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続・二人のプロローグ

 『暴れ牡牛亭』――威勢の良い亭主と肉料理が評判の、アルコの街唯一の酒場。小規模な街だけにさほど広くはないが、石造りの店内は顔なじみの笑顔と亭主のがなり声でいつも活気にあふれている。


 初夏の陽ざしが降り注ぐこの日、そんな『暴れ牡牛亭』は普段よりもかなり騒がしくなっていた。


「んっふふふふ……見えるかしらあ? これ、ぜーんぶ純金なのよ? わかるう? いやー、これ全部で何百万マルクになるのかしら~?」

「ぐぬ……」


「あー、そういえば疑ってかかってきた人がいたわねえ……出世払いってあれだけ言ったのに。いやよねー、人を信じる心を失くした大人って。あー、やだやだ」

「ぐぬぬ……」


「戦争終結に一役買った報奨金! これで私は大金持ちよ!」

「ぐぬぬぬ……」


「おーっほっほっほ! ひれ伏しなさい! この正真正銘最高の大冒険者・コムギ様にね!」

「ぐぬぬぬぬぬぬぬ……」

「わはははは!!! いいぞー! もっと煽れもっと煽れー!」


 歯ぎしりする店主を前にして、酔っ払い客の歓声を浴びながら高笑いする少女は、誰であろうコムギその人。


 彼女は今、ルーシャ連邦から贈られた報奨金を携えアルコの街に来ている。ちなみにその目的はというと、『かつて馬鹿にされた酒場の主人に見せびらかしたい』、という大変にくだらないものであった。


「はっはっはっはっは! ざまあみろってのよ! 人を食い逃げ犯扱いしおってからに! さあ、約束通り私の靴を舐めなさい! いたいけな子犬のように這いつくばってね!」

「んな約束した覚えはねえ!!! っていうか、お前、注文を早くしろや!」


 『相手は客だから』と自らに言い聞かせていた店主は、とうとう堪忍袋のをぶっちぎる。

 だが、そんな正論もなんのその。コムギはしれっと答えた。


「ああ、それなんだけどね、外でつれが待ってるから、長居できないのよ。……まっ、そういうわけだから、またくるわね~」

「ええい、とっとと帰れコノヤロー!!!」


 心行くまで自慢が出来てご満悦なコムギは、店主の声を背に悠々『暴れ牡牛亭』を後にする。そして店のすぐ脇にある角を曲がったのだが……


「ナギー、おまたせ! バッチリあいつにほえずらかかせてやっ……あれ?」


 その場できょろきょろ辺りを見回すコムギ。それからむっと唇を尖らせた。


「あれー? んもう、ここで待ってるって言ったのに……」


 一度入店拒否された手前、ナギは店へ入ろうとはしなかった。そのためここの路地で待ち合わせをしていたのだが、少年の姿はどこにも見当たらない。


 コムギは慌てて『暴れ牡牛亭』へ駆け戻る。


「いらっしゃ――うげっ、まーた来やがった!!」

「お客に向かって、うげ、とは何よ! ……って、違う違う」


 コムギを見た途端、露骨に嫌な表情を浮かべる店主。いつも通り喧嘩腰で対応しかけたコムギは、今はそれどころじゃないとどうにか思いとどまった。


「ねえ、誰か、外で棺屋の子見なかった? こう、まだがきんちょで、無愛想な感じで……」


 と、コムギは声を張り上げて店内の全員に尋ねる。すると、つい数分前に来店したばかりの男が頷いた。


「ああ、それならさっき見たぜ。向こうの路地裏へ歩いてくとこだったかな」

「ほんと? ありがと! ……たく、あの子、意外とせっかちなんだから……」


 などと呟きつつ追いかけようと踵を返したコムギを、後ろから店主が呼び止めた。


「待ちなよ、嬢ちゃん」

「なに? 私、急いでるんだけど」


「その棺屋ってえのはアレだろ……ほら、あんたが前に金を借りた」

「あら、覚えてんのね。……あ、言っとくけど、そのお金ならさっきちゃーんと返したからね。もちろん、この報奨金で!」


 最後の部分を強調しいしい、コムギはドヤ顔を見せる。


 だが、店主から返って来た言葉は予想もしていなかったものだった。


「いや、だからじゃねえのか? いなくなったの」

「……はあ? どういう意味よ」


「だから、あんた、もう金は返したんだろ? だったらもう、棺屋の坊主の方にゃあんたと一緒にいる理由はねえだろ」

「……あっ!」


 そこまで言われて、コムギはようやく思い出す。完全に頭から抜けていたが、そもそもナギとの二人旅は「借金を返す」と言い張って同行したことが始まりだった。その名目が今、なくなってしまったのだ。


「まあよ、棺屋が必要な仕事だってのは俺にだってわかってる。けどなあ、一緒に旅する相棒としては――」


 と何事か語っている亭主を無視して店を飛び出すコムギ。

 だが、ふと何か思いついたらしく、扉の手前でくるりと振り返った。


「あっ、そうだ! ねえ、やっぱり料理の注文するわ。オーダーは――」


――――……

――……


 『暴れ牡牛亭』のある大通りから数本離れた裏通り。ほこりまみれのガラクタが捨て置かれた狭い路地裏に、ナギは居た。壁に立てかけた棺と寄り添うようにしてうずくまっている。外套をきつく体に巻き付けたその姿は、捨てられた黒猫のようだった。


 少年がコムギを待たずにこんなところへ逃げ込んだ理由。それは懐に仕舞しまわれた重たい金貨の山にある。


 コムギは借金をすべて返済した。約束通り、ビタ一文いちもんたがわずに。


 それが少女なりのすじの通し方であることは理解していても、ふと不安になってしまったのだ。――同行する名分めいぶんがなくなった今、もう一緒にいてくれないのではないか、と。


 突拍子もない疑念だが、一度心に巣食ってしまった不安は、もはや自分で掻き消すことなどできはしない。コムギが店に立ち寄ったほんの数分。たったそれだけの間に、少年の中で芽生えた暗鬼は途方もなく大きく育っていった。少年は、別れの言葉を恐れるあまり思ってしまったのだ。


 向こうから言われるぐらいなら、いっそ自分から離れてしまおう。


 それはひどく倒錯とうさくした思考。およそ合理的な考えではない。だが、理性で理解していても、臆病な心だけはどうしようもなかった。


 だから少年はうずくまる。陽の届かない路地裏で、小さく縮こまって――


「――あー! やっぱりここにいた!」


 そんな仄暗い路地裏に、コムギの声が木霊した。


「ふふん、今回はそっこー見つけてやったわ!」

「……な、何か用?」


 本当は心臓がどきどきと高鳴っているのに、ナギはつい、つっけんどんに言い放ってしまう。その様子はどこか、ねた子供のようにも見える。


「『何か用?』 ……じゃないでしょ! 待っててって言ったじゃない!」


 ぷんぷんと頬を膨らますコムギから、ナギは思わず目を逸らした。


「……だって、もうお金は返してもらったから……僕と一緒にいる理由なんて――」


 口から零れるのは、自分でも聞きたくない言葉。それでもナギは何かに駆られたように先を続けようとする。――だが、少年の胸中などお構いなしに、コムギはばっさり話を遮った。


「あっ、そうそう、お金といえばなんだけどね……ナギ、お金、貸してくれない?」


 いきなり飛び出たトンデモ発言。ナギは自分がしゃべろうとしていたことも忘れ、慌てて聞き返す。


「は、はあ?! お金貸してって……でも、だって、報奨金がたくさん残ってるだろ?」

「うんとね、ぜーんぶ使っちゃった」


 絶句するナギを尻目に、コムギはぺらぺらとしゃべり出した。


「いやー、実はね、さっきの酒場で、『この先三年間、来た客みんなにおごってやる!』って言っちゃったのよ。ついその場のノリでね。あはは。これも大冒険者様のさがってやつかしら。懐が広すぎちゃうのよねー」


 あー参った参った、などと他人事のように笑うコムギ。もうなんと言っていいかわからず、ナギは口をぱくぱくさせる。


 そんな少年に向けて、コムギは悪びれもなく言うのだった。


「まっ、そういうわけで、私今すっからかんなの。今晩の宿賃もないのよね。……だから、ね? ナギ、お金貸して。後で絶対返すから」


 しゃあしゃあと手を伸ばすコムギの顔は、悪戯っぽく笑っていた。


「……コムギは馬鹿だよ……」


 少年はぼそりと呟く。


 コムギがなぜそんな馬鹿な真似をしたのか、彼には良くわかっていた。少女はただ、一緒にいる理由を作ろうとしてくれたのだ。


 呆れるほど不器用なやり方。だけどそれが嬉しくて……だからナギは言った。


「……僕といても、いいことなんてないよ」


 コムギはすぐには答えなかった。

 けれどその代わり、ナギの頭に手を乗せる。そしてそのまま、いつものようにくしゃくしゃと撫で回した。


「大丈夫! 私といれば、いいこと一杯あるから!」


 一つの根拠もない癖に、コムギは笑って言い切る。


 その何も考えていない笑顔を見ていると、さっきまで色々悩んでいたことが馬鹿みたいに思えて、なんだかナギは気が抜けてしまった。


「……答えになってないよ……」

「いいのいいの! ほら、行くわよ。こんな陰気なところにいちゃ、カビが生えちゃうわ!」


 コムギはそっと手を差し伸べる。少年はおずおずと……だが確かに、その手を掴んだ。


 そうしてコムギに引っ張られるがまま、眩しい初夏の光の中へ歩み出したナギは、そこで思わぬ二人組と再会した。


「あー、棺屋のお兄ちゃんだー」


 ばったり鉢合わせたのは、仲良く手をつないだ幼い姉弟。


 その二人の顔を、ナギははっきりと覚えていた。数ヶ月前にポルタ洞窟から回収した遺体。その男性の子供たちだ。


 ただ、前回見かけた時とは随分と様子が違っていた。ボロボロだった服は清潔な新品に変わり、血色もずっと良くなっている。


 そして、姉弟の後ろに続いて歩いて来たのは、あの母親だった。


「あ……」


 その姿を眼に留めた瞬間、ナギはわずかに顔を伏せる。


 遺体を届けたあの時は散々に罵倒された。たとえ悪役を買って出た結果だとしても、傷つけてしまったことに変わりはない。


 故にナギは、再び罵声を浴びる覚悟をする。それだけのことをしたと思っているから。


 けれど母親の口から出たのは、ナギが予想していたものとは全く別の言葉だった。


「あの……その節は――ありがとうございました」

「……え……?」


 思いがけない台詞に、ナギはぽかんと口を開ける。


「……私、主人が行方不明になってからもずっと、彼の帰りを待っていました。あの人はもうこの世にはいないって、本当はわかっていたんです。でも、どうしても受け入れられなくて……子供までほったらかしにして、毎日泣いていました。だからあの日、あなたが現れた時も、辛くて、信じたくなくて……あんな失礼な態度を……」


 母親は心底申し訳なさそうに頭を下げる。


「だけどあの日の夜、主人の遺骨を前にして、ようやく受け入れるしかないとわかったんです。主人は死んでしまった。もう誤魔化すこともできないその事実は、あまりに重くて……あの時は、本当に後を追おうとさえ考えました。……でも、それから、少しずつ周りのことが見えるようになってきたんです。そこで一番最初に目に入ったのが、子供たちでした。やっと気づいたんです。私には、子供たちがいるって。主人の死は代わりのもので埋められはしません。だけど、その空白を抱えたままでも、前に進むことはできるって、思ったんです」


 母親は力強くそう言った。彼女の表情にはもう、あの日、戸口で見せた暗い影はなかった。


「もし、あなたが主人を連れ帰っていなければ、きっと私はまだ、あそこで立ち止まったままでした。こうして一歩踏み出せたのは、あなたのお陰です。だから――本当に、ありがとうございました」


 そうして深々とお辞儀をした女は、子供たちの手を取って歩いていく。その去り際、姉弟はちょこっと振り返ると、ばいばい、と手を振った。


 残されたナギは、しばしの間呆然と親子の後姿を見送る。そんな少年の脇腹を、コムギはちょこんとつついて囁いた。


「ほらね、いいこと、あったでしょ?」


 ナギは恥ずかしそうにそっぽを向く。けれどそれから、嬉しそうに頷いた。


「……うん!」


 こうして、冒険者の少女と棺屋の少年の奇妙な旅は続いていく。


 ちぐはぐな二人の往く手に何が待ち受けているのか、それは誰にもわからない。


 それでも彼らが歩みを止めることはないだろう。


 生という冒険はどこまでだって続くのだから。


 いつか棺に入る、その日まで。

これにてひとまず完結となります。

最後までお付き合いいただき、本当の本当にありがとうございました!!

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