって来た。
こちらの世界を見るためだ。
理解が早い者は数時間で、どんなに頭が硬いものでも2日あればそれを理解できた。ただ、中にはやはり受け入れることができずに精神を病んでしまうものもいるにはいた。
しかし、理解できるのと受け入れることができるのでは訳が違った。
彼ら、多くの場合は軍人は、こう答えた「そうはならない」と。「よく当たる予言だ」と。
こちらとしては盧溝橋事件もノモンハン事件も避けて通りたかった。盧溝橋事件はともかく、ノモンハン事件に至っては10年近くもありより多くの人間が事を知ったにもかかわらず回避できなかった。
しかし、どちらも史実通りの経過をたどってしまった。
関わる人物や経過、結果さえも教えたのに歴史はほんの少しも変わることがなかった。いや、全く変わらなかったわけではない。盧溝橋事件は、牟田口ではなく、別な指揮官がこれを実現させてしまった。ノモンハン事件は、より多くの戦力が投入されたことによってより多くの損害を受けることになった。
それでも、歴史は変わろうとしなかった。
10年もあれば開戦は回避できるだろうという大方の読みは既に絵空事になりつつあった。
「歴史は変えようがないのではないか?」
これは命題だった。
確かに、10年近くが経ち多くの交流を重ねてきた。向こうにも多くの賛同者を得られるようになってきた。にもかかわらず多くのことが変わらない。あまりにも多くのことが歴史をなぞるように淡々と実現されていく。良いことも悪いことも。せいぜいアプローチの仕方が変わるだけで結果は見事なまでに同じ経過をたどった。
こちらに来て、知識を得たはずのものも驚きはするがそれで何かが変わることはない。やはり同じなのだ。
「枝葉に拘り過ぎたのかもしれません」
何十回目かの会議のときに高岳は意見した。
「どういうことだね?」
「例えばですが、樹齢数百年の大木を…そうですね、杉の大木を思うかべていただきたい」
高岳は言葉をいったん切った。議場が多少ざわつく。「立派な大木です、幹周りもすごいでしょう、枝葉の数もすごい」
「で?」
本来なら押し止めるべき議長が促す。
「ある日、子供がその幹にナイフで名前を刻んでいった。大切な大木に。でも、なにかが変わるでしょうか?杉は杉だ。刻まれた名前もやがて薄れるでしょう。遠目には何も変わらなかった」
議場がざわつくが高岳は構わず続けた。議長も止めない「また別な日、木こりが枝葉を払った。彼は一生懸命余分な枝葉を切り払った。だが、それは毎日眺めているものでもなければ気が付きもしない。杉は杉で、殆どのものは何が変わったかも気が付きもしない。ただ、そこに杉の大木があるだけです」
ざわつきが大きくなる。特にこちら側の人間たちの間で。
そう、あえて触れなかった部分があるのだ。高岳は、それについて触れるべきだと促したのだ。
「杉を切り倒すには、現在の姿を大きく変えるには、天皇陛下をお迎えすべきだと判断します」
一瞬議場は静まり返った。
「貴様っ!」
大音声とともに向こうから来た何人かが飛びかかろうとした。もしも、武器を取り上げていなかったらその場で射殺されるか切り捨てられていただろう。自衛隊の隊員が素早く止めに入らなかったら素手で殴り殺されていたかもしれない。
こちら側の情報を十分に与えて理解を十分与えたと思っている相手ですらこうなのだ。
視線だけでも殺せそうなギラついた目をする向こう側の青年将校を見ながら高岳は確信した。ことを知らないものが大多数を占める向こう側の世界で何かが変わろうはずもなかった。この10年は無為の10年だったとしか言いようがなかった。ことを為そうとするなら激震を起こす以外なかったのだ。
「あの表現はまずかった。切り倒すとはね」
議長は、向こうの人間を全て送り返したあとに言った。「違う表現にすべきだった。もしくは、事前に相談しておいて欲しかったよ」
「すみません、ふと思いついてしまったものですから」
高岳は、苦笑いした。切り倒すなどと聞いたら天皇制を倒すと理解されても仕方がない。だが、あのときはそういう表現しか思いつかなかった。「ですが、これまでの経緯から今まで通りではどうにもならないでしょう。もう、おそらく戦争は回避できません」
「だろうな」
向こう側の人間はともかくこちら側では、天皇を迎えることはほぼ確定していた。問題は、どうやってそれを可能にするかだ。もっとも、連れてくるだけなら武力を使えば簡単だ。警備がされているとはいってもそこは70年以上も前の警備だ。特殊部隊を送り込めばあっさりと事は成る。
だが、それでは向こう側の理解を得られることはない。軋轢を生むようなことをしては元も子もないのだ。
「世界は日本だけの論理で動いてはいないということも軽視しすぎたのかもしれません」
回避プランの殆どは日本での出来事を改変することに終始していた。それも、今から思えばだが小手先過ぎた。
「私もそう思う。回避プランはもう意味がないだろう。日本ができることはもうない時期にまで来てしまった」
「はい、介入プランだけに絞ったほうがいいでしょう。あと、歴史書を読み直させましょう。いきなり幹を切り倒せなくても伐採することによって大きな影響を与えられる枝葉はあるはずです」
高岳は、まだ接触していない何人かを自身も思い浮かべながら言った。今までは、大きく歴史に介入することを怖れ過ぎた。問題は、それをどう成し遂げるかだった。
戦争へ向かうという歯車はもう止めようもないほど勢い付いているのだ。歯車の歯が1つ2つ欠けようがその回転のスピードが止められはしないのだ。
「だな、幹を切るにはそれなりに準備期間も必要だ」
「はい」
幸い、戦争はまだ始まっていない。ことが歴史通りに進むとするのならばその時までまだ1年近くが残されている。たった1年だが、回避プランにだけ傾注していたわけではない。回避プランがうまく行かなかったときに備えて介入プランが立案され、それは既にいくつかが具体化され進行していた。
(俺たちは、綺麗事を考えすぎていたのかもしれない。平和ボケもいいところだったのかも、世界を相手にしようと考えている人間たちを何も理解していなかった)
高岳は、そう心の中でつぶやくと頭の中を最初から整理し始めた。
もう、そこには一切の綺麗事は存在しなかった。
国家1つの悲劇を回避させるのに綺麗事だけで済むはずがなかったのだ。