1章-5
(冷たくしすぎたかな……?)
リズは馬車の中で一人きり、書類を片手に毛布にくるまっていた。
思い返されるのは、昼間のウィルフとのこと。結局あの後何も会話をせず、……間もなく一日が終わろうとしていた。
もしかしたら、明日もこのままかもしれない。そんな不安がリズに絡み付いて、眠れそうになかった。
(話をしよう……)
そう思って、リズは立ち上がった。書類と毛布は置いて、馬車のドアを開ける。
キィ、という小さな音に反応して、近くにいた兵士二人が勢いよくリズを見る。数瞬後、浮かべるのは安堵しきった表情。
「王女殿下、どうなさったので?」
兵士の一人が言った。
「少し、ウィルフと話したいの。会えるかしら?」
兵士たちは眉を寄せて、お互いの顔を見た。どうやら難しいらしい。
兵士たちが口を開きかけたところで、別の声が入り込んだ。
「それくらい大丈夫ですよ。俺がお供します」
そこにいたのは筋骨隆々なものの、人が良さそうな表情を浮かべる男性。手にはカンテラを持っていた。これから、どこかに行くよう。
その男性を見て、慌てて二人の兵士たちが姿勢を整えた。
「は、ハインズ大将! ですが、王女殿下に何かあっては……」
「だから俺がついて行く。不安ならどちらかがついて来い。何か咎められたら、俺の命令だって言えばいいからさ」
そうして気安げに兵士たちの肩を抱くハインズ大将。その後ぼそり、と彼が何やら呟くと、二人の兵士は頷き合った。
リズの位置からは何を言ったのか聞こえない。けど、どうやらそれは渋る二人を納得させるようなものらしかった。
「分かりました。俺がついていきます。──ここは頼んだ」
兵士の一人が言って、もう一人に頼み込んだ。もう一人も頷く。その様子を見て、ハインズ大将は嬉しそうにしていた。満面の笑みで頷いている。
そして、ハインズ大将は笑顔のままリズに手を差し出した。
「では、参りましょう、王女殿下。この俺、イートン・ハインズがお送りします」
「ええ、お願いするわ」
そう言いながら、リズは目で手を引っ込めるよう伝えた。けれども、ハインズ大将はニコニコと手を差し出したまま。
伝わっていないのか、伝わっていながらも敢えて無視しているのか。
……しばらく見つめ合って、仕方なく、リズは彼の手を取った。
「では参りましょう」
ハインズ大将がリズをエスコートして歩き出した。触れる手のひら。何か、むずむずする。振り払いたくなるのを我慢しながら、リズはゆっくりと歩き始めた。
……しばらく歩くと、見えてきたのは多くの木々。森だった。
「……ハインズ大将、さすがにこの先に進むのは……」
森には多くの獣がいる。一応この軍の指揮を任されているのはリズだ。そんな彼女が万が一獣に襲われては……。
ハインズ大将はにっこりと笑みを浮かべた。
「大丈夫。この命に代えても、俺が王女殿下を守りますから」
そう言って、ハインズ大将はぐい、とリズの手を引いた。チラリ、とリズが後ろからついて来ているはずの兵を見ると、彼もまた緊張した面持ちだった。……もしかしたら彼は、この森に入ることを分かっていて反対していたのかも。申し訳ない……。
リズは表情筋を強ばらせて、森の中へと足を踏み入れた。
木の葉に遮られ、まだらに差し込む月明かり。ハインズ大将の持つカンテラがやけに眩しかった。
ドレスが草に触れる音を聞いて、少しリズは不安になる。
(汚れ、取れるかな……?)
行軍中にも関わらずドレスの汚れを気にするあたり、リズはやはり王族だと言えよう。
……しばらく歩いて、何やら音が聞こえてきた。キィン、という金属同士のぶつかり合う音。リズは何の音だろう? と首を傾げるばかり。
ハインズ大将は悠々と、兵士はほんのりと緊張の色を見せて進む。
少しずつ音は大きくなっていき……やがて、開けた場所に出た。キラリ、と一瞬光が目に入って、リズは思わず目を閉じる。
目を開けると、中央にある小さな池を中心に、人が三人ほど縦に連なって寝そべれるほどの空間ができていた。
そして、その場所で、見覚えのある二人が剣を交えていた。
「ウィルフに……クレスウェル将軍?」
ぽつり、とリズの口から驚きが零れ落ちた。二人はどうやらリズたちがやって来たことに気づいていない様子。今なお剣をぶつけ合って……否、ウィルフが剣を振り、それをクレスウェル将軍が受け流していた。
二人の間には素人目でも分かるほど圧倒的な実力差がある。だけど、ウィルフはひたすら剣を振り続けた。
「軸がぶれてる! 一太刀浴びせたら終わりだぞ! そんなんでできるのか!」
「はいっ! やってみせます!」
そう会話している間も金属音が止むことはない。
すっ、とハインズ大将が腰をかがめ、リズの耳元に口を寄せた。
「あいつは、行軍が始まってからずっと、毎晩、クレスウェル将軍に稽古をつけてもらってたんですよ。最初は剣を持ち上げることすらできなかったし、ほかの兵たちにもバカにされていたけれど、あいつはずっと頑張って……今や、みんなの弟分みたいな存在ですね」
知らなかった。ウィルフがそんなことしていたなんて。
リズはぽかん、とウィルフを見つめた。
「これも全てあなた様のためですよ。……いい侍従を持ちましたね」
──全てあなた様のため。
その言葉が嬉しくて、たまらなくて、胸が痛い。涙がこぼれ落ちそうになるのを、必死に堪える。
(ウィルフに、ありがとうって伝えよう。それと、昼間はごめんなさい、とも)
そう思って、リズが一歩踏み出した時だった。
「っ! ハインズ! 殿下を!」
突如クレスウェル将軍が叫び、ウィルフの剣を受け流してからリズたちの方へ走ってきた。その間にハインズ将軍と兵士は抜刀する。
リズがよく分からなくて首を捻っていると、突然金属音が。それも、リズの真後ろから。
リズが振り返ると、黒衣を着た人物の剣をハインズ大将が受け止めていた。
──暗殺。
その二文字がリズの脳内に浮かび上がる。
どうしよう。どうすればいい? 何をすればいい?
もう、何が何だかよく分からなかった。
「えっ、王女様!?」
ウィルフの声が、遠くから聞こえた。リズは慌ててそちらに走り出す。よく分からないけど、そうしたかった。
「殿下!」
太く、低い声が辺りに響き渡った。クレスウェル将軍か、ハインズ大将か。分からない。ただリズはウィルフの元へ向かうだけ。
シュッ、と音を立てて、何かが耳の横を走った。耳環が鳴る。
(アルヴィン……)
リズは足を止めて、耳環に手を伸ばす。しゃらん、とまた耳環が鳴った。
……その音を聞いて、少し落ち着く。ずっとずっと共にあった耳環。大丈夫だよ、と言われてるような気がした。
「王女殿下」
目の前にクレスウェル将軍がいた。いつの間にか、金属音も止んでいる。
クレスウェル将軍は怒ってるのか、安心しているのか、よく分からない表情を浮かべていた。多分、どっちも。
「……そうですね、襲われたとき、どのような行動をすれば良いのか、も明日教えましょう」
「……はい」
先ほどの行動が良くないことは、リズにも何となく分かっていた。だから攻撃を受けそうになったのだ。素直に反省する。
「王女様、お怪我は!?」
「ウィルフ……。大丈夫よ」
そう言って、リズは微笑む。……少し、ぎこちない笑顔。
ウィルフはそっと、リズの頬に自らの右手を添えた。
「……無理に笑わなくていいですよ。初めてのことでしたしね」
鼻の奥がツンとする。理由は分かっていた。罪悪感だった。
リズは目を伏せて、小さく「ありがとう」と言った。
「さっきの言葉もだけど……こんな私のために、剣を握ってくれて、ありがとう。それに、昼間もごめんなさい」
「こんな、なんて言わないでください。あなた様は素晴らしい方です。こんな僕でも、そばに置いてくれてます。だから、あなた様を守りたくて、剣を手に取りました。僕が勝手に始めたことです。お礼はいりません。それに……昼間は、僕も悪かったです。すみません」
「……ありがとう」
ぽたり、と零れ落ちた言葉。泣いているかも、と思い、ウィルフは自然と下がっていた視線を上げる。けれども予想に反して、リズは泣いてなかった。その強さはかっこよくて、……脆い。そう、ウィルフの目には映ったのだった。
1章は残り1話です。
明日更新できなかったらすみません。