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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
23/42

蓮花

「うひゃー、近くまで来るとでっかいわね~!」


 山を越えた先で、コムギがうーんと背伸びした。

 彼女たちの眼前には巨大な都市が広がっている。――‘ルーシャ連邦王国’の首都である王都『マスカヴァ』だ。


 大小合わせて六十もの国から成る巨大連邦国家の首都に相応しく、その規模は普通の村の数百倍にさえ匹敵するほど。ただ、何よりも異様なのは、その長大な都市の縁をぐるりと囲んだ高い高い鉄の壁。


「しっかしまあ、話には聞いてたけどとんでもなく高い壁ね。検問まであるし」

「仕方ないよ……だってここ、‘百年戦争’の真っ最中なんだし」


 ‘百年戦争’――それは、ここルーシャ連邦と北のガルマギア皇国との間で続く戦争の通称だ。一昨年で開戦から百年を迎えたことに由来しているらしい。


「なんか、空気が重そうで嫌だわ……」


 コムギのぼやく通り、王都の外観からして既に物々しい空気が滲み出ている。百年も続く戦時下ならば仕方がないことではあるが、気がめいるのは確かだ。


「……とりあえず行こうか。依頼人が待ってる」


 そうして覚悟を決めて、二人は一つだけある検問へと向かう。……が、彼らの覚悟はまったくの無駄になった。


 検問を抜けたその先の城下町では、とんでもないお祭り騒ぎが繰り広げられていたのである。


「ちょっと、一体なんなのこれ……」

「戦争中……って雰囲気じゃないね……」


 右を見ても左を見ても、視界に映るのはひどく興奮している人の波。路地という路地に人があふれ、立ち並ぶ店は店主にさえほっぽり出されて機能していない。街中の人間が全員外に出ていると言われても信じてしまいそうな光景だ。


 そんな異様な活況かっきょうの中でも一番混雑しているのが、街の中心である城へと続く大通りだった。馬車どころか子供一人通れないほどの大渋滞。だが、その原因は騒ぎに釣られて外に出た町人たちではない。何やらおかしな格好の人々が、城門から街の入口まで届くほどの長蛇の列を作っていたのだ。


 彼らが纏っているのは、揃いも揃って喪服じみた黒装束。皆何かを待っているらしく、じっと城の方角を見ている。どうやら騒ぎの原因は彼らに関係しているらしい。


「なんかの宗教やってる人たち……なのかしら?」

「……あんな服装の宗派、見たことないけど……」

「まっ、とりあえず聞いてみますか! あのー、すいませーん!」


 言うが早いか、コムギは近くで一番大騒ぎをしていた中年の女性に声をかける。こういう時、物怖ものおじしない性格は得である。


「この騒ぎは一体なんなんで――」

「奇跡よ! 奇跡が起きてるの!」


 問いかけた瞬間、女は大声を上げた。かなりの興奮状態らしく、コムギが引き気味なことにも気づかずまくしたてる。


「帰ってきたのよ! うちのレイエスが! 帰って来た! ああ、神様……!」


 もうコムギのことなど眼に入っていない様子の女は、天に祈りながら夢遊病患者の如くふらふら歩き去って行った。


 後に残されたコムギたちは、呆然と顔を見合わせるばかり。


「い、家出でもしてたのかしら……?」


 そんな二人の元へ近寄ってくる者がいた。わざわざ列から抜け出してきたらしい、黒衣の女である。


「彼女たちはみな、ムスタファ様の奇跡に心打たれているのです」

「わ、びっくりした……えっと、む、ムスタファ様……? 奇跡……? 何のことですか……?」

「おや、御存じないと? はあ、そうですか……それは実に嘆かわしい……世の腐敗はここまで……」


 女はぶつぶつ呟きながら頭を振ると、突然ずいと迫って来た。


「では! 今! 知りなさい!!!」

「ひぃっ……わ、わかりました……」


「よいですか?! ムスタファ様とは、この世で唯一死を克服した偉大なお方! 我々生きとし生けるものすべての希望の星! 忌まわしき死に苦しむ者たちを救うため、各地を周遊なさっているのです!!! そう、丁度今も、この国の王子と三十人の戦死者を蘇らせて連れてきたところ! ……おや、信じていませんね? わかります。最初は私もそうでした。……ですが安心しなさい、ここにいるすべての者がその証人なのです!!!」


 聞いている方が恥ずかしいほどの大声。けれど、騒いでいた町人たちは口々に肯定した。


「そうだ、俺は確かに見たぞ! あれはザウクリン王子だった!」

「ああ、まさにこの通りを歩いていた! この人たちが連れてきたんだ!」

「アモソフの息子も帰ってきたんだとさ! やっこさん、大喜びで街中に吹聴ふいちょうしていたよ!」


 と、またしても熱狂がぶり返す。


 皆が早口にまくしたてるせいでイマイチ要領を得ないが、それでも事情の断片だけは理解できた。どうやら、ムスタファなる人物が、戦死したはずの人間たちを引きつれて現れたらしい。


 もう二度と会えないと思っていた家族や友人が帰って来たとしたら、確かに街中を巻き込む大騒ぎになるのも道理。だが、部外者であるコムギには根本的にに落ちない点があった。


「ねえ、ナギ。死んだ人を蘇らせるなんて、実際あり得ることなの?」

「完全な蘇生の事例は聞いたことがないよ。有史以来、まだ誰一人成し得なかった奇跡のはずだ……」


「でもこの人たち、本気で見たって言ってるわ」

「うん……」


 ナギはいぶかしげに眉根を潜めた。


 一度消滅した魂が再生することなど有り得ない。それは棺屋を志すにあたって、一番最初に教わったこと。だからこそ、生とは何より尊いものなのだ、と。


 けれど今眼前にいる人々の熱狂は本物だ。噂に尾ひれがついた、程度ではここまでの騒動には至らない。彼らは少なくとも、死者蘇生という奇跡を見たと本心から思っているのだ。


 と、ナギが悩んでいたその時、王城の方でひと際大きな歓声が上がった。釣られて視線を向ければ、ゆっくりと城門が開いていくところだった。人混みで良く見えないが、城から誰かが出て来たらしい。その人物が何者であるかは、女の叫び声で明らかになった。


「ああ、ムスタファ様! ムスタファ様だわ! さあ皆さん、道を開けて! あのお方の邪魔をしては駄目よ!」


 女の号令を合図に、黒衣の信者たちが一斉に動いた。民衆を力ずくで左右に押しのけると、自らを壁として教祖のために道を開ける。


 その人間のアーチを、高位の信者たちに付き添われた老人がゆっくりと歩いてきた。

 知性を感じさせる鳶色とびいろの瞳と、上品でありながら嫌味のない服装。皴の刻まれた浅黒い肌は、遠い異国の出であることを示している。


 ムスタファと呼ばれるその老人には、確かに人々を惹きつける独特の雰囲気があった。


「あぁ……ムスタファ様……」

「なんと神々しい……」


 歓喜の眼差しで老人の牛歩を見守る群衆たちは、口々に嘆息を漏らす。

 そんな彼らに押しのけられてしまったコムギは、背伸びしながら訝しげな視線を向けていた。


「……なーんかうさんくさいわね、ああいうの」


 ほとんど難癖なんくせレベルの感想を漏らすコムギ。老人が放つカリスマも、この少女にはまるで効いていないらしい。


「ねえ、あんたもそう思わない?」


 だが、傍らの少年から返事はなかった。


「……ちょっと、ナギ? 聞いてんの?」


 と言ってちらりと横へ視線を向ける。

 隣にたたずむ少年は、呆然とムスタファの方を見ていた。


「な、ナギ? どうしたの? ぼーっとしちゃって――」

「そんな、まさか……なんでこんなところに……」


 コムギの声も聞こえていないらしく、ナギはふらふらと前へ歩み出る。密集していた群衆たちも、ナギが棺屋だと気づくと嫌そうな顔でさっと避けた。ナギはそんな周りの動きすら見えていない様子で一番前まで来ると、大きな声を挙げる。だが、その相手はムスタファではない。


 ナギが呼び止めたのは、彼の後ろに付き従う信者たちの一人、ナギと同い年ぐらいの黒髪の少女だった。


「待って、ねえ、待ってよ!」


 黒髪の少女はちらりとナギの方を向く。その瞳はナギと同じ鬼灯色で、爽やかなショートヘアが凛とした顔立ちと良く似合っていた。とても活発そうな美少女である。


 けれど少女は不審そうな顔をしただけで、立ち止まることもしない。


「待って、僕だよ! お願い、止まって!」


 と、それでも追いすがるナギ。いつもの冷静さなどどこかに吹き飛んでしまっている。明らかに普通の様子ではない。コムギは慌ててその背中を捕まえた。


「す、すみません、この子、なんか調子悪いみたいで……ちょっと、ナギ! あんたね、ナンパならもうちょい上手くやんなさいよ!」


 コムギに押さえつけられたナギは、最後にとある名前を叫んだ。


「待ってよ――レンカ!」


 その名前を聞いた瞬間、少女は急に振り返る。

 そして駆け戻ってきたかと思うと、先ほどまでの反応が嘘のように喰い付いた。


「まさか、キミ……ボクを知ってるの!!?」

「あ、当たり前だよ! 僕だよ、ナギだ! 僕、自分だけだと思って……生きてたんだ……良かった……!」


 そこまで言ってから、今度はナギが怪訝けげんな表情を浮かべた。


「……もしかして、覚えてないの……?」

「……うん……実は、記憶がないんだ……生前の記憶が」


 少女の発したその単語から、ナギは彼女の身に起きたことを察した。


「生、前……ってことは、レンカも……」

「そうだ。ボクもムスタファ様に蘇らせてもらった一人だ。今から八年前にね」


 少女は微かに顔を伏せる。けれど、すぐに明るく笑って見せた。


「でもね、蘇生の代償に記憶は失ったけど、ボクの一族のことはムスタファ様から教えてもらっていたんだ。名前もその時着ていた服の名札から。それが本当に自分の名前なのか確証はなかったんだけど……今、君が名前を呼んでくれたことで、ようやく実感できたよ。ボクはレンカなんだって!」


 よほど嬉しかったのか、少女――レンカは、信者の壁を通り抜けてナギの手を取る。


「キミも柩鬼の一族なんだよね? ごめんよ、さっきは気づかなくて。ああ、瞳の色がボクと一緒だね! ねえ、キミとボクは友達だったのかい?」

「う、うん……同い年の子供は少なかったから、いつも遊んでたよ。川とか野原とか……だから、すぐにレンカだってわかったんだ」

「ああ! ボクにはこんな素敵な友達がいたんだ!」


 レンカは感極まって少年に抱きついた。


「あ、あの~」


 眼を点にするナギと、はしゃぎまくるレンカ。双方の後ろから、コムギがおずおずと自己主張する。


「な、ナギ……えーっと、知り合い……?」

「おっと、失礼。こちらの女性もボクたちの一族なのかい?」


 ‘たち’という部分を強調しつつ、レンカは目を輝かせる。


「こ、コムギは違うよ。なんていうか……色々あって一緒に旅をしてるだけ」

「よろしくね、えーっと、レンカ? でいいのかしら?」

「うん、うん、よろしく、コムギさん!」


 にかっと笑って手を差し伸べるレンカ。コムギの手を固く握り、ぶんぶん振って握手するその様子は、最初にナギを無視した時とは随分と違う。


 コムギが思わずそのことを漏らすと、レンカは「当然さ」と微笑んだ。


「だってボクが‘レンカ’だってことがわかったんだから! ……ずっと、不安だったんだ。記憶がなくて、自分が誰かもわからなくて、レンカって名前が本当にボクのものなのかも確かじゃなかった。ムスタファ様や皆は優しかったけど、それでも、ずっと暗闇にいるみたいだったんだ……」


 記憶を失い、自分を知る家族は既に無く、名前すらも本物かわからないという不安は、この八年ずっと少女の胸をさいなみ続けていたのだ。


 そんなレンカの胸中を察したナギは、優しく少女に微笑んだ。


「……うん、君の名前は確かにレンカだ。‘はすの花’――汚れた泥の中でも綺麗に咲く花の名前からとったんだって。君のお母さんから聞いたことだってある。間違いないよ」

「泥中に咲く花――レンカ……ああ、とっても素敵だ!」


 名前の由来まで教わったレンカは、感慨ここに極まれりといった様子で天を仰ぐ。


「ねえ、もっと教えて、ボクのこと! ボクたちのことを!」


 喜びに我を忘れる少女。その姿は見ている二人の心をも温かくする。

 けれどそんな三人は、周囲がいやにざわめいていることにも気づかなかった。 


「――レンカよ、友達ができたのかい?」


 背後から突如聞こえたしわがれ声。――誰であろうその主は、今回の大騒動を引き起こした張本人であった。


「む、ムスタファ様! 申し訳ありません、ボク、つい夢中になって護衛の役目を……」

「気にするでない。いつも言っているが、こんなおいぼれの介護などせんでもよいのだぞ」


 慌てて頭を下げるレンカに、老人は柔らかく微笑む。温厚な物腰だが、威厳と威圧感とを同時に感じさせる奇妙な男だ。


「……それよりも、そちらのお二人を紹介してくれるかな?」

「は、はいっ! ナギとコムギさん、私の生前の知り合いです」

「生前の……? なるほど、ならば君は、かの一族で唯一の生存者ということか……」


 老人の視線が、ねっとりとナギの髪と眼をなぞる。

 それから不意に我に返ったのか、威儀いぎを正して一礼した。


「……おっと、申し遅れましたな。私はダーラルエルヴィア。皆からはムスタファなどと呼ばれております」

「……どうも。棺屋のナギです」

「あ……えっと、私はコムギって言います。この子の保護者兼冒険者です」


 思わぬ礼儀正しさに戸惑いながらも、二人は挨拶を返す。


「あのね、二人共。もうわかってると思うけど、この方がボクを生き返らせてくれたんだ! ううん、それだけじゃない。蘇生した後、身よりのなかったボクに色んなことを教えてくださった。ボクにとっては、実の親のような方なんだ! 感謝してもしきれないよ!」


 二人に紹介しながら、レンカは敬意の籠った眼差しを老人へ向けた。そこには尊敬というよりも、崇拝に近い感情が伺える。


「レンカよ、感謝など不要だ。……むしろ、私はお前に謝らねばならぬと思っている。お前の一族も蘇生させると約束しているのに、もう八年も待たせてしまった」

「とんでもありません! ムスタファ様の奇跡を待つ人は他にたくさんいます! ボクは後回しでも構わないんです!」


 心酔しきった様子でムスタファを見つめる少女。


 けれど、老人の放ったある言葉を聞きとがめたナギは、二人の会話へ割って入った。


「一族のみんなを、蘇生させる……?」

「そうだよ、ナギ! ボクやキミの家族をだ!」


 レンカはうきうきとそう答える。しかし、ナギの眼に浮かぶのは疑念の色。

 そんな少年の胸中を察してか、ダーラルエルヴィアは先んじて口を開いた。


「『死んだ人間は生き返らない』……君はそう思っているのだね?」


 ナギは無言の肯定をする。


「正しい。君は実に正しい棺屋だ。……そう、死とは不可逆なもの。この世に不死を実現した者はいても、蘇生を実現した者は未だかつて存在しない。故に、君の抱いた疑念とは何より正しい真理だ。……私が、本物のネクロマンス(死者蘇生術)を生み出すまでは、な」


 ダーラルエルヴィアは確信をもって言い切る。


 そのあまりの自信に、ナギは微かに揺らいだ。警戒も不審も解消されたわけではない。だが、この場には確かに、レンカという実例が存在しいている。そして何よりも、少年の心が家族との再会を望んでいる。――少年の瞳に蠢くすがるような期待の光を、ダーラルエルヴィアは見逃さなかった。


「どうだろう、ナギ君。……私と共に来ないか?」

「……ど、どういう、意味……?」


「いや、強制しているわけではないよ。君さえよければの話なのだが……私の側で、君の一族を蘇らせるための手伝いをしてはもらえないだろうか? ……私には今まで誰も持ち得なかった力がある。それゆえに敵も多いのだ。君のように聡明な少年が近くにいてくれると、実に心強いのだよ。……ナギ君、どうだい?」

「いいね、ナギ! そうしようよ! ボクと一緒に、家族を取り戻そう!」


 差し出される老人の腕。ナギの眼には、それが救いの具現にさえ見える。


 だが、ふらふらと踏み出しかけたその時、ナギは何かに気付いてのけぞった。その表情には、警戒や不審とは全く別の、濃い怖れの色が浮かんでいる。


「……なるほど、そうか。君はこの‘匂い’を知っているのか……」


 無礼ともとれる行為を気にするどころか、ダーラルエルヴィアはむしろ感心したように頷く。コムギは元より、レンカでさえその‘匂い’が何を差しているのか理解しかねていた。


「だとするならば、きっと我々は無二の友となれる。だが、それは今ではないようだ。……ナギ君、いずれまた会おう」


 丁寧にお辞儀をすると、老人は踵を返す。レンカも小声で「またね、二人共!」と手を振ってから、老人の後に続いた。


 ナギはただ、遠のいていく二人の背中をじっと見ている。


 その傍らで、コムギもまた黙考していた。


 柩鬼の一族が、少年を残して全滅していた事実。機械仕掛けの島で暗殺者の放った言葉から薄々察しはついていたが、少年の背負った重い過去の一端を、コムギは初めて垣間見たのだった。

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