1章-1
ドタバタという王宮に似つかわしくない足音が聞こえてきて、リズは思わず笑った。きっとサプライズをしようとしているけど、足音で台無し。そこがまた、彼らしかった。
しばらくして足音が小さくなった。多分、リズを起こさないため。……そのリズは既に起きて、彼が来るのを待っているのだけど。
リズは少しだけ彼の希望を叶えてやるために、ベッドに潜り込んだ。顔まで覆って、寝たふりをする。
……しばらくすると、コンコン、と小さなノックの音。ふふっと小さく笑いながらもリズが返事をしずにいると、そうっと寝室のドアが開けられた。
入ってきたのは侍従服を着た……いや、侍従服に着せられている赤髪の少年だった。名前はウィルフ・ロートン。リズのたった一人の侍従だった。
ウィルフは慎重に中央にあるベッドへ近づき、ゆっくりと手にしていた花束をサイドテーブルに置いた。かさり、と小さな音が鳴る度に手を止めてベッドの方を向く。そのため花束を置くのにかなりの時間がかかってしまった。
リズはその様子を聞きながら、笑ってしまうのを堪えることに全力を注いでいた。全くもって彼らしくて、大声で笑いそうになったのだ。
花束を置ききったウィルフがほっと安堵の息を漏らしたして、寝室から去ろうとしたとき。
「ばぁ!」
「うわぁぁあああ!?」
思った通りの反応に、リズはクスクスと笑った。叫んだウィルフも、ようやく自らを脅かしたのが主人だと気づき、「もうっ!」と声を発した。
「何をするんですかっ!」
「あなたの願いを叶えてあげただけよ。だって、寝ている私の傍にそれを置きたかったのでしょう? 置かせてはあげたわ」
「確かにそうですけど! 僕がしたかったのは、寝ているあなた様の傍に花束を置いて、目覚めたあなた様を驚かせることですよ! 結局あなた様起きてるじゃないですか!」
「だって、来るのが遅いもの」
「仕方ないじゃないですか! あなた様がどんな反応をするのか気になって眠れなくて、結局寝坊したのですから!」
子供らしい理由に、リズは顔を抑えた。リズより一歳年下だけのはずなのに、この子供らしさは何だろう?
(だからこそ、彼を侍従にしたんだけど)
リズは心の中で呟いた。自分とは全く違うウィルフ。そんな彼の傍にいたら、失ったものも、取り戻せそうだったから。
「じゃあ、そろそろ着替えるから出てってくれる?」
リズはベッドから降りながらそう言った。
「す、すみません!」
ウィルフは慌ててドアの方へ向かったが、大事なことを忘れていた。ドアの前でくるりと振り返る。
「十六歳の誕生日と社交界デビュー、おめでとうございます」
「……ありがとう、ウィルフ」
リズがそう言うと、ウィルフは頬を紅潮させて視線を彷徨わせた。そしてその視線がリズの胸元へと下りて……。
「し、しつれ、しました!」
バタン、と大きな音を立ててドアが閉まる。
リズは首を傾げながら自らの衣装を見直して……納得した。いつの間にかネグリジェが乱れて、胸が見えそうになっていたのだ。
△▼△
「お待たせ」
リズが簡素なドレスに着替えてドアを開けると、ウィルフが顔をクッションに埋めていた。ちなみに、ここはリズの部屋である。
(……主人の部屋で何をやってるのかしら、この侍従……)
呆れた目で見つめられているのに気づいたのか、ウィルフが顔を上げてリズを見る。その頬は未だ赤く、瞳にはうっすらと涙が膜を貼っていた。
「あ、すみません! こ、これはその……」
「……別にいいわ。ただ、他所でやってはいけないわよ」
「わ、分かってます! ただ、ほんの出来心というか……」
ぶつくさと何かを言いながら、ウィルフはクッションを離した。
ウィルフの行動がよく理解できなくて、リズは首を捻った。しゃらり、と右耳についた青と黒の宝石の耳環が鳴る。
その音を聞いて、ウィルフの眉が寄る。
ウィルフはその耳環が気に入らなかった。
明確な理由はない。ただ、なんとなく、その耳環が良いものにはとても思えなかっただけ。
「さて、行くわよ」
そう言って、リズは一人部屋の外へ向かって歩き始めた。慌ててウィルフも後に続く。
廊下に出ると、多くの使用人たちが行き来していた。けれども、王女が廊下を通っても誰も頭を下げないし、敬意を払わない。
その様子を見て、ウィルフは眉をひそめた。
「そんな顔したら、また何か言われるわよ」
リズが冷淡に、ウィルフの方を振り返って言った。ウィルフは慌てて表情を消す。けれどもそれは遅かったようで。
「やっぱり平民ですわね。品位がなってませんわ」
「本当ですね。そんな侍従を引き連れるなんて……さすが下賎の血を引いた王女様ね」
廊下の一角で、ひそひそと交わされる会話。ウィルフの表情が歪むのが顔を見ずとも分かったので、リズはひとまず彼の頭を軽く叩いた。
「何するんですか」
不満げなウィルフに、リズはクスリ、と笑った。彼の忠義がとても嬉しくて、こそばゆかった。リズを愛してくれる、数少ない一人。
「気にしないの。早く行きましょう? 父様と母様が待ってるわ」
リズはそう言って笑うと、くるりと踵を返して再び歩き出した。ウィルフも悲しげな色を瞳に浮かべながら、後に続いた。
まだ寝起きの太陽が辺りを照らす中、リズとウィルフは王宮の庭をひたすら歩いていた。しばらくすると、王宮の裏手にある森の入口である門が見えてくる。門の両脇に立つ衛士に頼んで、リズは中に入れさせてもらった。
鳥や小さな獣が二人をちらりと見て、またいつものことか、と目を逸らす。その様子がとても愛らしくて、リズは小さく笑みを浮かべた。
……やがて見えてきたのは、リズの身長を越すほどの高さもある、大きな石。そこには繊細な紋様と多くの名前が記されていた。
リズは石の前で立ち止まり、いつもの挨拶をする。
「おはようございます、父様、母様」
聞こえるのは、ひゅう、と風が駆け抜けて草を揺らす音や、動物たちの鳴き声、移動する音……。リズは少し眉を下げた。静かなのが、さびしい。
ここは歴代の王族が埋葬される墓。民が訪れるための墓も王宮の外にあるが、遺体が埋葬されてる本当の墓はこちらだった。
リズの母は四年前、リズが十二歳の頃に、国王はつい先月に亡くなっていた。リズは四年前から国王と共にここに毎朝通うようになって、……先月からは一人で通っている。
「……今日はとうとう私の社交界デビューで、……異母兄様の即位式です」
カァン、カァン……という鐘の音が遠くから聞こえてきた。朝の七時。即位式は十一時から。刻一刻と迫るその時に、リズは少し落ち着きがなかった。
「……きっと、大丈夫です。どうか見守っていてください」
そう言って、リズはお辞儀をした後、後ろを振り返った。離れたところに立つウィルフを見て、少しだけ心が慰められる。……大丈夫。まだ一人じゃない。
一旦目を伏せ、……そしてリズは歩き出した。ウィルフの元へ。きっと大丈夫。そう信じながら。
──しゃらり、と耳環の揺れる音が、森の中に響いた。