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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
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死者の誘い

「君なら理解できているだろう? ここにはネクロマンスを行使するためにこれ以上ない絶好の条件が揃っている。新鮮な死体、適度な混乱、死者に無関心な統治者……。この台地丸ごと一つ、世界統一の足掛かりとして私がもらう。そのために必要な魔術品の準備には、彼ら自身が協力してくれるようだしね」


 ダーラルエルヴィアの笑みを見て、ナギは先ほどこの施設で見た両国の外交官を思い出した。


「どうやら君も見たようだね。……そうだ、ルーシャとガルマギア、どちらの国も私を手に入れたがっている。無尽蔵の軍隊を、敵国に渡すわけにはいかないからね。私に様々な便宜べんぎはかってくれると喜んで約束してくれたよ。無論、必要な物資の援助も含めて。……その中に、たまたまネクロマンスに用いられる魔術品が混ざっていたとして、何か不自然かな?」


 そう、すべては計算の内。戦乱に乗じ両国の懐へ入り込み、自分たちを殺すための用意を自分たち自身にさせているのだ。


「戦場に眠る傀儡化可能な死者十五万。両国王都人口、あわせて五十五万。ここで得られるであろう七十万の軍勢を足掛かりとして、私は世界を掌握する。戦えば戦うほど増えていく不死者の軍隊だ。頭数としては十分であろう?」


 戦いの度に増殖する不滅の軍団。――ダーラルエルヴィアは、本気で世界と戦争をするつもりなのだ。


「もう一度言おう。私はネクロマンスによって世界を掌握する。しかる後に、複製体の製造に必要な生体を確保し、折を見て生者を一掃する。そして、複製体だけの世界を創り出すのだ!」


 世界征服という陳腐な絵空事は自らの手で実現しようとしている。それがわかるだけに、ナギにはどうしても不可解なことがあった。


「……なんで、それを僕に教える?」


 計画を知る者がいれば、失敗の可能性は飛躍的に増す。世界を対価に娘を蘇らせようとしている人間が、わざわざそんなリスクを背負おうとする理由が見当たらなかったのだ。


 けれど、ダーラルエルヴィアの答えはひどく簡潔だった。


「君は私と同じ――ネクロフォビア(死体恐怖症)だからだ」

「っ……! なんで……それを……?」


「言わずともわかるさ。……あの日、王都で初めてあった時、君はこの手に染みついた臭いを知っていた。――そうだ、死臭だよ。それも、ただの死臭とは違う。死のおぞましさを前にして、生者が放つ畏怖の香りだ。私はこれを、娘の遺体を解剖している時に知ったよ。ああそうだ、君の前でだけは告白しよう。あの時、私は確かに娘の死体を恐れた。いいや、嫌悪したのだ。愛しているのに、愛していたはずなのに、腐臭を発する娘の体が、私にはどうしても汚物にしか見えなかった。……君にも、同じ経験があるのだろう?」

「それは……」


 ナギの瞼の裏では、いつか見た夢の光景がちらついていた。

 そんな少年をじっと見据えながら、ダーラルエルヴィアは畳み掛けるように言葉を接ぐ。


「私にはわかるよ。君は誰より死者を恐れている。だがそれは臆病だからではない。誰よりも死を理解しているからだ。そう、死とは決して人間が太刀打ちできぬ恐怖そのもの。だというのに、他の人間たちは死を受け入れるべきものと意味づけしようとする。くだらぬ司祭たちは神の名の元に死後の安寧をさとし、民衆はそれにすがり冥福を祈る。そうやって死を受け入れることが正しいとでも言わんばかりに。……だがね、私に言わせればそんなもの、単なる自己欺瞞じこぎまんにすぎない。死とは、人間程度が受け入れられるようなちっぽけなものではない。死者のその後など、生者が気休めに語る戯言でしかない。その証拠に、どうだ? 奴らは死者を墓に埋めるだろう? 自分の見えないところに隔離しようとする。臆病なのは奴らの方だ。本当に死と対面したのならば、君や私のように、恐れること以外にできないはずなのだ!」


 老人の言葉に熱がこもる。揺れるナギの心を更に振り乱すように、ダーラルエルヴィアは声を大にして訴えかけた。


「そして、真に恐れているからこそ、我々は死に抗うことができる! 受け入れる、などという耳当たりの良い言葉で誤魔化す奴らは、生涯死から逃げ続けるしかない。だが、我々は違う! 死を理解し、死を恐怖したからこそ、立ち向かうという新たな選択肢を掴めるのだ! ――ナギ、私には君が必要だ。そして、君にも、私という理解者が必要なはずだ。私は娘を、君は一族の皆を、この手で取り戻すために。……どうか、私と共に戦ってはくれまいか?」


 ダーラルエルヴィアはナギに向かってそっと手を差し伸べる。


 それは危険な誘惑。ナギの理性はそう告げている。だが心が乱れたままの少年には、曖昧あいまいに首を振ることしかできなかった。


「僕には……できないよ……死者を蘇らせるために、今生きている人を犠牲にするなんて……」

「何を言っている? ナギ君。生きるとはそういうことではなかったのかね? 人間が生きようとする限り、必ず他者の命を摘まなければならない。それは、生物の肉を食べるなどといった目先の事柄ではない。わかるだろう? 一人が腹を満たせば、どこかで一人腹を空かせる者がでる。結局我々は、限られた椅子を奪い合って日々他者を蹴落としているのだ。それと同じことをするだけだよ」


「でも……それはいけないことだと思う……きっと、死んだ人たちだって喜びはしない……」

「なぜそうだと言える? 死者は死者だ。感情などない。歓びも悲しみも存在しない。死者の感情を代弁したつもりになり、自らの慰めに利用するのは、彼らに対する冒涜だ! ああ、友よ。倫理などというくだらぬものに囚われないでくれ。それは死から逃げる臆病者たちが作った、自己正当化のための言い訳だ」


「……ぼ、僕は……」


 反論しなければならない。頭ではわかっているのに、舌がもつれる。思考は乱れ、頭痛がひどい。頭が割れてしまいそうだ。あまりに多くのことを知りすぎた。


「……わからない、わからないよ……急に、そんな、一杯言われても……」


 ナギがやっとのことでそれだけ絞り出すと、ダーラルエルヴィアは少しだけ失望したような溜め息をついた。


「……急かしはしないよ。大丈夫だ。君はきっと、死に立ち向かうことができる。これからゆっくり考えればいいさ」


 というダーラルエルヴィアの声も、ナギにはもう届いていない。


 頭の中がぐちゃぐちゃだった。とにかく落ち着かなければならないと、それだけ考えて、ナギはふらふらと歩き出す。そう、帰るんだ。待っている人がいるから。


 亡者のような足取りで逃げようとするナギを、老人は何も言わず素通しさせる。ただ、ナギが扉をくぐりかけたその時、少年の背中に一言だけ声をかけた。


「――ナギ君。もしも君が複製体を禁忌の存在であると否定するのなら……彼女もまた否定するのかい?」


 ナギは答えなかった。

 老人から逃げたい一心で、ただがむしゃらにひた走る。隠し階段を抜け、廊下を駆け戻り、ようやく一階の聖堂へ。


 ――けれどそこには、少年を待ち受けている者がいた。


「ナギ……? ナギ、なのかい……?」


 大聖堂の出口、閉ざされた扉を塞ぐように立っていたのは、驚きの表情を浮かべるレンカだった。


「し、侵入者がいると、ムスタファ様から連絡があったのだが……まさか、キミだとは……」


 戸惑いを顕にするレンカ。だが、ナギの動揺はその比ではなかった。少年にとって彼女は、今、最も会いたくない人物だったのだ。


「どうしてだい、ナギ? なんでこっそり忍び込んだりしたんだい?」

「そ、それは……」


 ナギはもごもごと口ごもる。理由など言えるはずがない。


「……わかった、キミにも事情があるんだね。大丈夫、話はちゃんと聞くよ。だから、今はおとなしく投降してくれ。ね?」


 レンカはそう言いながら、一歩近づいた。しかしナギはなおも慄いた表情を浮かべたまま。それどころか、彼女の接近に対して、反射的に一歩後退した。


「ナギ……? キミはまさか、ムスタファ様の敵になるつもりなのかい……?」


 答えは無言。

 だが、レンカはそれを肯定と受け取った。


「一体……一体どうして?! ボクたちの家族を取り戻す唯一の方法なんだよ?! キミは家族に生き返って欲しくないの?! ナギ! 一緒にみんなを取り戻そう! ムスタファ様にはそれができるんだ!」

「レンカ……違うんだ……」


 少女はまだ真実を知らない。だからダーラルエルヴィアを盲信している。


 けれど、それがわかっていたとして、なんと説き伏せればよいのか。本当は蘇生などではなく、単なる複製にすぎないと告げればよいのか? そんなことが少年にできるはずがない。なぜならその事実を突きつけることは、すなわち眼前の少女の存在すべてを偽物と定義することに他ならないのだから。


「ああ、そうか。本当に蘇らせられるか、まだ不安なんだね。だから確かめに来たんだ! そうだろう? キミは王都で会った時も言っていたしね。それなら大丈夫だ! ほら、ボクが何よりの証明さ! 同じ柩鬼の一族なんだから、わかるだろう?」


 ナギは目を伏せたまま答えない。どんな顔をしてレンカの眼を見ていいか、少年にはわからなかった。

 その反抗とも思える態度を見て、レンカは腹を決めたようだ。


「……そうか。わかったよ。素直に言うことを聞く気はないんだね? ……なら、ごめん。先に謝っておくよ。ボクはムスタファ様の命令を遂行する。家族を取り戻すために。……たとえそれが、力づくでキミを従えることになろうとも」


 レンカの両手が、腰の両脇に備えられている鞘へと伸びた。そこから引き抜かれたのは、不思議な色味をした二振りの双剣。どちらも異様な妖気を放っている。明らかに普通の武器ではない。


「《ヴリトラハンの魔双剣》――ムスタファ様からたまわった、炎と雷を司る魔剣だよ」


 おもむろにそう説明したレンカは、次に両手首にめている腕輪を鳴らしてみせた。


「この二つの腕輪は《滴り殖える黄金の環(ドラウパニーア)》。装着している者の身体能力を大幅に引き上げる魔装。そして首にかけているこの首飾りは《月女神の落涙》と呼ばれる対魔術耐性を強化する装飾品だ。……それからもう一つ、ボクはより強力な魔術品を持っている」


 レンカの言葉を聞きながら、ナギはいぶかしげに眉根をひそめる。これから戦おうという相手に自分から手の内をさらす理由がわからなかったのだ。


 そんな困惑したナギの表情を見て、レンカはきっぱりと言い放った。


「これは警告だよ、ナギ。……キミも知っているよね? 『傀呪を持つ柩鬼同士の戦いでは、扱う武器で勝敗が別れる』――ボクが今挙げたのは、いずれもムスタファ様より賜った、超一級クラスの魔術品。ボクはこれから、この道具をフルに使ってキミと戦う。手加減はしない。はっきり言おう。キミに勝ち目はないよ。――それでも、キミはおとなしく捕まってはくれないんだね?」


 ナギは迷いだらけの手で、懐から短剣を引き抜いた。


「……いいだろう。なら、始めようか――柩鬼同士の戦いを!」


 レンカの全身から傀呪がほとばしる。身に纏ったすべての魔術品が不気味に輝き、怒涛の攻勢が幕を開けた。


 《滴り殖える黄金の環(ドラウパニーア)》の補助を得た、常人の域を遥か逸する身体能力。《ヴリトラハンの魔双剣》による、炎と雷の連続魔法。受けるか避けるかさえ曖昧なナギでは、太刀打ちできるはずもない。ものの数手で短剣を弾き飛ばされたナギは、なりふり構わずに逃亡を図る。だが、そんな逃げ腰を許すレンカではなかった。


「やめてくれ、ナギ! なぜ背を向ける!? どうして傀呪を使って反撃してこない!? キミは、その程度の覚悟で一族を裏切ったのか!? 頼むから、もうこれ以上……ボクを失望させないでおくれよっ!!」


 怒りの叫びと共に双剣から放たれたのは、業火と迅雷、両方の属性を併せ持つ巨大な竜。魔力によって造形された巨竜は、傀呪により黒化した牙を剥いてナギの背中へ襲い掛かる。


 間一髪、大きく横っ飛びで回避するナギ。だが、その先に待っていたのは、レンカの強烈な回し蹴りだった。……双剣が生み出した竜は単なる陽動にすぎなかったのだ。


 渾身の一撃を正面から喰らったナギは、激しく壁に叩きつけられた。後頭部に走る激痛。視界がくるりと反転し、意識が急速に遠のいていく。もはや起き上がることさえ不可能だった。


「……ごめん、ナギ。アンフェアな戦いだったことは認める。卑怯だとののしってくれて構わない」


 倒れ伏したナギを見下ろしながら、レンカは小声で呟く。


「……けど、負けるわけにはいかないんだ。ボクはムスタファ様の右腕であり続けなければならない。みんなを、家族を蘇らせるために。……覚えてなくたって、みんなはボクの、大切な家族だから……!」


 レンカの願いはただひたすらに純粋で……それ故に、余計ナギの心をさいなんだ。


「……違う、違うんだよ、レンカ……君、は……」


 ナギの言葉はそこで途切れる。


 一族、レンカ、ネクロマンサー、蘇生、複製体……ごちゃごちゃに混濁した意識の中で最後に浮かんだのは、なぜかあの少女の顔だった。

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