騒がしい隣人たち
全てがめちゃくちゃだ。
セレナ・レインはベッドに倒れこむ。
ふかふかのベッドが優しく自分を包み、今日の疲れを癒してくれる。
この部屋は誰もいない。学生寮にしては珍しい一人部屋。
学園側が許可するほどの特別な理由がない限り、普通の学徒は二人部屋になる。
といっても、その特別な理由というのは公爵以上レベルの高貴な者であるかということだ。だが、セレナの場合、半分が当たりで、半分は違う。
セレナは王族であって、そうではない。曖昧な存在。
だから学園を脅したのだ。喧嘩を売ったのだ。
そうしないと、ルームメイトに危害を加えると。そうなれば国の問題にもなると。
実際にセレナはそんなことはしないが、無理にでも一人部屋を勝ち取った甲斐があったと、過去の自分に感謝する。
今は人に会いたくない。
ここにくるまでの道のりで、好奇の目で見られているのが否が応でも分かった。
予想だにしなかったその視線はセレナを疲れさせるのに十分だった。
こうなってしまったのも、そう、全てはあいつのせい。
『お怪我はありませんか、お姫様?』
ボンッ!と彼の言葉を思い出して、顔から湯気が上がる。これはきっと怒りだそうに違いない。
昨日のあの一件のせいで、自分はこんな目にあっているのだと怒りが湧き上がってくる。
昨日の入学式。ルティの演説により熱狂した会場はどう収拾つけたのかはわからない。
セレナはそのままルティに手を引かれ舞台裏に行き、そこにいた教師陣からの質問の嵐にあったのだ。
幸い、ただ巻き込まれただけのセレナはすぐに解放され、寮に戻った。
問題が起きたのは次の日。つまり、今日だ。
まだ不慣れな場所のため、散策して少しは把握しようと外に出た。でも、それだけで多くの視線を感じた。
どこにいっても、何をしてもその視線があるようで、すぐに気持ち悪くなった。
早々に退却することにし、まだ昼だというのに現在、ベッドに倒れこんでいるという状態。
ああ、こんなはずではなかったのに。
今後の予定にも大きな支障が出るだろう。
その時だ。
トントンと、誰が外でドアをノックする音が聞こえた。
誰だろうか?
セレナがいる寮は女子学徒専用の階と男子学徒専用の階とで分かれている。
だからきっとドアの前に立っているのは女子学徒か、女性の寮監のはずだ。
理由はなんであれ、無視するのは失礼だと思い何気なくセレナはドアを開ける。
しかし、姿を現したのは予想に反した者だった。
「こんにちわ、隣りの部屋に住むことになりました!よろしくお願いしま……って、セレナ!?」
「あなたはルーティミリアン・ハルツォーネ!?」
目の前にいるのは、どこかの絵本で見た王子様のような甘い顔。サラサラのハニーイエローの髪に、パッチリと開いたエメラルドグリーンの瞳。
おとぎ話の世界に憧れていたセレナにとって、彼は理想の王子様を体現したかのような存在。否が応でも胸がときめいてしまう。
しかし、ダメだ。
どんなに理想に近くても、本当の王子様なんていない。まして彼はセレナをあんな大勢の前で恥をかかせた。見た目で騙されてはダメ。
「どうして男であるあなたがここにいるの!?」
「へっ!?あっ、いや!男だよ僕は!」
「だ、か、ら!この寮は各階ごとに男女分けられているのに、なぜ、あなたが私の隣の部屋になるのよ!」
そこで、セレナはふと気づく。普通なら各階ごとに分けられる。だけど、セレナは普通の二人部屋ではなく一人部屋にしてもらっている。
では、セレナがいるこの階は一人部屋専用の階ではないか?一人部屋の階は男女別が適用されるのか?
「ルーティミリアン・ハルツォーネ、あなたのルームメイトはだれなの?」
「ルームメイト?僕のは一人部屋だからいないよ」
「…………」
「お、おーい。セレナ、大丈夫?」
「気安く名前で呼ばないでよ!もう!なんであなたのような人が隣なのよ!」
「え、僕はセレナが隣で嬉しかったんだけどな」
「なっ……!」
照れながらもルティは笑顔でさらっと呟く。
その言葉にセレナはルティ以上に顔を真っ赤にしてパクパクと口を開く。
「あ、あなた、普段からそういうこと言ってるの?」
「そういうことって?ていうか、セレナ顔赤いけど大丈夫?」
心配そうにルティが覗き込み、そのまま熱を図ろうと自分の額とセレナの額をつける。
「〜〜!!」
あっさりとルティはセレナのパーソナルスペースに侵入する。それがより一層セレナの動揺を招くわけで……
ゴツン!!
焦り、ルティから離れようとしたセレナは頭を振り動かし、逆に思い切り互いの額をぶつけてしまう。
「バッ、ババババカにしてるの!?いったいあなたは私をどうしたいわけ!?はっきり言いなさいよ!」
赤く腫れあがった額を涙目に抑えつつ、自分でも少し驚くくらい大きな声で叫ぶ。
「どうしたいって……。言ってもいいの?」
しかし、返ってきた声は茶化した声色ではなく、真剣そのもの。
「いや、やっぱり……きゃあ!」
つい後さずりをしようとするが、つまづきそのままセレナは後ろへ倒れてしまう。
「嫌だ。この際だから、ちゃんと言う」
衝撃はなかった。
入学式の時と同じ、ルティが抱きかかえるような形で衝撃からセレナを守った。
相手の吐く息まで届く距離。ルティの心臓が脈打つ音がセレナにまで聞こえる。
ルティのその音が早く、大きくなるほど、自分の顔が赤く火照っているのがセレナには分かった。
ここまできてしまっては男であるこの少年には力で勝てるはずもない。なすがままだ。
もう、どうにでもなってしまえ。
覚悟を決めたルティの顔をみて、セレナも女として覚悟を決め、やけくそになって目を閉じる。
「セレナ、僕と友達になってください!」
だから、ルティから紡がれた言葉が予想とは反した純粋なお願いであったため、セレナは一瞬、ルティが何を言ったのか理解できなかった。
「………へ?友達?」
「どうしたの?セレナ?あっ、もしかしていやらしいこと考えてた?」
「〜!!考えてないわよっ!あなたのような失礼な方とは友達になるつもりはないわ!」
「それはそうと、この学園って広くない!?昨日きたばっかりで、まだどこも知らないんだ。一緒にまわらない?」
「ねえ、話聞いてるの?」
完全にルティの空気に取り込まれ、踊らされている自分にイラつきながらもセレナは律儀に答える。
しかし、今だにルティに抱き抱えられた状態。
セレナにとって同年代の異性とこれほどスキンシップしたことはなく、色々と限界が近づいてきた。それに、この現場を何も知らない者に見られたら、面倒だ。
「セレナ・レイン。ルーティミリアン・ハルツォーネ。お前たちは真昼間から何をやってんだ?」
遅かった。
廊下から若い男の声が聞こえてきた。
セレナ、ルティが声がした方を振り向くと、眩い黄金色の短く跳ねた髪、瞳をした少年が仁王立ちしていた。
「何もやってないわよ!」
「そうだよ。僕は滑って転んだセレナを助けただけ。レディー相手にそんなすぐには手出ししないよ」
セレナは全力でルティを突き離し、少年に攻め寄る。
「はっ!どうだかな?少なくともオレ様の前ではそんな見苦しいことするなよ」
そんな喧嘩腰のセレナに対し、少年も高圧的な態度で応答する。
「ていうか、あなたは誰よ?」「というより、君は誰?」
今だに名乗ろうとしない。少年に、セレナとルティは同時に問いかけた。
「おっ、おまえら!オレ様を知らないのか!?」
自分のことを当然のように知られていると思っていたらしい少年は、怒りと驚きとショックが入り混じり、わなわなと唇を震わす。
「セレナ、知ってる?」
「知らないわよ、こんなちんちくりん」
「ちっ、ちんちくりん!?オ、オレはまだ成長期なんだぁっ……!!」
涙を浮かべながら、キッとセレナとルティを睨みつき、少年は大声をあげて自分の名を名乗る。
「この名を聞けば分かるだろう!
オレ様はユーロン・アレクシア!誇り高きアレクシア家の第一後継者だ!」
「………うーんと、ごめん。やっぱり、僕、君のこと知らないや」
「…………」
胸を張り、決め台詞のごとく意気揚々と自分の名を口にしたユーロンは、ルティの知らない発言により石像のように固まってしまった。
「ちょっと、ルティ!流石に私でもアレクシア家は知っているのに、国民であるあなたが知ってないのよ!?」
「わぁ!セレナ!やっと僕のことルティって呼んでくれた……!」
「フルネームで呼ぶのが面倒になっただけよ!勘違いしないでちょうだい!」
「ふふふっ!なんだか嬉しいな!……てか、セレナどうする?なんか、ユーロンが泣き始めたんだけど……」
ルティがチラリと視線をユーロンに向ける。ショックで固まっていたユーロンであるが、顔は溢れるほど目に涙を浮かべ、鼻をすすっていた。
「オレは泣いてないっ!目にゴミが入っただけだ!それより、ルーティミリアン!お前は国民でありながらオレ様を知らないってどういうことだ!?」
涙を拭き取り、ユーロンはビシッと指をルティに向ける。
「そう言われても、僕は田舎育ちだったから教えてもらったことがないんだよね。あ!でも、現皇帝フィニグラン・フレアローズは知ってるよ!」
「それは当たり前だろ!現皇帝の名まで知ってなかったら非国民もいいところだっ!」
ルティの知識のなさにユーロンは怒りを露わにし、見下すようにセレナに視線を動かした。
「まあ、田舎者と愚かなレインの娘はお似合いだと思うがな?」
「それは国に喧嘩を売っていると受け取っていいのかしら?」
「今は亡き国に喧嘩を売っても意味ないだろ」
鋭い金色の瞳と冷めたサファイアブルーの瞳が交差する。一触触発の張り詰めた中、口を開いたのは何も知らない愚か者だった。
「お互い仲が悪そうなのは分かったけど、人の友達を蔑むのはいただけないな」
「は?ルーティミリアン、お前はこのレインの娘を庇うのか?」
「レインの娘って……セレナはセレナだ。僕の大切な友達だ」
「お前、オレ様に刃向かうなんてどういうことか分かってるのか?」
「分からないよ。でも、この学園はみんな平等じゃないの?平等じゃないなら、新入生代表はセレナよりも君の方がやってるはずだよね?」
「………っ!」
話を聞いているとセレナはフレアローズ王国の者でないと分かる。そして、ユーロンがフレアローズ王国では地位の高い家系の出身だということも。
もし、この学園が身分などや肩書きを気にするような場所なら新入生代表をセレナに任せたりはしないだろう。それなら、ユーロンが代わりにやる可能性が高いはずだ。
だが、実際はそうじゃなかった。新入生代表に選ばれたのはセレナだった。では、なぜセレナが選ばれたのか?
国同士の交流のためか?賄賂など裏取引があったのか?
いや、ちがう。
チラリとルティはセレナの部屋の机をみる。
周りには使い古された沢山の本。机の上には文字が埋め尽くされたノート。
ルティの推測が正しければ彼女は努力と実力で新入生代表の座を勝ち取ったのではないだろうか。
生まれながらに与えられた地位や立場ではない、この学園は実力でそれを覆す機会を与えてくれている。
自分の地位に驕るな。
そう、この学園は言っている。
だから、ユーロンは黙る。ルティの言葉の意味を理解したからこそ、黙るしかなかった。
「少なからず実力で劣っている君は、セレナをコケにする権利はないと思うよ」
「わかってるよ……!」
先ほどとは打って変わって弱々しい声がユーロンから出た。
「オレは実力ではその女に負けた。そうだ、新入生代表は試験の総合得点が一番高かった者が選ばれる。次期皇帝を支える者として、家の代表として恥さらしもいいところだ」
顔を真っ赤にし、歯をくいしばる。
だが、その目に宿る闘志は揺らぎはしない。
「だが、今回だけだっ!新入生闘技祭ではオレ様がセレナ・レインより優れていると証明してやる!」
新入生闘技祭。
入学式の次に控えている行事。その名の通り、新入生同士が互いの力を競う学内の闘技祭。
しかし、この闘技祭で選手になる者は限られている。ほとんどは教師陣や生徒会などの推薦ではあるが、入学式で新入生代表に選ばれたセレナも参加権を持っている。
だから、ユーロンはセレナが出るであろう新入生闘技祭を、お互いの実力を見せつけられるこの行事を次の対決の場として選んだ。
「威勢よく言っているけど、あなたが参加権を得られるなんてまだ分からないでしょ?」
「安心しろ。オレ様はちゃんと参加権を選ばれるほどの実力はあるからな」
「まあ、選ばれたときに考えるわ」
そして、ユーロンはルティに顔を向ける。
「おい、ルーティミリアン。おまえは別の機会で指導してやる。しっかりとフレアローズ王国の国民としての自覚を持てるようにな」
「ん?僕とは新入生闘技祭ってやつで対決しないの?」
「おまえが推薦で選ばれることすらないだろうからな」
「そうなんだ。まあ、そのときはお手柔らかにね」
「ふんっ!その舐めきった態度叩き直してやる」
「舐めきってないよ〜。てか、ユーロンの方が態度でかいじゃん。身長は僕より低いくせにさ」
「っ!!身長は関係ないだろっ!!」
「ルティ、流石に身長をいじるのはやめなさいよ。可哀想でしょ」
「セレナ・レイン。おまえの言葉が一番酷いけどなっ!」
これ以上続けていたら本当にユーロンが泣いてしまいそうだったので、ルティは適当にあしらい、話を終えようとする。
「あー、はいはい。ごめんなさい。それじゃあ、そろそろ僕はこれで失礼するね」
「散々コケにしやがって……!次会ったときは覚悟しとけよ!」
ユーロンもこれ以上は自分の墓穴を掘る危険性があるため、捨て台詞を残し、ひとまず退散しようとした。
しかし、
「え?ユーロン、その部屋なの?」
「は?そうだけど……」
ユーロンがドアノブを握った部屋は、セレナの二つ隣の部屋であり、ルティの隣の部屋。
次会うときと言っていたユーロンではあったが、セレナ、ルティ、ユーロンはこれから毎日遭遇することになるのは言うまでもない。
ご精読ありがとうございます!