第2話
その現象が起こったのは随分前のことだった。
もともとは対電波兵器の開発だった。強力な電磁波を照射することでレーダー装置そのものを一時的ではなく少なくとも作戦実施中は操作不能にしてしまおうというものだった。
理論的には簡単なものだったが、それを兵器化し自身が安全な距離から照射しようとする事とそれは全く別次元の問題だった。電波を含める電磁波というものは空間では距離に二乗してその威力を減じる。生半可な出力ではその目的を達することは不可能だった。もちろん、一時的にであれば可能だった。しかし、それは対電波兵器の技術の類・範疇だった。自衛隊が目指したのは対電波兵器破壊兵器だった。
その現象は、そういった実験の過程で偶然起こった。
技術班の技官の1人が照射焦点の桁を誤って入力してしまったのだ。
その頃には、実験班が照射しうる電磁波のエネルギー量は、黎明期に比べると格段の進歩を見せていた。
照射した瞬間、本来なら数キロ先で焦点されるべきだったものが照射装置から恐ろしいほど近くでスパークした。その瞬間青白いスパークが広がり乾いた破裂音のようなものがした。その事態に驚いた技官が本来なら即座にシステムダウンするべきところを驚きのあまりそれを忘れ事態を凝視してしまった。
次の瞬間、再び今度は小さく鈍い音が響いた。
そして、それはそこに現れた。
直径20cm程の黒い穴が出現したのだ。
「なんだ!」
誰かが叫んだ。
しかし、それは技官の誰でもなかった。「何だ貴様!」
続いて、銃撃音が響いた。
「し、システムダウンしろ!急げっ!」
今度は技官の誰かが叫んだ。
「は、はいっ!」
システムダウンすると同時にスパークとともに現れた黒い穴は消え去った。そして、その間際にその場にいた全員が聞いた。
「敵兵っ!」という大音声を。
全員が、呆然と突っ立っていた。
「技官!高橋さんが!」
1人の技官が、指差す先には床に倒れ込んだ別の技官がいた。彼は、胸部を射抜かれて死にかけていた。
自衛隊が主導する秘密実験とはいえ実験エリアでは誰も銃など携行していない。にもかかわらず技官は、流血し、刻一刻と死に向かっていた。呆然とする技官たち。誰かが我に返り医療班を呼ぶ頃にはその技官は息絶えていた。
もちろん、調査は直ちに行われた。
結果は、信じられないものだった。技官を死に至らしめたのは口径6.5mmのライフル銃弾だった。この銃弾は、一般的には広く使われていない。現代では。少なくとも、現在の日本でこの銃弾が使われていないことだけは事実だ。しかし、少し前、いや、ずっと以前には日本でごく普通に使用されていた銃弾だった。そう、太平洋戦争時にはごく普通に使われていた。
しかし、なぜこの現在日本においてこの銃弾によって人が射殺されたのか?そして、そのときに誰もが聞いた声の主とは一体誰だったのか?しかも、閉鎖された屋内でそれは起こったのだ。
机上でいくら議論しようともその答えは見つかることはなく、再現するしかないとの結論に至るまでそう時間はかからなかった。
再現は、完全武装の自衛隊の隊員の監視下のもとで行われた。
厳戒態勢の中でシステムは作動させられた。
果たして、その黒い穴は前回と同様に空間に現れた。いや、正確には黒くはなかった。景色がその内側に見てとれたのだ。
「注意!気を抜くな!」
安全装置の外された銃口がその穴に向けられた。
しかし、その声に重なるように別な声が聞こえてきた。
「敵襲!敵襲!分隊急げ!」
大音声である。そして、ある物は見た。その穴の向こうに動く兵士の姿を。あるものは聞いた。軍靴の足音を。
「システムダウン!システムダウン!!」
主任技官が大慌てで叫ぶ。彼の目にははっきりと銃口を向ける兵士の姿が見えたのだ。穴は消えた。
「信じられん…」消え去った穴のあった位置を呆然と眺めながら主任技官はつぶやくように言った。「日本兵だった、日本兵がいた」
その後も実験は何度も繰り返された。焦点距離や電磁波の強さを変えたりして何度も繰り返された。
そして、分かってきたことは穴は同じ箇所に通じているということ。そのため何度かは銃撃を受ける羽目になった。穴の向こうで日本兵はこの穴を警戒しているのだ。穴の直径は焦点距離で若干の大きさの変化を生じるということ。システムの出力を上げることでも穴の大きさは変わること。周囲に触れると触れた部分が一瞬で消失してしまうこと。
そして、時がたつにつれ穴の向こう側の緊張度も下がってきた。
何しろ、同じ日本人なのだ。とはいえ、こちら側として注意を払うことも忘れなかった。可能な限りカタカナ言葉は使わない。基本的に銃口を向けられても向けない。女性を近づけない。時間帯が同じらしいことが分かったので日中に開ける。などである。
無論、穴はこちら側からしか開けることができない。
根気良く続けることで敵意がないことがやがて伝わっていった。とはいっても、相手が武装を解くことはなく常に臨戦態勢だったけれど。
そして、彼らは1930年の日本に生きていた。
焦点をいくら調整しても穴の大きさはさほど変化はなかった。大きくするにはシステムの出力を大きくするしかないことは早くに理解された。しかし、出力をあげることによって穴が大きくできることは理解されたが出力を少々上げようが大きさは意図するほどは大きくはならなかった。
とにかく、穴の直径を大きくすることに全力が注がれた。
ようやく、人が安全に通過できるようになったのは最初の事態から5年が過ぎようとしていた。
最初は、表敬訪問的なものだった。やがて、その交流は本格的になり、多くは向こう側を招いた。もちろん、時にはこちら側から赴くこともあった。殆どの場合、意気揚々と威厳を持ってこちら側にやってきた人物、多くは軍人だった、は戻っていくときにはあるものは困惑し、あるものは顔を青ざめさせ、あるものは腹を立てていた。