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骨と棺

 明くる昼。街の正門に続く大通りのど真ん中に、コムギの姿があった。

 迷惑千万にも、往来おうらいの最中で立ち止まっている。


「ふふ、ふふふふ……記念すべき朝! ……寝坊したせいでもう昼だけど……大冒険者コムギ様誕生の日! これは世界史に載るわね、うん」


 などといつもの調子で独りごとをこぼしては、不敵な微笑みを浮かべるコムギ。


「ふっふっふ! ふっふっふ! ……ふう…………」


 けれど、その含み笑いは徐々にしぼんでいった。昨夜の出来事が脳裏をよぎったのだ。


 『ありゃ正真正銘の死神だ!』――真に迫った酔っ払いの言葉。それがどういう意味なのか、もちろんすぐに問い詰めたのだが、「憑りつかれたら必ず死ぬ」だの「助かるには満月の夜に世界の中心で云々」だの散々恐ろしげな話をされた挙句、最後にはくわばらくわばらとおかしな呪文を投げつけられた後に逃げられてしまったのである。


「……はは、死神なんてナイナイ! どうせからかわれただけよ、ホラ話に決まってるわ!」


 ぶんぶんと頭を振って気を取り直したコムギは、ぶつぶつと呟きながら歩き出す。


「だいたいね、死神にとりつかれるなんて、そんな馬鹿なことが――」


 言いかけて、コムギは不意に口をつぐんだ。視界の端に何かとても嫌なものが映った気がしたのだ。おそるおそる振り返ってみると、次の瞬間、全身からさっと血の気が引いた。


 雑踏の波間に、見覚えのある棺桶が上下していたのである。


「み、見えてない、見えてない! 気のせいよ、うん!」


 懸命に自分を誤魔化してはみたものの、振り返る度に疑いようもなく棺桶の先端が視界に入る。行けども行けどもついてくるその長方形のプレッシャーに、コムギはとうとう真っ青になった。


「め、めちゃめちゃついてきてるんですけど~!??」


 白昼の往来で突如あわあわ言い始めるコムギの姿は、傍目から見れば立派な挙動不審である。が、当の本人にそんなことを気にする余裕などありはしない。


(やばいやばい、どうしよう……本当に憑りつかれちゃったってこと?! いやいや、でもここは街中なんだし、他の人に憑いてるのかも……そうね、きっとそうよ!)


 とりあえず気休めを言い聞かせながら、コムギはやや早足になって洞窟を目指した。だが、人気のない山道へ入った後も、背後の足音は続いている。林を過ぎ、なだらかな丘を越え、橋を渡ったその後でも、まだついてくる。


 そしてついに――


(どうしよ……もう着いちゃった……)


 気付けば眼前に、目的とするポルタ洞窟が口を開けていた。

 前方は真っ暗な洞窟。後方からは迫る足音。もはや先延ばしにすることは叶わない。ならば、とコムギは意を決して振り返った。


「ちょっと! あんた、なんでさっきからついてくるのよ!」


 先手を取っての威嚇。たとえ相手が死神でも根性で攻めていく姿勢は天晴あっぱれであるが、当の足音の主――ナギは傍迷惑はためいわくそうな顔をしただけだった。


「なんでって言われても……道が同じだけだよ」

「白々(しらじら)しい! なんのために!?」


「……仕事だけど」

「し、仕事っ!? それって、死神の!?」


 と、コムギは更に警戒を強めながら後ずさる。……というより、ナギが歩みを止めないため、押し出されるような形で後退するしかないのだ。


「か、金の代わりに私の命をとろうっての!? ちょっとぐらい待ちなさいよ! 最近の若者はせっかちすぎていけないわ!」

「……さっきから何言ってるのかわからないけど、とりあえず……後ろ、気を付けた方がいいよ」

「後ろ……? って、危ない危ない!」


 忠告通り振り返りかけて、コムギはぶんぶんと首を振る。そして不敵な笑い声を上げ始めた。


「はんっ、そうやって後ろを向いた隙に背後から襲う気でしょ!? ふふふ、残念だったわね! 天下のコムギ様がそんな子供騙しにひっかかるわけが――あれっ?!」


 更に一歩後ずさったコムギの右足が、かくん、と宙を踏み抜いた。


 後ろ向きで進んでいたので、いつの間にか洞窟の中に入っていたことにも、足元に丁度人間一人サイズの穴が開いていたことにも気づかなかったのである。素直にナギの警告を聞き入れていれば良かったのだが、それはもう後の祭りというもの。


「ぎゃああああああああ――!!!」


 乙女らしからぬ悲鳴を反響させながら、狭くうねった縦穴を滑り落ちていくコムギ。そしてあちこちぶつけまくった末、不意に宙空へ投げ出されると――


「――ああああああ、っぐええっ!」


 どしん、とけたたましい音をたてながら、柔らかな苔の上に尻から着地した。


「いっだだだだだ……もう、なんなのよ……」


 お尻をさすりながら立ち上がったコムギは、きょろきょろと辺りを見回す。どのくらい落ちてしまったのか見当もつかないが、幸いにも階下を走る別の横穴に落下したらしい。左右には更に洞窟の奥へ続く通路が広がっていた。


「……まっ、近道できたみたいだし、死神からも逃げられたし、作戦通りね!」


 と都合よく解釈して、コムギは早速横穴を進んでいく。松明も持たずに光の届かない洞窟を進めるのは、壁や天井のいたるところに仄かに発光する青白い苔が生えているからだ。


 けれど横穴を進むにつれて、光る苔は徐々にその数を減らしていった。最初はまるでそんな変化に気付かなかったコムギも、とうとう往く手が真っ暗闇になったところで立ち止まった。


「あれ? 真っ暗になっちゃった」


 普通ならばここで少しはためらうものだが、生憎コムギにそんな発想はない。「ま、いっか」と適当に頷いて、先ほどまでと同じように暗闇へ踏み出す。だが、宙に浮いたその足が踏みしめたのは、固い洞窟の地面ではなかった。


――むにゅ。


「むにゅ?」


足裏に感じるいやに柔らかな感触。踏んずけたのは、明らかに石とは違う何か。無性に気になったコムギは、屈みこんでその何かを摘み上げる。よくよく目を凝らして見れば、その柔らかくて生温かい何かとは、気を失ったネズミであった。


「げっ、ネズミかあ」


 鼻先にぶら下げたネズミを放り投げつつ、コムギは、うえーっと顔をしかめた。納屋なやで眠るのも平気な彼女にとっては、ネズミや蜘蛛程度なら別段驚くほどのものでもないのだ。そんなわけで、コムギはまた一歩踏み出すのだが……


――むにゅ。


 顔をしかめつつもう一歩。


――むぎゅ。


 運が悪いだけと言い聞かせつつ更にもう一歩。


――むにゅにゅ。


 まさか、いや、そんなはずは……

 コムギはおそるおそる視線を下へ向ける。暗闇に慣れ始めた視界に飛び込んできたのは、足元すべてを埋め尽くすネズミの絨毯だった。


「や、やばっ……」


 ネズミ程度なら慣れたもの……確かにそうなのだが、流石に洞窟の地面を覆い尽くすほどの大群となると、話は別だ。


「あ、あはは、お邪魔しました~……なんて、駄目?」


 ぎらついた無数の目玉が、暗闇にぼうっと浮かび上がる。そして寸刻の後、誤魔化し笑いを浮かべるコムギへ向かって一斉に飛び掛かって来た。


「いやああああああああ!!!」


 本日二度目の絶叫をあげながら、コムギはひたすらに走った。背後から迫るチューチューペタペタという音に追い立てられるがまま、死にもの狂いで洞窟を逆走していく。


 そして数分に渡る命がけの追いかけっこの末、曲がり角の先から漏れ出るほのかな明かりを見つけた。


(そ、外の光……もしかして、出口?!)


 差しこんだ光明に縋る思いで、最後の死力を振り絞るコムギ。


 しかし駆け込んだその先に待っていたのは、新鮮な外の空気ではなく、光る蒼白色の苔の群生地だった。……そう、太陽の明かりに見えたのは、集まった苔が発する光だったのだ。


「ちょっ、紛らわしい! っていうか、ここ……行き止まり!?」


 助かるかもしれないという期待から一転、袋小路ふくろこうじに迷い込んでしまった絶望的状況。振り返って見れば、獲物を追い詰めたネズミたちが、輪を作ってじりじりと迫ってきている。


「ね、ネズミの癖に肉食べる気!? 私だって滅多に食べれなかったのに! 生意気なのよ!」


 とやぶれかぶれで叫んでみても、包囲の輪は縮まるばかり。コムギはいよいよ爪先立ちで壁に張り付く。その靴先に何か固い物が触れたかと思って視線を下げれば、土から顔を覗かせているのは紛れもない人間のしゃれこうべ。


「あばばばばば……」


 絶体絶命、万事休す。足元の白骨死体の仲間入りまで、残された時間は幾許いくばくもない。いや、骨が残ればお慰み。これだけの量のネズミにかじられれば、文字通り跡形も残らないだろう。


 もはや天を呪うぐらいしかやる事がない。コムギがどこかの神様を罵倒せんと顔を上げた時、まさにその頭上からばらばらと大量の砂利じゃりが降ってきた。


「痛、いたた……もうっ!! 今度は何よ?! ヘビ?! ネコ?! それともドラゴン?!」


 自暴自棄な悪態をつきながら、咄嗟とっさに脇へ避けるコムギ。

 けれど彼女の暴言に反し、土砂と共にその場へ降り立ったのは、ヘビでもネコでもドラゴンでもなく、松明たいまつを掲げた一人の人間だった。


 ただし、その小柄な人影が背中に負っているのは、およそこんな洞窟に似つかわしくない、大きな長方形の物体で――


「あ、あんた、まさか……」


 コムギの震え声に振り返ったその人物は、他の誰でもなくあの棺屋の少年――ナギだったのだ。


「あ、あはは……ここで死神なんて……私、本当にもうだめかも……」


 頭上の縦穴から現れたナギは、ネズミたちを尻目にへたり込んでしまったコムギへ向き直る。


「うぅ……せめてもうちょっと豪華な棺桶に入れて欲しかったな……あ、御供え物は肉でお願い……もちろん牛ね……あとそれから……」


 などと口走るのは、このに及んで煩悩ぼんのうまみれな呟き。


 しかし、ナギの口から出たのは、そんな彼女が予想だにしていなかった言葉だった。


「……どいて」

「……二日に一度はデザートも……へ? 今、なんて……」


 我に返ったコムギは思わず聞き返す。だが、ナギが言い直すより先に、痺れを切らした者たちがいた――美味しそうな餌を前にして、先ほどからお預けを喰らっていたネズミ衆である。


 キーッ、という機械音にも似た鳴き声を合図に、壁まで埋め尽くすほどのネズミの大群が一斉に動いた。松明の炎を怖がりもせず、こちらへ背を向けているナギに飛び掛かる。彼らの自慢の前歯にとっては、固い棺すらただの餌なのだ。


 けれど、窮地に陥ったナギは、振り返りもせずただ一言呟くだけだった。


「……お前たちもね」


 次の瞬間、ナギの手にした松明が激しく燃え上がった。橙色だった炎は禍々(まがまが)しい黒色に変貌し、大蛇のように宙空で蜷局とぐろを巻く。その火勢たるや、群生していた苔が瞬時にしなびてしまうほど。


 この唐突な黒い業火の出現に、さしもの餓えたネズミたちも尻尾を巻いて進路を変える。そしてネズミたちが洞窟の奥へ退散した後には、あれほど盛っていた黒炎が嘘のようにしぼんでいき、最後には普通の炎に戻って松明の上で瞬いていた。


 白昼夢のような、束の間のできごと。後に残ったのは、普段通り無表情なナギと、ぽかんと口を開けたコムギだけ。


「あ、あんた……もしかして、私を助けて――」


 驚愕しながら、コムギは礼を言おうとする。しかし、そんなコムギに向けて、ナギははじめと全く同じ台詞を言い放った。


「……どいて」

「へ? ア、ハイ……」


 言われるがままコムギがお尻をどけると、ナギは空いたその場所に膝をついて棺を降ろした。そして蓋を開けると、中から小さな壺や白布、手袋やスコップなど、何かの道具を次々に取り出していく。


 その作業を呆然と眺めながら、コムギは横から尋ねた。


「……えっと、あのー、私の魂をとりにきたとかじゃ……」

「……? 違うけど。仕事って言ったじゃないか。用があるのはこの人に、だよ」


 言いながら手袋をはめ、ナギは地面からそっと何かを拾い上げる。それは、先ほどコムギが見た人間の頭蓋骨だった。


「ちょ、ちょっと……それ、誰なの……?」

「さあ、誰だろうね」


 さらりと答えて、ナギは持参した壺の中へ慎重に頭蓋骨を収める。続けてスコップやハケなどを器用に持ち替えながら地面を掘ると、そこから背骨や肋骨など埋もれていた遺骨が続々と姿を現した。


 慣れた手つきで、しかし丁寧に。遺骨を掘り出しては綺麗に砂を除けた後で骨壺に納めていくナギ。その器用な指先が止まったのは、掘り出された胸骨の間に鈍く光るものを見つけた時だった。


「ネームタグか……」


 ぼそりと呟いて、ナギは銀色に輝く楕円形の金属片を拾い上げた。


「『アルコの街 ガレオス=リターナ』……あの街の人みたいだね。多分、この洞窟に群生してるヒカリゴケを採りに来て、岩盤の部分崩落か何かで頭を打ったんだと思う。イワネズミの巣だから、どこもかしこも脆くなってるんだ。恐らく、死後九ヶ月……」


 そこまで呟くと、ナギは再び口を閉ざした。掘り出した遺骨と遺留物とを別々の壺に分けて、棺の中に納めていく。手際の良さこそ変わらないものの、少年の顔がいやに蒼ざめていることに気付いて、コムギはおそるおそる尋ねた。


「やっぱり知ってる人だったの? なんか、顔色悪いけど……」


 ナギは首を横に振る。


「少し前、ここに遺体があるって話を聞いた。だから来ただけ」

「わざわざ遺体を目当てに? なんで……そんなこと?」

「なんでって……昨日言ったじゃないか――」


 ナギは静かに棺を閉ざすと、ひどく重そうに背中へ負った。


「僕は‘棺屋’――冒険者の遺体回収が仕事だから」

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