死神
「あー! やーっと見つけた! もう、そこらじゅう探し回っちゃったわよ」
仄暗い路地裏に、コムギの声が木霊した。
『暴れ牡牛亭』のある大通りから数本離れた裏通り。埃まみれのガラクタが捨て置かれた狭い路地裏に、少年は居た。壁に立てかけた棺と寄り添うようにして蹲っている。外套をきつく体に巻き付けたその姿は、捨てられた黒猫のようだった。
「なんでこんな陰気臭いところにいんのよ。好きなの?」
ずかずかと路地裏へ踏み込んだコムギは、了承も得ずに少年の隣へ腰を下ろす。
「別に、そういうわけじゃないですけど……」
外套の襟元に顔を埋めたまま、少年はちらりとコムギへ視線を向けた。
「……何か用ですか?」
「何か用って……ほら、さっき借りたお金。おつりよ、おつり。つり銭も受け取らずに行っちゃうなんて、あんたおっちょこちょいなのね~」
金ももたずに飯を食った自分のことは棚にあげて、コムギは金貨の入った皮袋を渡す。
「それでさ、借りた分なんだけど……今は持ち合わせがないから、ちょこっとだけ待ってほしいんだ。あ、心配しないでね。ちゃんとあてはあるから。この街の近くにポルタ洞窟ってとこがあるらしいんだけど、そこにすっごいお宝がありそうな予感がびんびんするのよね! 根拠は女の勘だけど、まあ間違いないと思ってもらっていいわ!」
「……冒険者なんですか?」
尋ねる少年の声には、僅かに訝るような響きがあった。なにしろ、コムギが腰から提げているのは一振りの剣と鞘だけ。到底冒険者の装いとは言い難い。
けれどそんな少年の疑念に気付きもしないコムギは、平然と頷いて見せた。
「ええ、そうよ! 冒険者の中の冒険者、大冒険者コムギ様よ! さっきは明日の鮮烈デビューに向けて腹ごしらえしてたってわけ。ほら、よく言うじゃない? 『腹が減っては冒険はできぬ』って! ……ああ、言ってたらまたお腹すいてきちゃった」
などと言いながら、抱え込んでいた骨付き肉をかじり始める。
「んー、おいしいっ! やっぱ肉よねー、肉! ……あっ、ところであんた、食べ物買いに来てたわよね? お腹すいてんの?」
「……別に、大丈夫です…………」
少年は首を振る。……が、その直後、外套の下から「ぐー」とお腹の鳴る音がした。
「あっはっは! いい返事じゃない! 遠慮なんかしちゃって、ほら、わけたげる」
金を借りた側とは思えない台詞を吐きながら、コムギは両手一杯の食糧を差し出す。
少年はしばしの逡巡の後、ためらいがちに小さな林檎へ手を伸ばした。
「ありゃ、肉じゃないの? 気を遣わなくてもいいのに。私ってば寛大だから、肉食べても怒らないわよ?」
コムギは自分の立場を更に棚の高い所へ上げて言うが、少年は静かに林檎をかじるだけだった。
「……好きじゃないので」
「へー、変わってるのね。こんなにおいしいのに。私ならいくらでもいけちゃうんだけどな」
という台詞通り、山盛だった食糧は恐るべき速度でコムギの胃袋に収まっていく。彼女の旺盛な食べっぷりを見て、少年は思わず呟いた。
「まだ食べるんですか……」
「むっ、食べれる時に食べるのよ! ……っていうか、あんたね、子供の癖に変な敬語使わないでよね。がきんちょはうるさいぐらいでいいのよ」
その言葉が癇に障ったのか、今まで無表情だった少年の顔に微かな不満の色が浮かんだ。
「……子供じゃないです」
「はあ? どっからどう見ても子供でしょ? 幾つよ、ほら、言ってみなさい」
「……14」
少年の返答を耳にした途端、コムギは勝ち誇ったように笑った。
「ほーら、やっぱりがきんちょじゃない! 背伸びしちゃってえ~」
コムギに肘で小突かれながら、少年はますますむすっとした表情になる。
「……なら、お姉さんは幾つなんですか?」
「私? 16だけど?」
しれっと答えるコムギに、少年は呆れ顔で呟いた。
「全然変わらないじゃないか……」
「大違いよ! いいから、私にはやめてよね、慇懃無礼講っていうの? むずむずするわ」
「なんかちょっと違うけど……そんなに言うならいいよ、別に」
「そうそう、それでいいの」
満足気に頷いたコムギは、とりわけ大きなハムの塊をぺろりと飲み込んだ。
「そういやさ、あんた、何やらかしたの? 来店拒否だなんて。……あ、もしかしてあれでしょ、食い逃げ!」
「違うけど……」
「なーんだ。……あ、じゃあそれのせいじゃない?」
と言ってコムギが指差したのは、少年の隣に置かれた大きな棺。
「棺桶担いで歩くのって、ぶっちゃけかなーり変よ。ファッションセンス無し!」
遠慮もなくそう断じられて、少年は僅かに戸惑いを見せる。それから小さな声で言った。
「僕は……‘棺屋’だから」
『棺屋』――耳慣れない言葉だ。コムギは微かに眉をひそめたが、次の瞬間には勝手に納得して頷いた。
「……ああ、なるほど、棺桶売って歩いてるのね。ふーん、じゃあわざわざ背負ってるのも商品の宣伝ってわけ」
そうして最後に残っていたパンを一口で平らげると、軽く手を払ってのびをする。
「ふー、食べた食べた。……そんじゃ、私、行くね」
立ち上がったコムギは、来た時と同じく春風のような奔放さで別れを告げた。その背中を見送る少年の目には、ほんの僅かばかりの寂寥があったが、引き止めようとはしない。
しかし表通りに出る直前、コムギは「あ」と何かを思い出したように振り返ると、最後に一つだけ問いかけた。
「忘れてた。私、コムギっていうの。……あんた、名前は?」
少年はためらいがちに自らの名を口にした。
「……ナギ」
――――……
――……
その夜。ナギと別れた後、コムギはアルコの街で一番小さな宿屋『つくし亭』に身を寄せていた。といっても、もちろん払う宿賃など持ち合わせていなかったので、宿の掃除をするという条件付きでかび臭い納屋をあてがってもらっただけなのだが。
「ふぁー、あらかた終わったわね……」
箒片手に欠伸をしながら、コムギは満足気に掃除したばかりの廊下を眺める。よくよく見ればまだあちらこちらに埃が残っているのだが、少女の瞳にそんな些末事は映らないらしい。
「さって、明日に備えて寝ますかね!」
と、やたら気合を入れて部屋に戻ろうとした時、後方から酒焼けした声で待ったがかかった。
「おっ!? お前さん、さっき『暴れ牡牛亭』で食い逃げしようとしてた嬢ちゃんじゃねえか?」
振り返ってみれは、これまた見事な赤ら顔をした酔っ払い。この時間までずっと飲んでいたのだろう。ふらふらと覚束ない足取りで近づいてくる。
「ああ、やっぱりだ、間違いねえ! いやあ、さっきは良い酒の肴になったよ!」
「食い逃げなんて失礼ね。ちゃんと払ったでしょ」
「はは、ちげえねえ!」
酔っ払いは愉快そうに笑う。
「しっかし度胸あるねぇ。奴らから金を借りるだなんてよ。大した怖い物知らずだぜ」
「怖がるわけないじゃない。ただの子供でしょ? さっき一緒にご飯食べてきたところだし」
コムギはなんてことなさそうに肩を竦める。だがその言葉を聞いて、酔っ払いの顔が急転直下で蒼ざめた。
「お、おいおい嬢ちゃん、そいつはマジかよ……!?」
「なによ、その反応。そりゃ棺桶担いでるのは変だけど、棺桶売りなら仕方ないんじゃない?」
「あ、あんた、本気で知らねえのか……?」
酔っ払いの表情が驚愕のあまり硬直する。
「悪いことは言わねえ、奴らとは関わらねえ方がいい! そのうち憑り殺されちまうぞ!」
「憑り殺すぅ? あっはは、そんな言い方だと、まるであの子が死神みたいじゃない」
なおも笑い飛ばそうとするコムギに、酔っ払いは語気を強めて言うのだった。
「まるでも何も――ありゃ正真正銘の死神だ!」