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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
29/42

命と器

「……これ、どういうこと?」


 現れた老人へ冷徹に問いかけるナギ。その手は既に懐の短刀へと伸びている。

 だがダーラルエルヴィアは、さほど慌てもせずにそれを制した。


「待ってくれ。私は君と争う気はないし、君がここにいることを不都合に思ってもいない。いずれここへは招待するつもりだった。それが少し早まっただけのこと。些末事だよ。何より私は、君が自力でここを発見できる水準にあることが嬉しいのだ。ルーシャやガルマギアの間者かんじゃなど、無能すぎて呆れてしまうよ。戦争において最も嘆かわしきは、人材資源の浪費だな」


 ダーラルエルヴィアはふうと溜め息をつく。そこには微塵の敵意も感じられない。

 それでもナギは警戒を維持したまま問いかけた。


「それなら答えて。……ここは何?」

「おや、君はもうわかっているのだろう?」


「……これは‘蘇生’なんかじゃない。――ただの‘複製’だ」

「ご名答」


 はばかりもせず、老人は満足気に答えた。


「しかし、ただの、とは言って欲しくないね。全身を稼働可能な状態で複製する技術は私だけのものだ。これを生み出すのに何十年かかったことか。……だが、君の言う通り、事実としてこれはただの複製体だ。生体機能が完璧であっても、意識を持つことはない。それこそ、人の形をした肉塊。くだらぬ代物だ。……これだけ、ではね」


 意味深にそう言うと、ダーラルエルヴィアは部屋の隅に設けられた扉へ歩き出す。


「真実を知りたければ、ついてきなさい」


 ナギは無言でその後に続いた。


 案内された部屋は、先ほどと同じ間取りのだだっ広い空間。ただしこちらには、対になった培養器の代わりに、二つセットで置かれたベッドが大量に並んでいる。いずれも空っぽだが、拘束用の革バンドが備え付けられているのがひどく不穏だった。


「さて、こちらはまだ片付いている方だね」


 無人のベッドの森を抜け、ダーラルエルヴィアは奥へ奥へと歩を進める。その向かう先、一番隅にあるベッドにだけは、二人の人間が寝かされていた。


 妙齢の男と女。両者共に病衣を纏い、気をつけの姿勢で静かに目を閉じている。


 だが、ナギはすぐに気づいた。男の方は眠っているだけだが、女の方は呼吸をしていない――死人だ。


「君ならわかるね。……そう、ここにあるのは‘女性の死体’と‘男性の生体’だ」


 まるでただの物を扱うかのように、ダーラルエルヴィアは二人の体を指し示す。


「だが半日前、ここにあったのは‘女性の生体’と‘男性の死体’だった。……君なら、この意味も理解できるね?」

「……命の……移植……」


 呟きともとれるナギの回答を聞いて、ダーラルエルヴィアは喜悦の表情を浮かべた。


「魂と呼称される人間の根源魔力を、極めて純粋なエネルギーにまで還元し他者へ分け与える術――元々は古い辺境民族に伝わっていた秘術を、私が改良したものだ。君の言う通り、まさしく命の移し替えに等しい。もっとも、彼らはあくまで治癒魔術の一つとして用いていただけで、死者への使用は禁忌としていたらしいがね。勿体ないことだ」

「……でも、それだって蘇生とは違う。中身を変えただけだ」

「素晴らしい。またしても正解だ」


 ナギの指摘にも、老人は力強く頷く。


「そう、一度消滅した魂は決して元には戻らない。君のような棺屋や、私のような医療魔術師にとって、これは常識であり絶対に打ち破れない壁でもある。この魔術もまた、その真理を覆すものではなかった。……すなわち、ここにある女の生命力をすべて男の側に移し替えたとしても、それは中身が別のもので満たされただけ。消滅した男の魂が戻ったわけではない。――そしてまた、男の体に女の魂が入っているという見方も正しくはない。一度失われた魂が二度とは戻らないように、一度変質した魂を元に戻すのは極めて困難。単純なエネルギーにまで還元されてしまえば、それはもう事実上の消滅と言ってよい。つまり、今、この男の中に宿っている魂は、全く新しい第三の生命なのだよ。……無論、何より重要なのは、この真実を誰一人として知らないことだ。私と、そして君以外はね」


「複製した体に、別の命を植え付ける……それが死者蘇生のカラクリ……」


 実際は単純な二つの治癒魔術の組み合わせ。だが何も知らぬ者からすれば、確かに死者が蘇ったように見えてしまうだろう。


「だからみんな、記憶がないんだね……失ったわけじゃなく、最初から持ってないから……」

「そうだ。蘇った当人も、その家族も、みな生前の記憶を‘喪失した’だけだと思っている。だが実際のところ、生前の記憶など最初から‘存在していない’のだ。至極当然のことだろう。中身が違うのだから。……いや、より正確に言えば、脳自体には記憶は残っている。だが、中身が違うためにそれを読み取ることができないのだ。たとえるなら……そうだな、別の言語の文章を読まされているようなものだな。確かにそこにあって、意味を持っている文章でも、読み手の知らぬ言語で書かれていてはただの模様と同じ。文字を文字として認識することすらできないのでは、そこに存在しないのと同じことなのだよ」


 ダーラルエルヴィアは平然と言ってのける。その様子はむしろ、自慢げにさえ見えた。


「こうして種を明かしてしまえば単純なものだが、実際は非常に難儀な魔術だ。私以外には決して扱えぬだろう。私でさえ成功率はまだ二割ほど。しかも、どれだけ強力な個体を蘇らせようと、性能は大幅に劣化する。記憶と同じだ。肉体の性能と魂が符号しないのだ。殊に特異な血統の再現には骨が折れる。……ああ、あのレンカを造る時など、試行回数は二百を越えたよ」


 老人は他愛ない苦労話のような口ぶりで語る。しかしナギは、彼の言葉に大きく反応した。

 複製元には死体を使えばいい。だが、命の提供元となれるのは、生きた人間だけ。それだけの人数を拉致誘拐で集めようとすれば必ず足がつく。考えられるとしたら、それは、彼の元に自発的に集まるような人間たち――


「まさか、自分の信者たちを生贄に……?」

「彼らはみな、私の噂を聞き、大切な者を蘇らせて欲しくて集まった者たちだ。その執念は凄まじい。各地を移動する私にどこまでも付き従い、金、物資、情報、労力、すべてを捧げてくれる。順番を待っていれば、いずれ家族に会えると信じてな。……彼らからしても本望だろう。大いなる死への挑戦の礎となれたのだから」


 実演するのはたった数例でいい。今回のように、行く先々で実際に蘇生させた人間を街へ返せば、あとはその何十倍もの人間が信者となって集まってくる。それも自らの意思で。供物として使った後には、他の信者たちには「家族を取り戻し故郷へ帰った」と言い訳すればいいだけ。生贄を調達する方法として、これ以上に効率的なものはなかった。


「そんな人たちの想いを利用して、材料として使っているのか……!」

「問題はそこではない。死の克服を望む人間がそれだけいるということ。私は必要とされているのだ」

「……世界のためにやってる、そう言うつもり……?」


 ナギの瞳に怒気がこもる。そんなくだらない釈明を聞かされるようなら、この場で四肢を斬りおとそうとさえ思った。


 けれど老人は、ナギが実行に移すよりも前に、自らそれを否定した。


「……そうだな、これは建前だ。謝罪しよう。君の前でだけは、ありのままを答えるよ」


 そして不遜ふそんなるネクロマンサーは、ただ素直に本当の目的を口にした。


「――娘のためだ」

「な、なにを言って……?!」


 意外な理由に、ナギは束の間動揺する。人の命を平然と移し替えるようなこの老人に、家族というものがあったことがまず衝撃だった。


「名前は‘ブラメ’――私の故郷の言葉で、『生まれたての若葉』を意味している。私がつけた名だ。愛らしい子だった。利発で、好奇心が強く、花を育てるのが上手だったよ。早死にした妻の分まで、私はあの子に愛情を注いだ」


 ダーラルエルヴィアは懐かしむように瞼を閉じた。そこには、これまで見せてきた冷徹な魔術師の影など微塵も残っていない。ただそんな柔らかな表情は、すぐに曇ることとなった。


「いいや、こんな前置きは不要だな。君にはもう、この続きがわかっているだろう? ……想像の通りだよ。娘は七歳になったばかりのある日、馬車に轢かれて死んだ。即死だった。当時、私はとある王家の医療魔術師長だったが、治療すらできなかった。……『死者は決して蘇らない』。さっきも言ったね。体は治ったとしても、一度潰えた魂は、二度とは戻らないのだ」


 優秀な医療魔術師だからこそ。ダーラルエルヴィアは覆しようもない真理を知っていた。


「だが、私は諦めなかった。蘇生の秘術を求めあらゆることをしたよ。人体実験が露見し、王国を追放された後も、世界各地の異端治癒魔術を蒐集して回った。けれど結果は見ての通りだ。完全な死者蘇生の呪法には、ついぞ到達できなかった」


 苦悶の日々を思い返しているのか、老人の顔中に刻まれた皴が一段と濃くなる。


「それでも私は代替魔術にはたどり着いた。研究の最中に習得した二つの技術――人体複製と生命転換を組み合わせることで、私はようやく、娘に再びこの世の空気を吸わせることができたのだ。……ああ、あの時の幸福を、私は今でも覚えている! 一度は失った娘が、また私の前で微笑む喜び! 確かに記憶はなかった。けれど娘にはなくとも私にはある。食べ物の嗜好から仕草、癖、喋り方、日々のできごと……生前の娘の情報を、私は事細かに教え込んだ。その甲斐あって、あの子は昔と全く同じに育ったよ。そう、私と娘は、失った人生の続きを歩み始めたのだ!」


 たかぶりを隠そうともせず声を張り上げる老人。狂喜するその姿は寒気がするほどに異常。ただそれでも、ナギには指摘せずにはいられない。


「でも、それは――」

「――偽物、だと言いたいのだろう?」


 ダーラルエルヴィアはとうにナギの言葉を予見していた。


「魂は別のもの。故にそれは娘ではない。君の言い分もわかる……だが、あの頃の私はそうは考えなかった。体は完全に娘のものだ。ならば、記憶を失ったのと何が違う?! 娘が自分を知らずとも、私が娘を知っている! 娘が自己を定義できぬなら、私が娘を定義する! 私が、娘を、本物たらしめればいい! そのどこがおかしいと言うのだ!!?」


 老人の口をつくのは、紛れもない怒声。紳士的なムスタファという仮面をかなぐり捨てた、ダーラルエルヴィア本人の剥き出しの感情がそこにはあった。


 しかし、ナギが圧倒されるほどの憤怒は、その先に続く自身の言葉で急速に萎んでいった。


「……だが、そうだな、娘はそうは考えなかったようだ。……十四の時に、あの子は偶然、私の隠し研究室に入ってしまった。そこにあったのは、私が保管していた娘の複製元オリジナルの死体だった。娘は賢かった。それを見てすべてを悟った。知り得た事実を一人で思い悩み……数ヶ月後、走る馬車の前に身を投げて死んだよ」


 淡々と述べるダーラルエルヴィアの言葉の底には、深い絶望が渦巻いていた。


「私はそこで初めて、娘と私の価値観の違いに気付かされた。あの子にとって、複製体であることは自己存在そのものを脅かす絶対悪だったのだ。私は悟った。複製体では――偽物では駄目なのだと。けれど事実として、複製体以外に娘を蘇らせる方策は存在しない。私は悩んだ。……ああ、長い、長い、苦悶の日々だった。そしてついにたどり着いた! ずっと単純で、ずっと簡単な、たった一つの方策に!」


 老人の暗い瞳の奥底で、微かに狂気が瞬く。ナギはなぜか、彼がこれから口にすることを知っているような気がした。


「――偽物が悪だというのなら、その世界を反転させてしまえばいい!」

「どういう……意味……?」


「単純な話だ、実にね。本物と偽物などという言葉は、対になって初めて存在できる相対的な概念。……ならば、片方を削ぎ落してしまえば、必然的にその概念は自己崩壊する。違うかね?」

「まさか……!」


 老人の意図するところを、ナギははっきりと確信した。


「――この世界から、オリジナルの人類を駆逐する。すべてを複製体に挿げ替えるのだ。さすれば世界の価値観は反転し、偽物こそが本物になる! ああ、そうだ! その時こそ、私の蘇生術が完成する時! 世界が死を克服する時! そして――そして、私の娘が蘇る時なのだ!」


「ネクロマンサー、お前は――!」

「――狂っている? そうだな。何度も言われたことだ。……だが、私が狂っているとして、それが一体なんだというのだ? 私の娘が蘇る。その大いなる目的のためならば、私一人の狂気など些末事。……いいや、たとえ全世界を対価としても、あまりに矮小わいしょう些事さじにすぎない!」


 その時初めて、ナギは心の底から眼前の老夫を恐れた。


 この男は自身の狂気を明確に自覚している。そして、自我をも揺るがすその事実さえ、些末事として斬り捨てている。果たしてそれを、人間と呼べるのだろうか――?


「せ、世界を反転させるなんて、そんなのどうやって……」

「陳腐な言葉で好かぬのだが……具体的手順としては、まずすべての国の統一・掌握ということになるだろうな。ナギ君、私はここへ遊びに来たわけではない。死者を救いに来た、などという建前も君には使わぬ。私はね、この戦場へネクロマンサーとしてやって来たのだ。……無論、世間一般で使われる‘死体傀儡者’という意味で、な」


 それを聞いた途端、ナギの背中を悪寒が襲った。


 生涯を賭して蘇生術を探求してきた男だ。ネクロマンスを習得していたとてなんら不思議はない。そしてその男が今いるここは、二つの大国が戦火を散らす激戦地。ヴォルゴ台地には、未だ死後間もない遺体が無数に眠っている。そしてそれは、今この時にも刻々と増えているのだ。もしもそれらすべてを支配下に置くことができたならば、一夜にして万の軍勢を手に入れるも同義。


 ――戦場とネクロマンサー。それはあまりにも危険な組み合わせだった。

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