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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
40/42

生まれたての若葉

――――……

――……


 本来ヴォルゴ台地にはいないはずのカラスが一羽、樹上で静かに羽を休めていた。

 その無感情な視線の先には、密林を往く奇妙な一団の姿が。


 人数は全部で五人。表情の無い四人の男と、それに囲まれて歩く一人の老人――紛れもないネクロマンサーだ。


 ‘ダーラルエルヴィア’……かつてそう呼ばれていた男の複製元オリジナルは、とうにこの世を去っていた。ジェコール湖で自害したものも、今ここにいるものも、どちらも彼の複製体にすぎない。だが、この男にとってはオリジナルかレプリカかなどという分類に意味はなかった。


 彼を構築するのは、『娘を蘇らせる』という強固な目的意識のみ。その狂気を持つ者すべてが彼にとっての本物で、持たぬ者すべてが偽物。


 今や、「ダーラルエルヴィア」という個体名はすなわち、同じ狂気を孕む者すべてを差す概念となっていた。


 そんな狂気の具現者は今、四人の護衛をともなってヴォルゴ台地から撤退している最中だ。


 失敗した計画は速やかに放棄。いつまでも固執するなど愚者のやること。……合理主義者な老人には、未練など微塵もない。無論、失敗のフィードバック(反映と調整)は不可欠だが、考えるまでもなく今回の敗因は明らか。……あのナギという柩鬼の力を取り込もうとしたせいだ。


 いや、その判断が誤りだったとは今でも思っていない。米粒ほどの魔力でさえ天変地異を引き起こすほどの災厄へと昇華させる傀呪。そのオリジナルを手に入れられれば、大いなる目的へ飛躍的に近づくことができる。そして事実、少年の心はほとんど掴みかけていた。


 誤算があったとしたら、それはコムギとかいうあの少女の方だ。


 わけのわからぬ理屈を押し通そうとする、彼が最も嫌悪する人種。だというのに、少女の言葉が耳の奥にこびりついて離れない。


 そこまで思いを巡らせたところで、老人は首を振った。コムギのことを想起する度、なぜか頭が痛くなる。だから、少女について考えることをやめた。


 そう、またやり直せばいいだけのこと。


 老人は冷静に頭を切り替える。今回が駄目だったのなら、また次の計画を遂行するだけだ。人間が存在する限り戦乱は起きる。だとすれば、幾らでも好機はある。自分はただ、これからやってくる幾千幾万の機会のうち、たった一つを掴み取れればいい。成功するまで何度だって繰り返せばそれでいいのだ。


 ――世界が反転するその日まで。娘が真に蘇るその瞬間まで。


 と、そんな折、護衛たちの足が一斉に止まった。続いて、背後から微かな物音が響く。


「ふむ……よもやまたお前に会うとはな――」


 ダーラルエルヴィアはゆっくり振り返ると、現れた追跡者の名を呼んだ。


「――レンカ」


 彼らの背後に迫っていたのは、黒髪紅眼の少女だった。


「逃げるのか――ムスタファ・ダーラルエルヴィア」


 柳の如くたたずむ少女は、落ち着いた声で静かに問う。


「そうだ。体勢を立て直すための撤退だ」

「信者たちを置いてか?」


「そうだ。奴らは幾らでも調達できる」

「そうやってまた繰り返すのか?」


「そうだ。目的が遂げられるまで、何度でも、何度でも……何度でも」


 ダーラルエルヴィアは、ただ力強く答える。‘止まる’という選択肢など、彼には最初から存在しない。

 少女はもう、問いかけようとはしなかった。


「これ以上悲しみの芽を作るのはやめろ、ネクロマンサー」

「ふん、私に造られたお前がそれを言うのか?」

「……だからこそ、だよ」


 少女は悲しげに呟く。そして、ふところから二振りの短剣を抜き放った。


「こんなことは、ボクで最後にしよう。――それが、あなたに造られたボクの役目だ」


 解放される剥き出しの殺意。反応した護衛たちが一直線に少女へ肉薄する。それは死闘の幕開けかに思われたが、しかし、勝負はほんの寸隙すんげきだった。


 最初の一太刀で一人目の心臓をえぐり取った少女は、返す刀で二人目の首をね飛ばし、続く三人目は一蹴りで延髄えんずいを打ち砕いたのだ。


 絶命した三つの肉塊が、音もなく崩れ落ちる。複製体とはいえ、彼女は柩鬼。その圧倒的な異能を以てすれば、複製体の護衛などものの数ではない。


 少女はそのまま、残った四人目である大男の背後を取る。


 しかし、首筋に突き立てたナイフは、傀呪で強化していたにも関わらず易々と弾かれた。


「――ッ!?」 


 束の間動揺する少女。その脇腹に、大男の鉄拳が突き刺さる。弾き飛ばされた少女は木の幹の激突し、がくりと膝をついた。


 肋骨が数本、粉々に砕けている。――少女は激痛に顔を歪めた。傀呪により鎧と化した着衣越しでなお、これほどの手傷。四人目のこの大男だけは、強さの桁が違う。


「愚かなレンカよ。よもや、お前程度が私の最高傑作だと思い上がっていたのではあるまいな?」


 そんな少女を見下ろして、ダーラルエルヴィアは冷ややかに言い放った。


「こやつはフラルジュ。遠い昔に滅んだカダリシア族の戦士だ。彼らは全身を硬質化させる特異能力を持ち、その硬度は龍の鱗をも凌ぐと言われている。あらゆる魔法・物理攻撃に対して耐性を持つ最強の盾であり、一度ひとたび攻撃に転じれば、何者をも貫く無類の矛となる。私の最高傑作だよ。……こやつならば、あのナギとでも十分互角に渡り合えるだろう」


 奥の手は隠しておくもの。持ち駒すべてを一つの計画にベットするほど、ダーラルエルヴィアは愚かではない。


「これでわかったろう。複製体にすぎぬお前には、私を討つのは不可能だ。早々に立ち去るがよい」


 ダーラルエルヴィアは興味を失ったようにきびすを返す。彼にとって眼前の少女は、殺すことにすらあたわない存在なのだ。


 だが、そんな老人の言葉を耳にしながらも、少女はゆっくりと立ち上がる。そして、おもむろに自らの左胸へと手を伸ばした。


「……何をするかと思えば、呆れたものだ。お前がそこまで愚かな女だったとはな」


 少女の動きを視界の隅でとらえた老人は、失望の溜め息をついて立ち止まる。


「言ったはずだ。お前は複製体。その体では、柩鬼の秘術は扱えん。寸刻ともたず自壊するぞ」


 ダーラルエルヴィアの警告に、少女は何も答えなかった。けれどその代わり、聞き取れないほど微かな声で、何事かを呟く。


「……私は…………ない……」


 消え入りそうな声と共に、少女の心臓に傀呪が流れ込んだ。


 瞬く間に膨れ上がる漆黒の呪詛。際限なく破壊の力を増す呪いは少女の全身をあまねく包み込み――次の瞬間、少女の喉奥からおびただしい量の鮮血が吐き出された。


「……だから言ったであろう。愚か者め」


 口元からどす黒い血を流し苦痛に悶える少女を、ダーラルエルヴィアはさげすみの眼で見下ろす。


 限界を越え増幅された傀呪は、容赦なく少女の仮初の肉体へ牙を剥いたのだ。


野卑やひな者の考えは理解できぬな。なぜそう死に急ぐのか……」


 冷淡に肩をすくめる魔術師に、少女への憐憫はない。


 しかし、老人はそこでようやく気が付いた。臓腑ぞうふから出血し、今なお唇を血で濡らしているはずの少女が、未だに傀呪を解除していないことに。


「……私は…………偽物……じゃない……」


 刹那、少女の両足が大地を蹴る。一拍の間すら与えず、彼女のナイフはダーラルエルヴィアの喉元へ肉薄した。もはや動けるはずのない少女の、閃光の如き一撃。だがその切っ先が届く寸前、割って入ったフラルジュの剛腕が唸る。少女の体はまたしても、数メートル後方へ弾き飛ばされた。


「壊れかけの贋作レプリカが……!」


 ダーラルエルヴィアの顔に焦りの色が浮かぶ。


「どれだけあがこうと無駄なこと。お前にフラルジュは倒せぬ!」


 多少のイレギュラーが生じているとしても、それは論理的思考から導き出された不動の事実。動揺には値しない。


 だが、自身にそう言い聞かせている最中、ダーラルエルヴィアは見てしまった。そのフラルジュの腕についた、ほんの小さな、だが確かな一筋の傷を。


 全身を走る言いようのない悪寒。


 論理も理性も超越したそれを否定したくて、ダーラルエルヴィアは無意識に命じていた。


「……もういい、殺せ!」


 号令を合図にフラルジュが獣じみた唸り声をあげる。戦闘用に造られたこの男は、言葉すら教えられていない。だがその分、恐怖や焦燥といった雑念もなかった。


 果敢に飛び込んで来る少女を、硬質化した拳で軽々殴り飛ばす。少女はそれでも立ち上がり、その度にまた弾き飛ばされた。


 形勢は明らかにフラルジュ有利。けれどなぜか、傍観するダーラルエルヴィアの悪寒は収まらない。


 なぜ、この女は立ち上がることができる――?


 傀呪により内臓機能はほとんど破壊され、フラルジュとの攻防で幾つもの致命傷を負っている。だというのに、少女の膝が折れることはない。いや、実際はその逆。弾かれる度になお速く。立ち上がる度になお強く。傀呪が膨れ上がるにつれて、少女は加速度的に力を増幅させていく。それが老人の気のせいでないことは、刻々と数を増すフラルジュの傷が証明していた。


 そしてついに、少女の切っ先がフラルジュの首を貫き――ねた。


 崩れ落ちる巨体。傍らに佇む少女の全身は、二人分の血液で紅に染まっていた。傀呪の反動により、今や全身の血管が裂け、五感もほとんど機能を失っている。だが、それでも、少女はそこに立っていた。


「なぜだ……なぜ……?」


 ダーラルエルヴィアはよろよろと後ずさる。


「なぜ、柩鬼の秘儀が扱える……?! 複製体のお前に……偽物のお前に――!?」


 少女の足が地面を蹴る。目視すらできぬ速度で二人の間合いがゼロになり、気づいた時には、ダーラルエルヴィアの左胸をナイフが貫いていた。


 ――そして老人は、その時初めて、少女の呟きを聞きとることができたのだった。


「……ボクは……‘レンカ’の偽物じゃない――本物の‘シェパリシア’だ」


 老人の口元から、ごぼりと血の塊が噴き出る。その最中に、老人は尋ねた。


「シェパリシア……? ……お前が……自分でつけた、名か……?」

「……そうだ……この国の言葉で……意味は――」


 少女の言葉はとぎれとぎれ。酷使し続けた肉体は、とうに限界を越えている。それでも少女は、最後まで言い切った。


「――‘生まれたての若葉’」


 その言葉を聞いた瞬間、老人は崩れ落ちながらも、ハッと眼を見開いた。


「は、ははは、そうか……そうか……お前は本物になったのだな……! ああ……ブラメよ……お前を偽物にしたのは……この私……! もっと早くに……気づくべき……だった……」


 そして老人は、長い長い死との苦闘を終え、静かに息絶えた。


 少女はそんな元主人の遺体を無言で見つめる。


 勝利の感慨などない。ここにいたのは、等しく敗者だけ。かつての主を殺したことで、少女は今度こそ本当に、持っていたものすべてを手放した。


 ――そう、ただ一つ、あの日、とある少女と交わした約束を除いて。


(行か……なくちゃ……)


 朦朧もうろうとした頭で、少女は歩き出す。


 一歩、二歩と脚を引き摺りながら、それでも前へ。


 だが、三歩目を踏み出そうとしたところで、ふと足が動かなくなっていることに気付いた。


(あれ……変、だな……)


 ぼんやりとそう思った瞬間、少女は大きく吐血し、その場に倒れ込んだ。

 全身が壊れていく感触。指の一本も動かせない。もはや痛みは感じず、五感も遠のいていく。鼓動の音など、もうずっと前から絶えていた。


 彼女が感じるのは、どこまでも静謐せいひつな死のとばり


 それでも少女は、最後の力を振り絞って、血濡れた手を虚空へ伸ばす。


「……ごめんね……初めまして……できなくて……」


 血だまりで出来た泥の中、少女の花弁に似た白い手が、静かに地面へ落ちた。



※※※※※※※※※※※※



 数時間後、コムギたち一行が現場へたどり着いた時、眼に入ったのは血の海だった。


 散乱した四つの遺体と、絶命したダーラルエルヴィア。そして、その傍らには――


「そんな――!」


 倒れ伏した少女の元へ、コムギは必死で駆け寄る。そして傍らにしゃがみ込むと、血にまみれた頬を優しく拭った。


 激しい戦闘の痕跡と、傷だらけの体。ここで何があったのかなど、一目瞭然だ。


 コムギは哀痛あいつうに顔を歪める。だが、涙は流さない。その代わり、少女の耳元へ笑顔で囁くのだった。


「頑張ったんだね……」


 そうしてコムギは、地面に落ちた少女の手を静かに包み込む。そこで初めて、少女の手が何かを握りしめていることに気が付いた。


 その中身を見た瞬間、コムギは大きく眼を見開く。


 偶然か、それとも意図してのことか――掌に握られていたそれは、青々とした一枚の若葉だった。


「そっか……あなたの名前、ちゃんと聞こえたよ。――初めまして、私の友達」


 コムギはそっと、シェパリシアの手を握りしめた。


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