冒険者たちへ
ルーシャ連邦王都・マスカヴァ。その象徴たる王城の庭園には、万を超す民衆が招集されていた。国からの正式な告知がある際の通例である。が、ざわめきに関しては開戦以来最大。その原因は、つい先ほど、陸軍大将から告げられた通告にあった。
百年戦争の終結。
陸軍大将は、庭園に突き出たバルコニーの上から、怨敵であったガルマギア皇国と講和条約が結ばれた事実を公示したのであった。この正式な通告により、既に噂として広がっていた百年戦争終戦が確かなものとなったのだ。
ただ、交わされる囁きに含まれているのは、終戦を喜ぶ声だけではない。国の言葉を信じ勝利のみを目指していた兵士にとっては、講和など自分たちの戦いを根底から否定されたも同義。家族や友人を失った遺族の中には、痛み分けでは納得できない者もいる。
喜ぶ者、憤慨する者、呆然とする者……そんな数多の感情が渦巻く中、バルコニーにエンサイドラ王が姿を現した。
「――同志諸君よ、まずは皆に、心よりの感謝を捧げたい」
ざわめきが鎮まるのを待ってから、王は重々しく告げる。
「先ほどゲオルグ最高司令より達しがあった通り、我がルーシャ連邦王国とガルマギア皇国との間で講和が決定した。長きに渡る戦いは、今、終わったのだ。戦い抜いた諸君に、そして、祖国を守るために散っていった勇敢なる同志たちに、私は一個人として敬意を表したい」
エンサイドラは短くも力強く激励する。
終戦通告の追認と、国民の鼓舞。当初の予定では、王の役目はここで終わるはず。だが、エンサイドラは困惑する大臣たちを無視して先を続けた。
「……ただ、この結末を受け入れがたい者もいるだろう。私はそれが当然であると思っている」
民衆が微かにざわつく。
国の決定に、王自身が異論を認めるのは初めての事例だった。国の意思とはすなわち民の意思であり、不満を持つ者はすべて非国民。周知の建前ではあっても、戦時中はずっとそうなっていたのだ。
「家族や友人を失った悲嘆はそう簡単に消えるものではないだろう。死者の無念を晴らしたいという義憤の心を悪と断ずることもできはしない。亡くした者たちへの想いを断ち切れなどと言うつもりはないし、その資格も私にはない。諸君らに兵士たることを強制し、理不尽な死へと追いやったのは他ならぬこの私だからだ」
兵士たちの制止も虚しく、庭園内のざわめきはますます膨れ上がって行った。
王の口から飛び出たのは、明らかな戦争批判。いくら講和条約締結後とはいえ、国家の首長が己の非を認めるようなもの。前代未聞の演説だ。
それ故に、国民たちはエンサイドラという一個人の姿を、初めて見た気がした。
「だから私は、命令ではなく懇願したい。……どうか、ほんの少しでいい。死者を悼むことと同じように、これから生まれてくる者たちのことを考えてはくれまいか? 彼らに残すべきは何か。泥沼の戦争と、敵国への底無しの恨みか? それとも、安心して暮らせる平和と、新たな友人たちか?
……今回の結論に反発はあるだろう。私はこの先、英霊たちの犠牲を踏みにじった最も臆病な王として汚名を残すことになるかも知れない。だがそれでも、私はこのルーシャを死者のために国にはしたくない。今を生きる者のための国にしたいのだ。……だから、頼む。ここに掴んだ脆く儚い平和への糸口を、どうか皆で守って欲しい。いつかこの戦争が、ただの歴史になるその日まで、どうか……!」
懇願めいた締め括りの言葉と共に、演説は終わった。
形式的な拍手には、未だ種々の感情が渦巻いたまま。いや、国民たちの心情は、演説前よりもむしろ複雑なものになっていた。
確かに戦争は終わった。けれどそれはあくまで表面上にすぎないと、国民たちははっきり悟ったのだ。累々と山積した戦後処理に近道などなく、百年の間に積み重なった国民同士の悪感情は一朝一夕で清算できるものではない。戦争の火種はまだ無数に眠っている。他でもない、それぞれの胸のうちに。
そしてその中でも殊更に大きいのは、ダーラルエルヴィアの残した負の遺産――彼が王子と共に蘇生させた者たち……否、蘇生させたと偽った複製体たちだ。
ルーシャ連邦はダーラルエルヴィアに関するすべての情報を公表した。戦争に介入してきた目的から、地底湖での最期。そして、彼に蘇らされた者たちの真実に至るまでのすべてを。
ダーラルエルヴィアが製造したルーシャ兵士の複製体は、王子を除いて三十弱。国家の規模から見れば、誤差にすぎない数だ。けれどこれはもう、本人たちだけの問題ではなかった。
家族や友人、恋人……関わりのあった者すべてが、帰還した似て非なる複製体とどう向き合っていくかを問われている。それはあまりに重すぎる難題だ。
――しかし、その先頭に立って悩もうとする人間が、この国には居る。
再び広間がざわめきに包まれた。
王に代わってバルコニーに立ったのは、正装したザウクリン王子であった。
「みなさん、お集まりいただきありがとうございます。もうご存知であろうと思われますが……私はルーシャ連邦王国王子・ザウクリン――その複製体です」
王子は大衆の面前で堂々と、自分が紛い物であることを口にした。
「蘇生を騙った複製体の一件については、先ごろ周知された通りです。我々もこの発表については迷いました。公表さえしなければ、彼らはみな何事もなく蘇生者として受け入れられ、周囲の者も思い悩むことなどなかったのですから。……けれど、そうやって辛い真実を塗り潰し、失ったものばかりを守ろうとしてきた結果が、今回の戦争でした。昨日を乗り越え明日へ進むための力。それはみんなが持っているはずなのに、いつの間にか私たちは互いの足を鎖で縛り合っていた……」
それから王子は心痛を顕にして俯いた。
「……私は、皆さんの知っていた王子ではありません。それどころか、生まれてまだひと月も生きていない。こんなことを言っても、説得力はないでしょう。……でも、だから……この言葉は王子としての言葉ではありません。生まれたての、一国民としてのお願いです。――どうか、私を……私たちを支えてください! 未だ一人では歩けない私たちが、いつの日か自分の足で立てるように! 産まれ落ちたこの命を、呪いではなく喜びとして肯定できるように!」
庭園にはもう、誰の声もなかった。この難題はささめき声に乗せるにはあまりに重すぎる。
けれどそんな沈黙を破って、群衆の一画から小さな小さな拍手が起きた。そこに居たのは、複製体として蘇った三十人の兵士たち。
最初はそよ風ほどだった拍手は、しかし徐々に広がっていく。波及した先は、王国が受け入れを表明したムスタファ教団の元信者たちだ。
無論、手を叩く彼ら全員が王子を支持しているわけではない。公表された真実のせいで、彼らは生涯重い十字架を背負い続けることになる。王子を恨んでいる者とて少なくはなかった。
故にこの拍手は同意とは違う。王子の言葉も行為も、正しいと認めたのではない。――そう、だから、それは表敬だった。たとえ思想は違えど、生まれたての彼が踏み出そうとした最初の一歩に、最大限の敬意を表して。
気付けば王城は、惜しみない無尽の拍手に包まれていた。
「……ねえ、コムギ、これからこの国はどうなっていくと思う?」
庭園の隅、ずっと後ろの方で聞いていたナギは、傍らの少女に尋ねる。
元々の依頼であった少尉の遺体は、無事ダーラルエルヴィアの研究所から取り戻すことができた。仕事を終えた二人は今、帰途につこうとしているところだったのだ。
「さあ……どうかしらね?」
と、特に悩みもせず肩を竦めたコムギは、何も考えていない顔で笑う。
「まっ、なるようになるっしょ!」
その適当とも思える答えを聞いて、尋ねた自分が馬鹿だったとナギは吐息をついた。
「……ほんと、変わらないね、コムギは……」
これから先のことなんて、聞くだけ無駄。いつもそう。少女はただ、今この瞬間を全力疾走で駆け抜けていくだけ。この先もずっとそうだろう。ナギはついていくのでやっとなのだ。
そうしてナギは、王子と複製体たちを見つめる。
彼らは踏み出した。誰もが避け続ける大いなる迷宮に。
死ぬ意味、生きる意味、そして、産まれた意味。――難題だ。たとえるなら、まだ誰も答えにたどりついたことのない未踏破の迷宮。故に、その苦難の道のりへ踏み出したちっぽけな彼らもまた、ある意味で大いなる冒険者だった。
ナギには、その強さが眩しく見えてならない。
棺屋とは、常に冒険者に寄り添う存在なのだから。
「……そうだね、なるようになる」
ナギは静かに呟く。
生まれたての朝日が、すべての若き冒険者たちを照らしていた。