第28話 (停止行動)-2019/06〜-
「先輩、これ、みんな関係があるんですか?」
A新聞社の記者、城島昇は、先輩記者の机に雑然と広げられた切り抜きを見て呆れたように言った。だいたい、今どきはパッド上で切り抜いて1つ1つにタグ付けして関連付けておけば済む話だ。見たいものを見たいときにスマートに見ることができる。
この状況だとなんの切り抜きがどこにあるかなんてすぐにはわからない。
「さあ、わからんよ。だから、調べてる」
このところは日々の忙しさにかまけて調べていると言うほど熱を入れているわけでもない。もう随分前のことなのだ。ここ2、3日、日本は平和でこれと言った出来事もなく、少し余裕ができたから今まで集めた切り抜きを久しぶりに机の上に広げてみただけだ。何か、これということはない。
「ご友人の楢谷さんに関係あるんですか?」
「まあな」
こうやって改めて広げてみたのは一週間ほど前に楢谷の嫁のブログが数カ月ぶりに更新されたからだ。
「あんな事件があってからもう2年?でしたっけ?」
「3年だよ、もうすぐな」
言葉にして改めてそんなにも経ってしまったのかと思う。
「すみません」
知り合いが行方不明なんだ、と聞かされてからそんなに経つんだと城島も驚いた。
「きにするな」
「しかし、あれですね、これ全部ですか?『インド洋で貨物船沈没、乗員は全員救助』とか?『消えた潜水艦、沈没か?』これなんか、ネットの軍事オタクが騒いでるだけじゃないですか?」
城島は、緒方のデスクに散らばった記事の切り抜きをいくつか拾い上げながら言った。国内外、ジャンルも多岐にわたる。
「確か、楢谷さんて九州の山奥で遭難したとか?でしたよね?」
不思議と九州関連の記事は殆どなかった。日本で多いのは、横須賀だ。
「そういう事になってるな、だがあいつの嫁さんから聞いたんだ、失踪した時にはあんな服装じゃなかったって、夕方には帰るんだって出ていったそうだ」
なのに、楢谷は、失踪してから3ヶ月も経って九州の山の中で半ば白骨化して見つかった。持ち物の他、DNAでも本人だと確認されたが、楢谷の嫁だけは最後まで納得がいかないと言っていた。それが忘れられないのだ。
良くも悪くも楢谷は友達だった。その友達の嫁が言うのだ。だからずっと心に引っかかっている。
「まあ、飛行機を使えば日帰りできなくもないですよ」
「本気か?」
「すみません、まあものの例えです」
緒方のキツイ視線に城島は、思わず謝った。「しかし、こうしてみると自衛軍、特に海上自衛軍の記事が多い気がしますが…」
「あいつは、自衛軍絡みの記事をたくさんあげていたからな。共通しているのは…そうだな、そこまで大掛かりな取材をしてないってことだ…それなりにツテはあったようだが…九州まで出掛けてくようなやつじゃない、俺たちと違って本職じゃないしな」
そうなのだ、たいていは本職の自衛官に少し詳しく聞けば分かる程度の記事しか楢谷は書いていない。稀に、本質をつく記事はあったとしてもだ。
「はあ、まあ、そうですね」
「それに、あいつが都内で電車に乗るのを見たやつがいるんだ」
「ホントですか?」
「たぶんな、横須賀線に乗ったのを見たって」
「じゃあ、これとか?」
そういうと城島は切り抜きの一つを指した。『横須賀基地への外国艦船入港禁止、米軍抗議!』と書かれていた。横須賀は、環太平洋防衛機構の拠点として各国の軍艦の寄港拠点になっていた。それが、先年、新たな軍事技術開発の拠点化に伴って守秘義務の観点から入港を禁じることとなったのだ。
その代替地として神戸港と単冠湾が開放されたが、立地の面から横須賀には劣るとされている。神戸港は内海だし、単冠湾は北過ぎた。
横須賀関連では、他にも『民間人立ち入り制限地区拡大』という見出しの記事もある。ここ数年、横須賀は海上自衛軍の拠点として拡充され続けている。基地祭もここ何年かは開催されていない。
ちょっとした気持ちで始めた何かが思いもしない大事に触れてしまった可能性、それを緒方は捨てきれないでいた。いわゆる軍事拠点として拡充され始めたのが2年前だ。それ以前は、もちろん自衛軍基地なりの警備はされていたが今ほど厳しくはなかった。だから、入れてしまったのかも知れない。こっそり覗き込んだ先が、見てはならないものだったのかも知れない。
この平和日本で、そんな事があるはずはないと思いたかったが、もしそうだとしたら?それは、ネット記事で済ませるわけにはいかない大スクープかも知れないのだ。それと、なにかむず痒いのだ。普段は感じることのない感覚だったが、楢谷のことを考えるとき、むず痒いのだ。そのむず痒さは、だんだん強くなっている気がした。
「本気ですか?陽子さん」
「本気よ、あなたはどう思うの?」
少し声を潜めて顔を寄せて神島陽子は、言った。そんな気はないのだろうがドキッとする。化粧っ気はないが改めて美人だなと思う。
「どうって…」
詰問されて松本は、言葉に困った。軽い気持ちだった、ちょっと気が引けて仲良くなれればと思っただけなのだ。軽い下心だった。
「あんなふうに、時代に干渉を続けたらきっと良くないことになるわ、間違いない」
現在までのところ大事には至っていない…ように思える。
「だけど、やばいよ」
「分かったの。機械はオンリーワンだって。あれを壊してしまえばもう過去に干渉することはできなわ。もう、手遅れかもしれないけれどこれ以上悪化させないことはできる」
神島陽子は、この2年あまり『機械』の精度と出力を上げると同時に代替機を作ることも仕事の一つとして与えられていた。だが、代替機はどうやってもできなかった。理論は理解されていたしそれを実現できるだけの科学者が集まっているのにどうしてもいわゆる2号機、代替機はできなかった。正確には、完成しても期待される性能、特別な性能を発揮することができないのだ。
その過程で神島にも分かったことは『機械』はずっと同じものが改良されながら細心の注意を払って運用され続けているということだった。つまり、その最初を壊してしまえば二度と再現できない可能性が高かった。
「でも、どうやって?やるんです?」
機械は、いつも厳重に警備されていた。いくら、トップクラスの研究員といっても容易に近づけはしない。下手に近づこうとしたら…。
「知らないほうがいいわ」
神島陽子は、少し考えたあとで言った。何かあったときに、知られていないほうがいいと考え直した。でも、一人ではできない。誰かの助けが必要だった。「とにかく、助けてほしいの、やってくれるの?くれないの?」
「まあ、少しなら」
城島は、陽子の剣幕に半ば気圧されて頷いた。どんなことを頼まれるのかも分かっていなかったけれど。「怪我人を出すようなのだけはゴメンだけど」
「…大丈夫、人を傷つけたりはしないわ」
少し考えて神島陽子は、言った。
嘘だった。もっとも、怪我人が出るかどうかは神島にも分かっていなかった。ただ、怪我人が多少出ようとも、最悪、人が死のうともやり遂げる決意はしていた。これは、歴史に対する陵辱で、どんなことをしても止めなければならないと神島は決意していた。
最初のうちは、歴史が変わらない、歴史は歴史が守るのかも知れないとプロジェクト参加者の間で苦悩されていた。だから、神島も協力をしてきた。記者が殺されたのはショックだったが、歴史自体が変わらないのなら許容できると思えた。
だが、去年ぐらいから研究員を含む、このプロジェクトの参加者たちに笑顔が増えてきた。つまり、歴史が変わり始めたのだ。プロジェクト参加者にとっては悲願だったが神島にとっては由々しき問題だった。歴史が陵辱されてしまう。神島にとっては、可及的速やかに対処しなければならないことだった。
確かに、何も変わっていない気がする。今は。
でも、むず痒い。
この、なんとかしなければならないと考えるとき、むず痒いのだ。この感覚を共有できる人間はいない気がする。初めてこの感覚を感じたのはいつだっただろう?よくわからない。特にこの一年は、それが強くなった気がする。
歴史が、改変されてしまっているのではないか?そう考えてネットの記事を見るときに特にそれを強く感じる。そして、そのむず痒さは、年々強くなってきている。それだけは確かだった。
「だからお願い、ほんの少し手伝ってくれるだけでいいの」
神島陽子は、女性らしい笑顔を作って念を押した。




