善意のメッキのその裡は
お久しぶりです、朝比奈です。
近年たびたび起こってしまう自然災害の被害に遭われた方にお見舞い申し上げるとともに、ほんの少しだけ吐き出させてください。
いつにも増してささくれた感情を扱っているために荒削りな文章で読みにくいうえ、あまり気分のいいものではないと感じる方もいらっしゃると思われます。
そのため、お読みいただく際には覚悟と責任をもって進めていただけることを願ってます。
僕はとても残酷な人間だと思う。
さまざまな人間がいるこの世の中、その人間たちを心から理解をすることができないからだ。
日本に住んでいるとたびたび、甚大な被害をもたらす災害に直面することがある。さいわい、僕の生活圏が決定的に脅かされることはあまり多くないが、それがかえって残酷さを生んでいるのではないだろうか。
災害が発生すると、連日の報道によって被害状況や被災者に関する情報をわざわざ受け取ろうとせずとも流し込まれる。それらに対して僕は「いち早く復旧してほしい」「いたたまれない」などの気持ちを持つことができる、そこまではいい。
しかし問題はそこからだ。
その悲しみや願いとはうらはらに、何か行動を起こすこともなく、当たり前の日常をただ享受するだけなのだ。
いつも通りに温かい食事を取り、何をするでもなくリビングに明かりを灯し、退屈そうにテレビを見てはザッピングを繰り返す。疲れているときはそのままうたた寝をして、起きたらたっぷりの湯に浸かり汗を流し、その後は屋根のついた自室でふかふかのベッドに体を沈める。
痛んでいる人がいる中でこんな生活をのうのうとしていいはずがないと思いながらも、きっとどこか心の奥底で『身の回りは無事でよかった』と浅ましい安堵感が根付いているのだろう。
人によっては「自分の身の安全が守れたのだからその安堵は当然の帰結で、間違ってはいない感情だ」と言ってくれることもあるだろうが、自分を責め続けることはやめられない。
きっと僕は自らに関して害を被ったり、不快に思わないかぎり、「痛み」を痛みとして受け取れないのだろう。またそれは何も非常事態だけではなく、むしろ日常においてもそうなのだろう。
それを分かっていながらもまだ具体的に何もできないのだから、僕は心底浅ましく、時として一番残忍な人間なのである。
改めて不快な気分にさせてしまったら申し訳ありません。ですが、僕の今の等身大の感情を言語化するとたしかにこのようになってしまうのです。
これらの感情に気づいてしまったからには目を背けることはできなかった。本当に嫌な人間だなぁと思いながら、心で泣きわめき散らしながら筆を執らせていただきました。
忌憚ない感想がありましたら、ご随意にどうぞ。
感想を送っていただけることは存外嬉しいと気付いてしまいました。
たとえ自らが「拙い」と感じる感想でも僕にとってはかけがえのないものですので、どなたでも、どんな感想でもお待ちしております。
◇◇◇◇◇
ここからは余談なので、読んでいただかなくても結構です。活動報告でいいかとも思ったのですが、コンテクスト的にこっちのほうが収まりがよい気がしたのでこちらに書き連ねることにします。お許しを。
本文では「生活圏は決定的に脅かされていない」と書きましたが、今回(2019年10月11~13日あたりに)発生した台風で、近所の河川に決壊の恐れがあるため、短時間ではありますが避難所生活をしていました。
文面や報道ではよく目にしたのですが、やはり体験してみないと見えてこないことはたくさんありますね。
あれだけ本文で「自分は浅ましい」とのたまいながら、こんなことを言うのも筋違いな話ではあるのですが、非常時のときこそ、常識的な優しい心と非常識や不快な行動・事象に目をつむることが重要だと感じました。
はっきり言って環境は劣悪とは言わないまでも、胸を張ってよい環境かと問われて頷ける自信は全くもってないです。僕は最悪を覚悟して飛び込んだので、そこまでではなかったなと思うのですが…
そこにはいろいろな人間たちが混在していました。
避難所に多量の食糧は厳禁だというのに近くのコンビニで買い込む大所帯。
父親がホットスナックの油モノを買い込んで、周囲に匂いを振りまいていました。あまつさえ、その大所帯の5歳くらいの子どもは油モノのとりすぎで深夜に吐き気をもよおしてました。
ろくに育児に参加したこともない男親。
僕は子どもが泣いたり、騒ぎ回ったりするのは覚悟の上だったので、子どもらしいなぁと微笑ましい気持ちで見ていたのですが、それを「よく思ってない」と勘違いしたらしい父親は僕を気にしながら子どもを叱っていました。(僕の目つきが悪かったのもいけなかったのかも知れませんが…)
身重な中、ひとりで避難所に来たらしい女性。
停電になった折、避難所から支給されたランタンを私物化して読書をし、消灯時間となっても煌々と明かりをつけたままにしていました。誰よりも早く就寝したのを僕はしっかりと覚えていますよ。
…とまあ、書き連ねるとキリがないといいますか、愚痴っぽくなってしまうといいますか。とにかく色んな方がいるのですよ、本当に。
そういうときこそ少しでも周囲を慮って行動すること、周囲の身勝手にいちいち目くじらを立てないことが大切だなと思いました。心のなかは誰にとっても自由ですけどね。
もちろん、避難所生活が長引けばそんな余裕のあることは言えないと思いますし、他人に価値観を押し付けようともしていないです。ただ僕が人よりも少しだけ、偽善に取られても揺らがないような優しさのある人間でいたいなぁと切に思った、ってそういう話でした。
ここまで顔も見えない僕の愚痴やら小話やらに付き合っていただき本当にありがとうございました。
そんな心優しいあなたの明日が、ほんの少しでも明るくなることを日本のどこか遠くから願っております。それでは。