救出
「うーん、もう少し手ごたえがあると思ったんですがね。これからの彼の成長に期待するしかないんでしょうか?」
男の声が聞こえる。物腰の柔らかな落ち着いた声。
その声色は未だ冴えない頭をもう一度まどろみの世界に引きずり込む。
「それでは始めましょうか」
男は首にかけてあったロザリオを手に取り、唱える。それはまるで洗脳。彼の言葉が直接頭に語りかけてくる。その声は恐ろしいほど優しく、温かい。聖母に抱かれた赤子のような気持ちになる。
『世界は絶望で満ちている。だから、世界を救いましょう』
それは聖句。世界を救う聖句。
『愛しのフレアよ。その聖火で我らの絶望を焼き払いたまえ』
それは破壊。全てを無にする業火。
『ああ、我らが神、フレアよ。哀れな子羊達に救いの手を。彼らが為の新たな世界を』
それは創造。誰もが羨む新世界。
見たい。見たい。見たい。
そんな世界の一部になりたい。
ガラガラと自分の大切な何かが壊れ始めるのを感じた。
これは、危険だ。
自我を必死で保とうとする自分が警告する。でも、どうでもいいと全てを諦めようとする自分もいる。
『汝に新たな名前を授けよう。新世界の使徒の名を』
「オレの名前……?」
聞いちゃダメ。でも、聞きたい。
これを聞いたら自分ではなくなる。
自分ではない何かになってしまう。
ふっ、と男は柔らかい笑みを浮かべた。変わってしまう自分を、全てを受け入れてくれるような優しい微笑み。
神様なのだろうか?天使なのだろうか?
男の出す雰囲気は今までに感じたことがないほどの暖かさがあった。
そして男はロザリオを胸に当て、言葉を紡ぐ。
『汝の名はーーーー』
「トォォォォオルゥゥゥゥウ!!!!」
聞き慣れた少年の声が薄れていたトールの自我を呼び覚ます。プツンと操り人形の糸が切れたように体の自由を感じた。
しかし、声が上からふってきたと気付くと、ずしりと頭に衝撃が入り、地面にのめり込んでいた。
「おい、ルティ何やってんだ!バカ!敵を攻撃しろよ!助けに来たトールを踏み潰してどーする!?」
「いや、狙おうとしたよ!ただちょっと距離が足らなかっただけ!!」
「敵よりタチが悪くないか!?」
漫才のようなやり取りが耳に入る中、トールは痛みでマヒした頭がショート寸前なのを感じた。
「ルティとロイド……?」
地面に埋まってしまった顔をどうにか残りの力で引っ張り出し、声がした方向を向く。鼻から止まること無く液体が流れ出るのを感じる。きっとこれは鼻血だ。
「トール大丈夫か!?って、ルティのせいで大丈夫じゃなさそうだな」
「あ、いや、大丈夫じゃないけど、ありがとう、助かった」
トールは'いつも'のようにルティに小言を言うロイドを見てクスリと笑った。
「仲直りしたんだな」
「おかげさまでな。後は俺たちがなんとかする。まかせろ」
「分かった。オレそろそろ限界だからまかせた」
安心して、緊張がとれて、トールは意識を閉ざした。
「トールがいちおう無事そうで良かった」
「良い感じなこと言ってるけど、鼻血出てるからうまくきまらなかったけどね」
「それはお前のせいだろ、ルティ」
「まぁ、でも最終的にこいつに殺られる前に助けたからいいでしょ」
そう言い、ルティは視線を先へと動かした。
その先には白いロングヘアーの中性的な男性がいた。彼のサファイアブルーの瞳がフッと笑みを浮かべる。
「なるほど、貴方が本物のルティ君だったんですね」
「本物のルティって、やっぱりトールはルティと勘違いされてたんだな」
「お恥ずかしながら、人違いしてしまいました。ですが、彼、トール君を殺めるつもりはありませんでしたよ。むしろ、救おうとしていただけです」
「は?救うって何から……?」
何を言っているんだ?こいつは?ロイドは男に問いかける。
男は困ったような、悲しいような、哀れみのような表情で幼子たちをあやす母のように語る。
「この国からですよ。かつてこの土地を救ったのは不死鳥神フレアであったのに、欲にまみれた愚者フィニアローズがフレアを利用し、国という愚かな枠組みをつくってしまったのです」
「はぁ!?何を言ってるんだ!フィニアローズ王を侮辱することは聖不死鳥教を否定することだぞ!」
聖不死鳥教。
魔物が世界を支配していた頃、人々が絶望の中取り残されていた頃、救いの手を差し伸べた不死鳥神フレアと、彼女と共に国を作り上げた英雄神フィニアローズ、そして彼らの子孫である王族を讃える宗教。
このフレアローズ王国の国教でもある。
すなわち、フィニアローズを否定することは国教を否定し、この国を否定し、全てを敵にまわすということ。
だけど、この男は呼吸するように、当然のようにそれを口にする。
「そうです。私はフィニアローズを、王族を、この国を否定します。我々、フレア教が信仰するのは不死鳥神フレアと、正当なる子孫である紅姫だけなのです!」
「「紅姫……?」」
初めて聞く単語にルティ、ロイドは聞き返す。
「少しは私達のことを興味持っていただいたようですね。ですが、これ以上時間をかけるわけにもいけません」
「それは僕も同意見だね。ロイド、いつまで相手の話し聞いてんの。これじゃあ、相手の思うツボでしょ」
「おまえはどっちの味方だよ。まあいい、始めるか」
ルティ、ロイドは腰にかけていた剣に手をかける。しかし、男は焦る様子もなくただ悲しげにロザリオ見つめる。
「ああ、主よ、フレアよ、我々は可能性を秘めた子羊達と相対しなければならないのでしょうか?」
ポツリと呟く。その表情は心底ロイド達と交戦するのを嫌がっているようで、なぜだかこちらが悪いことをしているようで心が痛んだ。
「いつまでそのロザリオを見つめてる。流石に俺達もそろそろ真剣にやりたいんだけどな」
「それは申し訳ない、ロイド君。つい癖なのでね、気をつけるよ」
「それともう一つ。俺達の名前を知っているくせに、自分の名は名乗らないのか?」
「そうですね。君達、騎士は剣を交える相手には名を名乗るのが礼儀というものですしね」
ピリッ。空気が緊迫したものへと変わる。男の目つきが変わった。騎士の目だ。若い外見とは裏腹に何千何万もの命を奪ってきた手馴れの騎士。
自分は今とんでもない奴を相手にしていると本能で悟った。
だが、それもまた一興。純粋に強い者を相手にするときほど胸を踊らせることはない。
「私はフレア教司祭であり、名はーーーーー
「隙ありぃっっ!!!」
しかし、そんな騎士道や男の浪漫もへったくれも気にしない奴がいた。稲妻のようにハニーブロンドの髪をなびかせ敵の懐に飛び込んだ。
「おまっ!ルティ!何やってんだ!?」
大胆不敵な笑みを浮かべ、ルティは男を斬りかかる。
男は軽やかな足取りで下りかわした。しかし、プツンと何かが切れるような音がした。男が切られた様子がない。
「糸だよ」
そうルティが口にしたのと同時にロイドの背後で物が落ちる音がした。
振り返ると白いコートで全身を覆っている者が二人倒れていた。
「こいつら、朝あの男の後ろにいた奴らだ。見かけないなと思ってたら隠れてたのか」
「さっきからロイドを狙ってたよ。ロン毛のにーさんに気を取られている間にやろうとしたんじゃないの?僕のことセコイとか言わないでね。相手もはなっから正々堂々やるつもりがなかったってことだし」
倒れている二人からの糸と、男のロザリオに繋がれた糸。細くて見えなかったが、男はこの糸で操っていたのだろうか?
「ひどい言い草ですね。この糸は彼らを抑えるために使っていたものですよ。まぁ、でも、彼らを使って君の腕を確かめようとしたのは事実ですけど……」
ゾッとした。男の暖かい微笑みが一瞬だが悪魔の嗤いに変わった。
そして、その豹変は男だけではない。背後からの殺気を感じた。
「ロイド、くるよ!」
「分かってる!」
「糸で抑えていた彼らの衝動が出てきてしまいました。残念ながら彼らは‘名前’を授けられなかった迷い子なので、糸を繋いでいないと暴走してしまうのです」
ロイド、ルティ共に双方からの攻撃を受け止める。
「先ほどのトールと呼ばれていた少年も彼ら相手には屈してしまいましたが、どうやら君たちは大丈夫そうですね」
ダァアン!!
男がそういったときにはすでにロイドとルティは相手を弾き飛ばしていた。
「トールはどうせ一人で二人を相手してたんでしょ?」
「俺たち相手に一対一は余裕だ」
ロイド、ルティはニヒルな笑みを返す。
「ロイド、全身白マント二人組を任せていい?ぶっ倒したらすぐに教えて」
「了解。おまえはどうするんだ?」
「トールの安全確保とロン毛の相手だよっ!」
ルティは男に向かって駆け出した。
その一連を男はただ満足げに見つめていた。
「流石ですね。ああ、君たちならきっと名前を授けてもらえますね」
「さっきから名前名前うるさいな〜。そういうロン毛おにーさんの名前が僕は気になるんだけど!」
剣を男にめがけ一直線に斬りかかる。その軌道は吸い込むように男の胴体に向かう。決して悪くはない。むしろ、芸術品のように美しい剣さばき。
だけど、男は片腕ひとつ、足元に落ちていた木の枝で受け流した。
「なっ!?」
「そういえば、貴方に遮られてしまい、言ってませんでしたね」
それなりに自信のあった一撃をかわされ、ルティに動揺が走る。
一旦後ろに身を引き、体勢を整える。
「もしかして根に持ってる?」
「さあ?ですが、貴方は名前を授かる前にもう少し誠実になってほしいですね」
ガンッ!!!
ルティはもう一度、今度は先ほどよりも重みのある一撃を与える。そして、次は男はそれをかわすのではなく受け止めた。
剣士という者は、特に腕が立つ者ほど、剣を交えた時、相手の実力がわかるものだ。
この男はーーー強い。
「では、あらためて名乗らせていただきます。私はフレア教司祭であり、名はーーーーー
ソフィール・トロワ・デュオナル
です。以後お見知り置きを」
そう言ってルティを剣で弾き飛ばした。