表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

4、殺人継続―エレベーターは人を呑む

「つーまーんーなーいー……つまんないつまんないつまんないっ!」

 朦朧とした意識の中、霞んだ視界を揺さぶられて、私の思考は余計に混濁する。

 ソファーにどっぷりと背を預けて、束の間の休息を得ていた私に乗りかかるようにして、蜜が私の肩を掴んでいるのだ。

「つまんないのー、ねぇ桃ったんー?」

 第二の事件……生足ポスト事件からすでに十二日が経過し、その間捜査やら何やらに忙殺された私は当然蜜の相手ができずに、蜜は欲求不満でもはや爆発寸前というのがこの状況。

「とりゃっ」

「のぅっ!」

 寝不足で力なんてロクに入らない身体をソファーに倒され、いつも通りのポジションになってしまった。

 駄目だ。このままだと過労死の前に蜜に殺されそうだ。

「蜜……我慢してよ。構ってあげたいのはやまやまだけど、今の私達結構ヤバいのよ?」

「うー」

「二度目よ二度目。私の周りで同じ手口。間違いなく私達が疑われる。気が抜けないの」

「……だって、桃ちゃんすっごく辛そうだよ? 眉間にしわ寄ってるよ?」

 誰が揺らしたせいだと。

「それに……こう、なんか、もやもや」

 何かしら感じているのには気づいているけれど、それが何なのか分からない様子で彼女は頭を掻き毟った。

「嫌い、嫌、哀しい苦しい……」

「妬ましい?」

「それ!」

「……嫉妬してくれるのも心配してくれるのも嬉しいけど、それなら手伝ってよ。蜜の肩書きは一応名探偵助手なんだからさ。情報整理とか得意でしょ?」

 今にもくっつきそうになる私と蜜の面前に、合わせた両手を滑り込ませる。蜜はふくれっ面をしながらも拘束を解いてくれた。

「それで何すればいいの?」

「2‐1の関係者に連絡入れたでしょ? あれの聴取メモ纏めて。私は他の関係者当たってみるから」

 押し倒された体勢から腕をテーブルに伸ばして、ケータイとクリップボードを手に取る。ボードに挟まれているのは学級通信網などのプリントだ。プライバシー問題が叫ばれる昨今、作らない学校が増えたので自作した自信作ではあるものの、その情報量の多さに今自分が苦しんでいる。

 今回の件が白桃シロップ説からくるハート事件の復讐であるとするならば、犯人は当然あの時の関係者――被害者遺族及び被害者に強い想いを抱いていた第三者だろうことは想像がつく。

 ただ、問題は何故今になってという点で、もしも事件が起きたのが来年だったなら、私達が成人して少年法の適用年齢から外れるのを待っていたとも考えられるけれど、現時点での私達の年齢は十九歳なのであり得ない。

 となれば、この五年間の空白には何かしら他の意味がある事になるわけで、『今になって』、その条件は犯人を絞り込むにあたっての外せないものになる。

 ……のだが、それを捜査するのは骨を折る作業だ。

 少年法抜きに考えるとなると、他にはその理由として、何かしら白桃シロップ説を信じるきっかけが最近あった事なんかが挙げられるのだろうが、それをどうやって調べるかと言えば、関係者を当たって最近誰かにあの事件について話す機会があったか聞いて回る事ぐらいしかできない。話したとなれば、その相手にも連絡を入れなければいけないし、こんな目の粗い網では犯人を見逃している可能性すらある。

 時間が刻一刻と過ぎていく中、成果の上がるかも分からない作業に追われる不安感ほどストレスになるものはない。

「もしもし、板川リリナ様ですか? はい、いえ、実は……」

 この事件はハート事件と同じく全く手がかりがないため、遺留品からなんていう現代科学万歳な捜査法も、占い師もびっくりなベテラン刑事の山勘も、何そのこじつけと言った感じの名探偵の推理も役に立たない。

 あるのはただ、消去法による地道な努力と実るであろう地味な結果だけだ。そして選択肢がごまんとあるこの世界の中では絞り込む事すら大仕事になる。

「はい、お忙しいところ、ありがとうございました」

 通話を切り、溜息を吐いて、赤ペンで彼女の住所に線を入れる。

 収穫は芳しくない。他の条件を当たってみる方がいいのだろうか?

 例えばハート事件とは関係ないけれど最近恨みを買った人物とか。前に悠志君が訊いてきた事ではあるけれど、確かにその可能性は捨てきれない。ハート事件の関係者でなくてもあの事件を利用しようとする者も居るだろう。

 ただしその場合問題となってくるのは、あの殺人方法を短期間で再現できるかという事だ。天才の犯行と私は表現したけれど、それが凡人にできないとは思わない。人間、他を顧みず一点集中すれば、達人の業に匹敵するのは不可能ではない。が、そこまでしてハート事件に執着する理由がそもそもそう言った連中にはないし、五年間を犯行を真似るのにかかった期間と捉えると、最近の因縁絡みでは――、

「うん……?」

 自分の思考に引っ掛かりを覚えて首を傾げた。

 最近……短期間では無理?

 それから今まさに自分が持っているクリップボードを一瞥し、何故それを調べているのかを思い出す。

 白桃シロップ説を信じるきっかけが最近(、、)あったかどうか。

「ぐぁああああ……」

 何とも言えない喪失感に苛まれソファーで悶え、挙句転げ落ちた。

 無駄! ここ数日間の努力が全部無駄ぁ!

「嫌だもぉ……」

 ただでさえない気力を絞っていたというのに、ここにきてトドメを刺された気分だった。

 バタつかせた手がテーブルにあった今日の朝刊を床に落としてしまい、仕方なく手を伸ばして拾い上げる。三面記事に踊る見出しは『マスコミ関係者騒然⁉ 小包み爆弾依然として続く』。最近やっているのはこの事件ばかりだ。放送局・新聞社・雑誌社に爆弾が届いたというその記事は、「未だかつてないテロ活動⁉」と大仰にマスコミテロを匂わせていた。自意識過剰なのか自信過剰なのか。自分達の報道するその情報にそれほどの価値があるのだと本当に思っているのだろうか? 警察嫌いとマスコミ嫌いを患っている私にはくだらない以外の感情が湧いてこない。

 そんな記事より、目下問題なのはハート事件の記事だ。

 力なく立ち上がってホワイトボードを眺めれば、そこには被害者の写真と詳細、遺族に関する事柄が書かれている。そのスペースを確保するために、長い間居座り続けた人食いパンダを消したわけだけど、その際に断末魔が聞こえた気がするのは気のせいだと思いたい。テーブルの上には付箋を貼り付けたA4用紙やメモ用紙、写真なんかがバラけていて、その中で目についた一枚を拾い上げれば、それは何の変哲もない修学旅行の写真だった。映っているのは犯人であるところの広一君だ。

 ボードの空きにその写真をマグネットで止め、名前と『犯人』の文字を書き込んだところで手が止まった。遺族、それについてペン先を滑らせる事ができないのを思い出してキャップを嵌め直す。

 彼の遺族であり唯一の家族だった祖母は彼の死後一ヶ月も経たない内にこの世を去っていた。

 ハート事件と違い復讐殺人であるこの事件において、犯人の最有力候補になるはずの彼との因縁だけはブッツリと切れてしまっているのだった。それも今私を悩まさす要因の一つと言える。かなり縁遠い親族にまで遡ってはみたのだけど、目ぼしい人物は居なかった。

 だからこそ、犯人は被害者の関係者にほぼ絞られるのだけれど、それにしたってかなり微妙な線には違いない。

 ハート事件の犯人が白桃シロップ説に則って私達だと仮定するなら、その実行犯は蜜であって私はその隠匿を手助けした共犯者という事になる。ならば被害者遺族の恨みの矛先はまず蜜に向かいそうなもので、二回に渡って私を狙うのは筋が通らない。

 何もかもが不確定であやふやで推理しようにもその土台から不安定すぎる。

 ただ一つ確かな事があるとすれば、今後事件がどのように展開していくにしても、それが私達にとって不利な事であるというその一点だけだろう。

 ハート事件という縛りがなければ私達に恨みを持った人物は今も昔も掴み放題なぐらい居るが、それこそ私達に直接手を下せばいい話でもある。

 まさしく五里霧中だ。

 ホワイトボードからコルクボードに視線を移し、そこにピンで留めてある新聞のコピーを手に取る。最初の事件の被害者に対する記事で、それに貼られた付箋には『猫の名前は「美々」』とメモされていた。一体何の役に立つのか分からない情報だけど、思いついた事柄を手当たり次第貼り付けたのでそんな付箋が至る所にある。

 同じ推理を堂々巡りするのを避けようと『殺人真似るにも時間的猶予が要る』と書こうとして、付箋が最後の台紙だけになっているのを見つけた。その原因は間違いなく私が馬鹿みたいに乱用したからで、その消費ペースと比例して愛用している事もまた事実である以上、切らしてしまうのは困る。

 整理という行為が好きな蜜と違って私はかなり大雑把な性格をしている。どこにでもメモを貼れる強粘着のポストイットがないと頭の中の情報すら纏められはしない。

 ……仕方ない、買いに行こう。

 気晴らしにもなるだろうし、流石に籠り詰めでインスタント食品もなくなる頃合いだ。そろそろレトルトカレーと乾麺には飽きたし、スパゲティーのソースでも色々買い込んでみよう。

「蜜、ちょっと買出し行ってくるから」

「あ、じゃあグミ買ってきて、果汁グミ。あとキャラメルッ! それから歯磨き粉とティッシュとお米もそうだし……いつものサプリも切れかかってるからよろしくねー」

 必要物資を買いに行くだけの私に、自分達の置かれた現状を理解してるとは到底思えない台詞をかけてくれる蜜。目で訴えてみるもまるで効果がないようで、彼女は小首を傾げてはにかんだ。

「……行ってきます」


                    ♯


 突然だけれど、総合スーパーってすごく便利だと思う。

 ポストイットは文具店、簡易食品とお米にお菓子は食品売り場で日用品である歯磨き粉とティッシュも同じフロア。サプリメントだけは別の場所にある薬局で買わなければいけなかった事を差し引いても、これだけ多種多様の物が一ヶ所で済むのだから有り難い。

 欲を言えば買い物リストの中に無洗米五キロが入ってなければさらにこの買出しは楽だったのだけど、散々レトルトカレーで消費したのは自分もよく覚えているので、今後また引き籠り生活をするためにも買わないという選択肢はなかった。

 しかし重い。その上ビニールが手にめり込んでかなり痛い。

 車、買おうかなぁ。

 通学にも便利だろうし、温泉好きの蜜と湯巡りツアーというのも乙だ。運転できないわけでもないしね、免許がないだけで。

 あーでも運転の仕方知ってるのに教習所とかめんどい。内容をほぼ映画で知ってる原作読むような面倒くささがある。

 スーパーからほど近い場所に居を構えているとはいえ、重いものは重いし痛いものは痛い。

 お米だけでなくレトルト食品もかなり買い込んでいるため、重さと重要性が比例しているだけに、投げ出すわけにもいかない。よって、何度も降ろして休み休み進んでいくしかないのだけど、紫外線対策も怠った太陽の下など一秒たりと居たくもない。

 痛みかメラニンか……何度目かの葛藤中、ふと視線をいつも行っている喫茶店に向けると、中にあり得ないモノが見えた。

 思わず立ち止まり眉間に皺を寄せる。目を擦って額に手をやって異常がないのを確認してからもう一度。

 そこには変わらず、我がかつての同級生が例の中年刑事梶川さんの胸倉を掴んでいる姿がある。

 そんなシュールな光景を眺めてしばらく、

「よし」

 何かしらをまくし立てる中学校の旧友を見て、私は大きく頷いた。

「無視しよう」

 あんな所に入っていっていい事はない。話してる内容も容易に想像できるし、ここは見なかった事にしよう。そう思い、踵を返した時には遅かった。

 こっちに気がついた彼女がバンバンと店のガラスを叩いて自己主張し、その度に左手に握られたネクタイも一緒に動いて、梶川さんの首を絞めているらしく、彼までもがこっちにSOSを求めてきた。

「うわぁ」

 鬼気迫った顔の彼、そんな事はお構いなしに旧友を見つけにこやかに手を振る彼女。その惨状に余計関わりたくなくなったのだけれど、逃げ出そうにも店内のお客や従業員までもがこっちを見ている。

 この喫茶店は私の行き付けだ。ここの苺のショートケーキは絶品で大学帰りによく食べに行く。よって店員とは顔見知りであり、もしここで私が逃げれば、次に来店した時気まずい雰囲気になる事も目に見えているわけで………………、

 ち、畜生! い、苺ショートが! 苺ショートさえなければ!



「――あぁ。こいつ刑事なんだよ、だから絞めてた」

 言うまでもなく店に入り、腹いせにそれなりに値の張る苺ショートを三つ並べた私の、「で、何してんのよ?」という問いに対して、我が友人から返ってきたのはそんな答えだった。

 なるほど、合点した。どうやら私の知らない間に、この世の中は警察というだけで暴力を振るわれるようになっていたらしい。

 ……まあ、冗談はともかく。

 その色々と情報の足りない台詞の行間には「お前の事をコソコソ訊こうとしてきたから」という言葉が入るのだろう。この男口調で話す豊実(ゆたか みのり)という名前の旧友が情に厚く、気立てのよい人格者である事はよく知っている。ハート事件の大捜索の際に私達を庇ってくれた誇れる友人だ。

 が、彼女が実弟にベタ惚れで、彼の前となるとお淑やかな少女に変貌する恋する乙女である事もよく知っているので、素直に誇る気にはなれない。

 そう、私達に白桃シロップという名前を付けた例のショタ女がこいつなのである。

 全く。一発ぐらい殴ろうと思っていたのに、こんな光景を見せつけられると殴るに殴れないじゃないか。

「それも聞けばこいつ、例の事件に携わってたらしいじゃん」

 その言葉に私は少し驚いて梶川さんを見た。

「そうなんですか?」

「あ、ああ……まぁ、捜索員の一人としてね。当時に面識はなかったはずだが」

 そういう事か。刑事というだけで手を出すのはやり過ぎだと思っていたけれど、だからこそ実は胸倉を掴んだわけだ。当時、刑事に罵られた事があるだけに、そんな連中がまた私達に容疑をかけてると知ってキレたと。

 駄目だ、完全に殴る機会を逸した気がする。

「でも、なんだよ。知り合いなの?」

「うん、まぁ」

「ふーん、じゃあいいか」私の一言で彼女は敵愾心がすっかり失せたらしく、警戒をすんなり解いた。「でも、おっさん何が訊きたいんだ? あの時現場に居たんだろ?」

「いや型通りの聞き込みだから、特にどうこうというわけではないんだ」

「何それ、胸倉の掴まれ損じゃん」

 梶川さんも、掴んだ本人には言われたくないだろうに。

「じゃあいいや。それよか白桃に相談したい事があるんだけどさ」

 国家権力である警察の仕事を「それよか」の一言で流して彼女はポーチから紙切れを取り出した。新聞の切り抜きらしく、折りたたまれた裏側に小さな文字が羅列している。内容を見るまでもなく心当たりがあった。それは今朝の新聞にも書かれていた事だ。

「例のマスコミテロの事?」

「え? 何で?」

 ところが彼女は、その応えをまるで予期していなかったようで、きょとんとして目を(しばたた)かせた。いや、「何で?」って……、

「……あんたの父親、記者じゃなかった?」

「あ、ああーそういやそうだっけか。うん……でも何で?」

 本当に、本当に父親の事はどうでもいいと言わんばかりの台詞に、梶川さんが辛そうな顔をしている。考えてみれば私達と同年代の娘が居てもおかしくない年齢だ。いや、反応からして居るんだろうな。可哀想に……。

 しかし、この年頃の若者が親に大して興味を抱いていないにしても、少々なさ過ぎやしないだろうか? 普段ならともかく、報道関係の会社に小包爆弾が届けられ続けている非常事態下だ、普通気にしないだろうか? そう思って自分に照らし合わせてみる。同性愛のカミングアウトから関係が決裂したまま、一度も顔を合わせていない両親。あの二人に何かしらあったとして…………うん、別に気にしないな。

 そう結論を得て、それから思い当たった。つまり、私と同じ?

「あんた親にブラコンバレたの?」

 言われて、彼女はうげっと可愛くない声を上げた。

「バレたんだ……」

 あの変貌ぶりだ。いつかバレると思ってはいたけれど、ついにその時が来たらしい。

「まぁ、ここ半年ほど口聞いてないかな。母さんは大丈夫だったんだけどさ」

「父親が?」

「『馬鹿な事に(かま)けてないで』だと。自分こそ馬鹿な事件を追いかけてるくせにな」

 警察同様マスコミもバッサリ切り捨てて鼻で嗤う彼女。ここまで来るといっそ清々しくもある。

「まぁ、私もジャーナリズムって嫌いだけどさ。じゃあ相談したい事って?」

「これ、にゃんこ虐殺事件」

 切り抜かれた新聞記事を広げて、バンとテーブルの真ん中に叩きつけて彼女は言った。

「これの犯人を見つけたいんだ。今日はこれを白桃に相談するために浅越市(こっち)に来たんだよ」

『またも猫の虐待死体、これで七件目』という見出しを見て思い出す。確か七月上旬頃、地方新聞を賑わせていた事件だ。前に大阪の公園であった『連続捨て猫虐待事件』の模倣犯だとか変な憶測まで飛んで、それなりに大きく取り上げていたけれど、報道テロで完全に紙面やニュースから消えていた。が、当然の事ながらだからといって犯行が止まったわけがなく、今でも尊い命は奪われ続けてるのだろう。

「一、二件目は公園で毒殺、その後の五件は殴殺。涙川市で起きてる連続猫虐殺事件。これの犯人を追ってるんだが、素人じゃ限界がある」

「ふぅん? でもどうして? あんた愛猫家だったっけ?」

「うん。こーちゃんが好きだからな」

 こーちゃんというのは彼女が猫(、)可愛がりしてる弟の愛称だ。

「こーちゃんは可愛いモノが好きでな、特に小動物をもふもふするのがお気に入りなんだ。それで公園の餌付けした猫をよく撫でるんだが、その仕草がもう可愛いのなんのって。だから俺も猫は好き」

 ああ、……先が読めてきた気がする。

「ところが、だ。そんなある日、いつも通り公園に行ってこーちゃんが見たのは何だったと思う? ……ふふっ、それっきりこーちゃんは塞ぎ込んだままだ」

 笑顔でポーチを漁り彼女が取り出したのは女性の手にはあまる大型のペンチだった。

「まぁ……小指ぐらいは、ね」

 この世に、人の愛ほど怖いモノはないと思う。そして触れぬ神に祟りはない。ここは下手に刺激しないように犯人には犠牲になってもらう事にしよう。

「いや、待ちなさい」

 指詰めなんて今じゃ暴力団だってやらないだとか、そもそもペンチじゃなくて刃物でやるものだとか、そういった事を口にせず適当に流そうと思っていた私より先に、梶川さんが暗い笑みを浮かべている彼女からペンチを奪った。

 空気を読んで欲しかったのが半分、読んで何もしなかったらしなかったで警察としてどうかと思っただろうというのが半分。ともかく、先ほど胸倉を掴まれまでした彼はそれでもはっきりと言った。

「そんな事をやって損をするのは君の方だ。愚劣な人間相手に時間を消費する必要はない。そういう事こそ警察や検察、裁判所に任せておけばいい」

 凶器を奪い返そうとした手を止めて実は梶川さんを珍しそうに見つめ、

「梶川……さんだったっけ?」

 初めて彼の名前を呼んだ。

「あんたの言い分は分かるよ。それをあんたが至極真面目に俺を心配してくれて言ってるのも分かるし、雑巾みたいに皺の寄ったネクタイで何カッコつけてんのとは思わない」

 だからそれはあんたがやったんだろうと私が突っ込む事はなく、それを口にした時点でアウトだとも突っ込む事なく、彼女の話は続く。

「けど、的外れだ。俺、別に犯人を捕まえたいわけでも、裁きたいわけでもないもん。司法機関が裁くのは罪に対する罰だろ? 私がやりたいのはこーちゃんを傷つけた事と、こーちゃんに笑顔をくれたにゃんこ様を惨殺してくれた事に対する個人的な復讐だ。だいたいさ、知ってる? 愛護動物の殺傷って、一年以下の懲役か一〇〇万以下の罰金だけなんだぜ? 法ほど命の格差を教えてくれるものはないね」

 そう言われてしまえば彼は黙るしかなく、彼女がポーチから新たに折り畳み式の鋸を取り出したのを見て、無駄だと理解してペンチを返した。

 私としては、蜜が同じ目に遭った場合、同じ事をするだろうと自分の事ながら容易に想像がつくので何も言えない。いや、指で済ませられる自信すらない。

 彼女は弟を私は蜜を、同様のベクトルを持って愛しているからこそ、私達は中学校からウマが合って友人をやっているのだ。

 ならばせめて、彼女の復讐の矛先が無関係な人物に行かないように努力するとしよう。

 テーブルに置かれた記事を引き寄せて、内容を確認した後に尋ねる。

「他の記事とかは持ってる?」

「あぁ、持ってる」

 そう言って彼女が取り出したのはA5サイズのファイルだった。

 手渡されたファイルを開いて、事件の概要を確認していく。

 涙川市猫連続虐殺事件。彼女曰くにゃんこ虐殺事件。

 七月上旬、今回私が巻き込まれた事件の少し前にその事件は始まった。初めの一件目、そして二件目共に近所の住民が餌をやっていた餌皿に農薬が混ぜられていたらしい。その後三件目は前二件と時間を開けて、公園から路地に場所を変えての殴殺。いや、殴殺や撲殺やと記事によって表現が違う事からみても、おそらく殴ったり蹴ったりだけではないのだろう。尻尾を持って叩きつけたとブログ記事の印刷には書かれている。その二件目以降は全て殴殺で、犯行現場は公園から離れて路地などが多くなり被害も拡大し続けているのが現状、と。

「ふむ……」

 二つ目の苺ショートを口に運びながら、解決策を考える。

 まず、一件目と二件目の毒殺が同一犯の犯行かどうか。これは検出された農薬を調べれば分かる。もし違っていた場合面倒になるんだけど……まぁほぼ同一だろう。

「一応俺も調べてみたんだよ。ほら、途中から犯行現場が公園から路地に変わってるだろ? これって公園で餌づけしてた猫が居なくなったからじゃないかと思ってさ、ネットを色々調べてみたんだよ。捨て猫なんて探してそう見つかるもんでもないから、ネットで情報集めてるんじゃないかって」

「……趣味を持てないほど精神的に余裕がない、あるいは趣味に時間を割けない生活を送ってる。だからストレスをうまく発散できない。人や物に当たるのは怒りに行き場がないから。猫の虐殺は猫が居なければ成り立たない。犯人は登下校途中か出勤途中か帰宅途中か、猫が公園に居るのを見て虐待を思いついた。故に近場に住む人間――まぁ犯人像はそんなところでしょ。その捜査法で正解ね」

「あぁ、結果『涙川市の猫を守ろう』とか言って捨て猫の情報集めてるサイトを見つけてさ、偽情報で鎌かけてみたらあっさりヒット。で、絞めたわけよ」

「首を?」

「首を。けどなかなか吐かなくてさー」

「そりゃ首がしまってちゃ息すら吐けないでしょうに」

「まーそうなんだけど。とりあえず弱らせてから問いただしたら、『僕がやりましたごめんなさい殺さないでください』って吐いたわけ。そうと分かれば、後は小指で落とし前を着けさせるだけじゃん? ペンチ片手ににじり寄ってたらそこでメール。開いてみたらさっきの記事だよ。『またも猫の虐待死体、これで七件目』。改めて訊いたら、そいつが殺ったのは四から六件目の三件だけなんだと。こーちゃんの猫が殺されたのは三件目。間一髪だよ全く。間違って指落とすとこだった」

 確かに間一髪だ。言うまでもないが、もちろんその猫殺し君にとって。彼は今後、生まれ変わったように真面目な人間になる事だろう。

「それで結局振り出しってわけ」

「なるほどね。犯人は捕まえたはずなのに犯行は続いてるっていうパターンか」

 と、言ったところでふと思いついた。

 ハート事件で捕まった広一君。少なくて五、六件は彼の犯行以外ありえないけれど、他の四件について繋がりを示すのは凶器だけだ。そもそもその凶器は犯行後には調理実習室に戻されたという私の仮定を前提に考えれば、包丁が真犯人から広一君に渡った可能性はなくはない。

 もちろん天文学的確率だけれど、理論的に矛盾はない……のか?

 いや、幾らなんでも飛躍しすぎか。

 例えそうだとしても、ハート事件が終末を迎えた後の行動に疑問が残る。もしも真犯人が事件終結をよしと思わなかった場合、広一君逮捕後にも犯行は続いていたはずだ。この五年間それがなかった事からして、これ幸いと真犯人は、少なくともハート事件の手口では犯行を自粛しただろうと考えられるが、だとすればここにきて再度ハート事件を再開する理由は何だろう? 快楽殺人犯的な気まぐれ? そんなふざけた動機、推理小説ですらブーイングされそうだ。現実的に馬鹿らし過ぎるし、私だって納得できない。殺人を愉しむのならもっとリスクの少ない方法は幾らでもあるし、劇場型殺人――いわゆる目立ちたがり屋による社会お騒がせ型犯罪だとハート事件を考えてみても、それだってさらにインパクトのある演出を私にですらプロデュースできる。何より説明できないのは、私達の周りで殺る理由が真犯人には全くないという事だ。ハート事件が冤罪で終わった事を黙認していただから、逆恨みすらされる筋合いがない。

 うん、現実的に考えてこの線は無理がある。

 そう結論づけて、違う事柄に向いていた思考をにゃんこに戻す。

「要は三件目の犯人を探したいって事なら、私は毒殺犯から攻めるかな」

「初めの二件か? でも三件目とは手口が違うぜ? 犯人が複数居るのはすでに確認済みだしなぁ」

「自分で言ったじゃない『公園で餌づけしてた猫が居なくなった』って、路地のにゃんこスポットがどんな所か知らないけど、餌づけされてるとは限らないわけでしょ? 餌に農薬混ぜる方法は取れないから殴殺に変更したって取る方が自然よ。手口が違うからって犯人を分けて考えなくてもいいと思う。まぁ確かに最悪後四人の犯人が居る可能性もあるけど、今は無視して問題ない。犯人がまだ複数居たとしても、それを絞り込むのにどうせ確かめる必要があるから」

「ああ、だから『毒殺犯〝から〟』……ね」

「そ。猫が居なければ猫の虐殺はできない、毒がなければ毒殺はできない。農薬が身近な毒物っていうのは否定しないけど、その農薬だって日用雑貨ってわけじゃないんだから家に置いてあるとは限らない。仕事の関係か趣味か……」

「待った待った、農薬ぐらい花屋で買えるだろ?」

「買えなくもないだろうけどさ、そういう所に売ってるのって大抵鉢植え用のでしょ? 小動物とはいえ、猫一匹殺すにはちょっと頼りないと思わない? 致死量なんて分からないし、毎日やって死ぬのを待つのはストレス発散としてはねぇ? 目撃される恐れもあるしさ。わざわざ用意するのにそんなモノを買うかなぁ。私だったらホームセンターの業務用品にするわ」

「あ、そっか。涙川市にはないな、ホームセンター」

「涙川市からだとすると浅越市のセンターが最寄りになるのかな。まぁそこから調べるのもありだけど、二件と三件目が同一犯とすると、割とあっさり手口変えてるのよね。大して毒殺に拘ってないみたいだし、農薬は単に身近にあったから使ったんじゃない?」

「そういや、ガーデニング好きの奥さんのトコ、不祥の息子が居たなぁ……」

「人様の息子を不祥呼ばわりするのはどうかと思うけど……、まぁ、それで無理ならまた来なよ」

「あぁ、ありがと。お礼は?」

「いいよ、ケーキで充分。いい気分転換になったし。やっぱ推理するなら簡単なフーダニットよねー」

「フーダニット?」

 聞きなれない単語だったのか、さっきから黙って私達の会話を聞いていた梶川さんが口を挟んできた。

「Who done itでフーダニット。『誰がやったか』が推理の主題って意味です。推理小説で使われるんですけどね。他にもHow done it(ハウダニット)やWhy done it(ホワイダニット)というのがあって、それぞれ『どうやってやったか』、『何でやったか』を示すんです。犯人が誰か、手口はどうか、動機は何か。要はどれに重点を置いて推理が展開するかって事なんですけど……例えば、今回私達が巻き込まれた事件は、私達からすれば犯人探しだからフーダニット、警察が私達を疑う場合は今更同じ手口で殺す動機が問題になってくるからホワイダニットで、さらにハート事件で大捜索の容器が見つからなかった事を考えるとハウダニットになります」

「まあ、やってないもんを探ったって何も出てこないだろ。白桃は幾らなんでも自虐が過ぎるよ」

 実はそう言ってから手を上げて店員に追加のマンゴージュースを頼んだ。そのどさくさで私もモンブランを注文。新しい皿が来る前に残っていた三つ目のケーキ一口を平らげる私を見て、珈琲しか頼んでいない梶川さんは他人事のように呆れ顔だったけれど、どうやら彼は私達の会話がいまいち理解できていない(、、、、、、、、)ようだ。

 運ばれてきた甘い栗のケーキを一口目は味わって、後は足早に口に放り込み、最後に少し残しておいた紅茶を飲み干す。

 さて、これで被った迷惑に見合うだけのケーキは食べた。

 違う事に意識を向けさせて逃げる、違う事に意識を向けさせて逃げる……大丈夫、今日は可奈さんは居ない。難易度は低いはず!

「でも、警察は証拠や手口なんて気にしないんでしょうけどね。昔から変わらず何よりも重要視されているのは自白ですから」

 わざと漏らした批判の言葉に、彼が反論しようと口を開いたタイミングで立ち上がった。

「それでは、結構余裕がないんでこれで」

 実もそれに合わせて席を立ち、もう一度ネクタイの事を詫びた後、先に出た私に次いで店を出た。

 店に残されたのは何も言えないまま、立ち上がる機も逸っして座り続ける梶川さんと、実の私への相談料も含まれたケーキ八個と飲み物五つ分の勘定書。

 大丈夫、経費で落ちるさきっと。



 道草の後、例の重い荷物をさらに休み休み運んで、私はやっとマンションまで辿り着いた。

 事務所は二階、普段なら階段で上がるところだけれど、流石に今日ばかりはそんな気力もなく、エレベーターを使わせてもらう事にした。すでに持ち手のところが細く変形してしまったビニール袋を、足の間に下ろしてボタンを押す。十七階で止まっていたランプが降り始めるのを確認してから、暇な時間を潰すために袋の中から一つ商品を取り出して眺めてみた。

 いつものとは違う会社のカルボナーラソース。どうせなら食べ比べをしてみようと大量に販売社の違うものを手当たり次第買い漁ったものの一つだ。

 そのせいでここに辿り着くまでが険しい道のりとなったわけだけど……。

 その苦労分は美味しい事を願いながら再びそれをビニール袋へと放り込んだ。視線を正面に戻せばいい頃合で、電子パネルは『2』と表示していた。

 やっと帰れる。その一心でもうひと踏ん張りと、拷問器具と化した袋を持ち上げる。エレベーターへと入ろうとして――けれど、

 ゴトン、と。

 せっかく持ち上げた荷物は、直後、四角い化け物の胃袋の中広がる光景に面食らって、力の抜けた私の手から落下した。

 そこにあるのは、まさしく消化途中と表現するのが相応しいような――バラバラ死体。

 エレベーターの正面、一番奥に掛けられた鏡に映った私の姿は赤く、側面の壁はペンキ缶をぶちまけたかのような勢いのある模様が血で描かれている。視線を床に落とせば切断された手足が転がされ、血の気が失せて白くなった肌を汚す赤が毒々しい。

 仕上げとばかりに生首がごろりと転がっていて、その瞳と目が合ってしまった。

 これは……きつい。

 人が人を認識するにあたって最も重要な役割を果たす頭部が損壊されているというのは、手足が切断されているのとは比べものにならない怖気がある。慣れているとは言わないまでも、この先死体を見つけるかもしれないと覚悟はしていた私でさえ拒絶したくなる光景だ。

 けれど、これが私の相手にしている事件である以上、現場を確認する絶好の機会を逃すわけにいかない。冷静に努め、改めて現状を確認する。特に気をつけなければいけないのは凶器。それの有無で大きく意味合いが変わってくるのだけれど、それが見当たらないのともう一つ、その場に足りないモノに気づき、私は思わず顔を天井へ上げた。

 ないのだ、胴体が。

 その事と内壁の飛び散った血痕、加えて監視カメラの存在から考えて殺害現場はエレベーターの中ではない。四肢と頭は投げ込まれたと考えれば現場は……。さっきエレベーターが何階に止まっていたのかを思い出す。

 十七階。おそらく心臓のない胴体はそこに置いてきぼりだ。

 そう。心臓がない胴体。

 前回の事件とは似ても似つかない異常に異常を塗り重ねたような惨状にも関わらず、ご丁寧にも切り離し投げ込まれた手だけちゃんとハートを包んでいる――。

 ……最近、扉という扉を開けるのが怖くなってきた。

 呆然とその様を眺めていた私の目の前でドアは閉まり、ゆっくりと上昇していく。

 大して高くない階層からの呼び出しだったのか、すぐに停止したびっくり昇降機が第二目撃者を作り出したらしき悲鳴を聞きながら、私は一一〇番した。


                    ♯


 俯瞰から覗かれる青みがかった視点。

 しばらくの沈黙の後、急に音が生まれドアのガラスから狭い箱が上昇しているのが分かる。

 目的の階層についたらしく『17』と電光板に表示させて規則正しい機械音と共に開く片側式の扉。

 けれど、呼んだはずの人物が一向に乗り込む気配はなく、しばらくして無人のエレベーターに左足が放り込まれ、右足が放り込まれ、両手が優しく投げられて、最後生首がごんっと鏡に当たって床を転げた。

 決められた滞在時間を過ぎてドアは自動でしまっていく……。


 これが例のエレベーターから撮影された第三の事件の貴重な映像だ。はっきり言って、下手な心霊映像よりホラーである。

 額に保冷シートを貼ってソファーに寝っ転がり、MP3プレーヤーの小さい画面でそれを確認した私は、それを悠志君に渡たした。特捜本部からはぶられ、こんな映像すら見せてもらえない彼はその映像を見て素直に感嘆の声を上げた。

「よく手に入りましたね、こんなもの」

 警察と友好関係を築く意義もあって名探偵を名乗っている私達が、何で警察に情報を回してるんだろう。頭痛を覚えて保冷シート越しに額に手をやって、天井から向かいのソファーに視線を移した。

 悠志君、そして可奈さん。

 もはやサボタージュの弁解すらせずに訪ねて来ては駄弁るのが習慣と化している彼女らは、今日も今日でお茶を啜りながらお茶請けに手をつけている。いつもなら私の好物そのままに果物なのだけど、今日は趣向を変えてみてフルーツ餅にしてみた。剥いたり切ったりが要らない分用意はしやすかったし、甘味の好きな蜜の事も考えるとこっちの方がお茶のお供にはいいのかもしれない。ただ賞味期限の事を考えると先に用意しておけるモノではないんだよなぁ。

 一通り見終わって悠志君が返してきたプレーヤーを灰皿に放り込んで火を点けた。

「あぁっ、もったいない!」

「あのね……違法手段で手に入れた証拠物件を残しておけるわけないでしょ」

 プラスチックを焼く嫌な臭いを追いやるために窓を開け、再びテーブルに戻ってきた頃にはしぼんで黒い塊になっていたそれを屑かごへ放り込んだ。

「それにこれ、書き込みと再生しかできないのよ。データの売買用のちゃちい造りで壊す事を前提に安く脆く作られてるの」

 情報自体はそれなりにかかったけれど……まぁ元々手がかりになる事を期待してはなかった。どちらかと言えば警察がどんな情報を得たのかを知りたかったというのが大きい。それにしたって警察からタダで手に入れる事に越した事はなかったのだけど……、

「まぁ、犯人の姿は映ってないんだから大して価値のない映像よね」

 仲間外れにされている可奈さんといえば全く気にした風もない。

「はぁ……」

 あれから四日が経って八月二日の現在、依然として犯人は分からないままだった。

 いや、どころか犯人の意図が全く読めない事件展開になってしまっている。

 一件目の佐々木裕子、二件目の押川友恵、そして今回の件にしてもハート事件と同様、遺留品と同じく、凶器が見つかっていない。ハート事件の因縁説を考えた場合、今回わざわざ私の周りで事件を起こしたのは冤罪をかけるためだと考えるのが妥当だ。特に広一側の人間からすれば、彼に冤罪をかけた私を貶めるという意味合いを持ってくる。だからこそ、犯行現場に凶器のないこれまでの三つの事件は解が合っていない。

 犯人の計画はまだ途中で、だから凶器は取ってあるとも考えられはするものの、それは事件が終わってからでしか判断しようがない。

 問題は犯人の狙いが分からない状況では、当然動機が断定できない事だ。このハート事件の二番煎じが復讐殺人だとすれば、キーワードは動機。大切な人を殺した『白桃シロップ』に対する復讐なのか、大切な人に冤罪をかけ自殺に追いやった復讐なのか。それがあやふやなままでは幾ら推理しても確信は持てないだろう。

 けれど、だからと言って事件が終わった後では自分達は身動きも取れない可能性すらある。

 何にしても頭が痛い話だ。

 三時間ほどで効果の切れた安物の保冷シートを剥がして新しいものに変えに立って、私は再びソファーにだらんと寝転んだ。

 接客中にも関わらずそんな姿を晒す私の姿や、お茶請けに舌鼓を打ちながら携帯ゲームをやり始めた上司、フルーツ餅をミルクココアに浸して遊んでる蜜の様子を見て、流石に問題意識を持ったらしい悠志君が口を開いた。

「いいんですか? 推理しなくて」

「そういうなら、自分がやってごらんよ」

 正直、推理しようがないという結論を得た私にやる気はない。

「えぇっ、僕ですか?」

「そうだよワトソン君」

「さぁ、話したまえワトソン君」

 私と可奈さんの二人に促され、しばらく考えた後彼はしゃべり始めた。

「僕は、この事件、四つほど可能性があると思います」

「へぇ?」

「一つ目は白藤さんも言っていたハート事件の加害者内山広一遺族による犯行です。これだと、桜川さんではなく白藤さんを狙っているのも説明できますし、直接手を下さないのも冤罪をかけるためだと考えられます」

「でもそれじゃあ現場で凶器が見つかってない事は説明できないし、そんな分かりやすい動機を持ってる人物が居たら、もう事件は終わってるわよ」

「……第二にハート事件の被害者遺族説」

「それも私の説だし、広一君の遺族説以上に矛盾が多いから考えにくいの。被害者側なら蜜を先に、それも直接的に狙うだろうし、そもそも自分が娘を亡くしたっていうのに無関係の他人を殺すと思う?」

「三番目は全く別の恨みをかった人物の復」

「だったら尚更直接手を下すでしょ」

「四つ目、これが本命です!」

 相次ぐ私の駄目出しにムキになった彼は叫んで言った。

「白藤さんと桜川さんの自作自演!」

 ……彼はある意味大物なのかもしれない。よく本人の前で言えたわよね、それ。

「悠志君、じゃあ訊くけどさ。何で今更になって事件を蒸し返したの?」

「え?」

「せっかく噂が収まったのに、それを自分達で蒸し返すメリットは?」

「え……と、目立ちたいから?」

 言って、自分でもかなり無茶な理由だと思ったらしく目を泳がしている。

「あと、もう一つ、ハート事件もが私達の自作自演だとしたら、自分達で終わらせた理由は? 事件を終わらせたいなら犯行を止めればいいだけでしょ? 一ヶ月もすれば世間は忘れる。危険を冒して、結果白桃シロップ説なんて疑惑までかけられてまで、警察が手掛かりの一つも掴めなかった事件をあんな終わらせ方をする必要があったの?」

「……無理がありますね」

「それに、例え悠志君が言う通り私達が目立ちたがり屋の連続殺人愉快犯だと仮定しても、その説は無理があるのよ。より多くの人間を殺したいならそもそも死体を隠した方が数を稼げるし、少なくとも自分達がまず疑われる同じ手口で殺したりしない。目立ちたいんなら、十人でも二十人でも殺した後に、交番に凶器でも送りつければいい。ハート事件と関連づけたいのなら飾りつけた死体の写真を同封すれば済むのよ。その方が捕まるリスクが減るし、何より警察に邪魔もされないでしょ?」

「確かに……」

「だから今回の事件に白桃シロップ説を適応するのは難しい。……というか、そんな事本人に言わせないでよ」

「すみません……。でも、それじゃあ」

「ん?」

「犯人は誰なんでしょう?」

 こっちが訊きたい馬鹿野郎。

「一番考えられるのは一番目の広一君遺族説なんだけどね。蜜でなく私を第一ターゲットにしてる理由も説明できるし、今後凶器さえ見つかれば推理としては矛盾も解消されるし。でも、現段階ではそれも判断できないから、今はこれ以上推理しようがない。……と言うわけで私も君の上司もやる事がなくってだらけてるの」

 お分かり? そう言って、私はまた保冷シートを剥がした。くそぅ、これ全然冷たくない!

 シートに頼る事を諦めて、冷蔵庫からソーダアイスバーを箱ごと持ってきた私は一つを口に咥え、もう一つを額に乗せた。その様子を呆れ顔で眺める彼にも一本投げつけてやる。

 包装を破り食べようとしたところで、彼の口は開いたまま止まった。

「そういや、一つ気になるんですけど、犯人はよくあんな状況で人を殺せましたよね。昼間とはいえ、誰がいつ通るかも分からないエレベーター前で、それも一歩間違えれば姿を取られかねないリスクまで犯してる。幾らなんでも殺しに慣れ過ぎてると思いませんか? 今回の事件だって天才的ですよね?」

「天才がそう何人も居るかって事? まぁ確かにそこが遺族説のネックなところで、逆に言えば白桃シロップ説の強みでもあるんだろうけど……それも判断が難しいわよ? 天才的行為を成すのに天才である必要はないんだから」

「でも、ハート事件の起きた際に現れた模倣犯は全員逮捕されてますよね? 未遂で逃げられたとか遺留品でバレたとかで」

「それはハート事件から間もない頃の話でしょ? あれから随分年月が経ってるし、そもそも興味本位でやったやつらと、復讐のためにハート事件の手口を再現しようとした人間を比べるのが間違いよ。そうでなくても天才は素質の有無ではなく才能の片寄りで生まれるんだから」

「才能の片寄り……?」

「脳科学的には天才も凡才も才能の総量は変わらないって話、知らない? 天才と凡才の差はその限りある才能をどう分配するかで生まれるってやつ。ほら、本当に天才って呼ばれる人物って風変わりな人が多いじゃない? 偏屈だったり、人とうまく付き合えなかったり……集団の中で異彩を放って見えるっていうのは、そういった集団に溶け込む能力を別の分野に回してるから。ま、だから天才と呼ばれる人間は才能に自己表現を依存しがちだったりするんだけどね。秀でた能力を持つ者は他の能力に乏しい、あるいは好きこそ物の上手なれって表現でもいいかな……要は天賦の才と努力の才は違うように見えて仕組みは同じで、当然得られる結果も同じって事。殺人だって突き詰めれば一つの技術なのよ。コツさえ掴めれば再現できない事はない。だから、復讐のために他を顧みず、多くの才能を犠牲にして、犯行手口の模倣だけを考えてきた人物が居るとするなら不可能とは言い難い。最長五年も時間があって、しかもハート事件という前例(おてほん)もあったわけだしね。それにそう考えるとハート事件と今回の事件とでの犯行の違いも説明できる……」

「え? 違いってありましたっけ?」

「ハート事件はほぼ屋外、今回のはほぼ屋内で行われてる。目撃者だけは運の問題だから。それが天賦の才と努力の才との自信の差とも取れなくもない」

「なるほど」

「いや、納得しないでよ。筋は通るってだけで証拠は一切ないただの推測なんだから」

 すると、彼はおかしなものを見るような目で私を見つめた。結局まだ一口もつけていないアイスバーが垂れかかっている。

「何よ?」

「いや、普通そういう事って自分では言わないなって」

「あのね……、私一応名探偵を自称してるのよ? 推理に関してはそれなりにポリシーがあるの。感情入れてたら正確に答えが出せない。そんな危なっかしい推理はやりません」

 何を感心しているのやら、今度は神妙な顔つきになった。

 なんだろう、ここまで素直な人物を相手にするのは逆にやりにくい。何でこんなまっさらな人間が警察なんてやってるんだろうと、偏見でしかない事を考えて思わず訊いた。

「悠志君は警官になりたくてなったの?」

「はい」

 返ってきたのは当然肯定で、彼の清く正しくに憧れる真面目青年な天然記念物という印象は確信に変わった。

 駄目だ、汚れてる私には辛い相手だわ。

「白藤さんは『一応一応』って言い続けてますけど、探偵じゃなかったら何になりたかったんですか?」

「うーん、蜜と結婚?」

「それ……〝なりたい〟夢ですかね?」

「まあ、今の日本じゃ籍は入れられないし、夢っちゃあ夢でしょ?」

「そうかもしれませんが……、それじゃあ他では?」

「えー? そう、ねぇ……不老不死かなぁ」

「なんですかその子供みたいな……」

「失礼な。私はまだ十九歳の子供だし、警察官よりよっぽど現実味がある夢よ」

 一本目を食べ終ったので、幾らか溶けてしまった額のアイスを頬張って、代わりに新しいのをおでこに乗せる。クーラーをガンガンかけた部屋で思いつく限り身体を冷やしてみるのだけど、一向に熱っぽさは解消されない。熱がある事を意識すると気力までもが蒸発して抜けていくような気がする。もはや悠志君に相槌を打つのすら億劫だった。最初は抗議の声を上げていた彼も、私の聞く耳を持たない態度に諦めたようで、やっとアイスバーに口をつけた。

 会話が途切れ、刑事と名探偵が事件そっちのけでだらけるという混沌とした状況が続いてしばらく、

「あー、そういえば」

 今までゲームに熱中していた可奈さんが口を開いた。

「そういえばさ、綾香ちゃんがよろしく言っといてだって」

 その言葉に、散々噛んでボロボロになったアイス棒を投げ捨てようとしていた私はフリーズして、恐る恐る訊く。

「………………彼女と知り合いなの?」

「んー、というか従妹が同類(、、)」

 その予想の斜め上を行く答えに、精神の安静のために、もう一度口に戻していた棒がへし折れた。

『従妹の時に精神疾患について調べた』って、そういう事か。確かに精神疾患とアレは似てはいる。彼女がやり手警部補なわけだ……。化け物とコミュニケーションが取れるのなら人間を手玉に取るのは容易いだろう。

 そもそも連中と関わり合うという事は、運如何で食いモノにされる可能性があるという事だ。地雷原で障害物レースをやるより致死率が高い。そんな中で平然と生き残れる人間……。ぬらりひょん。焼け太り可奈ちゃん。なるほど、それ以上相応しい言葉もない。悠志君と違って正義感や使命感で警官をやってはいないとはおもっていたけれど、それどころか一般人以上に道徳観を持ち合わせてないんだ、彼女。

 となると、彼女がこうして度々ここに居る理由も何となく分かってきた。

 捜査から外されても平然としているのも、むしろどちらにつけば得をするのか判断するのに都合がいい程度にしか考えていないのだろう。

 なるほど、なるほどね。

 あの幽霊め。

 まさかあんたの差し金じゃあないだろうな。そんな気持ちを込めて天井を仰ぐ。

 こちらからは見えないがあちらからは見えているはずだ。全く、趣味が悪い。

「どうかしたんですか?」

 天井を睨むという奇行に走った私に、悠志君がもっともな疑念をぶつけてくるが、こればっかりは説明が難しい。

「ちょっと浮遊霊がね……」

 ぼやかして言った私の言葉に彼もつられて上向いた。

「視えるんですか?」

「いや全然。ただ、居るのは間違いないわ」

 性格の悪い彼女の事だ。ケラケラ笑いながら私達の現状を見て笑っている事だろう。

 それを厭わしく思うのと同時に、傍目から見てこの事件が無責任な大衆の興味をそそるに十分である事も再認識させられる。

 最悪の事態を想定しておいた方がいいかもしれない。床に転がり捜査資料で紙切りを始めた蜜が目に入って、真剣にそう思った。

 何の変哲もないA4用紙があら不思議、ほんの五分で飛び出す人食いパンダに!

 ……いっその事海外に避難するのも手か? あんな感じで蜜には手に職があるし、私にもクロースアップマジックがある。英語なら私ができるし、何より海を渡れば、さすがに白桃シロップ説などという忌まわしき因縁に振り回されはしないだろう。私達が名探偵なんてものをやっているのは、純粋に謎解きが好きなわけでも、勧善徴悪が好きなわけでもなく、要らぬ火の粉が飛んでくるのを恐れてなのだから。

 事件が解決しなくても、自分達に害がなければどうでもいい。

 けど、この五年間ほどで広げてきた人脈を、ほぼ捨てなければならないのは痛い。

 そんな事態になるとはあんまり考えたくないけれど、何にしても備えはしておくべきだろう。

 せめて知り合いの弁護士に連絡ぐらいはつけておこう。

 そう思ってケータイのアドレス帳から『友達』のカテゴリーを選択し、そこで指が止まった。

「弁、護士」

 思わず呟いて、その意味を考える。事件において被告側に立って弁護する人間。被告側の味方(、、)につく人間。

 ハート事件にも弁護人はついていたはずだ。確か、一度会っている。

 二番煎じ事件犯人の条件は、ハート事件と関わりを持ち、かつ事件で得た不利益を私達のせいだと考えている者……。

 広一君の自殺。あれは確か弁護士が差し入れた聖書を使ったんじゃなかっただろうか?

 となると、ありもしない責任を取らされた可能性は高い。

 弁護士、ね……。思えば、その発想はしてなかった。

 ハート事件で人生を狂わせた人物、そして遺族のいない広一君側から私達を恨める人物。

 ――居るじゃないか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ