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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
33/42

明日のために

「おいっ、暴れるなこのスパイめ!」

「ちょっと、そんなにひっぱんないでよ!」

「お前がじたばたするからだろう!」


 間抜けな失態から身元がばれたコムギは、現在進行形でひったてられている最中。その連行される先は、施設の地下にある監獄棟だ。


「ええい、うっさい! 私は大冒険者コムギ様よ!」

「おや? スパイマスターじゃなかったのか?」

「ぐぬぬぬ……」


 懸命に吠えるのも虚しく、コムギはひょいっと牢屋に放り込まれてしまった。


「いたっ! ……もうっ! 覚えてないさいよ!」

「あーはいはい、わかったわかった」


 適当に聞き流しながら、守衛は別の兵士が手に持っていたトレイと水差しを、檻の下から差し入れる。


「ほら、昼分の飯だ。一応決まりだからな。寛大なムスタファ様に感謝しろ」

「えっ!? ごはん!? やったー……って、何よこれー!」


 昼食、の一言にあっさり自分の置かれた状況を忘れるコムギ。だが、差し出されたトレイを見て悲鳴をあげた。


「パン一個ってこたあないでしょ! 私は犬かっての! 足りない、足りない、足りなーい! 私は待遇改善を要求する!」

「だーもー、こいつ、捕まったことより飯の方が大事なのかよ……わかったから騒ぐな、しばらくしたら何か持ってくるから」

「ふんっ、当然よ。早くしなさいよね!」


 ぶつくさ言いながら、衛兵たちは去って行く。


 一通り文句を叫んだ後、コムギは「さて」と瞳を閉じて思案を始めた。

 捕まってしまったものは仕方ない。今模索すべきは、脱獄の手立てだ。


 と、脱獄方法について十秒ほど考えを巡らせたところで、コムギはぱちっと眼を開ける。もちろん、一挙打開の妙案を思いついた……わけではなかった。


「……ま、後で考えればいっか。腹が減ってはなんとやらって言うしね!」


 ポジティブすぎる一人ごとを呟きながら、大きくパンにかじりつくコムギ。

 そんな彼女の元に、隣の牢屋から思いもよらぬ声が聞こえてきた。


「――相変わらずだね、コムギは」

「んんっ!? ごほ、ごほ……ごくん」


 不意の声に驚いてごくりとパンを飲み下したコムギは、がばっと鉄格子に飛びついた。


「もしかして、ナギ!? あんたなの!?」

「……三日待ってって、言ったのに」


 隣接した房であるため顔は見えない。けれどその声は、紛れもなくナギのものだった。


「……せっかちすぎるよ、コムギは」

「むむっ、御挨拶ね! あんたを探しに来てあげたんじゃない!」


「捕まってるじゃないか……だからコムギには潜入なんて無理って言ったんだよ」

「あら、何言ってんの? ばっちり成功じゃない。――こうしてあんたを見つけたんだからね!」


 と、コムギはドヤ顔で胸を張る。


「これも計算のうちってやつよ!」

「……じゃあ、脱獄の方法は考えてあるの?」

「そ、それは……」


 口ごもるコムギは、またしても思考を放棄した。


「……とりあえず、ごはんを食べてから考えましょ! 腹が減ってはなんとやらって言うしね! ……まあ、こんなパン一つじゃ全然足りないんだけど……」


 コムギはうらめしげに食べかけのパンを見つめる。すると、隣の鉄格子の隙間から、すっとパンが差し出された。


「……お腹空いてるなら、パン、あげるよ」

「マジ?!! やったあ!!!」


 とこちらも格子の隙間から手を伸ばすコムギ。が、そこでふと気がついた。


「……ってあれ? 待って、このパンあんたのでしょ? 食べないの?」

「……僕は……別に、いらないから……」


 その言い方で、コムギは大方の事情を察した。


「あんた、まさか捕まってから何も食べてないんじゃないでしょうね?!!」

「……別に、僕の勝手だろ」


「馬鹿っ! 子供がごはん食べないでどうすんのよ! 大きくなれないわよ!」

「……コムギには、関係ない」


 突き放すようにそう言って、ナギは格子越しにパンを振る。


「……ほら、お腹、空いてるんでしょ」

「こんの……!」


 腹に据えかねて、コムギは手を伸ばす。その指先が掴んだのは、パンではなくナギの腕だった。


「……何? 食べるなら早く――」

「――心配、したんだから……馬鹿」


 痛いぐらいに肌に食い込むコムギの手。その温かな指先が、微かに震えている。 

 それに気づいたナギは、ようやく少しだけ素直になった。


「……大丈夫、コムギは絶対解放させるから。僕が協力を約束すれば、あの人はそれぐらいしてくれるはずだ」

「きょ、協力って、どういうこと? それに、私は、って……あんたはどうなんのよ?!」

「僕は……」


 答えようとして、ナギは口をつぐんだ。答えなかったのではない。答えられなかったのだ。


「……僕は、わからないんだ。どしたらいいのか……」

「ナギ……?」 

「みんなに謝らなくちゃいけないんだ……あの日、目が覚めた時には、全部終わってた。みんな死んでいた。誰も返事をしてくれなくて……父さんも、母さんも、姉さんも……」


 ナギの手が震えだす。過去の思い出、などという域ではない。ナギの尋常でない怯え方は、今まさに地獄絵図を目の当たりにしているかのようだった。……いや、少年には本当に見えていた。瞼の裏に焼き付いて離れない、その日の光景が。


「怖かったよ……すごく怖かった。大好きなみんなを、そんな風に思っちゃいけないって、わかってるのに……怖くてたまらなかった。……だから、逃げたんだ……助けを呼んで来るって、自分に言い訳して……」


 ひどく怯えながら、それでもナギは絞り出すように言葉を紡ぐ。


「でも、でもね、姉さんだけは、ちゃんと連れて行ったんだ。……連れて……行こうとしたんだ……本当なんだよ……嘘じゃない……でも、姉さんは、どんどん姉さんじゃないものに変わっていったんだ……冷たくて、粘ついていて、嫌な臭いのするものに。……僕の背中の上で、とても怖いものに変わってしまった……だから……僕は……姉さんを――」


 ナギの言葉が途切れる。


 だが最後まで聞かずとも、悲痛な声で語られる少年の過去をコムギは既に知っている。ヒツギから教えられた情報だけで、少年がその後、姉をどうしたのか、推測するのは簡単だ。故に、今この場でナギの話を遮ることもできた。自傷行為にも似た少年の告白をやめさせることが、コムギにはできたのだ。


 けれど、彼女はそれをしなかった。少年の小さな胸を抉る行為と知りながら、それでも歯を食いしばって、先を促した。


「それで……あんたはどうしたの?」 

「……僕は、僕は――捨てたんだ、姉さんを」


 コムギは悲痛な面持ちで眼を閉じた。

 瞼の裏に浮かぶのは、ヴォルゴ台地で見た腐乱死体。どんなに心を偽ろうと、あれはとても同じ人間だったものとは思えなかった。少年はそれを、肉親で体験してしまったのだ。


 大好きな家族が、背中の上で腐り落ちていく感触――六歳の少年にとって、それがどれほどの恐怖だったか。その重さに耐えられなくなるなど、当たり前のことだ。誰一人として、少年を責められる者などいるはずがない。


 けれどそう慰めたところで、ナギの中では何も解決しないことを、コムギはよく知っていた。世界中のすべての人間が彼を責めなくとも、他でもないナギ自身が自分を責めるのだから。


 そして今、少年の眼前には、唯一とも思える贖罪しょくざい方策ほうさくが転がっている。


「……ダーラルエルヴィアの蘇生術は本物じゃない。……けど、限りなくそれに近いんだ。そしてあの人には、それを本物に変える計画がある。……もし実現すれば、本当に死を克服した世界になるかも知れない。悲しい思いをする人がいなくなるかも知れない。……そしたら、僕の家族だって……」


 苦しげに息を荒げて、ナギは禁忌の呪法にすがりつく。

 その姿は、ムスタファを信奉する信者たちと同じ。だが少年にとっての不幸は、それが正しくない選択だと知ってしまっていることだった。


「……もうわからないんだ。間違ったことだって、思ってる。けど、もしもみんなが生き返ったら、僕はちゃんと謝れるんだ。あの日、僕が背負えなかった人たちに、許して欲しいって、言えるんだ……」


 ナギが小さな体に棺を負う理由。それは、かつて背負わずに逃げた者たちへの声なき謝罪。その赦免しゃめんへの悲痛な懇願は、しかし最初から無意味だった。なぜなら、彼に許しを与えることのできる者たちは、とうに死んでいるのだから。


 少年が背負った見えない棺は、絶望的なまでに重かった。本人すらつぶしてしまうほどに。


「苦しいんだよ、コムギ……何を選んでも、間違っているかも知れない……どこにも逃げ場がないんだ……こんなに苦しいなら、僕は、もう――」


 ――死んでしまいたい。コムギには、少年の言葉の先が聞こえた。


 呵責かしゃくの重さに耐えきれなくなった少年にとって、残されたたった一つの自衛手段とは、自分で自分を殺すこと。


 少年がパンを食べなかった意味を知り、コムギはただ絶句する。自死の方法として『絶食』に行き着いてしまうほど追い詰められた少年。その背中にかけるべき言葉など、誰にわかるだろうか。


 そう、救いなど最初から存在し得ないのだ。生者は彼にかける言葉を持たず、死者は彼にかける声を持たない。


 ――だから、コムギは慰めの言葉を口にせず……代わりに、自分のことを話し始めた。


「――私の生まれ育ったところはね、カタリ村って言うの」

「え……?」


 いきなり始まったあさっての話。

 ナギは微かに戸惑うが、コムギは構わずそのまま続ける。


「ずっと北の山の方にあってね、不毛の地なんて呼ばれたりもするところなんだ。本当に貧しい土地で、お肉なんて、一年に一度食べられるかどうか、って感じ。……それでも、みんなで支え合って暮らしてたの。村の子供たちの中では、私が一番の年長だったから、みんなのお姉ちゃんになってたのよ。……ああ、そうそう。私の『コムギ』って名前はね、お母さんが『いつでもお腹一杯パンを食べられますように』って意味でつけてくれたんだ」


 幸せそうに笑ったコムギは、しかしその悲しい結末を口にした。


「けど八年前に、村で疫病が流行ったの。普通の街では大したことのないものだけど、栄養が足りてない小さい子供にとってはそうじゃなかった。みんな次々に病気になって、村の子供で元気だったのは私だけ。だから、私も、大人たちも、みんなで一生懸命看病したんだけどね……結局、みんな死んじゃった」


 あっさりそう告げたコムギは、ナギがかける言葉を失っている間にもなお明るく続ける。


「私の二つ下の妹も、その中にいたの。ずっと高熱で苦しんでたんだけど、特に最期の数日はね、何を食べても戻しちゃうんだ。だから、『お腹が空いた』って言いながら死んでいった。……でもね、ナギ。妹が死んだその日にも、私はお腹が空いたんだよ」


 ひたすらに快活で純朴なこの少女は、きっと死とは無縁の人間なんだろう――ナギは今まで、なんとなくそう思っていた。けれど、初めて聞くコムギの過去は、想像よりずっとずっと陰惨なものであった。


 『だとしたら』……と、ナギは訝しむ。


 だとしたら、なぜコムギはこんなにも真っ直ぐに生きられるのだろう――?


「こんなの変だ、って思ったよ。妹が何も食べられず死んでいったなら、お姉ちゃんである私だって、もう何も食べられなくならなきゃおかしいでしょ? だって、それじゃ不公平じゃない。……でも、どんなにそう思っても、お腹は空いた。それで我慢できずに食べたパンはね、いつもと変わらずおいしかったの。その時ね、ああ、人間ってどうしようもない生き物なんだなって思って、私、どうしていいかわからなくなっちゃったんだ。死んだ妹や、子供たちのために、何をすればいいのか。けど、本人に聞こうと思っても、もう話すことはできない。……だから、妹のお墓の前に座って、一週間何も食べなかったりもした。そしたら、妹が心配して出てきてくれるかもって思ったから。でも無駄だった。……反対にね、お墓の前でお腹壊すぐらいパンを食べまくったりもしてみたよ。そしたら、妹が怒って出てきてくれるかもって思ったから。けど、やっぱり無駄だった。……それでまた思ったの。ああ、死んじゃうってそういうことなんだな、って」


 死、という絶対的な空白。その空無を恐れるがために、人間は死後の世界を想像し、全能なる神をも創造してきた。けれど幼すぎるが故に、少女は死を虚飾する手段を持たなかった。純朴すぎるが為に、途方もない虚空をありのまま受け入れるしかなかったのだ。


「だからどうした、ってわけじゃないんだけどね。私、頭良くないから。生きている私が妹たちのためにできることなんて、わからないまんま。……けどね、自分の中に閉じこもって、死人の振りをしてみても意味がないってことだけはわかるの。どんなに自分を誤魔化したって、お腹は空くし、眠くもなるし、嫌でも色んなことを考えちゃう。それが生きてるってことだから。……だから、答えを急がないで。どうしたらいいか、考え続けようよ。だから、答えを諦めないで、生きている限りは、迷い続けられるよ。だから、だからね、ナギ――」


 コムギは少年の手からパンを受け取ると、それをもう一度差し出すのだった。


「――明日また悩むために、今、パンを食べようよ」


 それは、決して巧みな説得などではなかった。およそ論理性の欠片もない、ただの感想。死という強大な壁の前には、そよ風程度の細微なものだ。――けれど、そんな小さな小さな風が、少年の閉じこもった重い棺の蓋を、ほんのわずかにずらしたらしい。


 ナギの手が、おずおずとパンを掴む。そしてためらいながら口元へ運んだ。


 最初の一口目はぎこちなく。指先ほどの欠片を、ゆっくり噛んでから飲み下す。


 次の二口目はもう少しだけ大胆に。確かめるように噛み締める。


 それから三口目、続いて四口目……徐々にがっつき始めたナギは、まるで数週間ぶりの食事にありついたかのよう。ただの味気ないパンに、夢中になってかじりつく。


 そうして最後の一口を食べ終えたナギに向けて、コムギはもう一つのパンを差し出した。自分に与えられていた方のパンだ。


「コムギ……」


 その行為に驚いてか、受け取るのをためらうナギ。

 コムギは笑って、少年の手にパンを押し付けた。


「いいのよ、あんたが食べなさい」


 手にしたパンをまじまじ見つめて、ナギは少しだけ沈黙する。そこには仄かに、コムギのぬくもりが残っていた。


 それからナギは、ぼそりと呟くのだった。


「……食べかけじゃないか……」

「んなっ! ちょっと、それ、この雰囲気で言うことっ!?」


 憤慨するコムギの声を聞きながら、ナギはくすくす笑う。そしてパンにかじりつくと、一かけ残さずたいらげた。


「うんっ、いい子!」


 コムギは満足気に微笑む。


 状況は一つも変わっていない。ナギが背負った過去は重く、答えは未だ遥か遠い。『明日悩むために生きる』などという考えは、実際問題単なる先延ばしにすぎなかった。


 けれど、太古の昔から連綿と続いてきたその大いなる先延ばしの連鎖を、きっと、人は命の営みと呼ぶのだろう。だとしたら、少年の負わされた死の重みは、決して孤独なものじゃない。


 過去に生きた者たちが、今を生きる者たちが、そして、これから生まれるであろうすべての者たちが、少年と一緒に悩んでくれる。――少なくとも、ここには確かに一人、少年と同じものを背負ってくれる少女がいる。


 そう考えるだけで、ナギの両肩は嘘のように軽くなるのだった。


「んじゃ、次の問題はここからどう脱出するか、よね……」


 ナギが元気を取り戻したのを見届けてから、コムギは鉄格子に向き直る。


「都合よく老朽化とかしてないかしら、これ」


 と、力一杯押したり引いたりしてみたものの、当然のことながら鉄格子はびくともしない。


「……無駄だよ。この牢屋には特殊な金属が使われてる。物理攻撃はもちろん、魔法も弾く特別製だ。普通にやっても、力づくじゃ脱獄は無理だよ」

「ぐぬぬ……無駄に豪華なのね……じゃあ逃げ出すチャンスを待つしか――」


 そう言いかけたコムギの隣で、バリバリという落雷のような轟音がしたかと思うと、今度は何かが砕け散る音がした。


「な、ナギ? あんた、一体何やって……」

「何って――」


 答えるナギの声は、もう隣の独房から聞こえて来るものではなかった。


「――脱獄、するんでしょ?」


 ひょいっと鉄格子の向こうに姿を現したのは、いつも通りすまし顔をしたナギ。脱獄案を練るどころか、既に脱獄を終えていたのである。


「え? え? と、特別製だから脱獄は無理なんじゃ……」

「普通なら、ね」


 平然と答えたナギは、コムギを閉じ込めている格子の鍵部に手を当てたかと思うと、おもむろに傀呪を流し込む。破壊の呪いを浴びた鉄格子は、ものの数秒で砕け散った。


「さあ、行こう。まず棺を取り返して、それから脱出。その後は……ダーラルエルヴィアを止めなくちゃ」


 そっと手を伸ばすナギは、どこか吹っ切れた顔をしている。

 コムギは不敵に笑うと、しかとその手を取った。


「上等! 大冒険者コムギ様に任せなさいっ!」

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