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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
39/42

棺屋

 ヴォルゴ台地中腹、ジェコール湖へと続く鍾乳洞。

 主戦場からかなり距離のあるこの場所に、人気ひとけはほとんどない。ナギとコムギの二人は今、その入口に立っていた。


「よっし、行くわよ、ナギ!」


 真っ暗な洞窟の闇にも臆さず、コムギは果敢に足を踏み出す。


 しかし、何故かナギはその場を動かなかった。


「ナギ……? どうかした?」

「……ここから先は危険だと思う。……もしあれなら、その、コムギだけここに残っても……」


「はあ? 危険だからこそ、あんたを一人じゃ行かせらんないじゃない!」

「そうじゃなくて……」


 と言いかけて、やめた。コムギの頭には『足手まといになるかも』なんて思考はないのだ。それはもう、これまでの旅で嫌というほど知っている。コムギはいつだって、本気で保護者のつもりでいるのだ。


 それはナギにとっては傍迷惑はためいわくで……けれど何故か、何より嬉しいことだった。


「……うん、ありがとう」

「よっしゃ! んじゃ、改めて出発よ!」


 そうして二人は虚ろな洞へ足を踏み入れる。


 『ネクロマンサーがここにいるはず』……という王子の仮説が正しかったことは、鍾乳洞を進み始めてすぐにわかった。


 入口から数メートル離れるや否や、待ち構えていたように所属不明の兵士たちが襲い掛かって来たのだ。


「こいつら、あの地下室にいたのと同じ……!」

「……蘇生させた冒険者たち……だね。それも、こっちが本隊なんだと思う。強さが桁違いだ」


 と、ナギは推測を口にする。ただ、あまり説得力はなかった。なぜなら、地下研究室での戦闘と同じく、瞬きする間に全員昏倒させてしまったのだから。


「……でも、お陰でわかった。ここで正解だ」


 もはやナギたちに迷いはなかった。長い時が造り上げた天然の要害ようがいを、ひたすらに突き進む。途中、幾度となく伏兵に襲われたものの、それは足止めにすらならなかった。


 そうしてたどり着いた最深部。


 二人を待っていたのは、真っ青に澄み渡る美しい地底湖。――と、そのほとりにたたずむネクロマンサーの姿だった。


「やはり来たか――ナギ君」


 ダーラルエルヴィアは驚いた素振りも見せず、穏やかな顔で二人を出迎える。

 彼が立っているのは、湖の岸辺に刻まれた巨大な魔法陣の中央。周囲には山のような供物が配置され、更にはフードを被った人間が五十人ほど、陣外周部に均等に並んでいる。恐らくは魔力供給用の複製体魔術師だろう。


「想定していたよりもずっと早かったね。やはり、君は私にとって必要な人材のようだ」


 満足気に笑うダーラルエルヴィア。

 二人がここへ来たことで計画にさわるとはまるで考えていないらしい。


「……聞きたいこと、色々あるけど……レンカはどうしたの?」

「ああ、あの子か。自由にしたよ。実を言えば、彼女は改良前の実験体でね。どちらにせよ、もう肉体がもたない頃合いだったのだ。暗示をかけなくとも私のためによく働いてくれた、実に良いサンプルだったよ。解放したのは、せめてもの報酬というやつだ」


 ダーラルエルヴィアは平然と言ってのける。

 ナギは微かに唇を噛み締めたが、何も言わなかった。ナギはもう、眼前の魔術師を同じ人間だとは思っていない。


 人外の獣に人間の倫理をくほど、ナギは愚かではなかった。


「そんなことよりも、ナギ君、私は君の答えが聞きたい。……どうだい? 私と世界を覆す気になったかな?」


 それは、少年が前回答えることのできなかった問いかけ。……けれど今、ナギの心は決まっている。


「――死は、そんなに簡単なものじゃない」


 ナギは静かに言い切った。


「ならば屈すると?」

「だから考えていくんだ。死と折り合いをつける方法を」


「愚かな! それは己のための慰めであって死者のためではない!」

「僕は同じことを、あなたに言いたいよ」


 二人の言葉は平行線をたどる。

 ダーラルエルヴィアはもう反論しようとはせず、代わりに深い深い溜め息をついた。


「そうか……それは、残念だ」


 それは演技でも皮肉でもない、本心からの言葉だった。


「これはとても不幸な決裂だよ、ナギ君。我々は共に歩めるはずだった。同じ痛みを知る者として。……けれど仕方がないね。できれば、ありのままの君といたかったが……こちらで少し手を加えるとしよう」

「あんた、今度はなにたくらんでるの?!」


 老人の不穏なもの言いに、コムギは思わず問う。

 ダーラルエルヴィアは、隠そうともせずに答えた。


「なあに、簡単な暗示さ。そう、キミの奥に眠る死への恐怖を、ほんの少し強めるだけのね」


 老人の微笑を見た瞬間、コムギの背筋を冷たいものが走った。その台詞は、個の人格というものに一片の価値も見出していないからこそできる発言だ。そして、ダーラルエルヴィアは更におかしなことを口走った。


「私だけじゃない、きっと‘彼ら’も君を待っている」

「彼ら、って誰のこと……?」


 ダーラルエルヴィアは、今度はもう答えなかった。が、代わりにそっと右手で合図を出す。すると、これまで彫像のように動かなかった周囲の人間たちが、一斉に被っていたフードへ手を掛けた。


 その時になって、ナギは初めて違和感に気付く。


 ――少なすぎる。


 ナギや魔術大臣の見立てでは、魔力を集めるために必要な魔導師の数は三百人。だがフードの集団は、多く見積もっても五十人に満たない。この数百人分の欠落は、一体何を意味するのか――?


 そしてナギは、最悪の仮説に思い至った。


「さあ……御対面だ!」


 地底湖に木霊するダーラルエルヴィアの声。

 厚いフードが取り払われ、隠されていた顔があらわになった。――瞬間、コムギが絶句する。


「――そんな、この人たちって……」


 フードの下から現れたのは、先ほどの兵士たちと同じ虚ろな相貌そうぼう。洗脳された複製体だということはすぐにわかる。


 けれど、コムギを驚愕させたのはそんなことではなかった。


 宵闇色の黒髪と、夕陽のような灼眼――並び立つ五十の複製体はみな、一目でわかるほどにナギやレンカと酷似していたのだ。


「いかがかな、ナギ君? ――八年ぶりに‘同族’と再会した感想は」


 かつて滅ぼされた世界最凶の暗殺一族――柩鬼。

 万象を強化する彼らの傀呪さえあれば、魔術師はダーラルエルヴィア一人で十分だったのだ。


 少年が一度は失った家族たちが今、八年の時を越えて彼の前に立ちはだかったのである。


「『死はそんなに簡単なものじゃない』――ナギ君、君はそう言ったね? ならば君にはできるかな? 愛する家族を再び、あのおぞましい死の世界へ蹴落けおとすことが?」


 ダーラルエルヴィアの言葉も耳に入らないまま、ナギは怯えながら後ずさっていた。

 のっぺりとした蝋人形じみた相貌。さながらデスマスクのように並ぶ面々を前にして、少年の足は小刻みに震える。頭の中では、あの日の光景がぐるぐると蜷局とぐろを巻いていた。


 この状況は想定しておくべきだった。――僅か残った理性が、己の失態を悔いる。


 そもそもあの老獪ろうかいな魔術師が、『同じ傷を共有しているから』などという感傷的な理由で自分を勧誘するはずなどなかった。ダーラルエルヴィアが欲していたのは、自身のネクロマンスを補佐する完全な傀呪の力だったのだ。だとしたら、手元に眠る柩鬼の遺体をそのままにしておくはずがない。


「どうした? なぜそんなに追い詰められたような顔をする? 案ずることはない。君さえ私の元に来てくれれば、彼らの暗示はすぐにでも解除しよう。その後は、君が彼らに昔のことを教えてあげればいい。きっとみなも喜ぶだろう。そうしたら、君は昔のように父上や母上と共に暮らせるのだ。永遠にな」


 狡猾な魔術師は、先ほどまでとはうってかわって甘い言葉を囁いた。

 今手を伸ばせば家族のぬくもりを取り戻せるかも知れない――その誘惑は、十四の少年の耳にどこまでも心地良く響く。


 ダーラルエルヴィアとの決裂を決めた時から、ナギとて家族が蘇らないことは覚悟していた。それだけの決意を以てあの地下牢から逃げ出したのだ。


 しかし今、愛する一族の皆が目の前にいる。死者を蘇らせないことと、もう一度自分の手で殺すことは全く別の行為。たとえ結果的には変わらないとしても、それを少年に強要するのはあまりに酷すぎる。


 ダーラルエルヴィアの切り札は、非情なまでに少年に対して効果的なのだった。


 だが――


「……僕は、それでも……やらなくちゃいけないんだ……」


 ナギは震える手でナイフを掴む。


 自分の背中には、両国に住まう人々の命がかかっている。もしもここでダーラルエルヴィアの計略をくじけなければ、たくさんの人が犠牲になるだろう。それは何としても阻止せねばならない。たとえ愛する親兄弟を斬り捨てることになろうと、たとえ共に育った親友たちを引き裂くことになろうと、自分がやるしかない。


「……みんなの、ために……!」


 故に少年は、人々のためその手に武器を構え――かけたところで、後ろから待ったをかけられた。


「あーもー、聞いてらんないわ! ナギ! そんな蚊が鳴いてるみたいな声で言っても、全っ然説得力ないのよ!」


 と、なぜかカンカンになって少年を叱りつけるコムギ。

 その矛先は更に、ダーラルエルヴィアへと飛び火する。


「あんたもよ、爺さん! 黙って聞いてりゃねちねちねちねち! こんな子供相手に嫌味ったらしい言い方して、恥ずかしくないわけ?」

「ほほう、これは手厳しいな」


 対するダーラルエルヴィアは、まともに取り合おうとせず嘲笑ちょうしょうすだけ。コムギに戦闘力がないことなど誰が見ても一目瞭然。ある意味当然の反応だ。


 ナギは慌ててコムギを止めようとするが……


「こ、コムギ、今は黙って――」

「黙るのはあんたの方!」


 コムギはぴしゃりと言い放つ。


「なんであんな奴の言う通りに戦わなきゃいけないのよ?!! おかしいでしょうが!!!」

「い、今はみんなのために仕方ないから……」

「ええーい、うっさい! 家族と戦うのが仕方ないことですって? んなわけないじゃない! 子供が無理矢理自分の家族と戦わされなきゃいけないなんて、そんな道理があってたまるかってのよ!」


 堂々と言い切るコムギに、ダーラルエルヴィアは少しだけ興味を持ったらしい。


「……ふむ、面白いことを言う子だな。……ならばどうするというのだ? 私がこれからすることを、そこで大人しく見ていてくれるのかな?」


 挑発とも、からかいとも取れるおどけた口調。それに対してコムギの口から飛び出した答えは、まるで予想外のものだった。


「だから、私がやるわ!!!」


 その宣言を耳にして、束の間硬直するナギ。

 ダーラルエルヴィアでさえ、しばし言葉を失った。


「む、無茶だよ、コムギ!」

「私もナギ君に同意だな」


 老人はあくまで冷静にいさめる。


「君からは何の力も感じない。私を打倒するどころか、この状況に介入することさえ不可能だ」


 ダーラルエルヴィアの言葉は至極正論。百人に尋ねれば九十九人が、彼の判断が正しいと言うだろう。


 けれど、そんなダーラルエルヴィアにも一つだけ誤算があった。……それは、他でもないコムギ自身が、論理など通用しない残りの一人であることだ。


「はあ? 何言ってのよ、爺さん。ちょっとボケてんじゃない? 私がいつ‘できる’か‘できない’かの話をしたってのよ? 私は‘やる’って言ってんの!」


 コムギは幼児並の理屈を真面目な顔で言ってのける。そして大きく息を吸うと、洞窟中に反響するほどの大見得おおみえを切るのだった。


「子供とその家族を戦わせるなんて、神様仏様お天道様が許しても、このコムギ様が許さない!!!」


 木霊するその声を聞きながら、ダーラルエルヴィアは絶句する。論理性の欠片もない勢いだけの言葉。彼の眼から見れば、コムギはほとんど珍獣に見えていた。


 そんな敵の視線にもおかまいなしに、コムギは少年をかばうように前へ出る。


「……ほら、ナギ。危ないから下がってなさい」

「待って、コムギ……」


 引き止めようと、後ろから袖を掴むナギ。その頭に、コムギは優しく手を乗せた。


「大丈夫よ。怖がらないで。……私が絶対、守ってあげるからね」


 そうしてコムギは、腰の剣へ手を掛ける。


 ナギと出会った時からげてはいたけれど、なんだかんだで一度として抜いたことのない剣。引き抜かれたそれは、びついてぼろぼろのなまくらだった。刃こぼれだらけの刀身には赤錆が浮き、鈍磨した剣先はすっかり丸みを帯びている。こんな様子では、戦うどころか木の葉一枚切ることさえできないだろう。


 だというのに、コムギは少年の前に堂々と立ち、斬れないはずの剣を構える。


 そんな少女を見るダーラルエルヴィアの眼は、理解できない困惑に満ちていた。


「わからん……わからんな。君の行動が、私にはまるで理解できない。……君の眼は本気だ。虚勢でも、はったりでも、何か策があるというわけでもない。勝てないことなどわかりきっているのに、なぜ……? そんななまくらの剣で何ができるというのだ? 不可解だ、わらかぬ……なぜそこまで……」


「ふん、あんたはわからないんじゃないわ。忘れただけ。本当は知ってるはずよ。小さい子供にはね、不条理なことが一杯降りかかってくるの。子供がする悪いことなんて、せいぜい悪戯がいいとこなのに、この世界は割に合わないひどい罰を下すこともある。だからこそ、大人はちゃんと守ってあげなきゃいけないし、守りたいって思うのよ。……もしも本当に、その気持ちがわからないっていうんなら――あんたはもう、親であったことさえ、忘れてる」


 それは年端もいかぬ愚かな少女の言葉。本来なら耳を傾ける価値などなく、ゆえに説得力など欠片も持たないはず。……なのに、ダーラルエルヴィアの心はなぜだか無性に掻き乱された。


 そして気づけば、いつの間にか怒声をあげていた。


「黙れ、小娘が! そんな言葉は、貴様が無知であるから言えるだけだ! どれだけ固く掴み止めようとも、生まれたての小さな若葉はいとも容易く指の隙間から零れ落ちていく! その無力感を知らぬから、貴様はそんなことが――」


「――知ってるわよ、嫌というほどね」


 ダーラルエルヴィアはその時初めて気が付いた。少女の眼の奥にも、自分やナギと同じ死への怯えがこびりついていることに。


 けれど決定的に違うのは、その眼の向いている先だった。


「だからこそ、何度だって手を伸ばすんじゃない。これから零れ落ちてしまいそうな子へ。今、この時、自分の目の前で泣いてる子へ! 子供を無理矢理家族と戦わせるですって? んなもん許されていいはずないでしょ! そんなことさせるような奴はね、王様だろうが乞食だろうが、死んでようが生きてようが、神様だろうが悪魔だろうが――この私がぶんなぐってやる! さあ、ごちゃごちゃ言ってないでかかってきなさいよ!」


 コムギの声は洞窟中の壁に反響し、びりびりと湖面を震わすほどに轟く。――そしてその叫びは、小さくなって怯えていた少年の心にも響いたようだ。


「……コムギ、もう大丈夫だよ」

「ナギ、いいから下がって――」

「――コムギ」


 再び名前を呼ばれた瞬間、コムギはハッとして振り向く。


 気づけば少年の声はもう、震えてなどいなかった。


「僕は、大丈夫だから」


 少年はもう一度、落ち着いた声で繰り返す。


「僕がやるよ。……やらなきゃいけないからじゃない。僕自身がそうしたいんだ」

「ナギ……」

「……でも、ちょっとだけまだ怖いから、その剣、貸してくれる? そしたら……きっと頑張れると思うんだ」


 コムギは何も言えず、ただ剣を手渡した。心を決めた少年に、今更かける言葉などない。


 だがそれでも、コムギは歩き出す少年の背中へ向けて、大きな声で叫んだ。


「ナギ――ちゃんとここにいるからね! 見てるからね!」

「……うん」


 刹那、ナギの傀呪がほとばしり、錆びた剣を包み込む。その黒き呪いが普段と少しだけ違うことに、コムギは気づいた。


 例えるならば、これまでの傀呪はあらゆるものを破壊する真っ暗な嵐。けれど今、ナギの手から流れ出るのは、まるで、そんな嵐の後にだけ訪れるどこまでも穏やかな夕凪ゆうなぎのようで――ただひたすらに、静謐せいひつだった。


「……みんな、ごめんね。あの時、逃げ出して。背負ってあげられなくて。……でも今、ようやく戻って来られたよ」


 ナギは居並ぶ一人一人の顔を見つめる。この八年間、片時も忘れず恋い焦がれた故郷の一族。これまで育ててもらった感謝は限りなく、思い出など数えようとすればきりがない。もしも叶うのならば、また皆と一緒に暮らしたかった。


 けれど、ナギは静かに剣を構える。


 それがあの日、唯一生き残ってしまった自分に出来る、最後の恩返しなのだから。


「――さあ、終わりにしよう」


 ゆっくりと歩み出すナギ。

 そんな少年に気圧けおされて、ダーラルエルヴィアはふらふらと後退した。それは自分でも理解できない、無意識の行動。老人はそこで初めて、自分があの少年を恐れていることを自覚した。


「有り得ぬ、この私が死以外のものを恐れるなど……! そうだ、お前にはできない。できるはずがない! 死を知っているお前に、家族を殺すことなど! ――違うと言うのなら……証明して見せろ!」


 ダーラルエルヴィアの号令が轟く。瞬間、複製体の柩鬼たちが、一斉に動いた。


 複製レプリカとはいえここにいるのは五十体もの傀呪使い。その総量としては、決してオリジナルにも引けをとらない。加えて、一級の魔術品で装備を固めた複製体たちに対し、ナギの手にあるのは錆びついたなまくら剣だけ。武器の性能も考慮すれば、天秤は大きく複製体側に傾くはず――


 だというのに、ナギの足は止まらなかった。


 踏み出す一歩は決して乱れず、振り抜く一太刀は少しもぶれない。ただ静かに剣を閃かせ、襲い来る複製体の命を摘み取っていく。

 

 迷いがない……はずがない。刃を交えている相手は、少年にとって焦がれ続けたかけがえのない家族。それを再び殺すことに何の感情も抱かぬのならば、最初から苦悩したりなどしない。


 だがそれでも、少年の剣がにぶることはなかった。


 美しい傀呪を身に纏い、剣と一体となって舞い踊る。その姿はあまりに鮮やかで、少年が斬っているというよりも、複製体たちが自ら彼の剣に飛び込んでいるようにさえ見えた。そう、まるで、仮初かりそめの生を断ち切り、安寧の眠りへ帰りたがっているかのように。

 

 それは長いようで短い、走馬燈そうまとうの如き剣舞。


 ――そうしてすべてが終わり、静寂が辺りを包み込んだ時、立っていたのは返り血に塗れてなお穏やかな少年だけだった。


「馬鹿な……こんなことが起こり得るはずが……?!」


 周囲に散乱する骸を前に、ダーラルエルヴィアは呆然と呟いた。幾千の検体の命を代償として造り出した切り札。それらがみな、たった一人の少年によって元の肉塊へ戻された。それは彼の理解を大きく越える異常な事態だったのだ。


「これで終わりだ。ダーラルエルヴィア。……もう投降してくれ」


 ナギは静かにそう言った。

 善悪は別として、ダーラルエルヴィアは理智的な男。勝敗が決したことは理解できているはず。ナギはそう考えていた。だが……


「くくく……くくく……」


 老人は突如、不気味に笑い出す。


「……ナギよ。お前は正しいことをしたつもりかも知れん。確かに、これから殺されるはずだった者にから見れば、お前は英雄だろう。……だが、既に大切なものを失っていた者にとってはどうだ? そして、これから大切なものを失う者にとっては? ……私をくじくことは彼らの希望を手折たおることと同義! お前は未来を救った英雄などではない! 世界を死の苦しみから救う唯一の答え、それが私という存在だったのだ!」


 ダーラルエルヴィアは断言する。それはナギをなじるための理屈などではない。本心から口にされた言葉だった。


「答えろ、ナギ! お前はこの世界を、死の恐怖からどう救う? よもや目先の小さな命に拘泥こうでいし、何の対案もなく私を止めたのではあるまいな?」


 ダーラルエルヴィアの眼光がナギを射抜く。一片の誤魔化しをも許さぬその問いに、ナギは静かに頷いた。


「そうだよ。僕はまだ考えている途中だ。……でもそれは僕だけじゃない。死ぬこと、生きること、苦しいこの難問を、みんなが考えてる。過去に生きたすべての人もそうだし、これから生きるすべての人も、きっと考えるんだ。……だからダーラルエルヴィア、答えを急いじゃいけないんだ。みんなが自分の答えにたどり着くその日まで」


「あの地獄の苦しみを、すべての人間に味わえと? 死の恐怖を、苦痛を、誰よりも知っているお前が、同じものを背負わせようと言うのか? ……くくく……なるほど、柩鬼とはよくいったもの。お前はまさしく鬼だな。……ならば、貴様が見届けろ、ナギ。恐怖にまみれた人間たちの死に様を! 苦しみに満ちた遺族たちの生き様を! そして今日この日、己が下した選択を悔い続けるが良い!」


「……最初からそのつもりだよ。だって、僕は――」


 ネクロマンサーの科した巨大な十字架。呪いにも等しいその言葉は、あまりにも重い。しかし、それでも少年は背負うのだ。なぜなら、彼は――


「――‘棺屋’だから」


 恐れ、迷い、躊躇い……少年の眼にはたくさんの感情が渦巻いている。けれど、そんな臆病な瞳の奥に輝く何かは、決してダーラルエルヴィアの理解が及ばぬものだった。


 そして、ナギが自分とは別の道を歩み始めたことを、老人はとうとう理解した。


「……そうか……死者を見届ける役割を、自ら背負うか……」


 顔を伏せた老人の声音からは、疲労と倦怠けんたいが滲み出ている。


 しかしダーラルエルヴィアが次に顔を上げた時、その口元は張り裂けるほどに大きくわらっていた。


「……ならば、私がその最初の一人だな!」


 刹那、地面に刻まれた術式が不気味に輝いた。溢れ出る光は際限なく膨張していく。……ダーラルエルヴィアが術式の制御を止めたことで、蓄積されていた魔力が暴走を始めたのだ。


 そして止める間もなく、山一つを覆うほどの甚大な魔力が爆風となって解き放たれた。


 うず高く積まれた供物、散乱する複製体の遺体、更にはダーラルエルヴィア本人さえも巻き込んだ、凄まじい破壊の波。それは地底湖に存在していたあらゆるものを、一瞬にして無に帰す。


 ――だが、何もなくなったはずの空間に、棺が一つ、ぽつんと立っていた。ナギが背負っていたものだ。そしてその後ろから、ひょいっと顔を出したのは……


「だああ……た、助かった……」

「……ギリギリだったけどね」


 傷一つない二人の姿だった。

 黒衣だけでは防御しきれないと踏んだナギは、傀呪を籠めた棺を盾にして凌いだのだ。


 ただし、それですべてが終わったわけではなかった。


 ナギたちはダーラルエルヴィアの自爆を防ぎはしたが、鍾乳洞そのものは別。


 ピシッ――という不穏な音と共に、壁や天井に無数のひび割れが広がっていく。元々脆い石灰質の岩盤が、爆発による衝撃で崩壊を始めたのである。


 二人がいるのは地下洞窟の最深部。こうなってしまえば、ナギの俊足を以てしても地上まで逃げるのは不可能。


「くっ……コムギ!」


 ナギは思わず、隣の少女を庇おうと覆いかぶさった。それがどんなに無意味な行為でも、体が勝手に動いてしまったのだ。けれど、同じことを考えたのは少年だけではなかったらしい。


「ナギ――! って、あれ?」


 ゴツン、という音がして、二人の頭上に火花が飛ぶ。


 咄嗟とっさに互いが互いを庇おうとしたせいで、ナギとコムギは正面から額をぶつけあってしまったのである。


「ちょ、ちょっと、何すんのよ!」

「そ、それはこっちの台詞だろ!」


 と、喧嘩を始めかけた二人の真横に、どでかい岩盤が落下した。


「と、とりあえず……」

「……逃げよっか」


 今は言い争っている場合じゃない。顔を見合わせた二人は、一時休戦でひたすら入口の方へ走る。……が、駆け出そうとしたその先から、突如、真っ黒なカラスの群れが飛び込んできた。


「うぎゃあ、今度は何よ~!??」


 半泣きのコムギをよそに、どんどん数を増すカラスの大群。

 みるみるうちに洞窟内を埋め尽くしたかと思うと、カラスたちはどろどろと融合し、巨大な人間のシルエットに形を変える。そして恐ろしく巨大な体で、崩れかけた洞窟の天井をがっちり支え止めたのだ。


「これ、もしかして……」


 天井を支える巨人の影を見て、コムギがはっと気づく。それに回答するかのように、奥から女の声が響いてきた。


「――何してる? 地底湖観光なら後でやれ」


「……せ、先生……!?」


 入口の方からぬらりと現れたのは、相変わらず表情の読めない女棺屋――ヒツギ。見れば、背中に負った棺の蓋が微かに開いている。


 ――一体どんな魔法か、カラスの群れはその棺の中から無尽蔵に湧き出ているらしい。


「……まったく、世話の焼ける子供たちだ」

「「……す、すみません……」」


 そうして三人は、影の巨人が造るアーチを抜けて、崩落寸前の洞窟から脱出する。だが思わぬ再会は、ヒツギとだけではなかった。


 地上にはもう一人、ナギたちを待つ者がいたのだ。


「――ああ、ナギさん、コムギさん。良かった、御無事なようですね」


 外気と共に二人を出迎えたのは、大量の兵士を率いた王子の笑顔だった。


「ざ、ザウクリン王子……?! なんでこんなところに?」

「お二人の加勢に、と思って駆けつけたのですが……申し訳ありません。遅すぎましたね……」


 見れば、王子も配下の兵たちもみな武装している。ダーラルエルヴィアと戦うための討伐隊らしい。

 そして、王子は更に付け加えた。


「それからもう一つ……コムギさんへ、王から言伝があります」

「私に……? あっ! ま、まさか、不敬罪ふけいざいで逮捕、とか……?!」

「……ああ、そういえばコムギ、好き放題言ってたもんね……」


 会議室でのことを思い出したコムギは、途端に青くなる。あの時は思い切り怒鳴りつけてしまったが、冷静に振り返ればどう考えてもまずい行為だ。


 けれど、王子は苦笑しながら首を振った。


「いいえ、その逆です。……王はあなたに『ありがとう』と。本当はご自分の口から伝えたがっていたのですが、王には今、何より優先すべきことがあるので」

「もしかして、それって……」

「ええ、王は決断なされました。……休戦協定の書簡しょかんを携えて、御自身でガルマギア皇国へ向かっているところです」


 ナギとコムギは信じられないとばかりに顔を見合わせる。

 勢い込んで王に説教をかましたのはコムギ自身ではあるが、一国の王としてはあまりにも大胆な行動だ。


「あの……私が聞くのもあれなんですけど……大丈夫なんですか?」

「どうでしょう。私にはわかりません」


 王子は偽ることなく率直に答えた。


「……ですが、ルーシャ連邦もガルマギア皇国も、住んでいるのは同じ人間。ならばきっと、平和を望む心も一つでしょう」

「そうね。殺し合いが好きでやってる人なんて、そうそういないわよね。引っ掻き回そうとしてた爺さんの計画も潰れたことだし、きっと上手く行くわよね!」


 コムギは前向きに頷く。少なくとも、目下の戦争の種であったダーラルエルヴィアはもういない。和約に横やりが入ることだけはなくなったはずだ。


 ただ、ナギだけは浮かない顔をしていた。


「……ちょっと、どうしたのよ、ナギ? さっきから暗い顔して。これでひとまずは解決じゃない? 早くレンカを探しに行きましょう?」


 ネクロマンサーの脅威は消え、国家間交渉も二人には手の届かない領域に至った。残る大きな問題は、自分を見失い彷徨さまようレンカだけ。


 そう思っていたコムギに、ナギは不穏な推測を告げた。


「いや……多分、だけど――ダーラルエルヴィアはまだ生きてる」

「はあっ?! それ、どういうこと? だってさっき、私たちの目の前で自爆したじゃない!」


「……それが不自然なんだよ。あの人にとっては娘を蘇らせることがすべてだった。そのためなら世界を敵に回すだけの覚悟があった。そんな人が、自分から死を選ぶとは思えないんだ。最後の最後まであがくはずだよ」

「じゃあ、地底湖に居たあいつは……?」


「……多分、ダーラルエルヴィア本人の複製体だ。本来なら、自分のコピーが存在していれば自我が持たない。十中八九正気を失うと思う。……けど、彼は既に、ずっと前から……」


 ナギはそこまで口にして、言葉を切る。そして、傍らに立つヒツギをあおいだ。


「……先生、そうでしょう?」

「……ああ、そうだ。奴のもう一つの体は生きている。今もこの台地から逃走中だ」


 まるで今見ているかのように、ヒツギははっきり断言した。


「なら、追いかけて捕まえなきゃ! あいつ、絶対にまたどこかで同じことをするわ!」


 何のためらいもなく駆け出そうとするコムギ。ナギもまた、その背中に従った。

 しかし、そんな二人を引き止めたヒツギは、今一度問いかける。


「……場所はわかる。案内してやることもできる。……だが、その先にはきっと、お前たちの見たくない光景が待っているぞ。――それでも行くのか?」


 二人は束の間顔を見合わせ――揃って頷いた。

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