葬列
「――先日の緋龍討伐、ご苦労であったな」
荘厳なシャンデリアの下、朗々とした男の声が響き渡った。
声の主は老人。高級な着物を羽織り、豊かな白髭を蓄えている。居室を彩る高価な調度品の数々から見ても、かなりの身分にある者らしい。
「お前が持ち帰った緋龍の宝玉には、国王陛下も大層お喜びになっておった。これでまた、我がホーエンツォラード家の名に箔がついたというものだ。私も当主として誇らしいぞ」
老人は上機嫌に笑う。答える声がないため、ともすれば年寄の独り言にも聞こえるが、彼の前にはきちんと聴く者――それも、類稀な相貌を持つ麗しい少女が跪いていた。
精緻に整った顔立ちと、瑞々(みずみず)しく流れる金紗の髪。穢れを知らぬ雪白の肌は薄絹の如く透き通り、艶やかに張った唇は淡い桜の花弁そのもの。儚げなスカイブルーの瞳に秘められた美しさたるや、ある種の脆ささえ感じさせるほどだ。
完成された美貌を備えるその美少女は、まるで本物の人形のように見えた。
「ああ、ところでな……」
と、老人は思い付いたように話題を変える。
「先日国王陛下から伺った話によると、西方にあるアドラス海に古代文明の生きる島があるらしいのだ。なんでもその島の中心には、あらゆるオーパーツを統べる『イヴの心臓』と呼ばれる秘宝が眠っているとのこと。陛下はその秘宝に大層興味をお示しになっておいででな。是非に入手したいと申されておるのだ」
いやに白々しい口ぶりで話を進める老人。
だがどれだけ取り繕うおうと、少女は次に来る言葉を知っていた。
「……敬愛する陛下のため、ひいては我がホーエンツォラード家の栄誉のため。危険な旅路ではあるが、行ってきてくれるか?」
問いかけの形をした、有無を言わさぬ命令。
いつものことだ。老人は決して強制しない。優雅さこそを美徳とするホーエンツォラードの当主が、他人を無理矢理従わせるなど有り得てはならぬことだからだ。彼はただ希望を伝えるだけ。それを叶えようとするのは他人の意思であって強要ではない。そう、たとえ今まで誰一人として逆らった者がいなかったとしても。それはただのお願いなのだ。
故に少女は今回も、‘自分から’承諾の意を示した。
「そうか、行ってくれるか。うむ、流石は我が孫娘。次期党首の器にふさわしい気概だ」
と満足気に頷いた老人は、さらりと付け加える。
「……なに、心配はいらぬ。お前が死んだとしても、お前の弟が後継者として我が家を継ぐだろう。ホーエンツォラードの血は決して絶えぬさ」
老人はそんな台詞を、こともあろうに少女の前で平然と言ってのけた。この男にとっては血を分けた孫娘の命など、家名を上げるための踏み台程度でしかないのだ。
そして当人である彼女もまた、特段の感情を示さなかった。自分の命が塵芥の如く軽んじられているというのに、嫌な顔一つしない。彼女にとってもまた、自分の生命など特別視するに値しないものだったから。
そんな少女の左胸を指差して、老人は言葉を接いだ。
「そう、ホーエンツォラードの栄華は潰えぬ。この血と、そこに宿る‘精霊’がいる限りな」
『光精霊』――ホーエンツォラード家に代々伝わり、家紋にも刻まれている異相魔導生体。ホーエンツォラードの象徴たるこの小さな生物は、次期当主が生まれると同時にその心臓へ移植される掟になっている。一度宿主の体内に入り込めば、摘出することは不可能。その唯一の方法は、宿主が死んだ後に心臓から引きはがすことのみ。
魔物とも寄生虫ともつかぬその異質な生物は、十四年前この世に産声を上げたその時から、少女の中に宿るもう一つの命となっていた。
「それでは、往くがよい」
老人は厳かに終わりを告げる。
「我が家のために、命をかけよ――アンヘル」
もう何千回と聞かされてきたその言葉を背に、少女――アンヘルは祖父の居室を後にした。
一方的で理不尽な強制。それでも彼女が一言だに喋らないのは、口を開く無意味さを知っているから。
そう、少女はすべて知っている。
男尊主義の祖父が、女である自分に代わって生まれたばかりの弟を次期当主に据えたがっていること。それに伴って家の象徴である光精霊を移植したがっていること。その精霊が今自分の中にいて、取り出すには宿主である自分が死ぬしかないこと。――故に、祖父が幾度となく自分を死地へ送り込んで殺そうとしていることまで。少女はすべて知っていた。
生まれると同時に精霊の器にされ、もっと良い器が見つかれば捨てられる。実に身勝手な話だ。けれど、少女にはどうすることもできない。
家の名誉も、祖父の狂気も、自分の運命でさえ、彼女にとっては手の届かぬ遠い世界で蠢く鏡像のようなもの。
自分は当主に従うだけの存在で、それ以外の如何なる存在意義をも見出してはならない。
生まれる前からそう定められ、生まれた時からそう育てられてきた。
だから彼女にはそれが正常で――だから彼女は今日も死地へ往く。
――――……
――……
少女の手がエントランスへ続く扉を押し開けた。
長い長い回廊の両脇には、ずらりと使用人が立ち並んでいる。だが彼らは普通の下男や下女ではなかった。
身に纏った着衣は皆一様に喪服を思わせる黒づくめ。両手には灰色の手袋をはめ、唯一個性が現れるはずの顔も真っ白な仮面で覆われている。そして何より不気味なのは、背中に負った禍々しい棺。
――回廊の左右にずらりと並んでいたのは、不吉ないでたちをした棺屋たち。彼らは全員、少女の遺体を回収するためだけに集められているのである。
だが、そんな異様な光景を前にしても、少女は気にする素振りすら見せなかった。これもまた、彼女にとってはいつものこと。故に少女は、ついてくる棺屋たちを無視して平然と歩き始める。
すると、一番先頭にいた棺屋が、背後からそっと耳打ちしてきた。
「お初にお目にかかります、アンヘル様」
うやうやしくそう囁いた棺屋は、機械じみた声で続ける。
「私、前回の戦闘で落命した専属棺屋隊筆頭に代わり、新たに筆頭の任を引き継いだ者でございます。僭越ながら、今後は私めが棺屋隊を率いアンヘル様のお供をさせていただきます。どうぞ、よろしくお願い致します」
と自己紹介されたところで、少女には他の棺屋たちとの違いがまるでわからない。ただ一つの差別化要素である声でさえ、前任者のそれと同じに聞こえる。ただ、それも当然と言えば当然のこと。少女には元より欠片の興味もなかったのだから。
そうしてエントランスの荘厳な扉の前で、棺屋たちは今一度、アンヘルの前に並んで頭を下げた。
「それではアンヘル様。どうぞ、安心して――死んでください」
家のために生き、家のために死ぬ。
それが彼女にとって唯一の存在理由。
だから少女は、今日も死地へ往く。――自らの葬列の先頭に立って。