死体を追って
戦場での一夜が明けた。
朝食を済ませた三人は、荷物をまとめて出立の準備に取り掛かる。
ナギたちにはまだ仕事が残っていたし、それはヒツギも同じ。束の間の再会が終わり、別れの時が来たのだ。
「……ごはんをちゃんと食べるんだぞ……寝る前にはトイレを忘れるな……悪い女に気をつけろ……それから、それから――」
と、相変わらず過保護なヒツギは、別れ際にはナギを抱きしめたきり放そうとしなかった。そのせいでナギはあわや窒息寸前。コムギが無理矢理引きはがしたことで、どうにか事なきを得た次第である。
そんなこんなで、二人の出発は少々慌ただしいものとなったのだった。
「あんたのこと大好きなのね、ヒツギさん。……まあ、ちょっと変わった人だったけど」
「……うん」
そうして二人は、再び密林を歩き出す。
幾分歩き慣れたお陰か、以後の道中は昨日よりもスムーズだった。ただ、目的地である最前線へ近づくにつれて、やはり兵士の数は増えていく。昼近くになってからは既に三度ほど、両軍の戦闘の音を間近で聴くこともあった。今のところは誰にも見つかることなくやりすごせているが、少しでも気を抜けばまた昨日のような目に遭うだろう。
そんな緊張感の中で迎えた昼過ぎ、とうとうナギが立ち止まった。
「……多分、ついたみたい。この先が教えられた場所だ」
「ふう~、ようやくね。それじゃ、早いところ終わらせちゃいましょう!」
そう言って歩き出すコムギ。その手をナギが掴み止めた。
「……待って」
「どうしたの? この先なんでしょ?」
「……うん、そうなんだけど……」
と、ナギは歯切れ悪く口ごもる。
「……コムギは、見ない方がいいかも……」
「……ああ、そういうことね」
ナギの言わんとしていることは、コムギにも確かに伝わった。しかしそれでも、コムギは少年の手を振りほどく。
「大丈夫よ。私は、あんたと一緒に行くわ」
「……わかった」
そうして二人で踏み出した先、開けた樹林の間に広がっていたのは、想像を絶する凄惨な光景だった。
ずたずたに切り裂かれたテントの残骸、踏み壊された食器の欠片、そしてそれらの合間に散乱した、三十余もの人間の死体。
そこにあったのは、戦争というものを何より物語る、悲劇の具現だった。
「……ひどいわね……」
コムギはただ絶句する。
鼻腔を突く腐乱臭。鼓膜を揺する蠅の羽音。今、目の前に散らばっているそれらが、ほんの少し前まで自分と同じ人間だったとはどうしても思えない。どれだけ理性で取り繕っても、心がそれをただの汚物として認識してしまう。
「コムギ、大丈夫? 離れて休んでても……」
「……言ったでしょ。私はあんたと一緒に行くわ。こんなこと、早いとこ終わらせてあげなくちゃ」
これは真っ当な人の死に様ではない。だからこそ、生きている自分たちが正さなければならない。そして何よりコムギには、死体を前に蒼ざめる少年を一人にしてなどおけなかった。
二人は死臭漂う死地へと足を踏み出した。
「レナート中尉……レナート中尉……」
探す仏の名を呟きながら、コムギは遺体の首にかかっているネームタグを一つ一つ確認していく。事前に写真は見せられているが、とても顔だけで判断できるような状態ではないのだ。
本当なら、すべての遺体を遺族の元へ届けられればそれが最善。けれど、全部回収しようとすれば、ナギの棺はあっという間に一杯になってしまう。故に、依頼された遺体だけを回収し、残りはここで弔う予定だった。
そういう意味では、今回依頼されたレナート中尉は、ある意味幸せ者だ。私的に棺屋を戦場へ入れることのできる者など、軍上層部のごく一握りだけ。一般の家庭では、子供や夫の遺体が帰って来なくても、それを弔うことすら許されないのだから。
「うーん、こっちにはいないみたい……」
腰を上げたコムギは、別の方を探しているナギに声を掛ける。
「そっちはどう?」
けれど、ナギはぴたりと止まったまま返事をしない。
「ナギ……?」
と、不審に思ってもう一度問いかけたその時、ナギはあさっての方向に視線を向けた。
「誰か、来る……!」
言うが早いか、ナギはさっとコムギの元へ駆け寄ると、その体を抱きかかえて遺体の散乱する駐屯地を離れる。間一髪、二人が木陰へ身を隠したところで、ナギたちとは別の一団が姿を現した。
(ルーシャ連邦兵……?)
密林に合わせた深緑調の迷彩色に、肩部に刺繍された小さな国旗。現れた二十人ほどの集団は、皆確かにルーシャ連邦の戦闘服を着ている。けれど、息を潜めて盗み見ているコムギは、言いようのない違和感を覚えた。
綺麗すぎる。
明らかに先日襲ってきた兵士たちのそれとは違う。ゲリラ戦をこなしてきた本物の兵士ならば、纏った軍服にも相応の破損が見られるはず。そして何より、彼らが偽物の王国兵であることを確信させたのは、集団の中に見覚えのある顔があったからだ。
(あれ、まさか……レンカ……!?)
間違いない。集団の先頭に立っていたのは、先日ナギが王都で声を掛けたレンカという少女である。
「ナギ……」
と、すぐに教えようとするが、ナギも既にわかっているらしい。眼だけで頷くと、そっと唇に手を当てる。
そうして二人が盗み見ている前で、所属不明の一団は辺りに散乱する遺体を回収し始めた。
(一体、何の目的で……?)
持参してきた大きな麻袋に、手当たり次第死体を詰めていく男たち。指揮を執っているのはレンカだ。その首尾の鮮やかさを見る限り、かなり手馴れているらしい。
そして手際良く死体を回収し終えた一団は、いそいそと撤退を始めた。
「ナギ、どうする……?」
コムギは唇だけで問いかける。けれど、そんなものは考える間でもない。ナギの仕事はレナート中尉の遺体回収。その遺体を持ち去られてしまったとなれば、やることは一つ。
「……追いかけよう」
二人の追跡劇が幕を開けた。
遺体を担いだ一団は、丸々半日かけて真一文字に台地を横断した。両国の丁度国境線上を歩く形だ。普通の兵士たちを警戒しながらも、レンカを先頭にして休みもとらずひた進む。そうして幾筋も存在する尾根のうちの一つを下った先、ゆるやかな谷間へと降下を始めた。
ここまで来ると、もう主戦場からは大きくはずれているため、両国の兵士の姿は全く見られない。不気味なほどの静けさだけが根を降ろしている。
二人の追跡が終わったのは、谷を下り始めて一時間ほど経った頃だった。不意に密林が途切れたかと思うと、その先には無数のテントや掘立小屋が立ち並んでいたのだ。
どうやらここが、謎の一団が逗留している場所らしい。
「うわあ……すごい……」
木陰から身を乗り出したコムギは、思わず口を開ける。
テントや小屋はどれも粗末なもので、特に目をみはるような代物ではない。だが、その数がとにかく凄まじかった。だだっ広い谷底一杯に並んだ雑居は、数だけ見れば中規模な街と同等。それだけでなく、乱雑に配置されたテントの群れの中央には、煌々と明かりの灯った巨大な建物がそびえている。周囲には壁が張り巡らされ、入口には衛兵と思しき人間まで立っていた。
「一体、ここって……?」
コムギがきょろきょろとしている間にも、死体を抱えた一団はバラックを抜けて中央の施設へ歩いていく。そして守衛と何らや言葉を交わした後、塀の内側へ消えて行った。
「ふふ……なるほど、謎の集落に謎の施設ね……これは調査のしがいがあるってものね!」
と、やたらテンションの上がっているコムギは、鼻息荒く意気込む。けれど、ナギはその肩を掴み止めた。
「……ここまでにしよう」
「はあ? あんた、ここまで来て何言ってんのよ!? 気にならないわけ?」
「だいたいはわかるよ。ここはあのネクロマンサーの根城だ。周りの小屋は、信者たちのものだと思う」
「ああ、なるほど……って、違う違う! あんた、あの中で何が行われてるか気にならないの!? 第一、遺体が回収できてないままじゃ帰れないじゃない!」
「だから探りはするさ。……僕はね」
コムギはようやく、ナギの言わんとすることを理解した。
「あんた、一人でやるって言いたいわけ?」
「……だって、施設内への潜入は危険だし……」
ナギが言い訳がましくそう言うと、コムギは眉根を吊り上げた。
「危険は同じでしょ! あんた、がきんちょの癖にカッコつけないで!」
「……コムギはドジだし……絶対見つかっちゃうだろ……」
「んなっ! 潜入ぐらい朝飯前だっての!」
と、やったこともないくせに自信満々のコムギ。
「だいたいね、危険が何だってのよ! 私は冒険者よ! そんなの全然構わな――」
「……僕が構うんだよ」
ぼそりと、呟くような声。
さしものコムギも、そんな言い方をされては押し通すわけにもいかない。
「あ、あんたね……そういう言い方はずるいんじゃないの?」
「……三日。それだけ待ってて。……それでもし、僕が帰らなかったら……コムギはコムギの冒険を続けてよ」
少年の眼には、絶対に譲らないという強い意思が見えた。
「――一秒でも遅れたら、先に行っちゃうんだからね!」
「……ありがと」
それだけ言って、二人は別れる……かと思いきや、そこからナギはせわしなく喋り始める。
「帰り道はわかる? 昨日信者たちが使ったものがあるはずだ。あれだけの行列で歩いたなら、道を見つけるのは多分簡単だし、迷っても――」
「んもう、わかったわかった! ストップ! あのねえ、子供じゃないんだから、帰りぐらい一人で大丈夫よ! ……あんた、なんだかんだ心配性よね」
「そ、それは……! ……コムギが心配させるんじゃないか……」
照れくさそうに頬を染める少年を見て、コムギはくすっと笑った。
そんなに深刻になる必要などない。きっとまた、すぐに会える。
「……それじゃ、行ってくるね」
「うん……待ってるからね」
その言葉を背に受けて、ナギは施設へと歩き出した。