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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第二章 棺屋は死者の夢を見る
22/42

悪夢

――――……

――……


 空が燃えていた。

 雪華のように降り注ぐのは色の無い灰。彼岸花ひがんばなに似た紅の炎が一面に咲き誇る。その苗床となっているのは、無数の死体だった。


 木々が燃え落ちる轟音。人が焼ける異臭。

 そんな地獄絵図の真ん中で、幼い少年はたった一人、呆然と立ちすくんでいた。


「……おかーさん……おとーさん……」


 今にも泣き出しそうな声をあげながら、少年はふらふらと歩き出す。一歩進む度、死灰が足元で舞い上がった。


「……コハク……アオ……レンカ……アカネ……」


 少年の声に応える者はなく、少年の視界に入るのは散乱した遺体だけ。ほとんどは焼け焦げているか、さもなくば顔が判別できないほどに潰れていた。


 幼い少年にとって、それはどうしようもない孤独だった。


 だが、よたよたと歩いていた先で、少年は倒木の影からはみ出る白い腕を見つける。ぴくりとも動かないが、少なくとも炎に焼かれてはいない。


 少年はおそるおそる木の裏側へ回り込んだ。そしてようやく顔の見える角度まで来た時、その表情がぱあっと輝いた。


「おねえちゃん……!」


 穏やかに瞳を閉じた少女の顔。奇跡的に傷一つついていない彼女は、紛れもなく少年の姉だったのだ。

 少年は一も二もなく駆け出した。安らかなその横顔は、眠っているようにしか見えない。少し肩を揺すって名前を呼べば、すぐに起き上がるだろう。――そしたらきっと、いつものように優しく笑って、頭を撫でてくれるのだ。


 ――だが、そんな期待は泡沫うたかたと消え去った。


「……おねえ、ちゃん……?」


 辿り着いた姉の傍らで、少年は立ち竦む。


 少女は本当に眠っているだけのようだった。……腹部に空いた穴から、大量の血を流してさえいなければ。


 唐突に場面が変わった。


 先ほどの少年は、息を切らせながら山道を下っていた。足取りはおぼつかず、時折大きくよろけている。その原因は、少年が背中におぶったものにあった。


 腹部から滔々(とうとう)と血を垂れ流す少女――少年の実の姉だ。彼は今、助けを求めて山中をひたすら進んでいる。街まで行けば、きっと姉を治してくれる人がいると信じて。


 しかし無情にも、少年が必死で運んでいる少女は、誰の眼から見ても手遅れだった。

 だらりと垂れた腕に生気はなく、ガスでところどころ膨れている。死後数日が経過したらしい少女の体は、すでに腐敗が始まっていた。


「……おねえちゃん……」


 少年は時折、泣きそうな声で姉を呼ぶ。もしかしたら、眼をましてくれるかも知れないから。


 だが返事はない。少年が唯一姉から受け取るのは、凍えるような冷たさだけだった。

 とても嫌な臭いのする汚水が、姉の体から滴り背中を濡らす。腹部を貫通した傷口にはうじが湧き、一歩踏み出すごとに粘つく不快な音がした。


「……おねえちゃん……」


 少年は再び呼びかける。やはり返事はなかった。

 背中に感じるぶよぶよとした感触が怖い。だらりと揺れる四肢の振動が恐ろしい。かつて姉だったものは、少年を押し潰そうとしているかのように重さを増していく。


 いつの間にか、足元が底なしの泥沼になっていた。


 体は既に膝まで埋まっている。少年は必死で抜け出そうともがいた。けれど、覆いかぶさった姉の重みで、ずぶずぶと沈んでいく。


 怖かった。重たかった。少年の小さな背中は、もう壊れてしまいそうだった。


 少年は姉を投げ捨てて駆け出した。どこまでも、どこまでも、小さな声で「ごめんなさい」と繰り返しながら。


 ※※※※※※※※※※※※


「――ナギ……おーい、ナギってば!」


 耳元でがなりたてる大声。

 夢など一息で吹き飛ばしてしまうその声量に、ナギは思わず飛び起きた。


「――っ、はあ……はあ……コム、ギ……?」


 目覚めた少年は、冷や汗に濡れた額を拭う。瞼の裏ではまだ、夢で見た炎がちらついていた。


「あんた、すごいうなされてたけど……大丈夫?」

「…………うん……」


 頷きはしたものの、嫌な動機が収まらない。ナギは苦しげに瞼を閉じて、悪夢の残滓ざんしを追い払おうとする。


 そんな少年の頭に、コムギは優しく手を乗せた。


「怖い夢、見ちゃった?」


 コムギの柔らかな手が、繊細な少年の髪を愛おしむように撫でる。

 しばらくその甘い感触に身を委ねていたナギは、ハッと我に返ると、頬を染めながら振り払った。


「……こ、こういう時だけお姉さんぶらないでよ……」

「なーに言ってんの。私はいつだってあんたの保護者でしょうが。……はい、ジュース」


 手渡された水筒を傾けて、からからだった唇を湿らせるナギ。喉が潤うごとに、現実に戻ってきた実感が湧いてくる。


 その様子をじっと見守っていたコムギは、もう一度尋ねた。


「ナギ、大丈夫?」


 少年は頷いた。今度こそ本当に、ナギは落ち着きを取り戻していた。

 そう、あれはただの悪夢。ナギは知っている。なぜならそれはもう、何千回と見てきたものなのだから。


「よし、ならシャキッとしなさい! この山越えたら王都に着くんだから、お仕事、頑張りましょ!」

「……うん」


 少年はコムギに続いて立ち上がった。ぐっしょりと濡れた感触が、まだ背中にこびりついている。


 不気味な余韻に蓋をするかのように、ナギは棺を背負った。


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