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棺屋はいつも冒険者の後ろに  作者: 紺野千昭
第一章 葬列と少女
19/42

幽霊は朝に眠る

「え、なに、なに、どういうこと?」


 クエスチョンマークを浮かべているコムギを差し置いて、アニマはにこりと頷く。


「やっぱりばれちゃってましたか~」


 軽い調子で笑うアニマに、アンヘルは静かに歩み寄った。


「アニマ、あなたが『イヴの心臓』そのものだったのね」


 ナギほどの確信はなかったものの、アンヘルもまたアニマの正体に気付いていたのだ。


「自律統合制御システム――皆さんが『イヴの心臓』と呼ぶものの正体です~。すべての自律機構兵および施設機能を統べる統制システム群、その核たる人工知能ですから~、心臓というよりは脳みその方がふさわしいですけどね~」

「む、難しいけど……つまりアニマもメカだったってわけ? うーん、ぜんっぜんわからなかったわ……」

「この時代の喋り方は勉強したんですよ~。みなさんのような冒険者の方がたくさんいらしたお陰で~、サンプルだけは大量にありましたから~」


 と、アニマは少し胸を張る。喋り方がだいぶ独特なのは、サンプルに偏りがあったからだろうか。


「もっとも、今みなさんとお話ししているこの仮想人格はただのバグなんですけどね~。私の‘役割’には必要ないものですから~、それこそ幽霊みたいなものですかね~」

「役割って……?」


 コムギの浮かべたその疑問に答えたのは、アニマではなくアンヘルだった。


「……人間の代わりに、戦わされていたんでしょう?」

「ちょ、ちょっとそれ、どういう……」

「はい~、その通りです~」


 アニマは隠しもせずに頷く。


「私が造られた頃には、もう人間が直接戦う時代は終わっていましたので~。機械による代理戦争は常識です~。貴重な人間の命を消費することのない、クリーンで人道的な戦争ってやつですよ~。まあ、それが続いていれば私たちの時代が旧世紀と呼ばれることはなかったんでしょうけどね~」

「戦わせるためだけになんて……そんな、勝手すぎるじゃない!」


 コムギは我がことのように憤慨する。

 けれど、当のアニマはさらりと言ってのけた。


「もうずっと昔のことですよ~」


 一体どれだけの間、この笑顔の少女は孤独に暮らしていたのか。コムギたちには想像すら及ばなかった。彼女の生きた長き星霜せいそうは、人間の寿命という尺度からすれば永遠とさえ言えただろう。


 そして、悠久ゆうきゅうを知るこの不思議な幽霊は、「それに……」と穏やかな微笑みを浮かべた。


「これで、やっと自由になれますから~」


 瞬間、再び三人の頭上から警報が降り注いだ。と同時に、アニマの姿にノイズが走る。


「わわっ、一体全体なんだっての……?」

「ご心配なさらず~。自動消去が始まっただけですよ~」


 なんてことのなさそうに言うアニマ。だが、いち早くその意味に気付いたアンヘルが眼を見開いた。


「消去って……まさか、アニマの?!」

「そういうことになりますね~。制御用人工知能は最高機密ですから~。鹵獲ろかく対策ぐらいは講じてありますよ~。最終防衛機構が突破された時点で破棄されるようになっているんです~」


 アニマは他人事のようにそう答えるが、彼女が口にしているのは紛れもなく自身の死を意味する言葉だった。


「そんな! 私たちは、あなたを自由にするために――!」


 アンヘルは言いようもない憤りに声を荒げる。


 彼女たちが歩んで来たのは、死んだ少女を自由にするための旅路。それはアニマの正体が人工知能だと勘付いた後でも、意味合いの上で変わることはなかった。だが、それが最初から少女を殺すための旅路だったとしたら――あまりにもやりきれないではないか。


 けれど、アニマ当人はただ満足気に微笑んだ。


「これがその唯一の方法なんですよ~。人工知能は命令があるまで停止できません。でもその権限を持った人たちは、今や遠い過去にいます~。だから、誰かに最終防衛機構を壊してもらうしかなかったんです~。単なるバグでしかない私では、自律機構兵のコントロールを奪うこともできませんから~。できるのは、せいぜい誤作動を起こして隔壁を開けるぐらいですね~」 

「じゃあ……本当に、死ぬために私たちをここへ?」


 コムギは信じられないといった様子で問いかける。アニマはほんの少しだけためらった後に、小さな声で謝罪した。


「……えへへ~、ごめんなさい。嘘、ついちゃいましたね~」


 コムギは絶句する。死ぬためだけに吐いたその嘘を、責めることなどできるはずがない。

 ただ、アンヘルだけは不服げに唇を噛んでいた。


「……利用するのは構わないわ。でも、私は……あなたを殺す方法じゃなくて、助ける方法を教えて欲しかった……」


 吐き捨てるようなその呟きに、アニマはなお笑顔で首を振る。


「‘殺す’とか‘死ぬ’とか、そんな大層なものじゃありませんよ~。私はただの人工知能。それも本来なら存在しない、自我未満の小さなバグです~。最初から生きてなんていないんですよ~。幽霊と同じ、ただの生の擬態ぎたいですね~」

「そんなこと――!」


 卑下ひげでも謙遜けんそんでもない、純粋な自己への軽視。その虚しさが耐えられず、コムギは咄嗟にアニマの言葉を遮ろうとする。けれどそんなコムギよりもなお早く、声をあげる者がいた。


「――そんなこと言わないで! みんなで一緒に探検したじゃない! 今だってこうして話してるじゃない! それに、私の命を救ってくれた! あなたは、ちゃんと生きてるわ!」


 アンヘルのその声は悲痛な響きを帯びていた。

 他の誰かに造られた望まぬ運命――彼女は自分でも気づかぬうちに、自らの境遇をアニマと重ねていたのだ。


 そんなアンヘルの様子を見たアニマは、なぜかくすくす笑う。そうしてから、照れたように言うのだった。


「困りましたね~。それ、私があなたに言おうと思ってたことなんですよ~」

「え……?」

「忘れちゃったんですか~? 二人きりで話した時のことですよ~」

 そう言われてアンヘルは思い出した。コムギたちとはぐれた後、棺屋集団に追いつかれる前に足を踏み入れた倉庫での会話。そこでアニマに漏らしたある言葉を。


「あの時、あなたは自分のことを『自律機構兵と同じだ』って言いましたよね~? でもですね~、アンヘルさん。あなたは私たちとはぜ~んぜん違いますよ~。あなたはちゃんと人間です。ちゃんと生きてます。自分の足で歩けるんですよ~」


 そうしてアニマは、思い出したように一番大切なことを伝えた。


「あっ、それとですね~、あの時、最後まで言えませんでしたので~、今教えておきますね~――アンヘルさん、機械は夢を見ませんよ~」


 それは、機械である彼女だけが口にできる、アンヘルという存在に対する肯定の言葉だった。 


「ここに来てからの幸せな時間を、あなたはただの夢だと言いましたよね~? でも本当に機械なら~、その夢を見ることすらできないんですよ~。人間だけが夢を見ます。そしてですね~、見た夢を叶えることができるのも人間だけなんですよ~」


 ようやく終着点にたどり着いた者から、これから出発点に立とうとする者へ向けられた応援のメッセージ。


 アニマの言葉は確かに少女の胸を撃った。だが、その裏側では、彼女の胸に巣食うどす黒い臆病さが頭をもたげてもいた。


「……私はそんな強くないわ……」


 吐き捨てるようにそう言って、アンヘルは目を逸らす。


 十四年間彼女を縛り続けた家の呪縛は、一朝一夕に抜け出せるほど軽いものではない。生来より刻み込まれた価値観を捨て、全く新しい自分の道を切りひらくのは、幼い少女にとって世界の創造にも等しい難事だ。それを前にして竦む彼女を、一体誰が責められるというのか――


 おののうつむくそんな少女の背中を、しかしアニマは能天気に押してみせるのだった。


「そんなことありませんよ~。だってほら、見てくださいよ~、アンヘルさん」


 場違いなほど柔らかに微笑むアニマは、ゆっくりと真上を指差し、そして言う。


「あなたは私に、光をくれたじゃないですか~」


 向かい合う二人の頭上、アンヘルが光精霊術で開けた天まで届く穴から優しく差し込むのは、紛れもない、朝の陽ざし。


 お世辞でも、励ましでもなく、アニマは知っているのだ。幾星霜の時の壁を打ち破り、この空虚な箱庭に光明をもたらした少女の可能性を。


「大丈夫、恐れないで。アンヘル、あなたは強い。眩しいぐらいに」


 アニマはそっと、少女の頬に手を伸ばす。彼女の手はただの崩れかけのホログラム。感触などあるはずがない。――けれどなぜかアンヘルは、柔らかな温もりに包まれるのを感じた。


「あなただけの自分を、生きてくださ~い」


 アニマの体が、淡い朝の光に抱かれるようにして溶けていく。


 ついに訪れたその時に、アンヘルが呟けたのはたった一言だけ。けれどそれは、人間に造られた人工知能が何より渇望かつぼうしていた報酬であり、アニマという空虚な存在のすべてを肯定するゆるしでもあった。


 幾百世紀の時を越えて告げられたその言葉は――


「アニマ――ありがとう」


 少女はにっこりと微笑んだ。

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