表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

7、防衛ライン―正異に揺れる

 現行犯逮捕の名目で連れていかれた蜜に付いて、私は警察署に居た。

 蜜と離され、同じくのけ者に可奈さん、梶川さんと三人で廊下の壁に無言でもたれかかってしばし、沈黙を破ったのは可奈さんだった。

「これからどうするの?」

 その質問に答えられずに、私は相棒を失いその犯人が蜜である可能性が高いこの状況で、それでも態度を変えないでいてくれる彼女に問い返した。

「可奈さんは……悠志君が死んだ事、どう思ってますか?」

「ん、まぁ、思う事がないわけじゃないけどね。パートナーが死ぬ事は前にもあった事だし、彼とは付き合い短かったから」

 ああ、そう言えば彼女は普通の神経を持ってはいなかったんだっけ。

 前にもあった事だから、付き合いが短かったから、ね。つまりはそれほど彼に愛着を抱いていなかったのか……それとも人の死自体に悲しみを覚えない性質なのか。

「それに、あれはあなたのせいでも蜜ちゃんのせいでもない。そうでしょう?」

 言い添えられた台詞に、私は長く間をおいてから「はい」と答えた。

「犯人はどうやったと思う?」

「事件の結果から考えれば、おそらくは作業員通路を使ったじゃないかと。監視カメラは極力避けたかったはずだし、作業服さえ着ていれば誰も気に留めない、加えて部屋の鍵を開けさせるのにも警戒を解きやすい……忍び込むにはこの方法が一番都合がいいはず。問題はそれが証明できない事だけど……でも、蜜が犯人じゃないという事だけは……はっきりしてるわ」

「何で?」

「蜜は男性恐怖症なの。触れただけで吐いちゃう、殺人なんてできっこない」

「あぁ……でも、なんでそれ先に言わなかったの?」

「これまでは女性ばっかり殺されてるもの。蜜に不利になるような事を私は言わないわよ。不利な事情を秘匿することは何ら罪にならない」

「賢明ね。恐怖症の原因は虐待?」

「……中学の頃父親に迫られたのがトラウマに……その時は間一髪、私が鉄バットで……まあ、不法侵入と暴行扱いになりましたけど、訴訟されたのを逆手にとって……虐待を仄めかして、それで精神疾患の証明書を裁判でつきつけて……っ、――やられたっ! 永山基準!」

「うん?」

「蜜は精神疾患者! 裁判の際精神鑑定に持ち込まれる可能性がある事は犯人も分かってた! 虐待被害者である蜜は一人殺したぐらいじゃ死刑は難しい……だから六人殺した! 永山事件以後、殺人事件の死刑判決は犯罪の性質、動機、残虐性、殺害数に遺族感情や社会的影響などを基準に決められるようになっていて――」

「特に殺害数は四人以上で重刑の傾向……」

「ええ、心神耗弱が認められても無期懲役。この件が刑事裁判にかけられた場合被害者数は六人、証明はできないとはいえハート事件の被害者数と合わせれば十二人になる。何より今は裁判員制度が導入されてますから……」

「裁判員の心証はすこぶる悪いでしょうね」

「裁判員制度の導入は二〇〇九年五月。初の少年事件裁判の死刑判決が、永山基準に則って下されたのは二〇一〇年十一月。本来なら私達が少年法の対象外になるのを六年待つところだったのが、制度導入とその死刑判決で早まったとしたら? 五年の空白はむしろ短かったんだ……。確実に死刑にする。そのための連続殺人……六人殺せば申し分ない。ドームでの五件目が蜜狙いだったのは、数が条件に達したから。思えば、今回の事件は決まって蜜に確かなアリバイがない時に起こってた。警察に容疑をかけさせるためにもハート事件と同じ手口でなきゃいけない。ただでさえ外にでない蜜を最初から狙えば警戒される。私を狙い続けたのはカモフラージュ、確かに狙われるのは私という安心感があった……」

 いや、問題はそこじゃない。どうやって蜜を助け出すかだ。

 どうする? どうすれば……いや、少なくとも事件はこれで終わりだ。推理材料はこれ以上増えない。

 犯人の狙いは蜜、目的は冤罪による死刑。

 今まで断定しかねていた事柄もこれで定まった。ならば推理自体は可能のはずだ。

 問題は、時間。

「時間が足りない。検察に送られる前に……駄目だ逮捕となれば流石にマスコミも……二、三日。せめてそれだけあれば……」

 だけど、あれだけ虚仮にした以上、あの警視正はすぐさま蜜を検察官に引き渡すだろう。

「……白藤さん」

 ブツブツ呟いて思考に没頭していた私に、梶川さんが遠慮がちに声をかけてきた。

「何でそんなに急ぐ? 言ってはなんだが、桜川さんの判決が出る前に真犯人を捕まえればいいんだ。焦ると正常な判断ができなくなる」

 確かに、傍目そうではあるし、彼の言う事はもっともだ。要するに冤罪を止めればいいという意味では一ヶ月以上時間はある。裁判も上訴すれば時間稼ぎにはなる。死刑執行なんてさらに何年も先の事だろう。

 けれど、私の懸念はそこではない。

「委員長や弁護士の事は知ってるでしょう? マスコミの恐ろしさは誰より知ってるんです私は。怖いんですよ……蜜が世間に晒される事が」

 冤罪から救い出す事だけが私の役目じゃない。蜜の全てを守る事が、私の全て。だからこそ必死で手を打ってきたというのに、なのに――、

「……蜜は泣いてましたか?」

 幾ら男女雇用均等法が適応されようと、高々十年ほど前からの若い法律だ。私服警官はまだまだ男性が多い。

 悪意はなかろうと、疑念の目を向けられるだけで蜜には辛いだろう。

「……あぁ」

 総次郎さんの答えに目を瞑る。

「取り調べは?」

「警視正殿が直々に」

 蜜が男性恐怖症である事ぐらい、私達に疑っていた彼らが知らないはずがない。見逃していたとしても、蜜の様子から彼女の精神病(プロフィール)を見直さないはずがない。

 分かって、分かっていて……!

 ………………なら、こっちも手段を選ぶ必要はない。

「可奈さん、猪俣、呼び出せる?」

「対談をセッティングしろって事?」

「えぇ、場所は取り調べ室以外ならどこでも。あと可奈さんもついて来てくれれば有り難いです」

「援護?」

「いえ、猪俣警視正(あいつ)は一人で来るでしょう。けど、当て馬が居た方がやりやすい」

「一人で来るって保証は?」

「一度会えばどんな人間かは分かるわ。恥をかくのが人一倍嫌いで、自分が優位に立っていると確信した相手には変に丁寧な口調になる。自身は人格者のつもりで責任者としての行動を取れているという自負あり。ただ周りの評価は高くない。外から盗み聞けない密室で、昨晩恥をかかされた相手に会うのに、わざわざ人は連れてこない。何より蜜を捕まえて気が大きくなってる。この優位な状況下で、私に報復できる好機を見逃すと? 人間観察は名探偵の十八番よ。そしてそここそ付け入る隙――天狗になった鼻を顔ごと凹ましてやるわよ」


                    ♯


 用意されたのは小会議室らしき小さな個室。

 窓はなく、白かったであろう壁紙は幾らか汚れ、天井を見上げれば紫煙の汚れが見える。丸いマグネットが端に並べられたホワイトボード、インクが切れたものを処分しないまま補充を繰り返したのか、黒色のマジックペンが七つほど粉受けに溜まっている。脚に埃がこびり付いているところからしても、設置され続けているらしい折りたたみ式の長机、そしてパイプ椅子が二つ。

 それに座るのは当然私、そして猪俣警視正だ。

 二人での対話を望んだ彼の命令口調の台詞を軽く無視した可奈さんは、二人が視界に入る位置で壁にもたれかかっている。

 両肘を机につけ指を絡めた体勢の彼。足を組んで背もたれに身体を預ける私。

 その体勢で対峙して、しばし流れた沈黙の中、先に口を開いたのは彼だった。

「今回の逮捕は現行犯。彼女がやった事はこれ以上ないほどに明らかです。私には今更あなたが何を主張したいのか……黙っていては分かりかねるのですが」

「現行犯でも誤認逮捕はあり得るなんて事、今更指摘させる気ですか? 実際彼女が殺している瞬間を誰かが見たわけではないでしょう? 犯行を目撃した者もなく、部外者が出入りもできないわけでもない。何者かが罪をなすりつけようとしている可能性が最初から示唆されている今回、充分に疑う余地はあると思いますが?」

 私の主張に彼は可奈さんに目を流し鼻で嗤った。「警部補からその話は聞きましたが、信じられない話です」

 その答えを嘲笑って私も返す。

「あんたが信じるか信じないかなんてそれこそどうでもいい話でしょうよ。私は信じろなんて言ってません。適正な捜査をしろと言ってるんですけど?」

 お互いがお互い、相手の事を見下し貶し合いながら、表面上は満面の笑みのまま対談は続く。

「だいたい、蜜や私が犯人だとしては筋の通らない事が多すぎる、違いますか? 疑われる事なんて分かりきっているのに、同じ手口を取る理由は? 今更事件を蒸し返すのは何故?」

 彼は長く息を吐いて、ゆったりと背もたれに身体を預けた。

 その様子が酷く、癇に障る。その理由を探ってすぐさま思い当たる節を見つけた。

 そうだ、同性愛をカミングアウトした時の父の態度と似てるんだ。諭そうとしている様子が、自らが正しき立ち位置に立っているのだと疑いもしないその様が。

「君は信じたくないのだろうが」

 仕返しのつもりか『信じたく』のところをわざわざ強調して彼は言う。

「彼女は異常犯だ。あんな手口で人を殺している事からも分かるが、彼女の動機や経緯を常識で理解できるものではない」

「違うでしょう? 蜜が犯人であるとすると説明できない事が多すぎるから、動機や思考が分からないのよ。容疑が先に来てるから犯人像が異常犯になるだけ。別に蜜が異常犯だから動機を理解できないわけじゃないわ」

「言っていて苦しいとは思いませんか。元からあった容疑に現行犯、屁理屈が通る状況ではありませんよ?」

「そっちこそ。異常犯で筋を無理やり通そうなんていう屁理屈が通用するとでも? ハート事件の犯人が広一君だというのは警察の結論でしょう? そもそも容疑を掛けられる筋合いが私達にはないはずですが?」

 お互いの主張は交わりそうにない。というよりお互い、相手の主張を聞いてない。

 笑顔で顔を突き合わせて目を合わせずに言いたい事を自分の主張を喋っているだけだ。

「彼女は精神病を患っている。虐待を受けていた事は知ってます」

 このまま言い合っても平行線を辿るだろうと考えてか、彼は流れを変えてきた。

「確かに」私の言葉に彼は理解はしているとばかりに頷いた。「彼女は被害者だ。だが、殺人は許されるべきではない。あなたも分かってるでしょう?」

「虐待死を弄くるのが関の山のくせに何を偉そうに。取り返しがつかなくなる前に助けられなかった事を棚に上げて、今度は異常犯に仕立て上げるつもり? そういう言いがかり、本当そろそろやめてほしいわ。だいたい、精神疾患(ひがいしゃ)というのなら尚更蜜に悠志君は殺せない。彼女は男性恐怖症、それこそ分かってるでしょ?」

「ええ、まあ、彼女が男性に対して精神的負荷を受ける事は知っています」

 彼はまるで最大限の譲歩をしてやっているかのようにそう口にし、「しかし」と次いで言葉を発した。

「しかしだからと言って、できないわけではない」

 言ってはいけない――台詞を。

「反証にするには根拠が薄い、そうでしょう?」

「………………」

 なーるほど、なるほどね。

 薄々分かってはいた事ではあるけれど。そういう考えで、蜜の取り調べを行ったわけだ。分かっていながら女性職員に任せず、我を通して。

 ……蜜を泣かしたわけだ。

 あるいはまさか、男が行った方が自白させやすいなどと考えて――?

 そんな自分の勝手な推測に、実際あり得そうなだけに寒気がした。

 恐怖症の圧迫感は本人しか分からない。殊、心の問題である故に、他人には絶対に伝わらない。

 いや、恐怖症だけに限らず精神疾患全般的に、心の問題だからこそ、『心の強弱で克服できる』などと他人事だからこそ出てくるそんな世間一般の勝手な偏見(おもいこみ)で語れるほど甘くはない、はずだ。

 そう。『はず』……結局は、精神疾患ではない私にはその苦しみは分からない。どんなに想っても分かれない。

 私にも、私にだって分かりたくても蜜の恐怖も不安も心細さも分からないのに。

 それを、よくも軽々しく……!

 自分の想いが自分でさえ分からない蜜。分かってもうまく伝えられない蜜。人が、特に男が怖くて対峙するだけで泣きそうになる蜜。

 虐待を受けて、妹が亡くなって。今でもそんな日々に蜜は心を雁字搦めにされたまま、一人で生きていく事もできず、人と交流する事もままならず、不自由だらけで日々を生きている。

『できないわけではない』

 そんなふざけた世迷い事で精神疾患を克服できるのなら、彼女はあんなにも苦しんでいないだろうし、……もしも彼女がそんなモノ患ってなければ、

「もし、患って、いなければ――」

 思わず零れた言葉を飲み込む。その先の考えに指先まで冷えた身体が震えた。

 本当に、この社会ってやつはどこまで……どこまで彼女に辛く当たれば気が済むのだろうか。

 ――もう、いい。さっさと叩き潰そう。

 そんな、どす黒い感情がせり上がったのと同時に、手が動いていた。

 バキリ、という音が室内に響く。

 それはもちろん、私の堪忍袋の切れる音ではない。そんなモノとうに切れている。けれど私が宣言通り凹まそうと彼の顔を殴った打撃音でもない。

 音源は彼の背広のポケットの中。差し込まれていたペン……型のICレコーダーだった。それを身体を乗り出し伸ばした私の右手がポケットごと掴んでいる。

「小娘だと思って嘗めてないか?」

 握りつぶされたレコーダーを引き抜きながら、発せられる私の声は底冷えしたモノだった。

「ねぇ、コレ無断録音っていうのよ? 相手方の同意なしに対話を記録するのが犯罪だって知らなかった? 立派な人格権侵害」

 一息、

「まさか、証拠採用しようとか、思ってなかったよな?」

 ガタンと突き放すようにして伸ばしていた右腕で背広共々引き寄せられて腰が上がっていた彼をパイプ椅子に押し戻した。

「見込み捜査(あてずっぽう)で犯人探ししたけりゃ推理小説でも読んでろよゴミ虫。頭が空っぽで自分の置かれてる状況がまるで分かってないあんたに懇切丁寧に教えてあげるけどさ、今回の事件はハート事件と同様の手口が当時の被疑者の近くで起きていて、警察……というかあんたはハート事件の犯人たる広一君の言葉を受けた、私達が犯人という確証ゼロの説を採用して私達に容疑をかけ、対して私達は当時の警察の無神経な捜査によって生じた疑惑が、今回の事件の引き金になっていると主張したが無碍にされた――というのが大筋だ。私達が不平等な扱いをされている事実が前提として存在してる」

 何か反論しようと口を開きかけた彼を封殺するためにも口調を強める。

「そんな捜査方針に加えて捜査も不当。推理自体の矛盾。自白に頼ろうという言動。恐怖症と分かっていながら対応を怠った、あんたの精神疾患への認識の甘さ。無断録音という国民の人権を軽んじる行為。そして一番問題なのは、真犯人の存在を度々示唆されておきながら、『信じられないから』というくだらない理由で無視した事だ。ハート事件と今回の事件は手口だけでなくその後の展開も似ていると思わないか? 現行犯逮捕、被疑者の主張。前回の際は被疑者広一君の主張を聞き入れ捜査し、今回その警察の捜査によって生まれた疑惑で逮捕された蜜や私の主張は無視。比べれば比べるほど見えてくるのはあんたの責任者としての不手際だ。実にマスコミ受けしそうよねぇ?」

「……この事件の詳細は伏せられてるんですよ?」

「本当に警察の情報規制が効いているなら、そもそも浅越市女児連続殺人事件はハート事件とは呼ばれなかった。ついでに言えば私達の疑惑も広一君の死も、あるいはなかったかもしれない。あの事件以後、私達が最も恐れてきたのは何だと思う? そしてその対策を怠ったと思う? 私にも私の(つて)ってものがあるのよ。無断録音の証拠は私の手の中に、不適切捜査に関しては、警察の身内で、あんたが勝手に敵視してる焼き太り(、、、、)可奈ちゃんが証言してくれる。勝手に自分を貶める材料を与えてくれるんだから、彼女にしてみれば万々歳よね。あんたさぁ、あんたより速いスピード出世してる悪名高きぬらりひょん可奈ちゃんが、何で今回沈黙を保っていると思ってんの? まさか、本当に彼女を出し抜いたとでも思ってた? どれだけおめでたい頭してるの?」

 雷に打たれたように件の人物へと目を向ける彼。すでに余裕はないと見える。

 対する可奈さんは嗤われた際には表情一つ変えなかった顔を歪めていた。吊り上った口角、弓なりに細められた瞳、座っているため高低差のある猪俣を見下す目。まさに嘲笑。これほど当て馬に相応しい人物を私は知らない。

 彼女に視線が固定されてしまった彼をそのままに話を進める。

「あんた付け入る隙が多すぎ。建前だけでも公平さを演出するために、因縁説の捜査もちゃんとすべきだったのよ。それとあんたさぁ、この県警の評判の悪さ知ってる? 職務質問の態度が悪いだとか高圧的だとかマスコミに叩かれてるの。県警の悪評は地方公務員である県の問題で済むけれど、今回、中央からあんたが来てる。この事件での不祥事は警察庁にも責任が感染する。ただでさえ近年の警察の不祥事に、世間様が敏感になってるこのご時世に、もし不当逮捕が明るみに出たら大問題に発展するのは避けられない。というか私がそうさせる。そうなった場合、責任を媒介するマラリア蚊如きあんたをお上はどうすると思う? つまりあんたは蜜逮捕後に真犯人が見つかった場合は、当然捜査の不当さを叩かれ責任を取らされるし、例え見つからなくても私に不当捜査をマスコミに訴えられて責任を取らされる。それに比べて私は同じ事件を起こすだけで蜜を解放させられる」

「な、に……?」

「ヤダなぁ、私達が犯人ってつまりそういう事でしょ? ハート事件を起こし、それを無実の広一君になすりつけた極悪非道な人物。別に名探偵という役柄に拘って事件を解決しなくても、蜜が拘束されているこの状況で次の殺人が起きれば、あんたらは蜜を解放するしかない。遺留品なしのこの事件は、凶器の血液検査ぐらいでしか一つ一つの事件を繋ぎ合わせる事ができない。第四の殺人で凶器が見つかっている以上、前四件と後ろ二件は本来なら別の事件だ。ただ手口が同じってだけで今回の六件の事件を関連づけて、かつハート事件の疑惑まで持ち出したあんたらは、当然次同じ手口で殺人が起こった場合にも、その法則を適応せざるを得ないじゃない。私達が犯人であろうとなかろうとこの手段は取れるし、犯人なら尚の事そんな易い手段を目の前にぶら下げられて黙ってるとでも? 私達が犯人かどうかなんてこの際どうでもいいのよ。どっちにしたってあんたは下手を打ったんだ。手段さえ選ばなければ蜜を助け出す方法が幾らでもある私と違って、あんたは六人の死者……それも警官までが殺されたこの事件、早く解決しなければ今度は不手際の責任を取らされる。すでに首が回らない。それがあんたの置かれてる状況なの。自分の手札と相手の手札、どっちが多いか数えてみろよ。私は別にあんたと議論する必要すらないんだ。それでもこうして話し合いの場を持とうっていうのは、単純に蜜がマスコミに晒されるのを避けたいから、お互いに利があるからってだけ。そこんとこちゃんと認識しろよ」

「………………警察が脅しに屈すると?」

「脅し? そんな恐れ多い事、天下の警察様相手にやらないわよ。脅されてるとしてもそれはあんた個人。屈するのはあんただ、猪俣昌警視正。もうすぐ『元』がつく猪俣警視正。かわいそーに、警察から切り捨てられるだけならまだしも、あんた現在絶賛離婚調整中だよな?」

「それが、どうした?」

「出世のために家族の時間を削って働いて、それで奥さんに愛想尽かされて、挙句その警察からも見放されるなんて、ねぇ?」

 押し黙る彼。絡めた手が力み過ぎて震えている。打って変わってそれを観察する私はニタニタ笑いが止まらない。

「ちょうど私達と同じ年頃の娘さん居るらしいけど、幼い時分に可愛がってあげた? 知らないおじさんについてっちゃ駄目だって教えてあげた?」

 あぁ、今の私は冷酷な笑みを浮かべているのだろう。その想像すらが楽し過ぎて困る。

「知らない女の子についてっちゃ駄目だって教えてあげたぁ?」

「貴様まさか有美を誘――」

「ヤダなぁ冗談よ。本気にしないで。そんな事したって私達にメリットでしょ?」

 立ち上がりかける彼を窘めるようにそう言って、組んでいた足を入れ替える。

「そもそも私はここに居るんだし、蜜は拘束されてる。そんな事できるわけがないじゃない」

 お腹に添えて絡めていた手を解き、立てた親指で首を切る仕草をしてみせた。

「だから、もし娘さんがバラバラで? 心臓抜かれて? ハートを模って殺されても? 私達は関係ないわよね?」

「きぃぃいぃさまぁぁあぁあああ‼」

 怒声。椅子が弾け飛ぶ音。

 次の瞬間、立ち上がった彼の伸ばした右腕に胸倉を掴まれ、力任せに引き寄せられていた。両者中立ちで顔を突き合わせる体勢。けれど、そんな事すら計算の内だ。ネクタイを掴み取り、こちらから引き寄せて頭突く。ガツンと小気味よい効果音を響かせて、その不意打ちに彼はふらついた。

「そーだよ、それだ! まさにその感情! それが! 私が今まさにお前に感じてる感情だ! 最愛の人を取られて! 私情が見え隠れする理由で! 当の責任者はしたり顔! こちとら洟っからド頭ブ千切れてんだよ‼ やぁっと同じ土台に立てたわけだ! これで冷静な判断ができるだろう⁉ 逮捕すればどうなる⁉ 逮捕しなければどうなる⁉ どっちが被害が少ないと思うんだ⁉ さぁさ、答えてくれよ羽虫警視正殿‼」


                    ♯


 二日間。それが羽虫の回答だった。それまで蜜は任意聴取のという扱いになるという。

 二日、というか四十八時間というのは、現行犯逮捕から検察官に被疑者の身柄を引き渡す期間と同じだ。その事からしてもまだ蜜の逮捕を諦めたわけではない事はすぐに分かった。

 相変わらず自分の置かれた状況が分かっていないようだけど、これ以上言い争って時間を無駄にする方が愚かしい。話を切り上げて、私はケタケタと笑い続ける可奈さんと部屋を出る事にした。

 途中、魂が抜けた抜け殻みたいになっている中年男性が目に入った気がするが気にしない。

「二日間ねぇ。大丈夫なの?」

 やっと笑いが止まったらしい可奈さんの問いに「まぁ何とか」と返してドアノブを捻る。

「良くも悪くもこれで犯人の目的もはっきりしたし、特定はぐんとやり易……」

 扉を開けた向こうに、壁に向いて両手で耳を塞いだ総次郎さんの姿があった。

「……どうしたんでしょうね、梶川さん」

「さあ? 中年オヤジを蔑む女子大学生の台詞でも耳に入ったんじゃない?」

 言われてノブを掴んだままのドアを動かしてみれば、思いの外蝶番がぐらぐらで厚さも薄かった。

「なるほど。中年オヤジを嘲る女性職員の笑い声が聞こえちゃったわけだ。ご愁傷様」

「酷いなー。迫真の演技だったでしょう?」

「いや、アレ本当に嘲笑ってたでしょ?」

「にしてもさー、おかしいったら……そもそも警察官であるところの私が桃ちゃん側につくかなんて分からないのにね」

「彼の命令を無視した時点で私は可奈さんが彼を見限ってるの、分かりましたけどね」

「まーねー。総次郎さん? 梶川警部? あー駄目だこりゃ。これでも警察じゃあ私と一番付き合い長いんだけどなぁ」

「そうなんだ」

「うん。私の周りって入れ替わり激しいからねぇ」

「幽霊みたいな連中と絡んでたらそうでしょうよ」

「あ、どう? 私とコンビ組まない? 警察手帳ぐらい偽造できるでしょ?」

「やんないよ面倒くさい。それに私まだ死にたくないし」

 軽口を叩き合いながら去る私達。その後に残された屍二人が復活するのにはまだしばらく時間がかかるだろうとどうでもいい事を思った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ