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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
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カラスと女

 そうして踏み入ったヴォルゴ台地は、予想以上の険しさだった。


 密集した木々に加え、所々で濃霧が発生しているため常に視界不良。足元はぬかるみとこぶだった木の根が絡み合うせいで歩きにくく、更には毒々しい色味の虫やら蛇やらがわんさか出てくるもので、二人の行軍は遅々として進まなかった。


「あああ……もう、疲れたー! っていうか、なんなのよここ?!」


 山に入ってから数時間後、とうとうコムギが音をあげた。


「ジャングル?! 山なのにジャングルなのっ!?」


 と叫んでいるあたり、台詞の割にはまだ気力が余っているらしい。

 そんなコムギをなだめるように、ナギは地図を広げながら言う。


「……もう少し進んだら休める場所を探すから、もうちょっと頑張ってよ」

「え? 休憩?! ……ふっふーん、なによあんた、優しいじゃない!」

「……どっちにしろ、今日中に遺体の場所までたどり着くのは無理だから。日暮れ前には眠れる場所を見つけないといけないだけだよ」


 ナギの言うように、ただでさえ視界の悪い密林の戦場を夜中に歩き回るなど自殺行為である。

 ただ、明るいうちなら危険はないかというと、必ずしもそうではなかった。


「だからコムギ、もう少しだけ――」


 と、そこまで言ったところで、ナギは不意に言葉を切った。そして突然、明後日の方向に向かって声を張り上げる。


「――僕たちは棺屋です。どちらの勢力でもありません」


 その途端、四方八方から次々と、隠れ潜んでいた兵士たちが姿を現し始めた。服装を見る限りルーシャ連邦の兵士らしい。だが、その軍服はそこらじゅう破れた無残なもの。着ている当人たちも負けず劣らずぼろぼろで、全員げっそりとやつれている。唯一精気が残っているのは、餓狼がろうのようにぎらついた双眸だけ。


「ほう、棺屋、ねえ……」


 兵士の中でリーダー格と思しき男が、ナギの担いだ棺に目を留めた。


「……そうです。用があるのは遺体だけ。あなたたちに干渉する気はありません」

「ほおん、そうかい……」


 舐めるように二人を見ながら、男は薄汚れたあごひげに手を伸ばす。その姿は一見、油断しているようにも思えた。だがそれは単なるフェイク。もしも不審な動きを見せようものなら、たちどころに腰の軍刀が引き抜かれることだろう。


 ナギはすぐに気が付いた。男は戦いたがっているのだ。そしてそれは、周りを囲む部下たちも同じ。――完全に、心が戦争に染まっている。


「そういやあ、昔、同じことを言った奴がいたなあ。ありゃ確か……三年前のことだ」


 ゆっくりとナギたちの周囲を歩き回りながら、男はしみじみと思い出を語る。


「棺屋の格好をした野郎がな、遺体を回収したい、なんて言って俺たちの野営地にやって来た。ああ……奴の棺には、目いっぱいの火薬が詰まってたっけなあ」

「ちょっと、私たちをスパイよばわりしたいわけ?! 違うって言ってんでしょうが!」

「おお、そうかい。お陰で思い出したぞ。そういやあいつも同じことを言ってたぜ。拷問を受ける前はな」


 狂気に歪んだ瞳を輝かせ、兵士たちはげらげらと笑い声を上げた。明らかに二人を挑発している。ただ、ナギとてそんな見え透いた誘いに乗るほど愚かではない。


「軍の上官からの依頼です。許可証もあります。胸ポケットに入っているので、ご自分で確かめてください」


 誤解されないよう両手を上にあげたまま、慎重に言葉を選ぶナギ。コムギもどうにか口にチャックをして、ナギの動きに倣う。


 あくまで付け入る隙を見せようとしない二人に、男の方が痺れを切らした。


「はっ、許可証だあ? 俺たちにはその許可証が本物か偽物かもわからんねえんだよ。だからよお、俺たちは俺たちのやり方で確かめさせてもらうぜ……身ぐるみはいでな」


 男たちの賤しい視線がコムギに向く。その瞬間、冷静だったナギの瞳に激しい怒気がこもった。そして目にも留まらぬ速さでナイフを抜き放ち――


 しかし、ナギが短刀に手をかけたその時、不意に四方からおかしな音が聞こえた始めた。


 ザー、ザー、とノイズのように鳴り響く怪音は、たとえるならば激しい雨音。しかも、徐々に近づいてきている。


「ちっ、次はなんだってんだ……?!」

「何これ、何が起こってんの……?」


 その場にいる全員が、突然の異音に身を固くする。

 そして数秒後、木々の合間から音の元凶が飛び出してきた。


「な、なんだこいつら――!」


 四方八方から現れたのは、漆黒の翼を有するカラスの群れ。雨音のように聞こえていたのは、無数のカラスがたてる羽音だったのだ。


「こ、この森にカラスなんているはずが……!」


 兵士たちの動揺する声も、瞬く間にかきけされてしまう。降って湧いたカラスの大群は、まるで真っ黒なスクリーンのように、全員の視界を埋め尽くした。明らかに普通のカラスの行動ではない。


「よ、よくわかんないけど……ナギ! とにかく今のうちに逃げるわよ!」


 なんにせよ窮地を脱する好機が回って来たことは確か。コムギはカラスを払いのけつつ、はぐれないようナギの手を取る。だが、ナギは動こうとしなかった。


「……これ、まさか……!」


 そしてきょろきょろと飛び交うカラスを見回すと、そのうちの一羽に目を留めた。コムギの眼には他の個体と見分けがつかないが、ナギには何か感じるものがあるらしい。


「……コムギ、はぐれないで」


 そう言って、ナギはコムギの手を握ったまま駆け出した。

 一羽のカラスを追って、雨あられの如く飛び交う大群の中をひた走る二人。そして数分の強行軍の後、不意に羽音の嵐が途切れた。


「ぬ、抜けた……のね……?」


 振り返ってみれば、まるで蚊柱のように黒い檻となっているカラスの集団。異様すぎる光景ではあるが、コムギはひとまず吐息をつく。……ただ、安堵するにはまだ早すぎた。


 カラスの群れを抜けた彼女たちの眼前には、一人の女が待ち受けていたのだ。


 繭糸まゆいとの如きたおやかな白髪、溶け出しそうな雪華の肌、すらりと伸びた長躯……そこはかとなく倦怠けんたいを纏うその女性は、冬を人の形にしたような美女である。


 だが、どこかおかしい。例えるなら、周囲の景色の中で一人だけ色が抜け落ちてしまったかのような違和感。カラー写真の中に、モノクロの人物が写り込んでいるような不自然さがある。現実感というものが奇妙に欠けているのだ。


 そして更にコムギを驚かせたのは、女が羽織っている黒い外套だった。それはナギが普段着ているぶかぶかの黒衣と全く同じ物。いや、同一品は着衣だけではない。女の背中には、ナギが負っている物と瓜二つの、大きな棺桶が担がれていたのだ。


 そんな女に向かって、ナギは一言だけ呟いた。


「……お久しぶりです――ヒツギ先生」


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