読者として批判的な感想を送る時、あるいは作品に批判的な感想が書かれていた時に、ちょっと考えた方が良い気がする事
この”なろう”で感想欄を使う際、顔も知らない相手に失礼な内容の感想を送るな、送られた方も安易に喧嘩を買う言葉を返すなとは言われますね。
顔を知らない同士だし、顔が見えないから売り言葉に買い言葉、口喧嘩はヒートアップしがちです。
また、ストレスの多い生活はうっ憤が溜まりやすく、何かの切っ掛けで爆発しやすいのでしょう。
そこで考えたのですが、批判的な感想を送る際は、相手がもしかしたら自分の知っている人かもしれないと、ちょっとだけ想像してみれば良いのではないでしょうか。
自分の知らないうちに”なろう”にアカウントを作り、執筆活動をしていたのかもしれませんよね?
友達の全てを知っている人などいる筈がないので、その可能性は十分にあり得るのでは?
確実に自分の知っている人ではないと断言できますか?
感情に任せて批判や罵倒の文を送った次の日、友人から「実は”なろう”で活動していて、酷い内容の感想を送られたんだよねー。世の中には失礼な人がいるよねぇ」と話かけられたら?
その内容を聞いたら自分が送ったモノだったとか。
慌てて、酷い奴もいたもんだと誤魔化す羽目に陥るとか。
逆に、自分の書いた作品に酷い内容の感想が書かれたとしても、その相手はもしかしたら自分の知っている人が書いたのかもしれないと思えば、怒りも少しは和らぐのでは?
自分だからこそ、厳しい意見を言ってくれているのだと。
まあ、論外の感想もあるでしょうから一概には言えませんが、顔の見えない相手が実は自分の知った人かもしれないと想像すれば、昂ぶった感情も少しは制御出来るのではありませんかね?
きつい言葉遣いで容赦の無い感想は、自分の知っている毒舌キャラな友人を思い浮かべればいいのかもしれません。
その友人が書いているのかもしれないと思えば、少しは楽になるのでは?
アナタが批判の感想を送ろうとしている相手は、アナタの知っている気の優しい友人かもしれませんよ?
アナタの友人であるかもしれない相手に、本当にその感想を送るのですか?
互いに相手の顔を知らないという事は、実は知った者同士であるかもしれませんよね?
その事を頭の片隅に置いておけば良いのかなぁと思ったりします。
もしかしたら、という程度ですけどね。