2-1
この世界は弱者に厳しい。
いや、違う。どの世界も弱者に厳しい。
物心ついたときから、私は夢を見ていた。
夢の中で一人の少女として生きていた。彼女は状況を正しく認識することに非常に長けているようだった。そして、不思議なことに彼女の行動は私が強く願ったことに沿うようだった。とても不思議で不思議な夢を私はずっと見続けていた。―――まるで見たこともない物に囲まれて過ごす彼女はこことは違う世界で生きているように見えた。
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カサンドラ。
前にも後ろにもそれ以上つかない只のカサンドラ。それが私の名前。
うんと昔の戦争によって追いやられた国々が併合して出来た国が、私が住むランドリア共和国だ。大陸の外れに位置して、周りを海と森と荒野に囲まれた殆ど閉塞した国かと思いきや、以外に国王のフットワークが軽いために大陸中央にある大小様々な国とのつながりも持っていたりと不思議で仕方が無い。
ただし、人同士の交流はあってもそれ以外の交流はまさしく閉塞的で、国を囲む森や海からは余所では取れない色々な素材が見つかるらしい。それを求めて数多の冒険者たちがこの国へ訪れる。
そんな冒険者を相手取った生活を生業にしているのが、私が住んでいるこの村だった。
冒険者稼業というのは生死をかけているところもあるのか、非常にストレスでもたまるのだろう。外から来た冒険者はよく村出身の冒険者や他の街から来た冒険者と揉めていた。殺しあいにまで発展していなくても乱闘騒ぎが起きるのはしょっちゅうで、そのたびにギルドが諫めている姿もよく見る。
他の国ではどうなのか知らないけど、この村じゃギルドの職員は不人気職ナンバーワンだった。
大体はその土地出身の人物で構成されるギルドが、あまりの人手不足に国から派遣された職員が半数を占めるほどだった。
私の父さんは、そんな不人気真っ只中のギルドで働いており、仕事の殆どが冒険者の仲裁役だった。
頭に血が上った冒険者に切りつけられて大怪我を負ったこともある。それでも父さんは仕事を辞めずに続けていた。
「ねぇ、おとーさん。どうしてギルドなんて怖いところで働くの?」
ある日の夕食までの間、久しぶりのお休みに家でぼんやり椅子に座っていた父さんに、どうしてかたくなに仕事を続けるんだろうと不思議に思って尋ねると、父さんは吃驚したように目を見開いて何故か照れ笑いを浮かべた。
「カサンドラ。父さんは、残念だけど森の魔物を相手に出来るほど強いわけでもないし、かといって、計算や読み書きが得意な人間でもないんだ」
「知ってる。お母さんがいっつも怒ってるもんね。買ってきた食材とお金があわないって」
父さんはごくごく一般的な農家の次男として育ったらしい。畑を耕すのもたまに手伝う程度だったという父さんの体躯は冒険者に比べると見るからに強そうじゃないのはよく分かる。背が高くひょろっとしていて顔にはいつも柔和な笑みを浮かべ、人当たりの良さそうな雰囲気をしているが、意外にドジだ。
買い物のお使いを父さんに任せると8割ぐらいの確率で品物が違っていたり数が変わっていたり財布のお金が合わなくなっていて、お店の人にちょろまかされているのではという疑惑すらあり、最近は兄さんが買い物役を進んで行っていた。
父さんが面目ないという顔になった後に、体ごと私へ向きを変えて膝の上に抱きかかえてくれた。ぎゅうっと抱きしめてくれた父さんの顔が肩口付近にあって、なんだかくすぐったい。
「カサンドラももうすぐ7歳になるね」
しみじみとつぶやかれた言葉には嬉しそうな響きがあったけど、抱きしめてくれた腕には、いつもより力がこもっているようだった。
「…お父さん?」
「ジェイドとカサンドラがひとり立ち出来るようになるまで、父さんは仕事を辞めないよ」
ジェイドというのは兄さんの名前だ。今も父さんの代わりに市場へお使いに行っている。
父さんそっくりの綺麗な薄金の髪と空を溶かしたような瞳で外見はそっくりだが、中身は母さん譲りのしっかりものだ。父さんと同じように柔らかな笑みを始終浮かべているが、兄さんの場合は計算でやっている。
来年10歳になる兄さんは街の学校へ入り寮生活を送ることになる。兄さんが寮に入る前に、市場での買い物を譲り受けなきゃ我が家は大変なことになってしまう。
「そうなの?お父さんは本当にギルドが好きなのね」
「そうだね」
「私がひとり立ちするまで働くならあと9年は最低でもかかっちゃうね」
「う…うん? カサンドラ、具体的なその数字はなんだい?」
「だってひとり立ちって事は、私がお嫁さんに行くって事でしょ?」
「つまり? えーと、カサンドラは15?16歳で結婚するってこと?」
私の言葉に苦笑気味に、でもしっかりと頷いた父さんは、私が続けた言葉に途端に慌て始めた。
指折り数えて数を出した父さんの手をぎゅっと握って上を向けば、びっくりするくらい悲愴な顔をした父さんが居た。かすかに震える声で「なんでそんなに早く…」と、自分の指をじっと見ながら愕然としている。
あれ?結婚って16からしても良いんじゃなかったかな?
どうして、そこまで驚かれてるんだろうと、こてんと首をかしげて、結婚する年齢は何処で聞いた話だったかなぁと記憶を引っ張り出すと、そういえば夢の中のお話だった。夢とは思えないほど凄く現実感があったからすっかりそうだとばかり思っていた。
「おとーさん」
「な、なんだい?」
声がうわずった父さんを不思議に思いながら、聞いてみる。
「もっと早くても良かったっけ?」
「カ、カサンドラッ!?? 僕らの何かが気に入らないのかい?? そうであるなら言ってくれ。できる限り直すから!!」
今度はなりふり構わない勢いで、私を正面から向き合うように抱きかかえ直すと、ほとんど涙目になった父さんががばっと抱きついてきた。
ぎゅーぎゅー力任せに抱きつかれているけれど、ひ弱だと自分で宣言した通り痛くない。手加減をしてくれているのかもしれないけど、子供ながらに本当にこんな調子で大丈夫なのかなと心配してしまう。
「ねぇ、やっぱりギルドは辞めようよー」
だって、こんなに優しくて気弱で、大した力もないお父さんじゃ、いつか本当に死んでしまいそう。
「できないよ」
「どうして?お仕事だったら宿屋の店員さん募集の張り紙があったよ?牧場の牛さんを育てるお仕事もあったよ?畑に野菜を植えようってお仕事もあるよ?冒険者が好きなら冒険者の鎧の修繕のお仕事も大募集中だったよ?お父さん、遅いけど手先は器用で丁寧だから、そーゆうのがいいよ」
「カサンドラ…君はいつの間に、そんなに村の事情を知っているんだい?宿屋も鎧の修繕もこの家からずっと遠くの市場を超えるところにあると思うけど…?」
「兄さんと一緒に買い物に行くと、皆が話してるのが聞こえてくるもの」
「それにしたって、カサンドラ、君まだ7歳にもなっていないよね?」
「うん。来月7歳!」
「…僕じゃなくて、ナーシェによく似たのかなぁ?」
姿形は7歳にしか見えない、ちっちゃくて子供特有のまるっとした体型の我が子だが、話す内容が大人顔負けになるぐらい、このぐらいの年齢の子にしてはしっかりしすぎて、なんだか子供の成長ってこんなに早いものだっけと心配になる。
「カサンドラが7歳になったら、いよいよ薬草摘みのお手伝いをすることになるね」
「リエラもミリーも採ってきた半分以上雑草だって不貞腐れてるやつでしょ」
「子供の目には違いが難しいからね」
リエラは斜め向かいの宿屋の娘、ミリーは右隣の農家の娘だ。
一足先に7歳になった彼女たちは、もう少し大きな村の子供と一緒に森近くで薬草を探して採っている。ランドリア王国の薬草は擬態能力に優れているのかというほど、普通の雑草とほんの少し茎の色が違ったり葉の形が違ったりするだけだ。
しかし、効能はこの大陸に普通に生息する薬草よりもはるかに高い。
小さい頃から目利きを養う名目でランドリア王国に住む子供たちはもれなくこういった手伝いを小さな頃からすることになっていた。
しかし、採取する場所は森のすぐ近くである。
森に入っていなくても、危険なことには変わりがないこの手伝いに冒険者ギルドから冒険者を数名護衛として派遣して、万が一獣が飛び出してきても大丈夫なように配慮する必要があった。
しかし、実入りも少なく、滅多に出ない獣を始終警戒するということにもならず、結局は子供のお守りのようなこの仕事は冒険者の暇つぶしでしかない。
だからこそ、冒険者ギルドで働く必要があった。
「カサンドラが安心して暮らせるように父さんは頑張るからね」
にっこり笑った父さんは、きっと死にかけるようなことがあっても働き続けるんだろうなとわかってしまった。
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「父さんを説得するのは無理だったわ」
夢の中の本には、父親は娘のお願い事に弱いと書いてあったけど、全然まったく効果がなかった。
「やっぱり夢って事なのかなぁ」
思えば、夢の中の女の子も両親に甘えるのが上手には見えなかった。むしろ自分の好きな事を好きなようにやる暴君ぷりを発揮している。
自分が正しいと信じて疑わないその子は同年代の子に口で負けた事がない。子供の稚拙な悪口を鮮やかな論理武装、時に無理やりこじつけたような話でもって言い負かしてしまうのだ。
おかげで、カサンドラも知らず知らずのうちにたくさんの言葉を覚えてしまった。
まるで二つの人生を歩んでいるようで、カサンドラは夢の世界が大好きだった。
それに、
「私が強く願う事を、夢の中の女の子が探して覚えてくれるのよね」
随分と不思議な出来事だと思う。
夢の中の女の子が覚えたからといって、カサンドラまで覚えているわけではないが、女の子が必死で覚えようと努力をしている姿をずっと見ているのだ。
手を動かしているわけでも、考えているわけでもないが、ずっと見ていれば嫌でもわかるようになってくる。あとは、起きた時に実践してみればいい。
「父さんがギルドを辞めないなら、父さんを傷つけることを失くせばいいのよ」
市場に買い物に行った時に、たまにいる冒険者のおじさん達が話している内容をカサンドラは覚えている。彼らは大陸の普通とランドリアの普通がわからなくて困っているのだ。
「違う事が最初からわかっていたら、あんなに怒らないと思うけど、どうしたらいいんだろう…」
小さなカサンドラではわからない事を、わかるようになりたいと強く願いながら眠る。
夢の中の小さな女の子が、ここにはない向こうの世界の沢山の本の中からきっと一番良いものを探して読んでくれるはず。
「こーゆうのを何ていうんだったかな? 『ものはためし』ってやつだったかな??『あたってくだけろ』だったかも」
次の日を待ち遠しく思いながら、カサンドラは夢の世界へ旅立っていった。
世間のウィルスに負けてました。