異世界転生を願う諸君へ
これは私の実体験から来る警告である。
異世界転生の中でも、過去に遊んでいた・現在やり込んでいるゲームの中に転生したいと思っている諸君に、間に合わなくなる前に、この警告が届き、この警告が活かされることを強く望む。
過去に作った協力無比な自分の分身を用いて俺TUEEEしたり、ゲーム特有の仕様の穴を突いたり、ゲームとして遊んでいた際に得た事前知識で俺TUEEEをしたいと考え、妄想を膨らませたことがあるだろう。
私も実際に異世界転生を果たし、現代日本への帰還を果たすまでは、そういう普通の想像力の足りない、ただの人間だった。
日常を日常として、自宅で積みゲーと積みアニメ(最近はやりの異世界転生物、見せかけて異世界から現実に帰還して俺TUEEEというネット小説が原作らしい)、ソーシャルゲームのデイリーノルマを消化していた時に過ごしていた日曜の午前中。
一瞬、それらの作業を中断し、賃貸アパート備え付けの小さな冷蔵庫から炭酸飲料を取り出して座り直してヘッドホンを装着した直後、それは起こった。
突然、強い眩暈を感じた。
食卓兼作業台として使っていたちゃぶ台に手を突いたが、すぐに全身の力が抜ける。視界が暗転する中、最後に見たのはペットボトルが倒れ、スマホが炭酸飲料に沈む姿だった。
もしスマホ本体が壊れてなかったとしても、長年愛用していた合成皮革のスマホカバーは洗わないとな……。
そんなことを考えながら落ちたのを覚えている。
ここまで読んでくれた諸君には申し訳ないのだが、結論から言うと、この時私は死亡していなかった。タイトルに転生と名付けてしまったが、転移の方が正しかったかもしれない。
強い草いきれと、立ち昇るような汗乾いた匂いを感じて目が覚めた私は、体を起こし、周囲を呆然と眺めた。自宅で倒れて気が付けば、一面のクソ緑と言う言葉が相応しい、広い草原にいるのだから仕方がないだろう。
我に返って、自身の服装などを見ると、自宅で過ごしていた時の首の部分がくたびれたTシャツとボクサーパンツという部屋着ではなく、若干ごわごわと肌触りが悪く、ポケットの少ない上下と、灰色と土色(デザインや素材の色ではない、まさしく土埃の色だろう)の混ざったような色をしたローブを着用していた。
異世界転生というコンテンツに強い興味と憧れを抱いていた私は、これは異世界転生か夢、あるいはドッキリなのではと思い至り、今までで最も大きいガッツポーズを決めた。現実逃避とはいえ、夢やドッキリよりも先に転生を思いつく辺りでも、そういうオタクだったと察してもらえるだろう。
事実、その世界は私が過去に遊んでいたゲーム、ファンだったアニメ、義務感すら抱いて周回していたソシャゲの設定がごった煮になったような、どこかで見たようなテンプレ中世魔法文明な異世界。
変異、あるいは憑依によって得た、私の新しい肉体は、過去に遊んでいたゲームの中で、最もやり込んでいたMMORPGの魔法系のキャラクターになっていた。
そのキャラクターは、中学から高校の1年の秋くらいまで毎日(受験期やテスト前は流石に自粛していたが)のようにログインしていただけあり、流石に廃人たる歴戦のトップランカーにはとても敵わないが、学生の身分を存分に使って時間を費やしたことと、主なログイン時間帯が社会人が入ってくる時間とずれていたこともあり、ゲーム内ではそこそこイキれるほどの装備と経験値を得ていた。
先ほど描写した、ごわごわで粗末な見た目の服とローブも、その時代に周回して集めて鍛えた、修正や特殊能力が盛られた一品である。
メニューやコンソール、の呼び出しやGM・運営、友人への連絡を試みたり、魔法を唱えてみたりとゲームっぽいことを一通り試した結果、現世に戻れそうな手段は一通り使えなくなっているものの、回復薬や回復効果のある食料、敵の耐性に合わせて使い分ける杖や防具などのアイテムは取り出し自由。そして魔法に関しても万全であることが確認できた。
異世界転生したらやるべきことを学生時代の通学路や授業中、そして最近は通勤電車の中で考えていた一般オタク男子であった私は、まず初めにいくつかの魔法を使った。
読んで字のごとくな効果を持つ《敵探知》と、アイテム・NPC・拠点をマップ上で確認できるようになる《千里眼》、探知スキルに引っ掛からないものの接近を知らせる《聞き耳》、攻撃行動や一部の魔法・スキルを使うまでの間、ある一定のレベル以下の敵に見つからなくなる《隠れ身》、防御力と状態異常への抵抗に若干のボーナスを得られる《護身》の魔法を唱え、商人か身分の高いお嬢様などが乗っている馬車はないか、そしてそれを襲う盗賊を探した。
そういったテンプレイベントが見当たらないことに落胆と安堵の混ざった溜め息をつき、マップの端に見える町を目指すことにした。
町についてからは、路地裏の汚い浮浪者少女に気まぐれに糧食を恵んだことで殺されそうになったり、冒険者ギルドで柄の悪いベテランに可愛がりを受けたり、良家出身の女性騎士に追われたりとテンプレっぽいことを色々やった。まぁハーレム展開はおろか、そもそも恋愛、いちゃつき要素はなかったが。
何故その部分を省く、途中で書くのが面倒になったのかと石を投げる準備をしているところ悪いのだが、この文章は警告、つまり異世界転生の負の部分をメインとしている。
当時の各種イベントが全て辛かった訳ではないし、遣り甲斐や達成感、喜びも勿論あったが、それらよりも伝えたいことがあるから、こうして筆不精ながらラップトップに向かっている。
最も伝えたいのは、衛生面のギャップについてである。
これには本当に苦労した。現代日本に生まれた我々の想像を絶する状態で、転移初日はアイテムボックスに入っていた飲食に適した回復アイテムなどを摂取したため問題なかった。
次の日、ゲームステータスによって疲れを知らない健脚で歩き続け、正午を少し過ぎたころには高さ2.7mほどの石の壁に覆われた町に着いた。
言語が違うことで、会話ができず、追放・投獄などの可能性も考えていたが、幸い言語の壁はなく、町の入口の検問も突破出来た。
まずは異世界初ランチということで、3番目に見つけたダイナーに入り、お勧めを注文した。見た目は美味しそうだったのだが、かなり薄味、いやほぼ無味に近かった。日本が誇る最強調味料醤油とだしにどっぷり浸かって生きてきた我々には耐えられないほどの薄味だった。
支払いはゲーム内通貨をそのまま使うことができた。金や銀を原料としているから、少なくとも換金はできるだろうと思っていたが、その手間が省け、大まかな物価を確認できたのは収穫だった。
散々遊んでいただけあって、所持していた通貨は莫大だった。日本円にして5000兆円みたいな感じの意味不明な額だった。計算結果が信じられず、何度も検算を重ねて納得した瞬間に、日本銀行券より金貨だよな!みたいなことを叫んで、周囲の人に引かれたのを覚えている。
問題はその夜である。庶民(貴族や豪商ではないというレベルの雑な区切りなので、そのまま身分を示したわけではない)が利用できる中で最も高い宿を取り、宿の食堂で薄味の謎肉のステーキを食べて就寝したときにそれは起きた。
かゆいのである。ひたすらかゆいのである。《明かり》の魔法を使って目を凝らすと、その寝具の上を何かが跳ねている。
ダニだ。きゃあと悲鳴を上げて飛びのいて、対処しようと自分の脳内を探るが、寝具を傷つけずにダニを取り除く魔法は思いつかなかった。仕方がなく、《護身》その他防御に役立ちそうな魔法を唱えて寝直したが、どの魔法も効果時間があり、寝付くまでは問題ないが途中でかゆみに襲われて飛び起きるということを4度も繰り返した。
クオリティの低い眠りから覚め、まず感じたのは眠さとかゆみ、そして腹痛だった。急いでトイレ(もちろん水洗じゃない!)に駆け込み、たっぷり2時間は籠った。出すものを出し切り、げっそりとした私は回復薬(排泄によって失った体力を回復しようと思って飲んだのだが、かゆみも消えた。)を飲みながら原因を考えた。恐らく、水や食材に付着した細菌などである。
この経験以降、私は自分で衛生管理ができない場所で作られた飲み物や料理を全て断り、自作のポーションや蒸留水で水分補給を行い、しっかり洗って熱を通した物しか口にしなかった。もちろん調理器具と食器もしっかり熱消毒を施した。
野宿の時は涙を呑んで我慢したが、宿を使う際はあらゆるコネや労力(ときには暴力を背景にした脅しも行った)を使って最高級の場所を選んだ。流石に貴族が利用する寝具にはダニなどは沸いていなかった。
同じく衛生面では、匂いなども厳しかった。
風呂の文化は基本的になく、それどころか貴族の女性騎士であっても水浴びは週に3回といったありさま。もちろん衣服の洗濯も頻繁には行わないため、人の集団は耐え難い臭気を放つ。
町で文化的な生活を送っている一般人ですらこうなのだ。野宿や遠征上等で、毎日歩き回って汗をかく冒険者は想像を絶する。
あまりにも臭ければ獲物たる生物に気づかれるのでは、という疑問もあるだろうが、周辺の草や土を首回りや衣服に擦り付けてその場その場に紛れる方がローコストだ。
そして、そこそこ稼いでいる冒険者は一時的に匂いを消す魔法薬を用いる。どちらにしても体や衣服、装備を洗う頻度は低い。加えて言えば、スラムの浮浪者は冒険者が束になったも敵わないほどの臭気を放つ。
もし、あなたが魔法を使えない肉体や世界を妄想しているのなら、悪いことは言わない。自分が不自由なく水浴びをすることができる程度の魔法は用意していった方がよいだろう。
主だった障害を2点述べた。異世界転生の負の面はまだまだ無数にあるが、最大の問題を伝えなければならないので一旦置いておく。
異世界からの帰還についてである。
異世界生活を数年間過ごして、余程のことでは狼狽えたり、絶望することはあるまいと思い始めたころ、突然の眩暈に襲われ、意識を失った。
久しく忘れていた人工甘味料の匂いで目覚めた私は、ゲームオーバーになっているゲーム画面を見て呆けた。自室だ。
呆けたまま、炭酸に浸かったスマホを救出して立ち上がり、スマホカバーを洗おうと流しに向かったところで流しに手が届かないなと思ったところで我に返った。戻った!自宅に!現実に!
ひとしきり大声を出して喜んでいたが、興奮が冷めるにつれて恐ろしいことに気が付いて狼狽えた。それはもう大いに動揺した。
肌着に関しては金にあかせて購入したごわごわしないものに変わっていたが、灰色と土色の混ざったようなローブを身に着けたままだったし、何より身長が本来の、現実における私の肉体のそれよりも遥かに小さかったのだ。
いかなる法則によるものか、最後まで分からなかったものの、ゲームのキャラクターの肉体になって冒険していたのは先に述べたとおりだ。
しかし、その服装には触れたが容姿については描写をしてこなかった。
そのキャラクターは枝毛一つない透き通る青空のような水色の髪をポニーテールにし、髪よりも少し深い青の瞳、色白の、しかし不健康さは感じさせない肌(もちろんゲームのキャラクターに染みなんてものはひとつもない)、すっと通った鼻梁、薄く形のいい唇、身長は10歳の女児の平均身長よりも若干低い130cm、胸は慎ましく、でもまな板ではない程度にetc.
そう、私が学生時代に全力を注いでいたキャラクターは女性、俺の考えた最強の超絶美少女の姿をしていたのである。
サブカルに浸かり、逃避の手段として異世界転生を妄想していた私には、人並みのTS願望があった。可愛らしい少女になってちやほやされたいし、最強な少女になって、自身を愛でたいという願望が。
今思い返せば、想像力が足りなかったのだ。
腹をすかせた浮浪者の少女に小銭を恵んだら、下に見られたと思った浮浪者の集団に拉致されて売り飛ばされそうになったり、冒険者ギルドでは親切で臭いおっさんたちに嬢ちゃん帰りなと言われた。
一つの町に長居しないことで対策はしていたが、成長しないことを見咎められ、不老の力を求める女性たちに追い掛け回されるなど、少女ボディのデメリットに気が付けなかったのだ。
酒も飲めないし、私の中の人、つまり成人男性の恋愛対象たる女性陣とそういった関係にもなれなかった。冷静に考えて、いくら可愛くても同性の10歳児に性的興奮を抱く女性はやばい。
男性に迫られたことは何度もあったが、中の人的に無理だった。しかも彼ら彼女らは風呂の習慣がない者ばかりなので臭い。町の空気には耐えられても、脱いで一対一になって耐えられるとは思えなかった。
そして、そのボディで現実に戻ってくるかもしれないという可能性を1mmも考えていなかったのだ。
転移前に見ていたネット小説原作のアニメが、異世界から現実に帰還してTUEEEだったにも関わらず!
あぁ、本当に想像力が足りなかった。
ついでに、外気中の魔力を用いて魔法を使うのではなく、魔力生成器官を体内に擁するファンタジー生物であり、内気で魔法が使えるという設定のキャラクターであったことも災いした。そう、魔法が使えちゃうのである。
そんなわけでエターナルコスプレ魔法少女へと魂の位階を上げた私は、今現在、逃避の手段としてこの警告を書いている。
今は色々あって日曜日の27時。月曜日の7時半には家を出なければ職場で上司からの檄が飛ぶ。
私の職場では欠勤届は前日まで、しかも電話での報告と定められているが、電話での連絡は無理だ。130cmの少女ボディから響くのは年相応のソプラノボイス。彼女無し独身一人暮らしの社畜男性の声だとは認知されないだろう。
打つ手なしだ。買い出しにも行けない。独身一人暮らしの男性の部屋から少女が出ていく場面を目撃されれば通報される可能性すらある。
どうやっても首になる職場のことを置いておいたとしても、金がない。
貯金を下ろそうにも、銀行ATMに背が届かない少女が口座から金を下ろすのは異様だ。不可能に近い。
もちろん自宅や財布の中に当座の金は入っているものの、この現金でいったい何日生き延びられるのだろうか。
服装が異世界のままだったように、アイテムやゲーム内通貨もそのまま使えるのだが、現実世界において、金貨を捌くのは難しい。
職を失いかけ、現金を下ろせない今の私に必要なものは、膨大な金貨銀貨ではなく、現実世界の現金だった。
落ち着くためのルーチンとして《敵探知》、《千里眼》、《聞き耳》《隠れ身》、《護身》などの警戒セット(異世界にいる間はほぼ常に維持していたので、警戒セットという呼び名は相応しくないかもしれない)を唱えた。
魔法への集中でなんとか平静になることができたが、脳内に周囲のマップが浮かび上がり、それらに黄色や赤の見慣れた点が点灯する事実にまた溜め息をつく。魔法だけでなく、マップなどのシステムもゲームと同様のものが使えるらしい。
ドロップアイテムなどを示す青は流石になかった。まぁ現実だしな、と思ったところでふと気が付いた。
黄色はNPCなどの非敵対キャラクターだ。ゲーム時代は他のプレイヤーも黄色だった。赤はモンスターなどの敵MOBの色である。
マップの点の動きを見れば、黄色の点がいくつかの赤に追われていることがわかる。その点の方角に集中すると《聞き耳》が誰かに助けを求める声を拾った。
ここまでくると諦めの境地だ。今までの通りの生活を送ることはもはや無理だ。少なくとも社畜男性としての自分は終わったといっていい。
そして、私には冒険者として数年間生き延びてきた経験と胆力、そして魔法という移動手段と暴力がある。
そう、開き直ったのだ。もはや私に残された道は魔法少女しかない。
そう決意した私は、ごつい見た目で最大火力の出る魔導杖を取り出し、手持ちの中で一番きらびやかな感じのローブに装備を変更。《認識阻害》の効果を持つリボンをアクセサリスロットに装備してポニテを括って準備完了。
最後に数年ぶりのキンキンに冷えた炭酸飲料をあおり、人工甘味料にむせ、ローブにたれそうになって慌ててティッシュを使って拭い、《空中歩行》の魔法を唱えて窓から飛び出した。
今思えば、想像力が足りなかったのだ。魔法少女として行動することの負の面のことを……。