ヘラヘラとケラケラ、夕焼け
「ねぇ、目玉焼きにかけるの、醤油派? ソース派?」
目の前にいる礼音のそんな一言から、いつものくだらない会話が始まる。
「なにさ、突然に」
「いいから、答えてよ」
きっと、彼女は喋れたらなんでもいいのだろう。茶色に染めた髪の毛の先を手でいじりながら、彼女はいかにも暇な人を体現していた。
「そうだなぁ……」
それだけ言って私は顎に手を置き、考えるポーズをする。何かの推理漫画の主人公がよくやっている格好だ。
問い『目玉焼きにかけるのは醤油かソースか』
要は、目玉焼きをスプーンですくって口に運んだ時に、「ぺろつ、これは○○」の○○部分を考えろと言うものだ。
かく言う私も、暇を持て余している人間の一人であり、彼女と何ら変わらない。こんな生産性のない事を考えている時点で同類だ。
「そんなに悩むことじゃないでしょ」
礼音は笑った。口元から見える八重歯は彼女のチャームポイントだ。
「じゃあ、醤油で」
何の面白みもない答え、数十秒だけない頭を捻って考えた結果がこれである。
「あー、そうなんだ」
「礼音はどうなのさ?」
今度は逆に、窓際で夕陽を一身に浴びる礼音に聞いてみる。
「私かー、私はポン酢だわ」
「醤油とソースじゃないじゃん」
「いやはや、新たな可能性を模索するのも人間の特性なのだよ」
そういうものなのだろうか。可能性だけで言えば、この世界には無限大に溢れている。その中で取捨選択して私たちは生きているのだ。
そして、こんなくだらない会話も、私による取捨選択。
「そんなこと言うんだったら、私は塩コショウだよ」
「おいしいもんね、あれ」
「そもそもポン酢っておいしいの?」
「ポン酢いずゴッドなのだよ、天子」
天子。私の名前だ。私が彼女のことを下の名前で呼ぶように、礼音も私を下の名前で呼ぶ。いつの間にかそうなっていた。いつの間にか、彼女は私の心の中に入ってきたと言うことだ。
別に嫌と言うわけではない。実際、彼女と話すようになってから学校に来るのが楽しくなった。
「ポン酢じゃなくて、ポン酢と目玉焼きの相性だよ」
「ポンメダヤキ?」
「その愛称じゃない」
礼音の猫のような目がパチクリとする。夕日に照らされて、茶色の猫毛が光っているようだった。彼女はひとりでにくすりと笑って白い歯を見せる。
「私たちの相性は抜群だよ、水と油みたいに」
「駄目駄目じゃねーか」
私と礼音の相性。クラスの中では二人とも喋る方ではない。私はいつも本を読んでいるし、彼女は暇そうに携帯を弄ったりしている。こうやって、たまに放課後の教室に二人して居座って話すだけの中だ。
水と油、という例えを彼女は言ったが人と人は元来決して交わらないものだ。どれだけ距離を縮めても、大事なところがすれ違う。私はそれを良く知っている。
だから、今こうやって話すだけの関係が丁度いいのだ。
「混ぜたら美味しいじゃん、そういうことだよ」
「どういうことだよ」
そんな私の突込みに対して、彼女は唇を尖らせる。ラブリーなその形がまるでキスをするみたいになって、それに少しだけドキリとした。今が夕方で本当によかったと思う。
「つめてー、そんな氷みたいな解答じゃなくて、もうちょっと捻って答えてちょーだい」
「これでも十分な暇つぶしになるでしょ?」
「あー、私はオチを求めているのだ」
「オチねぇ、礼音って関西人だっけ」
「ぜ、ぜんぜんちゃうわ!」
まるでドラマかなんかで聞くような安っぽい方言が彼女の口から飛び出した。私はそれに少しだけ吹き出してしまう。
「なにその関西人が聞いたら怒りそうな関西弁」
「具体的には埼玉県さいたま市出身です」
「あー、微妙だ」
正直、コメントに困る。あの国民的アニメの舞台だよね、とか言ってやればいいのだろうか。
「ダサいたま舐めるなよっ!?」
「自分でダサいと言うてもうてるやん」
――思わず、封印していた方言が出てしまう。礼音といると、今まで貼っていた心のバリアーみたいなものが全部はがれてしまいそうになる。そんな、不思議な安心感が彼女にはあった。
「何その流暢な関西弁!?」
目を真ん丸にして彼女は驚く。そりゃそうだ、今までこんな言い方をしていなかったのだから。
「あー、私大阪出身」
「え、初耳なんですけど」
「隠してただけ」
馴染むため、周りに溶け込むため、東京と言う土地において、没個性化するため、――昔のことを忘れたいため。言い訳? 理由づけ? 正当化? そんなものはたくさん出てくる。
結局は友達が出来なくて意味がなかったのだけれども、関西弁で喋らない癖は今ではもう定着してしまっていて、いわゆる渋谷系女子の誕生で会った。……ちょっと古いか。
それで、礼音はと言うもののにんまりと笑いながらこちらを見ていて、喋ることがなかったならこんな顔を見ることもなかったんだろうなぁってちょっとセンチメンタル。
なんか、彼女の嬉しそうな顔を見ているとこちらまで嬉しくなってくる。
「そういうの、教えてもらうのちょっとだけ嬉しいかも」
「あー、人望なさそうだもんね」
恥ずかしくなって、ちょっとだけ軽口を叩く。だけれどもこんなことは私たちの間ではよくあることだ。お互い、気にすることはない。
「一匹狼だからね、そう呼ばれているのを聞いたよ」
「ショックだった?」
彼女は見た目のヤンキーぽさもあって、この学校では浮いている。黒髪ロングスカートの所謂真面目ちゃんばかりのこの世界では、存在そのものが珍しいのだ。
さながら、ウサギばっかりの檻に偶然迷い込んできてしまった満腹のライオンである。
「別に、ってそっちだって似たようなもんじゃん」
「私、なんて呼ばれているの?」
「鉄仮面だって」
まぁ、予想はついていた。周りとの交流を閉ざして本の世界に入り込んでいる私に喋りかけるものは誰もいない
この学校に来たばかりの時には結構話しかけられたものだが、今ではもう空気みたいなものである。
「ほとんど人と喋らないからなー」
「大丈夫だよ、私は天子が優しくてあったかい子だって知ってるから」
「私は礼音があほの子だって知ってるよ?」
「余計なお世話だっての」
「ほら、ギャップ萌えって言うじゃん。 普段一匹狼気取ってる子が実は天然だなんて」
「あー、不良が子犬拾う的な?」
礼音はびしょ濡れになりながら子犬を拾っている姿を考えるみると吹き出しそうになってしまった。お前も一人なんだな、とか言っちゃいながら犬を抱きしめている姿なんて爆笑ものだ。
「何笑ってるのさ」
「ごめん、ツボに入って……」
「失礼なやっちゃな、でもこんな風に天子が可愛く笑うことも喋るまでわかんなかったしね」
「そうそう、こうやって喋ってみないとわからないことって多いし」
喋ってもわからないことは多いんだけどね、なんて心の中で付け足した。
こうやって喋っても相手の気持ちなんてわからないし、相手に聞きたいことも上手く聞けないし、これは私の特性なのだろうか、なんて少しだけ自己嫌悪に走る。
「参考までに聞くけど、喋るまで私のことどう思ってた?」
「ライオン系女子」
「なんじゃそりゃ」
「えーと、夜の校舎で窓ガラス壊して回ったり、盗んだバイクで走りだしたり」
「私は尾崎豊か」
茶髪に、たくさんつけられた流行もののアクセ、それに長くてカラフルに装飾された爪。極め付けは獲物を狙うようなぎらついた眼光だ。ファーストインプレッションでは、私は完全に礼音のことを誤解していた。それこそ、漫画や歌の中に出てきそうな感じに。
「だって見た目完全にそっち系じゃん、ミニスカにアクセサリーじゃらじゃら、茶髪に染めてますってさ。 このガッコにそんな子礼音しかいないよ?」
「うーん、でも今さらこのキャラ変えるわけにはいかないしなぁ。 行き場のない街を一人ふらつけないし」
米軍キャンプ、あんまりメジャーじゃない所を持ってくるので私はクスクスと笑った。
「変えちゃえばいいじゃん。 ……で、何か聞かれたら失恋しましたって言う」
少しだけ、躊躇った。付き合うとか付き合わないとかそういう話を彼女に振るのは初めてだった。
聞くのが怖かった、と言うのもある。もし、礼音に彼氏ないしは恋人がいたのだとしたら私はどうするのだろうか。……それを知ってどうするのだろうか。
「そんな相手いないっての。 欲しいくらいじゃ」
安堵。私アンド礼音。いなくて、いなくて本当によかった。なんて考えている私は異常なのかもしれない。多分いま一番怖いのはこの関係性が壊れること。だから、ちょっとした相手に対する踏み込みでも半端じゃない恐怖が私の中に渦巻く。考えすぎなのは私の悪いところだ。
「嘘も方便ってね、言うじゃん」
「あー、天子って嘘むっちゃついてそう。 事あるごとに嘘ついてそう」
「何を失礼な」
心外である。もしくは侵害。嘘をつく相手すら少ない私に対してそんな言葉。
「今日寒いからってマフラーとかガチガチにしてきたのも、実は……」
「実は?」
礼音が変にタメをいれるので、適当に相槌を打つ。ニタっと笑った礼音が嬉しそうにこちらを見ていた。
「彼氏につけられたキスマークを隠すためだったりしてね」
「本当に心外、そんな相手こっちこそいないわよ」
「それが嘘だったりして」
「付き合うとかそういうのって面倒くさくない? 自分に丁度いい距離ってあるじゃん。 それに――」
「それに?」
それに今、礼音のことが好きだから。なんて言葉は言わない方がいい。言わない方がいいのだ。なので、また適当にお茶を濁す。
「ううん、なんでもない」
「そっか」
彼女は踏み込まない。律儀に私が引いたラインからこちらに入ってこない。私がいったん、バリアーを貼ると、そこには近づかないようにする。その優しさが、少しだけ憎かった。
踏み込んできてほしくないのは本当。でも、私のこと好きなのだとしたら、踏み込んできてもいいやん! みたいな。
面倒くさい女である。自ら嘲笑したくなる。
「でさ、ライオン系女子ってなによ」
「私の偏見に満ちた愛だよ」
「肉食系ってか? こんな清楚な乙女に向かって」
「乙女はそんな寒そうな恰好をしません」
ミニスカからはみ出る太ももを見て本当に寒そうだと思う。それとは別に舐めたいとか触りたいとか、そんな劣情も抱いている。それもこれも、礼音の太ももが悪いのだ。礼音は悪いところがいっぱいだ! 私が正してあげなければ! なんて。
そんな私とは違って、彼女はへっちゃらみたいにスカートを少しだけたくし上げた。
パンツだ、パンツが見えそうだ。
「寒くないし、むしろ天子のかっこうの方が逆に暑そうだし、あれだね、私がライオンなら、天子はペンギンだね」
へらへら笑いながら足を見せつけるのは止めて欲しい。心臓に悪い。
そして、ペンギンになった私を想像していささか微妙な気分になった。
「失礼な、あんなにずんぐりむっくりしてないわ」
「いやはや、そのコートにマフラーだけでもだいぶ体積増えているでしょ」
「体積言うな、なんか重く聞こえるわ。 それよりも、なんでペンギンなのよ」
「えーだって、天子でしょう。 なんか偉そうじゃん、で、エンペラーのペンギンってわけ」
天子→天皇→皇帝→エンペラー→ペンギン。彼女の脳内を想像するとこんな感じか。何とも言えないが、頭の悪さだけは伝わってきそうな気がする。
「つまるところ、私達って王様コンビなのよ。 百獣の王とエンペラーペンギンで」
「どうでもよすぎて欠伸が出そう」
「えー、ノリが悪いよ天子」
オチがない。いまいち生産性のない会話である。
そんな話の展開に彼女は満足できないらしく、勢いよく手を挙げてこんなことを叫ぶ。
「よし、点呼用意! いち!」
「に」
「点呼終わり!」
一応乗ってあげたおかげか、どことなく満足そうな顔をしていた。具体的には口がほころんでいて、口角が上がっている。犬だったら尻尾振ってる、絶対に。
「……壁ドンってあるじゃん」
「え、今のなんだったの?」
「天子と点呼をかけた巧妙なギャグ。 使っていいよ」
しれっとそんなことを言うが、私も関西人の端くれである。
「使わんわそんなつまんないの」
「で、話を戻すけど」
本当に、生産性のない会話だ。
「壁ドンね壁ドン」
「やってみたいなーって」
「されるんじゃなくて、やる方なんだ。 さすがライオン系、肉食ですね」
礼音にだったらされてみたい、なんて言葉をグッと飲み込んで私はへらへらと笑う。
「いやー、なんかプライドの問題? されたら鼻で笑っちゃいそうだから。 それにイケメン限定でしょ、あんな行為」
「まぁ、確かにね」
あんな行為をされることを夢見るほど、私も礼音も乙女ではないと言うことだ。無駄にひねているともいうけれど。
「と言うわけで、してもいい?」
礼音の肉食獣な目が私を真っ直ぐにとらえていた。
「は?」
思わず、そんな声が出てしまう。
落ち着け、落ち着くのだ天子。これは何かの間違いであって、決して心の声が漏れたとかそういうものではない。そんな風に、必死に脳みそをクールダウンさせようと私は必死になっていた。
「うわーその冷めた目線ちょうくるわー。 主に下半身辺りに」
「きも」
そう、私は鉄仮面の天子。クールでバッサリ切っちゃう渋谷系女子。そう、だからこんな風に礼音のことも切っちゃうのだ。
「ほんとう調子乗ってすみませんでした」
……ここで、いいよ、してきなよと余裕を持って言えたらな、なんてことを一瞬考える。それで、本当に唇を合わせてしまうことまでも脳内でシミュレートした。
今からでも、してもらうのは間に合うか。少しだけ勇気を出して私は礼音に言った。
「……で、するんでしょう? 壁ドン」
「なんか誘い慣れてる感があってむかつく」
「そんなこと言ってるとさせへんで」
顔が熱い。余裕がない自分に腹が立つ。それでも、教室の壁に背を預けて彼女のことを待ってみるのだ。目を閉じて、夕日で瞼を透かした。
トン、と私の顔で音が鳴って熱を感じた。そっと目を開くとそこには礼音の顔がある。
睫毛。目と目とが合わせっていて、本当に目と鼻の距離。視界は彼女の顔にジャックされる。
胸が、トクンって。
急にしんといてほしい、とか顔が綺麗だなぁ、とか良い匂いがする、とかそういう邪念ばかりが浮かんできて、それが恥ずかしくなって、顔が真っ赤になっていくのが自覚できて、脳内は瞬時に祭りになる。
睫毛だ。この長い睫がいけないのだ。この睫毛が私を誘惑するのだ。
少しだけ背を伸ばせばキスできるような、数センチだけ勇気を出せば触れられるような、そんな、そんな――
「そんなこと言ってると、食べちゃうぞ」
総スカンである。下手くそなウィンクに囁き声、体の中で暑くなっていたそれが冷めていくのがわかった。
「あ、うん、そう」
「え、何その反応、悲しいんだけど」
何が帰ってくると期待したのだろうか。彼女は眉をひそめて、少しだけ目を潤ませる。
その純直な反応が可愛らしいのがずるい。そんな表情の礼音ばかり見ていたら今度はこっちが肉食獣になってしまいそうな気分になる。女子高生にして、送りオオカミの気分がわかるなんてそうそういないんじゃないだろうか。
「なんか昭和感溢れるテイストだったから乗り切れなかったわ」
「……でも、その割に顔赤くなってなかった?」
「夕日のせいだよ、そんなのはさ」
負け惜しみと言うかなんというか、ときめいてしまったのは事実で、私が彼女のことを好きなのもやっぱり事実で、いつも心を踊らされてばかりでそれが悔しくて。
「え、なに?」
あっけにとられる彼女の手を取って壁に寄せる。今度は私のターンであった。
「仕返し」
人間、スイッチが入ると何をするかわからないものである。壁に寄せた彼女に覆いかぶさって私はそっとキスをした。もちろん唇ではなくて、頬であったが。
「……うふっ」
「こら、変な笑い方しない」
照れくさくなって私は彼女から視線を外す。耳まで熱くなっているのがわかって、心臓が高鳴っているのがわかって、彼女がこっちを見なければいいのに、なんて思った。いや、本当は見て欲しいのかもしれない。
「いや、だって――」
礼音の声が途中で切れて、私の胸は一瞬冷える。きっと深く考えなくても、今の行為は理解できるだろう。いくら、礼音がニブちんでも。
「……今の」
静かになった教室の中、小さくなった礼音の声。目の前には、窓と、私たちを染め上げる大きなオレンジ色があった。
「うーんと、夕日と、睫毛のせいかな?」
そんな感じにごまかして私が笑うと、つられるようにして礼音も笑った。
「なにそれ」
「秘密ってことで」
「なんかむかつくかも」
きっとこれでいいのだ。きっと。こうやって、たまに距離を近づけていって、最終的に彼女の隣に立てるならば。
「で、結局この会話のオチは?」
「オチかぁ」
――私がもうすでに礼音に落ちている、なんて言ったら彼女はどんな顔をするでしょうか。
「お後がよろしいようで」
「いや、ぜんぜんよろしくないからっ!」
少なくとも、私の中でよろしいのだ。今の関係も、距離感も、感情も、全てが丁度いい。たまに寂しくなることがあっても、それはそれとして置いていける。
「そろそろ、帰ろっか?」
「うん、帰ろう」
この教室から始まった恋は、いつか、この教室で終わるのだろうか?
教室を出て、隣で歩く彼女の手をそっと握ってみる。ふわふわですべすべで、温かくてそだけで気分はハッピーなのだ。
「どうしたのさ」
「手のこと? それは、なんとなく……かな?」
繋いでみた手を礼音は持ち上げる。笑った私を見て、彼女も笑う。願うことがあるならば、今、この時が永遠に続けばいいと思った。いつまでも子供のまま、彼女と一緒に歩いて痛かった。
――どこまで行けるだろうか。このままの私で、このままの私達で。行きついた先には何が待っているだろうか。今は見えないそんな未来も彼女と一緒なら楽しめる、そんな気がしたのだ。
「……ううん、違うよ、礼音のことが好きだから、なんてね」
いたずらに笑った私と目を真ん丸にした彼女。ケラケラと笑う影法師が通学路に二つ、姿を落としていた。
終わり




